エースコンバットZERO1(後編)


その夜、サイファーは格納庫を訪れていた。
数回の出動とは言え、格段の戦果を与えてくれた機体。
何も告げずにタリズマンの元へ返すのは、名残惜しかった。

ノスフェラトゥは人型にはなっておらず、機体の姿でいた。
サイファーが草原での出来事に怯えを見せてから
漆黒の機体が、再び人の形になることはなかった。

「ノス・・・今日、タリズマンから手紙が来た。お前を、返せって」
返答は、一言も返ってこない。
前までは、声が聞こえたら、幻聴だの疲れているだの騒いでいたのに。
今は、その声がないことを、どこか虚しく思う。

もしかして、ノスフェラトゥが人の姿にならなくなり、声も聞こえなくなったのは
自分が、その存在を強く望まなくなったからかもしれない。
草原での出来事があってから、自恐れを感じるようになったことが原因だろう。
けれど、今更そんなことを考えても遅い。
明日には、元の持ち主の手へ返さなければならないのだから。

「・・・無理矢理連れてきた俺が言うのも何だけど・・・今まで、ありがとな」
そっと、機体の側面に触れる。
掌に伝わる、相変わらずの冷たさ。
けれど、もはやぞっとした悪寒を感じることはなかった。
いつまでもここに居ると、また名残惜しくなってしまう。
サイファーは、早々に格納庫を後にした。


自室へ戻り、ベッドに寝転がる。
そのときも、思わず溜息が洩れてしまっていた。
二回、三回と寝返りを打つが、なかなか寝付けない。
明日になってほしくないと、無意識の内に思っているのだろうか。

また、溜息をつきそうになる。
気分が陰鬱になってしまう前に早く眠らなければ、出動のときに支障が出てしまう。
サイファーは何度目かの寝返りを打ち、無理にでも眠ろうと目を閉じた。


そのとき、部屋の扉が開く音が聞こえてきた。
こんな時間に誰が何の用かと、サイファーはやや不機嫌になりつつも体を起こした。
「用事があるなら明日にしてくれねーか?俺、もう眠る・・・とこ・・・・・・」
言葉が途切れる、口がぽかんと開かれる。
目の前に居るのは、暗闇に溶け込むような漆黒の相手だった。

「ノス・・・」
それは、先程まで機体の姿でいたはずの、ノスフェラトゥだった。
暗闇の中でも周囲が見えているのか、真っ直ぐにサイファーの元へ歩み寄り、隣に腰を下ろす。
わずかな警戒心は抱いたものの、不思議と恐怖心は感じなかった。

「・・・別れの挨拶でも言いに来たのか?」
『違う』
きっぱりと言い切られ、サイファーは眉根を寄せる。
「じゃあ、何なんだよ・・・」
こうして会えば、ますます名残惜しくなってしまう。
ただ、気分が暗くなっている様子を嘲笑いに来ただけならば、早く立ち去ってほしかった。


『俺は、残しに来た』
「何を」
主語のない言葉に、サイファーは怪訝な表情を浮かべる。

『俺が人の形になり、お前と接した証を』
「は?」
サイファーは、わけがわからないといった様子で聞き返す。
ノスフェラトゥは、それ以上は説明せず、赤い瞳でじっとサイファーを見た。
鋭い視線に、思わず身を引いてしまう。
そうして、怯んだ様子を見せたのがいけなかった。
相手が怖じていることを感じ取り、簡単にねじ伏せられると思ったのか
ノスフェラトゥは一瞬の間に、サイファーをベッドに押し付けていた。

「な・・・」
あっという間の出来事に、サイファーは目を見開く。
とたんに、緊張感が芽生えてくる。
今度こそ、血をすすられるのではないかと。
どうせ明日で別れるのだから、思ったままのことをやらせてもらおうと、そういう気なのかもしれない。
その予想は当たっていたのか、ノスフェラトゥは眼下の相手へ身を近付けていった。

「や、やめろ・・・!」
とっさに、相手の冷たい肩を押す。
また抑えつけられるかと思ったが、今度は違う。
ノスフェラトゥはぴたりと動きを止め、サイファーを見据えた。


