SPEC1
幼い頃から、人に可愛がられるのが得意だった。
それは嫌味でも何でもなくて、本当に自分の特技だった。
目をじっと見ていると、相手は自然と頬を緩ませる。
初対面の相手でも、強面な人でも、自分の家族も、人と接するときはそうして見詰めてきた。
はたから見れば、人当たりのいい、人畜無害なただの少年。
けれど、今は、無害ではなくなってしまっていた。
何重ものセキュリティーがかけられた研究施設へ、少年は堂々と入る。
その横には、施設内で最も権力のある研究者が引率していた。
研究者は辺りを見回し、人に見られていないことを確認してから部屋に入る。
少年が扉を閉めるのを確認すると、マスターキーを取り出して引き出しを開けた。
「本当は、幹部以外にこの資料を見せるわけにはいけないんだけれど、直樹君は特別だ」
「ありがとう、おじいちゃん」
直樹は、満面の作り笑顔でお礼を返す。
今、研究者にはこの少年が孫のように見えていた。
可愛い孫に頼まれれば、極秘資料だって見せてしまう。
直樹は堂々と資料を見て、携帯で撮影していった。
外部に漏れる危険性があるのに、研究員はにこにこと笑って許している。
愛おしい者の行動を止めることは、第三者にしかできなかった。
あらかた資料を撮影し終わり、直樹は携帯をしまう。
「もういいのかい?他に、どこか見学したい所があったら言うんだよ」
「うん、もう大丈夫。出口まで送ってくれると嬉しいな。あ、ついでに監視カメラの映像も消してほしい」
笑顔を崩さず言うと、研究者は快く出口まで直樹を引率した。
途中で、言われるがままに監視カメラの記録も消すことも忘れずに。
他の研究員が奇妙に思っても、最高権力者には何も言えない。
出口に着くと、直樹はほっと一息ついた。
「いつでも遊びにおいで」
歓迎の言葉に、直樹は軽く手を振って応える。
きびすを返したとき、顔から笑顔は消えていた。
直樹は平坦な表情のまま、本部に戻る。
広い部屋へ入ると、年配の大人達が会議をしているところだった。
「戻ったか、データは取ってきたんだろうな」
偉そうな口調に不快感を覚えつつ、祐樹は携帯をテーブルに置く。
一人の男性が形態にケーブルを繋げ、ディスプレイに画像を映し出した。
指定されたページを撮影してきただけなので、祐樹にはわけがわからない。
けれど、大人達は感嘆の声を発したり、穴が空くほど見詰めたりしていた。
「ご苦労だった。今日はもう帰ってもいいぞ」
「・・・はい」
短く返事をして、祐樹は部屋を出る。
今まで同じようにデータを提出したことはあったけれど、あの部屋の空気管は苦手だった。
「お疲れ様、相変わらず良い能力だね」
部屋を出た途端、黒髪の少年がどこからか姿を現す。
祐樹は特に驚くことなく、相手を見据えた。
「ニノマエ、君の力に比べたら僕なんて霞むよ。相手が盲目だったら効果がないんだから」
ニノマエと呼ばれた少年は、まんざらでもなさそうにふっと笑う。
SPECを使っていないのに、自然な笑顔を見せてくれる。
そんな相手は数少なくて、直樹はついニノマエをじっと見ていた。
「おっと、そんなに見詰めないでくれよ。俺に力を使う必要はないだろ?」
「そ、そうだね、ごめん」
外見年齢が近いニノマエは、気楽に離せる唯一の相手だった。
そもそも、スペックホルダーの一因になったのもニノマエがスカウトしてくれたおかげで、
同じ高校に通っていることもあり、友好度が増すのは自然なことだった。
「それにしても、最近は極秘資料を取って来いばっかりで飽き飽きだよ。
俺達の力はそんなみみっちいことに使われるべきじゃない、そう思わないか?」
祐樹は、否定とも肯定ともとれない微妙な表情をした。
ニノマエのSPECなら、盗みだけでなく、殺人だって簡単にできる。
自分の力でもできないことはないけれど、そこまでするのは気が進まなかった。
