KOBAN5


少し前から、武田の部屋の窓ガラスには大きな穴が空いていた。
それというのも、仙波が下から荷物を投げた際、コントロールを謝って直撃させたのが原因だ。
一時的には、花園が準備したベッドという名の祭壇で眠っていたが。
武田が日に日にやつれていったので、仙波が必死に止め、早急に修理業者に来てもらうことになった。

今夜は特別冷え込む日だが、段ボールを貼っておけば大丈夫だろう。
第一、冬の風が入り込んできたくらいで風邪なんかをひきはしないと自信があった。
だが、サタンに養分を吸われて弱りがちな武田の体に、冬の風は厳しかった。




「先輩、おはようございます!」
「・・・おはよう」
今日は、仙波のやかましい声がやけに頭に響いた。

「あれ?先輩、なんか声が沈んでないですか?。
元気出していかないと、通りかかった人に警戒されちゃいますよ」
「わかってる。お前こそ、無駄口を少し閉じておけ」
明瞭で明るい声が、鬱陶しく感じる。
それに、交番の中が暖房器具もいらないほど熱い気がしていた。

「おい、今日の気温は何度くらいあるんだ?」
「え?正確にはわかりませんけど・・・10度くらいじゃないですかね?」
「そうか・・・」
仙波は、武田の質問の意図がわからずぽかんとしていた。

「あ、そうだ、この前の始末書なんですけど・・・。
ノ、ノリでハンコもらえないかなー、なんて・・・」
差し出された書類を、無言で受け取る。
そこにはやけに平仮名の多い文章が書かれていたが、内容がうまく認識できなかった。
頭が重たくて、文章が把握できない。


「・・・まあ、いいだろう」
「マジっすか!?」
やけにすんなりとハンコをもらうことができて、仙波は驚く。
武田は、文章を訂正するのも面倒で、ぼんやりとしている内にハンコを押してしまった。
何かで気を紛らわそうと、他の書類をぱらぱらとめくる。
だが、漢字だらけの内容は余計に頭に入ってこなかった。

「あれ、先輩、書類、さかさまですよ」
言われて、はっと気が付く。
「さ、逆さ文字を読む練習をしていただけだ」
慌てて書類を正位置にするが、様子がおかしいことは隠しようがなかった。

「先輩、どうかしたんですか?元気ないし、すんなりハンコくれるし、書類逆さにして読むし・・・」
「うるさい、何でもない」
どやしつけるはずの声に、覇気を込めることができない。
武田は自分の身に起こっていることを薄々わかっていたが、認めたくなかった。

何とかデスクワークをこなしていたが、その疲弊は明らかだった。
「先輩、かなり疲れてるみたいですけど、大丈夫ですか?まだ、サタンの影響が・・・」
「非現実的なたわごとを言うな、何でもない」
昼休憩を取れば、幾分かマシになる。
そう思っていた矢先、無線が入った。

『交差点で衝突事故発生、交通整理に人出が足りない模様。行ける者はいないか』
「こちらハマチョー交番、すぐ向かいます」
武田は無線を切り、さっと立ち上がる。
同時に強いめまいを感じたが、ぐっとこらえた。

「俺は交通整理に行ってくる」
「ええ!?先輩、調子悪そうなのに無茶しないでください!」
「さっきから何度も余計なお世話だ、平気だと言って・・・」
外へ出る途中で、武田は扉にひっかかって思いっきり転んだ。
会話に気をとられていたとはいえ、いつもならこんな失態はしないはず。
すぐに起き上がろうとするが、やけに体が重たくて持ち上がらない。
それどころか、瞼もどんどん重たくなっていく。

「せ、先輩!?しっかりしてください、先輩!」
「う、うるさ・・・い・・・」
仙波のやかましい声が遠くなり、意識が途切れた。




気付いた時は、自室に寝ていた。
何気なく窓の方を見ると、穴がふさがっているだけでなく、外が暗くなっていた。
いつの間にか、服は寝巻のDYNAMITE MELONになっている。
未だ重たい体を何とか起こすと、誰かが部屋に入ってきた。

