クー・フーリン三兄弟のご近所さん キャスターとの話1
「ははっ、全然気にしてないだとよ。良かったなランサー、無礼講を許してもらえてよ」
キャスターは意味深に、にやにや笑う。
ランサーにとっては尻の痛みよりも、深手を負ったようだった。
「はは・・・の、飲みすぎちまったかなー、オレ、もう寝るわ・・・」
ランサーは意気消沈したようで、リビングを出て行く。
リツは、単に気分が悪くなったのかとしか思っていなかった。
「さーて、邪魔者が一人減ったな」
キャスターは、オルタと対立するよう向き合う。
「泊まるとあれば、寝床が必要だ。坊主にベッドを譲ってソファーで寝るか、それか、同じベッドで寝るか・・・だ」
オルタはとキャスターの間には、火花が見えるようだ。
何で向き合っているのか、リツはぼんやりと二人を見ていた。
「オルタ、お前結構寝相悪いよな、ガキの頃何度殴られ蹴られたか忘れてねえぞ」
図星なのか、オルタは反論しない。
「坊主を押し潰さねえって、絶対蹴り飛ばさねえって約束できるか?」
オルタは、忌々しそうにキャスターを睨む。
だが、舌打ちをしてきびすを返した。
腕っぷしならオルタには敵わないが、口の上手さではキャスターが上だ。
キャスターは勝ち誇ったように笑み、リツの隣に座る。
「リツ、今日はオレと一緒に寝ような」
「キャスターさんと?髪の毛さらさら、触らせてくれるの?」
純粋な目を向けられ、キャスターはきゅんとする。
「もういくらでも触れよ・・・!」
よこしまな欲望は、一瞬にして吹き飛んでしまっていた。
酔いが覚めて我に返らないうちに、キャスターはリツを自分の部屋に連れて行く。
逃さないようベッドの奥側に寝かせると、自分も横になった。
「キャスターさん、髪の毛さわりたいな・・・」
「ああ、いいぜ」
ここへ来ても警戒する様子がなく、キャスターは気を良くして背を向ける。
リツは嬉しそうに髪を掴み、すりすりと擦り寄った。
猫がじゃれついているようで、やはりやましい気持ちが消えていく。
「キャスターさん、いつも優しくて、面倒見が良くて、安心する・・・」
もう眠たくなっているのか、口調がおぼつかない。
「まあ、あの問題児達のアニキだからな。寛大な心を持ってないと、やっていけねえぜ?」
「ただのご近所さんなのに・・・オレにも優しくしてくれて、嬉しいな・・・」
思考がぼんやりしているからか、素直な言葉がぽろぽろ漏れている。
口数が多くて、キャスターは、おや、と思う。
「・・・なあ坊主、もしかして正気に戻ってねえか?」
背を向けたまま問いかけると、答えに間が空く。
「・・・そんなこと、ないよ。温かくてぼうっとしてる・・・」
可愛いことをすると、キャスターはたまらなくなって反転してリツを抱きしめる。
「あー、本当にオレの弟になればいいのに。そうすれば、いつでも構ってやれる」
リツの返答はなかったけれど、すり、と首元を髪がくすぐる。
甘えたい気分になっているならさんざん甘やかしてやろうと、キャスターは優しくリツの頭を撫で回した。
しばらく撫で続けていると、やがてすうすうと寝息が聞こえてくるようになる。
「・・・もう寝たのか?」
呼びかけても、反応はない。
こうやって寄り添い、甘えてきてくれることが嬉しい。
共に過ごしている間、安心しているのはキャスターも同じだった。
長い休みも、三兄弟のおかげで退屈しない。
釣りや、料理や、お泊りや、イベントが盛り沢山だ。
そんなときに、また1つ大きな出来事が起きようとしていた。
寝る前、携帯に電話がかかってきて番号を見る。
それはキャスターからの連絡で、すぐ通話ボタンを押した。
「キャスターさん、こんばんは」
「ああ、坊主、突然なんだけどよ、明後日から2日間空いてるか?」
「はい、いつも暇してるんで」
我ながら、苦笑い混じりで言う。
「オレと旅行行かねえか?1泊で」
「りょ、旅行?」
突拍子もない提案に、思わず聞き返す。
「ちょうどオヤジが車持って帰って来るからよ、良い機会だ」
「キャスターさん運転できるんだ・・・。ええと、その、情けないんですけど、次の小遣い日まで待ってほし・・・」
「何言ってんだ、バイトもしてねえお前に払わせるかよ」
「で、でも、そんな」
そんなの悪すぎる、と言おうとしたが遮られる。
