SPEC2


今日は本部からの命令で、直樹は学校を休んでまた機密事項を盗ってきていた。
相変わらず内容はわけがわからないけれど、知らぬが仏とはこのことだろう。
重苦しい空気が漂う会議室から出ると、待っていたかのようにニノマエと対峙した。
「お疲れ様、今回はどんなとこへ忍び込んだんだ?」
「ああ、今日は警視庁へ・・・」
言いかけたところで、ニノマエの右手に包帯が巻かれていることに気付き、どきりとする。

「・・・その、手、どうしたんだ」
「ああ、ちょっとヘマしただけだよ。直樹が気にすることじゃない」
そう言われても、気にせずにはいられなかった。
もう一度聞いても、ニノマエは詳しくは教えてくれない。
なら、他の人から聞き出せばいいと、直樹は会議が終わるのを待っていた。


幸いにも会議はさほど長時間ではなく、ほどなくして偉そうな大人達が出てくる。
直樹は一番後ろを歩く一人を狙い、目の前に立ち塞がった。
相手はとっさに視線を逸らそうとしたけれど、もう遅い。
直樹は一瞬で目の色を変え、相手を見据えていた。

「聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
「もちろん、何でも聞いてくれ」
相手は、抗う術もなく肯定する。
「ニノマエの怪我の原因が知りたい。教えてくれる?」

「ああ、あの火傷は未詳に捕らえられたスペックホルダーを始末しようとしたときのものだ。
牢屋に着いたのはいいものの、電流の罠が仕掛けられていて、それを受けたのだろう」
一度質問すれば、付属情報もすんなりと教えてくれる。
未詳、スペックホルダー、始末という単語を頭に刻み付け、質問を続ける。

「罠を仕掛けた相手の名前は」
「当麻沙綾、未詳の一員だ。頭の切れる奴で、何名かのスペックホルダーが捕らえられた」
「当麻、沙綾・・・」
直樹は頭の中でもその名を反復し、きびすを返す。
目の色を平常に変えたとき、直樹はすでに本部の外へ出ていた。




命令で飛び回っているおかげで地理情報には詳しく、直樹は迷うことなく未詳がある警視庁前に着く。
入口には警備員が立っていたが、一人なので都合がよかった。
「お兄さん、僕、未詳に行きたいんだけど、案内してもらえないかな」
「あんなところへ行きたがるなんて物好きだな。でも、君なら歓迎してくれるだろう」
目の色を変えて近付くと、警官は怪しむ様子もなく直樹を先導する。
途中で目上の警官に咎められそうになったら、とっさに視線を向けて、同じように抗えなくした。

そんなことを何回か繰り返した後、古めかしいエレベーターに乗り込む。
到着した先、ここは本当に警視庁の中なのだろうかと疑いたくなるような空間に、目的の相手はいた。


まず匂ってきたのは、餃子の香り。
中には髪の毛がない青年とグレーのスーツを着た女性がいて、女性は一心不乱に餃子を頬張っていた。
たぶん、この女性の辞書に上品という言葉は存在しないだろう。

「あり、野々村さん、どうしたんですかその子供。隠し子っすか」
「いやいやいや、勉強熱心な少年が、どーしてもと言うんで、連れてきちゃった」
初老の男性がわざと子供っぽく言うと、全員が眉をひそめた。

「勉強熱心な少年?部外者を勝手に・・・」
そう言いかけたが、青年は言葉を止める。
否定の言葉を投げ掛けられる前に、直樹は青年を見詰めていた。


「いや、熱心なのはいいことだ。どこでも自由に見学して行くといい」
態度の変わりように、女性が目を丸くする。
気取られる前に、直樹は女性とも視線を合わせていた。
そのとき、一瞬だけ目の奥が重たくなったけれど、ここで目を閉じるわけにはいかない。

「うーん、瀬文さんとはうってかわって可愛らしい少年!お姉さんに何でも聞いていいからねー」
女性が猫なで声で言うと、瀬文と呼ばれた青年が反射的に身震いした。
これで敵はいなくなったと、直樹は口端を上げる。

「貴女は、当麻沙綾さん?」
「そうだよ〜。天才美少女当麻沙綾とは、この私のことだ!」
少女、というところはつっこまず、直樹は話を続ける。
「ニノマエを罠にかけて、火傷を負わせた?」
ニノマエ、という単語に当麻はびくりと眉を動かす。
けれど、黙秘することはできなかった。

「火傷したかどうかは知らないけど、牢屋に電流を流してダメージ与えたのは事実っすね」
その返答を聞き、これからすることは決まった。
「わかった。・・・当麻沙綾さん、ついてきてほしい」
「りょうか〜い。どこへなりともお供します!」
いたって軽い調子で答え、当麻は直樹の後に続いてエレベーターに乗る。
引き止める者は、誰もいなかった。