「僕はそろそろ帰るよ。今日は遅くなったから、母さんが心配するし」
「じゃあ、また明日、学校で」
直樹はニノマエと別れ、帰路につく。
決して母を心配させたくないと、自然と早足になっていた。
家の前につき、玄関の鍵を開ける。
そして、中へ入る前に、直樹は目の色を変えていた。
比喩表現ではなく、本当に色が赤く変わる。
扉を開くと、母がすぐに出迎えてくれた。
「お帰りなさい、直樹。今日は少し遅かったのね」
「ごめん、委員会の作業があって」
さらりと嘘を吐き、直樹は苦笑する。
「お腹すいたでしょう。今日は直樹の好きなハンバーグよ」
「ほんと?嬉しいな。すぐ手洗ってくるよ」
このときだけは、心からの笑顔で応えられる。
瞳が赤くなっていることに関しては、何も言われることはなかった。
物心ついたときから、誰に対しても赤い瞳で見詰め、決して敵にならないようはかってきた。
たとえ、その相手が母親であっても。
そうなると、もしSPECを解除してしまえばどうなるのか、怖くて仕方がなくなる。
最も身近な存在だからこそ、いつだって好かれていたかった。
リビングへ行くと、テーブルの上にはすでに夕食が用意してある。
ハンバーグ、サラダ、スープ、といったラインナップは店に出せそうなほど彩り鮮やかだった。
母は席について、直樹を待ちわびている。
そうして待っていてくれるのも、SPECのおかげに違いなかった。
「さあ、スープが冷めない内に食べましょ」
「うん、いただきます」
用意されている夕食は二人分だけで、余分はない。
女手一つで育ててくれている母には、感謝してもしきれなかった。
昔、悪い男に引っかかってしまったらしいが、詳しくは話してくれない。
まともに愛されたかった、そんな願望がSPECを持った子を産んだのかもしれなかった。
「母さんのハンバーグはいつもおいしいな。幸せになるよ」
「ありがとう。今日は助成金が入ったから、少し良いお肉を買ってみたの」
それは、シングルマザー助成金という名前で振り込まれているけれど、
そんなものは架空の名前で、本当は今日の仕事の報酬だった。
母は不定期な振り込みを怪しむ様子もなく、生活費に使っていた。
母も働いてはいても、二人を養うにはとても足りない。
気に入らない大人に従うのも、全ては母親のため。
この和やかな生活を守るためなら、非合法なことに協力しても構わなかった。
翌日は指令がなく、直樹は普通の学生として、普通に登校する。
そして、校舎に入る前に目の色を変え、クラスメートと気さくに挨拶を交わす。
SPECが発動している今、直樹を無視する相手なんて一人もいなかった。
教室に入ると、馴染みの生徒からも声をかけられる。
直樹は一言二言会話を交わしてから、真っ直ぐに隅の席へ向かった。
「ニノマエ、おはよう」
「ああ、おはよう。今日も人気者だな」
ニノマエと接するときだけは力を解き、直樹は笑いかける。
元々、ニノマエはこの力のことを見抜いて近付いてきた。
それからは、力を使わなくても友好的に接する唯一の相手になった。
肩の力を抜いて接することができる相手は、母以外ではニノマエだけで、
友達だと思えるのも、この一人しかいなかった。
周りからちやほやされるのも、SPECがあるからに他ならない。
目の色を変えれば、とたんに皆離れて行くだろうと疑わなかった。
チャイムが鳴るまではニノマエととりとめのない話をし、授業はお互い真面目に受ける。
学校に居るときのニノマエはいたって大人しく、外面がだいぶいい。
変に目をつけられないためだろうけれど、本来のニノマエを知っているのは自分だけだと思うと、不思議と嬉しくなった。
退屈とも有意義ともとれない授業が終わり、放課後になる。
担任の挨拶が終わると、直樹はすぐにニノマエの席に近付いた。
