KOBAN3。


警察署で拳銃を受け取り、ハマチョー交番へ向かう前。
珍しく、武田を呼び止める声があった。

「武田さーん」
「む、花園君か。早い出勤だな」
「うん、この前シチューみたいなものくれたでしょ。。
信じられないものまで入ってたカオス加減がサタンの口に合ったみたいで、そのお礼にこれ渡したくて」
花園は、いつものにこやかな表情で小さな袋を差し出した。
その中には、人の目に見えなくもないおそろしげな物体が入っていた。
武田がとっさに身構えたが、よくよく見ると人の目にしては薄っぺらかった。

「これ、お礼に作ったクッキーなんだ。食べれば、きっと良い気分で仕事できると思いうよ」
「ほう、良い栄養素でも入っているのか。ありがたくいただこう」
仕事がはかどるのなら良いことだと、武田は何の疑いもなくクッキーを受け取った。

「じゃあ、僕はこれで失礼します」
そう言うと、花園はカラスの乗り物に乗って空を飛んで行った。
多少カラスがやかましくとも、もう見慣れたもので、特に驚かなくなっていた。



ハマチョー交番に着いたが、まだ仙波は来ていない。
昨日は非番だったので、おおかた酔いつぶれて寝坊したのだろう。
出勤してきたらどうどやしてやろうかと考えている途中で、さっき貰ったクッキーに気付く。
仙波に見つかったら全部食われかねないので今食べてしまおうと、武田は目玉の様なクッキーを一枚食べた。

味はいたって普通の焼き菓子で、異物が入っているような気配はない。
安心して、もう一枚食べようかと手を伸ばしたところで、一瞬目がかすんだ。
コンタクトの調子が悪いのかと、目を細める。

「せ、先輩、す、すみません、遅れました・・・」
武田は反射的に袋を引きだしにしまい、息を切らしてやってきた相手に向き直る。
さっそく叱責しようかと思ったが、口がぽかんと開くだけで言葉が出てこなかった。

「・・・あ、あれ、先輩、どうしたんですか?」
いつもの調子で怒られないので、仙波が不思議そうに問いかける。
武田は、さっきから呆然として相手を見ていた。


「石原・・・さとみ、さん・・・?」
「え?」
「なっ、なぜ、こんなところにいるんですか、こんな小さな交番に、婦警の格好までして」
「なぜ・・・って、今更何言ってるんですか?俺がここに来るのは当たり前じゃないですか」
朝一番でわけのわからないことを言われ、仙波の頭には大量の疑問符が浮かぶ。
ここで気付いてもよさそうだったが、武田の脳内では。

『何言ってるんですか?一日署長で私がここに来るのは当たり前じゃないですか』と、変換されていた。
「あ、ああ、そうだったな、そうだ。。
今日は警察官の業務を体験しに来ると言われていた・・・気がする」
何かひっかかるものがあったが、さとみさんの前では何も気にならなくなっていた。

「すみませーん、駅への行き方を教えてほしいんですけど」
「あっ、はい」
仙波は違和感を覚えつつも、とりあえず地理案内が優先だと地図を取り出した。

「えーと、最寄駅までは・・・手前の通りを右折して、コンビニを右折して・・・」
「ちょっと待った、その道だとこの交番に戻ってきてしまう。ここは俺に任せて、書類でも見ていてください」
「ええ?」
いつもなら、まだろくに地理案内もできんのかとどやされるところ。
けれど、今の武田はなぜか笑顔で、後輩のフォローをしている。
仙波は疑いの眼差しで武田を見ていたが、今日は特別機嫌がいいんだろうと思い直した。
何より怒られないのはいいことで、言われた通り書類を閲覧する。
その間から、ひらりと一枚の紙が落ちてきた。

「あれ、これ・・・!」
その紙は、以前提出し忘れていた始末書だった。
確か、翌日に合コンが入っていて、それでうかれてすっかり忘れてしまっていた。
期限切れの始末書、ましてや合コンが理由で忘れていたなんて言ったら雷が落ちるに違いない。
仙波はとっさに隠そうと慌てたが、その前に武田が紙を拾っていた。