二人は人気のない倉庫に入り、扉を閉める。
辺りに誰もいないことを確認し、直樹はライターを取り出した。
そして、火ばさみを見つけると、ライターでそれを熱し始める。
ほどなくして、火ばさみの先が真っ赤になると、当麻につきつけた。

「貴女はニノマエを傷付けた。だから、貴女も同じような目にあってほしい」
これを握り、火傷をしろと暗に言う。
力を使えば、人殺しだってさせることができるのだから、逆らえるはずはない。
けれど、当麻は中々動かず佇んでいたので、直樹は眼力を強めた。
そこで、やっと当麻が火ばさみにそろそろと手を伸ばす。
もう少しだと、穴が開くほど見詰めたとたん、目に鈍い痛みが走った。

「っ・・・!?」
突然の痛みに、直樹は顔をしかめて目を閉じる。
そのとき、当麻ははっと目を見開いて、手を引っ込めた。
「・・・あり?何で倉庫にいんの?そんでもって、少年は・・・」
問われる前に、直樹は薄目を開けて駆け出す。
そのまま出口まで走ろうとしたけれど、途中で腕を取られて留められた。

「お前が行く場所はこっちだ」
顔はよく見えないけれど、瀬文と呼ばれた青年の声だとわかる。
ろくに辺りが見えない状態では逃げようがないと、直樹は観念した。


瀬文に連れられて、直樹は元居た部屋へ戻る。
そこには、すでに当麻も待機していた。
「背文さん、その子に目隠ししてください。たぶん、眼力で相手を操るSPEC持ってます」
当麻の言葉を疑わず、瀬文はネクタイで祐樹の目を隠す。
視界が閉ざされると痛みは引いたけれど、それ以前に絶体絶命だった。

「・・・どうして、僕の力の種類がわかったの」
「だって、野々村さんや瀬文さんに、あんな熱視線送る子供なんているはずないし?これは何かあると閃いたわけですよ」
「お前、何気に失礼なこと言ってるだろ」
ふざけているようだけれど、その洞察力には感服した。

「それで、お前の目的は何だ」
厳しい声に問われ、直樹は緊張する。
けれど、下手に答えては本部に咎められ、ニノマエに迷惑がかかりかねない。
直樹は唇を結び、黙っていた。

「聞こえないはずないよな、もう一度だけ聞く、お前の目的は何だ!」
とたんに声が強くなり、思わず肩が震える。
今まで、人に咎められることなんて滅多になかっただけに、罵声に抵抗力がなくて、
声が詰まり、怯えを抑えるように服を握っていた。

「そんなに怖がらせちゃ、聞けるもんも聞けませんよ。
ねー、話してくれないと、この火バサミとライターのコンボくらわすぞ」
「いや、結局お前も脅してんじゃねえか」
怒号と静かな脅しに挟まれ、直樹は身を震わせる。
胃が軋むように縮こまり、全身に恐怖を伝えていった。


「・・・け、て・・・」
自分だけに聞こえるような声で、直樹は呟く。
「助けて・・・ニノマエ・・・」
自業自得なことをして、都合のいいことを言っているとはわかっている。
けれど、恐怖心に囚われて、救いを求めずにはいられなかった。

「ニノマエ?今、ニノマエって・・・」
当麻がずいと身を乗り出したとたん、中途半端な姿勢で止まる。
同時に、言葉も途中で途切れていた。

「全く、よりによってここへ忍び込むなんて、いい度胸してるよ」
馴染み深い声がし、ネクタイが解かれる。
目を開いたとき、すぐ傍に自分が望んだ相手がいた。

「ニノマエ・・・」
「ナイスタイミングだったね。俺が気付くのがもう少し遅かったら、他のスペックホルダーに始末されてたところだ」
本当にそうだったと、直樹は寒気を覚える。
「とにかく、さっさと帰ろう。目、かなり充血してるし」
力を使いすぎたのだと、初めて自覚する。
直樹は手を引かれるまま、ニノマエと共に警視庁を出た。




一旦本部へ戻り、ニノマエが直樹を連れもどしたことを報告する。
助けに来てくれたのは命令だからだったと気付くと、残念に思わずにはいられなかった。
まだ充血が取れないので、ひとまず部屋で休む。
ソファーに腰かけると、隣にニノマエも座った。

「あーあ、今日は母さんと出かけようと思ってたのに、予定が丸潰れだよ」
「ご、ごめん・・・」
「それで、どうして未詳なんかに行ったわけ」
直樹は少しの間を空けた後、包み隠さず言おうと口を開いた。