「図書室にでも行こうか、直樹」
直樹は頷き、ニノマエの隣に並ぶ。
今のニノマエは、図書室が似合いそうな、ただの物静かな少年だった。
図書室に入っても、小難しい本を読むわけではなく、ニノマエはテーマパークの雑誌を取り出す。
「今度はどこに行こうかなあ。折角同年代がいるんだし、たまには遊ばないと勿体ない」
「そう、だね」
ニノマエのわくわくとした様子とは裏腹に、直樹はどこか微妙な返答をする。
今までも遊びに誘われたことはあるし、楽しくないことはない。
けれど、ニノマエの力で時を止め、無料でこっそりと入場することに少し罪悪感があった。
そんなこと、機密を盗んでいることに比べれば、ささいなことに違いないのだけれど。
「あ、このテーマパーク、スイーツフェスティバルなんてやるんだ。今度はここに行こう!」
「うん、ニノマエが行きたいんなら」
直樹が了承すると、ニノマエは無邪気な笑顔を見せる。
甘いお菓子にはしゃぐところや、ときたま見せる自然な表情は、年相応と言うより子供っぽく見える。
そんな雰囲気が、直樹の警戒心を消していて、力を使わずとも接することができる要因だった。
テーマパークに行くのは次の休み、ではなく、普通の平日だった。
学校から指導されかねないことだけれど、任務で休むことも少なくはないので、
そこには、上層部の圧力がかかっているようだった。
万が一補導されそうになっても、ニノマエの力を使えば簡単に逃げ出せる。
そして、今回も並ぶ人をかいくぐり、堂々とテーマパークの中に入っていた。
「平日なのに結構人がいるなあ。ま、俺達には関係ないけどさ」
「ほんと、ニノマエさまさまだよ」
人の流れは完全に止まっていて、ただの障害物になっている。
入場口が見えなくなったところで、ニノマエは力を解いた。
とたんに、ざわめきが周囲を包み、活気が戻る。
油断すれば、ニノマエの気配を見失ってしまいそうだ。
「ほら、行こう」
ニノマエは何気なく直樹の手を取り、歩みをせかす。
直樹は少し動揺したけれど、軽く手を握り返してニノマエについて行った。
お目当てのスイーツフェスティバル会場は結構混み合っていて、圧倒的に女性が多かった。
中へ入ると、とたんに甘い香りが漂い始める。
濃厚なバターの香り、苺の甘酸っぱい香りが入り混じり、息をするだけで甘さを感じられそうだ。
そして、お菓子のラインナップはクレープ、チョコレート、アイスクリームなど多種多様で、
それを見たニノマエは、とたんに目を輝かせていた。
「いい匂いだなあ。さ、食べまくろう!」
ニノマエは直樹の手を引いたまま、クレープのブースへ並ぶ。
さほど時間がかからず順番が回ってきて、どの種類にするか本気で悩んだ。
「こんにちは、お父さんかお母さんと来たのかな」
悩んでいる最中で、ブースの女性が探るように尋ねる。
そのとき、直樹は瞬時に目の色を変え、女性を見詰めた。
「うん、お父さんは甘いものが苦手だから外で待っていてもらってるんだ」
「そうなんだ。好きなものを選んでね」
女性はすぐに納得し、友好的な態度になる。
こんなときは、直樹のSPECが重宝されていた。
「うーん・・・じゃあ、苺クレープで」
「俺には、チョコバナナクレープ貰える?」
女性は、さっと二人分のクレープを作って二人に手渡す。
とたんに甘い香りが鼻に届き、直樹も胸が躍った。
ブースから離れ、早速一口齧る。
すると、生クリームの甘さが口一杯に広がり、滑らかな舌触りに思わず頬が緩んだ。
「うま!やっぱりチョコはやみつきになるな」
「うん、苺の方も甘酸っぱくて美味しいや」
男一人でクレープを頼むことなんてなくて、久々の味に舌鼓をうつ。
「直樹のもおいしそうだし、少しちょうだい」
直樹が返事をしない内に、ニノマエは手首を取り、クレープを引き寄せる。
食べかけの部分を一口齧ると、満足そうに目を細めていた。
