SIREN2

病院の一室で、牧野は、顔を赤くして俯いていた
それというのも、ついさっき宮田に大胆なことをされたから
宮田は、たかだか数秒間の口づけでうろたえ、何も言えなくなっている牧野をおかしく思いつつその様子を見ていた

「そろそろ、行きましょうか」
そう言って、ふいに宮田が立ち上がる
「・・・行くって、どこへ?」
牧野は、宮田が八尾の居場所を知っているから、こうしてついてきた
けれど、先程、居場所なんて知らないと言われ、そして―――
また動揺してしまいそうだったので、そこから先のことを思い出すのは止めた

「求導女を探しにですよ。あまり気は進みませんが」
騙してこの場まで連れて来て、事が済んで満足したら放り出す
それでは流石に後味が悪そうだったので
宮田は、気乗りはしなくとも、牧野が喜びそうな提案をしていた
案の定、その言葉を聞いた瞬間、牧野の表情はぱっと明るくなった

「ありがとうございます!宮田さんがいてくださるのなら、心強いです」
お世辞でも何でもなく、自然と出てきた褒め言葉
宮田はそれをむず痒く思いつつも、悪い気はしていなかった


外に雨が降っていないことを確認してから、二人は部屋を出る
そのとき、宮田は眉をひそめた
異様な者の気配がする
何度も対峙してきた、人ではない者の気配が
屍人が、この廊下の先にいると、確信していた
けれど、廊下を通って行かなければ、外には出られない

「・・・宮田さん、どうかしましたか?」
廊下の先をじっと見ている宮田に、牧野が控えめに声をかける
「おそらく、この先に屍人がいます。気を付けて下さい」
用心しろと言ったところで、怯えることしかできないだろうと思ったが
一応、心構えくらいはしておいてもらおうと、宮田はきっぱりと言った

「し、屍人が・・・」
宮田の予想通り、牧野の声は小さくなり、不安を露わにしていた
「・・・あまり距離を空けず、後ろからついてきて下さい」
予想通りの反応に、宮田は気付かれないほどの小さな溜息をつく
そして、ネイルハンマーを手に下げ、廊下を進んで行った

一歩進むごとに、人ではない者の気配は強くなってゆく
相手も、自分以外の者の気配に気付いているのか、こっちへ近付いてきているようだった
牧野は、屍人の気配を感じているのか、手がわずかに震えていた
廊下の奥から、足音がはっきりと聞こえてくる
宮田は、ネイルハンマーを持つ手に力を込めた


「せんせぇぇぇ・・・」
突然、廊下に女性の声が響く
背筋をぞっとさせるような声に、牧野は肩を震わせる
宮田は怯えはしなかったものの、眉根を寄せてその声の主を見ていた

「・・・美奈」
「え・・・美奈さ・・・ん・・・」
呟かれたのは、宮田の恋人の名前
しかし、牧野は絶句していた
その姿は、もう、人ではなかったから

「せんせぇぇぇ、どうして・・・」
恨めしそうな声で、美奈は足を引きずるように、よたよたと二人に近付く
その風体がますます恐怖をあおったのか、牧野は目を逸らしていた
「少し、下がっていてください」
宮田は、牧野にそう諭し、ネイルハンマーを構える
そのハンマーを見て、牧野ははっとした

「も、もしかして、美奈さんを・・・」
「そうしなければ、ここを通してはくれないでしょう」
宮田は、平然と答えた
「だ、駄目です!いくら屍人になったとはいえ、宮田さんの恋人でしょう!?」
さっきまで縮こまっていた様子はどこへ行ったのか、牧野は声を張り上げた
宮田は、今度は大きく溜息をついた
この求導師が、お優しいことは知っている
けれど、まさか屍人まで気遣うとは
宮田は呆れて、言い放った

「そんな甘いことを言っていては、あなたもすぐ屍人のお仲間入りだ。
・・・大人しく、下がっていてください」
相手は、目前まで迫ってきている
ここで牧野を説き伏せている暇はないと、宮田は背を向け、廊下の奥へ進んで行った
そして、宮田が屍人と対峙したとき
手に持つ凶器が振り下ろされ、鈍い音が院内に響いた




音が止むまで、そう時間はかからなかった
追いついてきた牧野が見たとき、もう屍人はいなかった
佇んでいるのは、一人だけ
牧野は、恐る恐る宮田のもとへ歩みを進めた

「宮田さん・・・」
宮田は一人、倒れている相手を見下ろしていた
周囲には、赤い斑点が飛び散っている
それは、白衣によく映えていた

「・・・軽蔑しますか?屍人とは言え、恋人に凶器を奮った私を」
宮田は、振り返らずに問う
牧野は、どう答えていいかわからなかった
できれば、傷つけずに済む方法があればと思っていた
しかし、宮田がこうして相手を制していなかったなら
先程言われた通り、自分も屍人となっていたかもしれない
礼を言うべきなのか、それとも―――