「血を啜ることはしない。ただ、残すだけだ。お前の元に、俺が存在した証を」
傷付けることはしない。
ぶっきらぼうな口調ながら、それをわかってほしいと、必死に訴えかけているようだった。
言葉を終えると、隻眼に見詰められる。
しばらく、サイファーは無言で迷っていた。
今までは、こっちがノスフェラトゥを望む側だった。
しかし、今は逆に望まれている。

許しても、いいだろうか。
今までの礼というわけではないが、最後の対面になるのだから。
最後くらい、相手の望むままにさせてもいいのかもしれない。


相手の動きを制している手から、力が抜ける。
冷たい肩を掴んでいた手は、ベッドの上に落とされていた。
ノスフェラトゥの目が、すっと細められる。
そして、視線は首筋を見据え、唇がゆっくりと下りて行った。

「っ・・・」
触れる直前で、吐息がかかる。
瞬間的に心音が高鳴り、緊張感が増してゆく。
今度は、中断されることはなかった。

[newpage]

硬く、無機質なものが首筋に当たる。
血を啜られることはしなくとも、噛みつかれることは間違いないのだろう。
どの程度の痛みなのかわからなくて、シーツを掴む手に力が入る。
だが、もう怯んでいるところを見られたくはないと、目を閉じることはしなかった。
目を瞑ってしまったら、また、ノスフェラトゥが気配もなくどこかへ行ってしまいそうな気がしていたから。

規則的なリズムで、首筋に吐息がかかる。
血が噴き出すような痛みは、まだ感じない。
焦らしに焦らして、怯えさせようとしているのだろうか。
いっそのこと、するのならば早く終わらせてほしいと、そう思った瞬間。
首筋に、ゆっくりと硬いものが食い込んでいった。

「っ、ぅ・・・」
思わず、肩が震える。
まだ甘噛みの段階だが、間もなく、鋭利な痛みが走るのだろう。
だんだんと、首筋へかかる力が強くなってゆくと、意図していなくとも、肩の震えが大きくなる。
息が詰まり、怯えと緊張が入り混じっている様子を隠しきれなくなる。
無意識の内に、目を強く閉じてしまった。
首筋に、痛みが走る。

しかし、それは想像していた、鋭利な痛みではなかった。
硬い感触はせず、皮膚を破られた感じもしない。
今、感じているものはむしろ逆の、柔らかなもの。
痛みはあることはあったが、それは恐怖していたことが馬鹿らしくなるほどの軽いものだった。

怯えが消え、目が開かれる。
もしかしたら、草原のときのようにいなくなっているのではないかと思ったが
その姿は、まだすぐ傍にあった。
今度は、安堵の溜息が漏れる。


「・・・終わったのか?」
何をどうされたのかはわからないが、先の痛みで、何かしらの痕跡は残ったのだろう。
しかし、ノスフェラトゥは一向に退こうとしない。
何かを考える為に沈黙しているような、そんな感じがする。
サイファーは、自分に乗りかかっているその体を退けることはせず、どうするつもりなのかを待っていた。

お互い沈黙していると、ふいにノスフェラトゥが首筋に冷たい手を添えた。
やはりぞっとしたが、それは単に冷たさから来るもので、恐怖からではなかった。
首を固定され、背けられなくなる。
そして、再び、柔らかな、何かの感触を感じた。

「・・・っ」
細かな痛みが、首筋に走る。
歯を立てられているわけではない。
皮膚が吸い上げられ、くすぐったいとも思えるようなかすかな痛み。
自分で自分の首元を見ることはできず、何をされているのかはわからなかったが。
ただ、嫌な感じはしなかった。

強い痛みを与えられることはないとわかったからか。
それか、首筋に触れる、柔らかな感触に安心しているのかもしれない。
シーツを握り締めていた手の力は、いつの間にか緩んでいた。


冷たい掌に触れられているのに、なぜか体が熱を帯びてくる。
長い間、お互いが重なり合っているからだろうか。
人の体温で温められたのか、最初は冷たかったノスフェラトゥの体も、わずかに温かみを帯びている感じがした。
何回も繰り返される、軽い痛みと柔らかな感触。
サイファーは抵抗することなく、その行為を受け入れていた。