「あ!先輩、気が付いたんですね、よかった」
仙波は片手にビニール袋を持ち、ずかずかとあがりこんでくる。

「・・・人の部屋に勝手に入ってくるな、不法侵入で調書をとられたいのか」
「せ、せっかく運んできたのにその言い方はないっす!。
先輩、交通整理に行こうとしてずっこけて気を失ってたんですから」
痛い頭をフル活動させると、何ともみっともない場面を見られてしまったことを思い出す。
あの後、仙波に運ばれて寝かせられたのかと思うと、自分が情けなくなった。

「先輩、熱あるのに無理して・・・アイス買ってきたんで、どうぞ」
差し出されたスーパーカップを、ためらいがちに受け取る。
ちゃっかり自分の分も買ってきていたようで、仙波もカップを開けた。

「やっぱ、弱ってるときに寒い部屋で寝たのが悪かったんですって。。
俺の部屋に来てくれても構わなかったのに」
「うるさい、皆まで言うな」
武田は、スーパーカップを食べつつ憮然とした態度で言い放つ。
冬の風にあたったくらいで体調を崩したことを、認めたくなかった。
だが、その結果後輩に手間をかけさせてしまったことは、反省しなければならない点だった。


「・・・仙波、世話をかけたようで、すまなかったな」
やけに素直に謝る武田に違和感がありすぎて、仙波は複雑な表情をする。

「おい、なんだその顔は、俺とて迷惑をかけたときは謝罪くらいする」
「あ、そ、そうですよね。・・・でも、体調悪い時は悪いって、ちゃんと言ってください!。
たまには、俺一人だって何とかなり・・・ま、すから!」
「お前が?一人で?」
何とかなるわけないだろう、むしろ問題が増えるわ、と言いたいところだったが。
一応、世話をかけた借りがあるので、言葉を飲み込んだ。

「・・・そうしてほしかったら、さっさと地図なしで道案内くらいできるようになれ。
漢字の読み書きができるようになれ、方向音痴を直せ」
「う・・・わ、わかりました!先輩が安心して休めるように、俺頑張ります!」
「ふん・・・」
上司のためにではなく、自分自身のために早く一人前になるべきだ。
だが、仙波の言葉にわずかだが、ほんのわずかだが期待していて。
同時に、少しだけ喜びとも思える感情を覚えてしまったのは、熱のせいに違いなかった。

「あ、これ、ついでに風邪薬も買ってきました。。
あと、制服は急ぎの注文でクリーニングに出しといたんで、明日には引き取れると思います」
「何から何まで、すまんな」
「いえ、先輩にいつも俺の尻拭いさせちゃってますし・・・これくらいさせてください。。
俺、こんな形でも先輩の役にたててることが嬉しいんです」
混じり気のない純粋な言葉と満面の笑みに、武田は気恥ずかしくなる。

「・・・職務もこれくらいできればいいものだがな」
「そうできるよう頑張ります!」
皮肉を言ったつもりが肯定的に取られ、調子が崩される。

「貴様はそろそろ帰れ、風邪が移る」
「え、もういいんですか?食事とか、お風呂とか手伝いますよ」
「俺は子供じゃない!いいから帰れ、静かに寝ていたい」
「わかりました、絶対に無茶しないでくださいね!」
仙波は心配そうにちらちらと振り返りつつ、部屋から出て行った。



仙波の姿が見えなくなると、武田は一息ついて横になった。
後輩にあれほど心配されるなど、情けないと思う。
だが、食事はともかく風呂の介助まですると言い出すとは、相変わらず何を考えているか分からない。
銭湯以外で男同士で、ましてや仙波と風呂に入るなんて考えただけで風邪が悪化しそうになる。

そういえば、着替えも仙波がさせたのだろうか。
はっとして下着を確認するが、そこには嫌な汗をかいていたので、取りかえられてはいないようだった。
思わず安堵の溜息をつき、脱力する。
風邪で倒れて、身ぐるみを全てはがされた情けない姿など見られたくはなかった。

だが、シャツとズボンを着せられたことには変わりないのに、そのことに嫌悪感を抱かない自分が信じられなかった。
きっと、風邪のせいで頭がうまく働かないからだろう。
これ以上体に負担を与えないよう、自分が嫌だと思う感情を排除してしまっているに違いない。
そう決めつけて、武田はこれ以上考える事を止めた。




―後書き―
読んでくださりありがとうございました!。
連載中に一回は出てくる風邪ネタでお送りしました。
そろそろ話がつきてきているという証拠・・・だが、まだだ、まだ終わらんよ!←。