「構いませんよ。もう、慣れていますから」
ずっと前から、生きている人間に同じことをしてきた
ヘタレで情けない求導師とは違い、そう育てられてきたのだから
血を浴びることにも、批判的な目を向けられることにも慣れている
そのはずなのに、今は
自分の後ろにいる相手から向けられるであろう視線が、怖かった

牧野から、宮田の表情は見えない
けれど、その背には多くの憂いが圧し掛かっていることを、牧野は知っていた
宮田は、ずっと、儀式の為に、非人道的なことを任されていたのだから
宮田は押し黙り、振り向くことなく歩き始めた
自分を軽蔑する目を見たくなかった
この求導師からは、絶対に

「宮田さん!」
牧野が、引き止めるように声を張る
そのとたん、宮田の背中に何かがぶつかった
何事かと、ちらと背後に目をやる
視界の隅に入ったのは、黒い衣服
ぶつかってきたのは、牧野自身だった
宮田は、とっさに視線を前へ向け、何をしているのかと問いかけようとする

けれど、その前に、言葉は止まってしまった
自分にまわされた、細い両腕によって
腕は、まるで相手を包み込むように、体を抱き留める
牧野のその行動が信じられず、宮田は目を丸くした


「・・・私は、宮田さんを軽蔑なんてしません。
むしろ、感謝しています。貴方は、ずっと守っていてくださった」
儀式のために、弊害となる人を始末する
それを、非人道的だとただ一言で片付けてしまうことはできない
宮田がいなければ、儀式に関わる人の方が始末されていたかもしれないのだから

牧野の言葉に、宮田は沈黙していた
血で汚れる裏家業に、感謝している、などと言われたのは初めてで
そのせいか、自分の中から、どっと何かが湧き上がってくるのを感じていた
宮田の肩が、わずかに、一瞬だけ震える
それは、目視ではとてもわからないほどに小さな震えだったけれど
その震えは、今接している相手にはごまかせなかった

「宮田さん・・・たまには、泣いてもいいんですよ」
牧野は、優しく声をかける
最初から相手を殺めることに抵抗がない人はいない
どれだけ、自分を押し殺してきたのだろう
頼りがいのある背が、今は悲哀を帯びているように見えていた

「っ・・・」
宮田は、小さく呻いた
たまには、泣いてもいい
そんな言葉で、易々と泣く性格ではないはず
なのに、どうして、自分の意思とは別に、決壊してしまうのだろうか
どうして、こんなへたれた相手の言葉で、どうして―――

牧野は、宮田の表情を見ることはできなかった
けれど、手に落ちてきた一滴の冷たさが、全てを物語っていた
牧野は、相手を庇護するように腕に力を込め、身を寄せた
「いくらでも泣いて下さい。人の体温と言うものは、安心するものですか・・・」
言葉の途中で、宮田はふいに牧野を押し退けた


「・・・もう十分です、気色悪い」
宮田は振り返らず、ぶっきらぼうに言った
「なっ、わ、私は、宮田さんのことを思って・・・」
「そろそろ行きましょう。早くしないと、美奈が起きてくる」
そう言い放つと、宮田は早足で廊下の奥へと進んで行った
「ま、待ってください、置いていかないでください!」
屍人が起きてくると聞いて、牧野は小走りで宮田の後を追った




その後、病院を出た宮田は八尾を探すと言ったが、手がかりがあるわけではなかった
一応、村の周辺を散策してみたが、何も収穫はなかった
そうして、二人は結局、教会に戻ってきていた

「八尾さん、見つかりませんでしたね・・・」
「そうですね」
残念そうにしている牧野とは裏腹に、宮田はどうでもよさそうに返事を返した
むしろ、求導女など見つからなければいいというのが本心だった
求導女さえいなければ、牧野が縋る相手は一人しかいなくなるのだから

「・・・私、八尾さんが早く見つかるよう、主に祈ってきます」
やる気のなさそうな宮田に、これ以上捜索を手伝ってもらうのは諦めたのか
牧野は大きな十字架の前に座り、祈りの体勢に入った
宮田は、面白くなさそうにそれを見ていた
「主よ、どうか、八尾さんを私の元へお導き下さい・・・」
捜索に疲れたせいか、牧野はそんなへたれた祈りを捧げる
そんな祈りも、宮田にとっては面白くないことだった

「案外、ここで待っていたら戻って来るかもしれませんね。
屍人にも、意思はありますから」
「そ、そんな・・・」
牧野は、泣きそうな顔で宮田を見る
それが面白く見え、宮田は口端を上げた
「い、いえ、八尾さんは、きっと生きています!私は諦めませんからね!」
牧野は、ぷいとそっぽを向き、祈り続けた
そう信じなければ、やっていられないといった様子で
それがまた、宮田を不機嫌にさせた


ふいに、とある欲望が湧き上がる
求導女のことを祈り、姿のない主などに縋っている相手を見ていると
強い、独占欲が渦巻いてゆく
宮田はふいに立ち上がると、つかつかと牧野に歩み寄った
熱心に祈っているせいか、牧野は背後に歩み寄る相手に気付かなかった
手が届く距離まで来ると、宮田はその場にしゃがみこむ
そして、相手が振り向かない内に、その体に腕をまわした