いつまで、続けられるのだろうか。
そう思ったとき、ふいに、痛みが途切れ、感触に変化が訪れた。
柔らかには変わりないが、湿り気を帯びているものが触れる。
そこには、今までノスフェラトゥからは感じることがなかった、温かさがあった。
それは、一か所には留まらずゆっくりと動いてゆき、先程噛んだ後をなぞっていった。

「っ、ぁ・・・っ」
背筋に寒気にも似たものが走り、身震いする。
反射的に声が発されそうになり、サイファーはとっさに口をつぐんだ。
それは、怯えや、恐怖から発されるものではなく、驚きと、もう一つ、他の要因が発させる声。
サイファーは、とたんに逃げ出したい衝動にかられる。
怯える自分を見られるのも嫌だったが、羞恥を感じている自分を見られることも、また嫌だった。

しかし、首は抑えつけられ、体も自由には動かせない。
サイファーが抵抗しようとしていることが伝わったのか。
ノスフェラトゥは再び皮膚に軽い痛みを与え、自分の体で唯一温かみを帯びているものを、ゆっくりと這わせていった。

「ぅ・・・っ」
それが這わされると、また声を発してしまいそうになる。
サイファーは歯を食いしばり、断固として閉口していた。
そんな様子を見て、ノスフェラトゥは微笑する。
からかい、面白がっているわけではない。
自分のこの行為が、相手の身を震わせ、心音を早くする要因を作ったのだと思うと。
ノスフェラトゥの気分は、自然と高揚していた。

サイファーの息が、だんだんと熱っぽくなる。
這わされているものが少し動くたびに、体温が上昇してゆく気がする。
相手から、初めて感じる温かさを感じているからだろうか。
それとも、信じられないと思うような、別の要因を感じているからなのだろうか。


やがて、這わされていたものが動きを止め、離れてゆく。
それでも、首に残るしっとりと湿った感触は、触れられていたものを思い起こさせるようで。
サイファーは、自分の顔に熱が上がってゆくのを感じていた。
ノスフェラトゥは抑えていた首から手を離し、サイファーを見下ろした。

もう、事が終わったのだろうか。
それなら、自分を見下ろしている相手を押し退けてもいいはずだった。
なのに、その隻眼を見ていると、視線が外せなくなる。
もしかして、見惚れているのだろうか。
鋭く、冷たいはずのその瞳に。

『サイファー』

「え・・・」
ふいに、相手から発された言葉に、サイファーは目を丸くした。
今まで、「お前」としか言われたことがなかったのに。
ただ、名を呼ばれただけなのに、心音が、瞬間的に高鳴っている。
そして、その言葉を境に、ノスフェラトゥは少しずつ身を下げていった。

「お、おい・・・」
サイファーは焦り、動揺する。
このまま、ノスフェラトゥが近付いてきたらどうなるのか。
首も、手も、もう抑えつけられてはいない。
両手で相手の体を押し、抗う意思を見せなければならない。

頭ではそうわかっている。
けれど、なぜなのだろうか。
拒否しようと、顔を背けることができない。
拒まなければならないのに、腕が動かない。
まるで、目の前の隻眼に捕らわれてしまったかのように。
抵抗のための言葉も、行動も、何一つとることができない。

サイファーが動かないでいる間に、ノスフェラトゥはさらに近付いてくる。
なぜ、どんな意図があって、こんなことをしようとしているのか。
混乱する、動揺する、赤い瞳が近付いてくると、心音の落ち着きがなくなってゆく。

とうとう、目と鼻の先までに、隻眼が迫る。
唇に、熱を帯びている吐息がかかる。
もう、何をしても遅いのだと、覚悟した。
サイファーは緊張のあまり全身を強張らせ、強く目を閉じた。


未知数の感触は、すぐに感じると思っていた。
しかし、唇には何も感じない。
それどころか、人の気配さえ感じなくなっていた。
もしやと思ったサイファーは、勢いよく体を起こす。
そこに、もう漆黒の相手は存在していない。
サイファーは唖然として、しばらくその場から動くことができなかった。