「む、これは・・・」
仙波の背筋に悪寒が走る。

「す、すみません!始末書出すの、うっかり忘れてて・・・」
武田は始末書をじっと見ていたが、やがてふっと笑った。

「数々の業務の中では始末書など忘れがちになってしまうものです。。
これは俺が処理しておくので、お気になさらず」
「え、ええー?」
いつもなら、絶対に拳骨の一つや二つ飛んでくるはず。
それが、にこやかな笑顔で許してもらえている。
いくらなんでもこれはおかしいと、仙波は一つ試してみることにした。

武田が始末書の処理をしているところへ、仙波がコーラを持ってやって来る。
「先輩、お疲れ様です。コーラでも飲んで一服しません・・・か!」
仙波はわざとらしく派手にこけて、コーラをぶちまけた。
もちろん、進行方向にいた武田にコーラが降り注ぐ。
武田は始末書を書いていたペンを止め、じっと仙波を見下ろした。

「す、すみませ〜ん、自分の長すぎる足にひっかかっててころんじゃいました〜」
これなら、流石に罵詈荘厳を浴びせられないはずはないと思った。
だが、武田はやはり、笑顔のままだった。

「いえ、制服の変えはありますから。。
それよりも、気遣って差し入れをしてくれたことが嬉しいですよ」
そのとき、仙波の背筋にまた悪寒が走った。
怖すぎる、怒る先輩も怖いけれど、今日の対応は別の意味でとても怖い。
もしかしたら、これは新しい叱責の仕方なのだろうか。
だとしたら、怖すぎる、嫌過ぎる、普通に罵声を浴びせられた方がずいぶんとましだった。


「せ、せんぱーい!今日どうしちゃったんですか!怒ってください、叱ってくださーい!」
仙波は、涙目になりながら武田にすがりつく。
「わ、わわっ、し、叱ってほしい?わかりました、わかりましたから離れてください!」
武田は、焦って仙波を引き離す。
今の武田にとっては相手が憧れのさとみさんに見えているのだから、動揺するのも無理はない。

叱ってほしいなんてお願いに戸惑ったが、とりあえず拳を握る。
それを見て、今度こそ来ると仙波は身構える。
けれど、思い切り振り下ろされると思った拳は、こつんと額を小突いただけだった。

「・・・つ、次からは、気をつけるように」
視線を逸らしてやりづらそうにしている様子は明らかにおかしくて、仙波をますます不安にさせた。
「そうだ、きっと何か悪い物でも食べて・・・。
その毒素が脳に広がっちゃってるんだ・・・消化されれば、きっと元に戻るはず・・・」
仙波は無理矢理自分にそう言い聞かせて、ふらふらと立ち上がった。

「む、体調が思わしくないのではないですか?この暑さですし、無理せずともいいのですよ」
「そうですか・・・それなら、お言葉に甘えて、今日は失礼します・・・」
ありえないくらい優しい気遣いにもはやつっこむ気力もなく、仙波は早々に寮へ戻っていった。




その日の晩、武田は自室で頭を抱えていた。
交番に、石原さとみさんが来たような気がする。
けれど、冷静に考えればあれは仙波だったような気もする。

他の同僚に聞いたところ、一日署長なんて実施されていないと言われたし。
あれは、目玉の様なクッキーが見せた幻覚だったのかもしれない。
だとすると、自分の態度は全て仙波に見られていたことになる。
明日、どうやって説明したものかと考えると頭痛がした。

「先輩、遅くにすみません、ちょっといいですか?」
何とも嫌なタイミングで、悩みの種がやって来た。
だが、どうせ明日顔を合わせることになるのなら、さっさと弁解してしまったほうがいい。
それに、この怪しげなクッキーを返しておいてもらおうと、武田は扉を開けた。

「あ、あの、先輩・・・鍋返しにきました!」
仙波が勢いよく鍋を差し出したので、武田は頭をぶつけそうになる。
さっと飛び退き、鍋を受け取って脇に置いた。
そうして仙波と向き合ったが、いざ説明しようと思うとどう言っていいか困る。
武田が真面目な表情で悩んでいると、気まずい雰囲気が流れた。


「・・・あ!先輩珍しいクッキー持ってますね、一枚下さい!」
重たい雰囲気を打ち消すように、仙波はさっと袋を奪ってクッキーを頬張る。

「お、おい、それは・・・!」
「うまー!これ、珍しい形してますねー」
時すでに遅し、クッキーを飲み込んだ後、仙波は目が霞んだのかごしごしと擦る。
そして、その表情は驚きから、にやつきに変わった。