「み、宮田さん!?」
驚きのあまり、祈りの姿勢が崩れる
たちまちぐいと後ろに引き寄せられ、背がぶつかった
慌てふためく牧野の姿を見て、宮田は再び口端を上げた
「あ、あの・・・お祈りの邪魔なのですが・・・」
「いいじゃないですか。人の体温は、安心するものなのでしょう?」
病院で言われた言葉を、そのまま返す
牧野は、ぐっと押し黙ったように見えたが、すぐに反論した

「・・・さっき、言っていたじゃないですか。・・・気色悪いと」
牧野は、少し声を低くして呟いた
気にしていたのかと、宮田はばつの悪そうな表情になる
「あれは、牧野さんのことではありません」
「・・・どういうことですか?」
宮田は、説明せずにただ黙っていた
あれは、自分に言ったことだった
誰かに慰められて流した滴が、自分にはあまりにも似つかわしくなくて
戒めのように、とっさに出てきた言葉だった

宮田は、嘘はついていないと言うように、まわした腕に力を込める
お互いの体が密着し、とたんに緊張した牧野は何も言えなくなってしまった
病院であんなことをされたのだから、緊張しないほうが無理だ
牧野が固まっているのをいいことに、宮田はさらに身を寄せ、顔を近付ける
「い、いけません!主の前で・・・」
宮田は、そんなものは知ったことかと牧野の顔に手をやり、横に向かせる

「・・・嫌なら、抵抗すればいい。無理にさせろとは言いません」
「うう・・・」
抗いやすいように、まわしている腕の力を緩める
身の束縛が緩んだことは、牧野にも伝わっているはず
しかし、牧野は戸惑うように小さく呻いただけで、その腕を振り解こうとはしなかった
ここで拒んだら、後で何をされるかわからないということもあるのだが
何より、不快を感じてはいなかった
誰かの体温があることは、本当に安心することで
それは、相手が頼りがいのある、頼もしい存在だからだった


牧野が抵抗する気配を見せないので、宮田は確認を取るように視線を合わせる
その視線は一瞬だけ交わり、すぐに閉ざされた
こんな至近距離で、これ以上相手を見ていられないのか、牧野は強く目を瞑っていた
この先のことを覚悟し、身構えるように

静まり返っている講堂に、邪魔な羽音は聞こえない
宮田は、目を閉じている相手との距離を詰め、そして、重ねた

「んん・・・っ」
覆い被さってきたものに、牧野は身を硬くする
もう、声は発せない、軽く触れ合わせるだけの口付け
あまり怯えさせないようにと、気遣ってやったことだが
お互いを重ねていると、そんな配慮をしている余裕はなくなりそうだった


ものの数秒で、宮田は一旦身を引いた
目の前の相手は、頬を紅潮させ、まだ強く目を閉じていた
瞬間、とたんに、独占欲が強くなってゆく
他の者に縋ることなんて、考えられなくさせたい
あの求導女でもなく、神でもない
自分自身に、目を向けさせたい
宮田は、牧野の体をぐいと押した

「え、わわっ」
何も身構えていなかった牧野は、あっけなく後ろに倒れる
その姿を見下ろし、宮田は嘲笑していた
もっと深く、自分という存在を刻み付けてやりたい
今度は、様子を窺うような軽いものではなく
呼気が荒くなるほど、蹂躙してやりたい

「牧野さん・・・」
耳元で、名を囁く
牧野は緊張のあまり、反射的に強く目を閉じてしまった
眼前にいる、無防備な相手
それを今から、この手で自由にするのだ

欲望に、背を押される
もはや、自分の意思では止められなかった
宮田は、再び、重ね合わせようとする
深く、己の存在を刻みつける為に



「求導師様!大変なんです!」
「ひえっ!」
教会の扉が、大声と共に開く
突然の訪問者に牧野は驚き、宮田を跳ね退けて飛び起きた
「ああ、求導師様、うちの、うちの朋子が・・・」
入って来たのは、朋子の母親だった
どうやらパニックに陥っているようで、二人の様子を気に留める余裕はないようだった

「え、と、朋子ちゃんが?す、すぐ行きます!」
牧野は牧野で慌て、小走りで母親へ駆け寄る
途中で、ちらと宮田の様子を窺ったが
今は姿を見るだけでも動揺してしまいそうで、振り返る事はしなかった
一方で、宮田は険しい顔つきで朋子の母親を睨んでいたが
母親はそんなことに気付く由もなく、ひたすらうろたえていた

宮田は溜息をつき、椅子にどさりと腰掛ける
それと同時に、思いを固めていた
今度捕らえたときは、決して逃がしはしないと




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
結構前に、友人に献上した小説でした〜
前回の小説の続きで、あんまり深い関係にはしないほうがいいかな・・・と思い
今回も案の定邪魔が入っております
この先はご想像にお任せします。と、いうことで(^^;)