翌日、とうとうノスフェラトゥをタリズマンの元へ返す日が来た。
漆黒の機体は、タリズマンが手配したコンテナに入れられ、運ばれてゆく。
自分が操縦して届けたいという思いがあったが。
昨日のことを思うと、席につくだけで緊張してしまうだろう。

いつもは下ろしている首元のジッパーを、今日は開くことができない。
ノスフェラトゥが存在した証を、はっきりと付けられてしまっているから。
鏡を見たときの驚きは、今も忘れられない。
点々と残る、いくつもの痕。
不思議と嫌悪感はなかったものの、複雑な心境だった。


ノスフェラトゥがいなくなってから、サイファーの戦果はかなり落ち込んだ。
機体性能や特殊兵装が劣る機体を使っているとはいえ。
無傷で帰還できることはほとんどなくなっていたし。
あわや、墜落寸前まで追い込まれることもあった。
これではいけないとサイファーは自分に活を入れようとするのだが。
どうしても、気分が乗らず、ぼんやりしてしまうことがあるのだった。

もう、漆黒の機体は自分の手元にはない。
諦め、任務に集中しなければならない。
そうわかっているのに、どうして、こんなにも気が散ってしまうのか。
どうして、思い出さずにはいられなくなってしまうのか。
鋭く赤い瞳と、漆黒の冷ややかな感触を。


相変わらず、戦果が上がらない日。
今日、何度目かの溜息をついて自室へ戻ろうとしたそのとき、陽気な声に呼ばれた。
「サイファー!愛しのハニーから、格納庫に贈り物が届いてるぜ!」
「・・・贈り物?」
冗談を軽く受け流し、格納庫へ向かう。
中に足を踏み入れた瞬間、サイファーは驚きのあまり言葉を失っていた。
もう、見ることすらままならないと思っていた漆黒の機体が、自分の目の前にあった。

「ノス・・・」
歩み寄り、手を伸ばして機体に触れる。
もう、感じることもできないと思っていた冷たさ。
それは、とても懐かしく、なぜか安心させてくれるもので、少しの間だけ目を閉じていた。
そうしていると、ふいに感触がなくなった。
はっとして、目を開くと、鋭く、赤い瞳と視線が交差した。

「ノス・・・お前、どうして・・・」
『最高速度も落ち、特殊兵装のコントロールもできなくなった機体は用済みらしい』
「え・・・お前、どこか破損したのか!?」
『・・・破損は、していない』
ノスフェラトゥは、どことなくばつが悪そうに眉根を寄せる。
「じゃあ、何で・・・」
問いかけようとしたが、サイファーは一つの予測が浮かんで言葉を止めた。

もしかして、ノスフェラトゥの調子が悪くなったのは、自分が戦果を上げられなくなった理由と同じなのではないかと。
相手は機体なのに、こんなことを考える自分がどうかしていると思う。
ノスフェラトゥは理由を説明する気はないのか、そのまま閉口していた。

「ま、いいか。これでまた、がんがん撃墜だな!」
『調子の良い奴だ』
「それが、俺の性格だからな。・・・これからもよろしくな、ノス」
自然と笑いかけ、サイファーはノスフェラトゥの背を軽く叩いた。

『フン・・・』
ノスフェラトゥの横顔は、相変わらず平静としたものだった。
だが、一瞬、鋭い視線が消え、本当に一瞬だけだが、その頬に柔らかな笑みが浮かんでいた。
戦果は、また上昇していくだろう。
この機体と、共に在ることができるのなら、タリズマンにさえも負けはしないと、そんな大口が叩ける気がした。

これからも、ノスフェラトゥと、共に空を飛べる。
戦果が上がるから、嬉しいわけではない。
この、喜びの要因。
それをサイファーが知るのは、まだ、先の話だった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
友人の影響で書きあげた、擬人化エスコン小説でした
なんとも長くなり、もう少しで卒業論文の規定文字数超えるというボリュームでお送りしました