「せ、仙波・・・」
嫌な予感がして、後ずさる。


「・・・かわいくって、やさしくって、おっぱいが大きい女の子―!」
「うわー!」
仙波は、ほとんどぶつかるようにして武田にすがりついた。

「貴様、無礼講もはなはだしいぞ、離れんかー!」
「ええ〜、すっごい照れ屋さんなんだね〜。。
でも、すっごい好みのタイプだから、もう少しだけこうしてたいよ〜」
膝をつき、満面の笑みでまとわりついてくる仙波に、危機感を覚えずにはいられなくなる。
万が一押し倒されでもしたら、世にも恐ろしい事が起こりかねない。

「い、いいか、俺は武田だ、お前の上司だ、さっさと離れろ!」
「そっか、武田さんって言うんだ〜。僕っ子じゃなくて俺っ子なんて、ボーイッシュでいいなぁ〜。。
そんな子が俺の上司だなんて幸せすぎる〜」
声も完璧に脳内変換されているようで、仙波はでれでれとしている。
そういえば、昼間、自分も相手の言葉が良いように変換されていたことを思い出す。
言葉で言っても無駄ならば、手段はもう一つしかなかった。
武田は手刀の構えをし、思い切り振り上げる。

「いい加減に、しろー!」
「ぎゃー!」
重い重い手刀が、仙波の頭にクリーンヒットする。
仙波はずるずると崩れ落ち、ぱたりと倒れた。




「・・・はっ!かわいくておっぱい大きいけど暴力的な女の子・・・」
目を覚ました開口一番にそんなことを言ったので、武田は再び手刀を構えた。

「貴様、まだたわけたことを言っているのか」
「あ、せ、先輩?女の子・・・は・・・」
「あれは完璧な幻覚だ。これで、俺がどうなっていたかわかっただろう」
クッキーが入っていた袋を見て、仙波は激しく頷いた。

「でも、先輩が元に戻ってくれてよかったー。。
昼間の先輩、優しさを通り越してほんとに不気味だったんですよ!」
「ほう、優しい俺が不気味、だと。。
それなら、明日からはより厳しく接してやろう。その前に、まずは・・・」
武田は立ち上がり、仙波を見下ろす。
そして、両手に拳を作った。

「遅刻と始末書未提出とコーラをぶちまけた分だ!」
「うぎゃー!」
武田は拳を仙波のこめかみに押し付け、ぐりぐりと圧迫する。

「た、たまには、ちょっとは優しくしてほしいですー!」
「優しいと気持ち悪いんだろう。安心しろ、もうお前に優しくする機会など一切ないだろうからな!」
「ひでえ!」
一応鬱憤が晴れたのか、武田が離れる。

「ふん、優しくしてほしかったら、数々の失敗を帳消しにするような功績でも残してみせるんだな。。
その前に殉職する方が早いかもしれんが」
「そ、そんなことありませんよ!見ていてください、きっと先輩をあっと言わせてみせますから!」
あまりに気合たっぷりに言うものだから、武田は少し気押される。
やる気は大いにあるようなので、少しだけ、楽しみにしておこうかという気持ちが生まれた。

「今日は疲れたからもう寝る、花園君にあまり奇妙な物を作らないように言っておけ」
「あれ、ゾノが作ったんですか・・・でも、出てきた女の子、ほんとうにかわいかったなぁ〜」
「貴様、今度は脳天に拳骨を食らわしてほしいようだな」
「し、失礼しまーす!」
武田の殺気を察知し、仙波は扉も閉めずに出て行った。

「全く、あいつは鼻の下をでれでれと伸ばして・・・」
かわいかったと連呼されるたびになぜかいらつき、反射的に拳を握っていた。
まるで自分に向かって言われている気がするからか、それとも自分以外に言われているからなのか。
だが、後者の考えは決してないと、すぐに考え直した。
かわいらしいと言われて喜ぶような性格ではない、むしろ侮辱に近いのだから。
今日のことを考えるとまた頭痛がしてきそうで、さっさと布団を敷いて床に就いた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!。
まさかの3話目、どうしてBL要素がほとんど入っていないのにこんなに想像しやすいのか。。
これから、短編をぽつぽつUpしていく形になりますー。