「お返しに、俺のも一口上げるよ。ほら、あーん」
「え・・・」
目の前に、チョコクレープが差し出される。
男同士で食べさせ合うなんて中々しないことだけれど、ニノマエは恥ずかしむ様子もない。
直樹はやや躊躇いつつも、断ることができずに一口齧った。
「おいしいだろ?」
「う、うん」
正直、羞恥心が沸いてあまり味に集中できない。
そうやって恥じらっているのは自分だけのようで、ニノマエの意識はもうお菓子に向いている。
そんな様子を見ると、自分だけがこの美少年を意識しているようで、少し悔しかった。
こっちからも何か仕掛けてみたくて、悪戯心が芽生える。
「・・・ニノマエ、頬にクリームがついてるよ」
「ん、どっちについてる?と、いうか気付いてるなら取ってくれよ」
「いいけど、今拭くもの持ってないから、口で取ることになるから」
男からこんなことを言われれば、目を丸くして呆気にとられるだろう。
けれど、祐樹の予想に反してニノマエはほくそ笑む。
「いいよ、じゃあ、取ってくれる」
「え」
いたって変わらない調子で返され、逆に直樹が呆気にとられる。
「ほら、いつまでもつけてたらみっともないだろ」
ニノマエは全く気兼ねする様子がなく、距離を詰める。
予測していた反応とは違い、直樹はたじろいでいた。
確実に、からかっているだけだとは思う。
ここで本当に口をつけたら、ニノマエはどうするだろうか。
好奇心が疼くけれど、大それたことをするのが怖い。
もしも嫌われてしまったら、ニノマエにさえ力を使わなければならなくなる。
そうなったら、とても空しくなってしまう気がしていた。
「・・・ごめん、冗談だよ。ちゃんとハンカチはあるんだ」
直樹は軽く謝罪し、ハンカチでニノマエの頬を拭う。
「当てが外れたね。さ、他の種類も食べに行こう」
逆にからかわれてしまい、直樹はまた悔しくなる。
精神年齢では自分の方が上だと思うのに、ずる賢さではニノマエの方が一枚上手だった。
あらかたお菓子を堪能した後は、適当にアトラクションを楽しむ。
ここでもニノマエにSPECを使い、ほとんど並ばずに乗ることができた。
やはり、変なところで罪悪感を覚えたけれど、ニノマエが楽しそうにしているので注意する気が失せていた。
「はー、楽しかった。不愛想な大人と来ても退屈なだけだもんな」
「僕も、ニノマエと一緒だと楽しいや」
「力を使わなくてよくて楽だから?」
直樹は、すぐに首を横に振る。
「力がなくたって、君と居られればきっと楽しかった。・・・君は、どこかあどけないところがあるから」
正直な感想を言うと、ニノマエは一瞬だけ目を見開いて、照れるようにはにかんだ。
「そうだ、帰る前にソフトクリームでも買ってあげるよ」
もう甘いものは欲しくないけれど、折角の好意は断れない。
ニノマエが露店でミックスソフトを買ってくると、直樹はありがたく受け取った。
食べ歩きつつ、そろそろ帰ろうと出口へ向かう。
「あ、直樹」
ニノマエに呼びかけられたとたん、周囲の動きが止まる。
何が起こったのかとニノマエを見据えた途端、その顔が急接近してきて、
はっとしたときには、頬に柔らかいものが触れていた。
それは、さっき自分がしようとしていたことだとわかり、直樹は硬直する。
ニノマエが離れても、まだ目が丸いままだった。
「あははっ、クリームついてたよ」
「っ・・・ニノマエ!」
ニノマエは子供っぽく笑い、駆け出す。
とっさに後を追うと、幼い少年と追いかけっこをしている気分になる。
そんな空気に、直樹はいつも安心していた。
―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
今更ながらのSPEC小説、ずっとニノマエとの触れ合いを書いてみたかったんです。
ちなみに、話としては短編になります。