「・・・仕返ししてやりたかったんだ。君に火傷を負わせた相手も、同じようにしてやろうって、そう思って・・・」
衝動的で、自分勝手な行動なのはわかっている。
けれど、ニノマエの手を見た瞬間、余計な考えなんて消えていて、
ただ、自分の大切な相手を傷つけられた怒りに、突き動かされていた。
直樹の主張を聞き、ニノマエは溜息をつく。
嫌われたくないと、直樹は目に力を入れようとしたけれど、
目を針で刺されるような痛みがして、また顔をしかめた。

「別に、嫌いになってないってば。潜入なんて、俺にかかれば赤子の手をひねるようなもんだって知ってるだろ?」
慰めるように、ニノマエは直樹の頭をよしよしと撫でる。
幼子のような扱いをされて、直樹は首を振ってやんわりと拒否した。
ニノマエは少し面白くなさそうにして、頭から手を離したものの、今度は頬を撫で回した。

「ちょ、ちょっと・・・」
「手間かけさせた罰なんだから、大人しくしてよ」
罰だと言われてしまうと、直樹は押し黙るしかなかった。
ニノマエの手は何度か頬を撫で、首元へと移動していく。
血管の辺りを指先がかすめると、びくりと肩が震えた。
何かを観察するように、ニノマエは服の中へも手を滑り込ませる。
背中に触れられ、直樹は流石に慌てた。
とっさに振り払おうとしたけれど、肩を掴まれ制される。


「大人しくしてって、聞こえなかった?
こうやって、直樹が確かに生きてることを確かめたいんだから」
ニノマエは構わず、直樹の背をなぞっていく。

「っ・・・」
ニノマエに触れられると、背筋がぞくぞくする。
ただのスキンシップでしかないのに、不馴れなことをされて羞恥がつのってきていた。
動揺している直樹をよそに、ニノマエは腹部にも手を滑らせる。
心臓の辺りへ来ると、一旦動きを止めた。

「心音、少し早いね。緊張してるんだ?」
「・・・だって、男友達にこんなこと、されたことないし・・・」
だから、仕方ないことなんだと、自分にも相手にも主張する。
「ね、もっと早くしてあげようか」
ニノマエは直樹の耳元で囁き、意地悪く笑う。
何をする気かと、それだけで、直樹の心音は強くなった。

胸部の手はそのままに、ニノマエは直樹の耳へ唇を寄せる。
そして、軽く吐息を吹き掛けた後、柔らかい耳朶を甘く噛んだ。
「っ、なに・・・」
予想外の感触に驚き、顔を背けたくなる。
その前に、さっと頬に手が添えられ、逆を向けないようにされていた。
顔を固定し、ニノマエは直樹の耳を何度も食む。


「ニ、ニノマエ・・・っ」
柔らかな感触に刺激され、寒気が背筋を走る。
それは先のような恐怖心ではなく、もっと別の感情からだった。
過剰なスキンシップに慣れていなくて、頬が熱くなり、心音がさらに強くなっていく。
恥ずかしくて、どうしようもできなくて、直樹は奥歯を噛み締める。
しばらくはそうやって耐えていたけれど、ふいに、耳朶を湿ったものになぞられた。

「ひっ、や」
柔らかくともまた別の感触に驚き、変な声が出る。
たまらずニノマエの胸を押すと、さっと離れた。

「あはは、顔真っ赤になってる。心音も早いし、体温も高かったし、直樹は面白いな」
「ニノマエ・・・悪ふざけがすぎる。罰だからって、こんなにからかって・・・」
「ふーん、悪ふざけ、か」
なぜか、そこでニノマエの表情から笑みが消える。
妙に真面目になった顔つきに、直樹はたじろいだ。


「じゃあ、もっとふざけてみようか」
ニノマエが、再び直樹と距離を詰める。
思わず後ろへ退くと、肩を押されて仰向けになった。

「な、に・・・」
そのときのニノマエの様子が、ふざけているように見えなくて、言葉に詰まる。
友人を見下げて、何をしようというのだろうか。
目を見開いたまま硬直していると、ニノマエが身を下ろしてきた。
端整な顔が眼前に迫り、直樹は息を飲む。

「ニノマエ、止めてくれ・・・!」
反射的に、直樹は目の色を変えてニノマエを見詰める。
時間が経って回復していたのか、ニノマエはゆっくりと身を起こしていった。

「・・・もう、家に帰ってくれ」
そう諭すと、ニノマエは無言で部屋を出た。
一人になった直樹は、目を閉じて静かに深呼吸する。
まだ心音が早いのは、過度の悪ふざけのせいで動揺しているからに違いなかった。


―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
良いところで寸止め、こういう雰囲気が結構好きなのです。
でも、物足りないのでまだまだ密接させます!