「いつも、ランサーとオルタの相手してくれてんだろ。正直、助かってる。
むしろ、お礼したいのはオレの方なんだよ」
真面目な声に、リツは黙る。
キャスターとの旅行なんて、楽しいに決まってる。
せっかくの誘いを断る理由が、金銭面以外で見つからない。
「・・・じゃ、じゃあ、出世払いということで・・・」
「ああ、そんじゃ、明後日の朝迎えに行くな」
そこで、通話が切れる。
いきなり入った一大イベントに、浮足立たずにはいられなかった。
翌日は、旅行の準備に勤しむ。
服を新調して、着替えを詰めて、何か忘れていないかと何度もリュックをひっくり返す。
そういえば目的地を聞いていないけれど、車を使うのだからそこそこ遠いのだろう。
自分の外出範囲はもっぱら自転車で行けるところだけに、楽しみがおさまらなかった。
リュックを枕元に置き、早めに寝る。
早く眠れば、それだけ明日が早く来てくれる。
興奮状態の頭を落ち着けようと深呼吸するのだけれど、なかなか寝付けなくて
そのくせ、朝はやけに早く起きてしまい、約束の時間までやけに長く感じられていた。
やがて、携帯のアラームが鳴って、時間を示す。
両親に声をかけてから外に出ると、家の前に青い車が停まっていた。
「よお、ちゃんと起きれたんだな」
窓を開けて、キャスターが顔を覗かせる。
青塗りの普通車は、まさしくキャスターの色に似合う。
「うん、楽しみすぎて、数時間前に起きるくらい。今日、明日とお世話になります」
「よそよそしいのは止め止め、早く乗りな」
荷物を後ろに置き、助手席に乗る。
リツがシートベルトをしたのを確認すると、キャスターは車を走らせた。
「旅行先って、どこに行くの?」
「自然が多いとこだな、たまには街の喧騒から離れようぜ」
具体的な地名は言われないけれど、それはそれで楽しみになる。
道中の会話も、途中の休憩も、つまらないことなんて何もない。
幸せを感じるたびに、この大恩はいずれ、必ず返さなければという思いは強くなるばかりだった。
車に揺られて、3時間程経っただろうか。
周囲の景色はすっかり変わり、木々の間の道を走っていた。
たまに動物注意の標識があり、自然が多いことがよくわかる。
「そろそろ着くぜ」
曲がり角を曲がると、道の奥の方に旅館が見える。
周囲の雰囲気に溶け込むような、自然な色の木造の旅館は、何やらお高そうな感じがしていた。
小さな駐車場に車を停め、荷物を取り、やや緊張しつつ旅館に入る。
「ようこそ、いらっしゃいました」
すぐに、中居さんがうやうやしく出迎えてくれる。
ビジネスホテルとはまるで違う、いかにも高級旅館」のようだ。
「どうぞ、お部屋へご案内いたします」
自分が入るのは不相応ではないか、とても高校生が気軽に泊まれるようなところではない。
「キャスターさん、ここ・・・」
「んー?野暮なことは言いっこナシだぜ」
先回りして言われ、口をつぐんだ。
通された部屋は、畳の匂いがする和室。
外にはうっそうとした森が見え、虫や鳥のさえずりが聞こえるほどのどかだ。
部屋には掛け軸、生花も飾られていて高級感を醸し出していた。
「はー、着いた着いた」
キャスターはどさりと荷物を置き、木の座椅子にもたれる。
リツはしばらく唖然としていたけれど、荷物を下ろしてキャスターの隣に座った。
「すごい、ですね、ここ・・・自然に囲まれてて、とっても静かで」
「慰安にはいいだろ。男臭い家よりよっぽどいい」
弟に加えて、父親も帰って来たのが嫌なのだろうか。
たぶん、長男は自分にはわからない苦労があるんだろうなあと思う。
「オレも男だけど、ついてきて良かったんですか?」
「ん?ああ、お前はまだまだ可愛らしいもんだからな」
キャスターはからかうように笑い、リツの頭を雑に撫でる。
「あ、あんまり子供扱いしないで・・・」
こうやって可愛がられるのが男としていいのか悪いのか、リツは微妙な心境だった。
少し休んだ後は、外へ散歩に出かける。
森の中は遊歩道があり、マイナスイオンに満ち溢れていて、木陰が涼しい。
クーラーの風とは違う爽やかな風に癒され、心が落ち着いていく。
「ここなら、扇風機さえいらなさそう」
「ああ、森は心地良いもんだ」
キャスターは自然が好きなのか、清々しい表情でいる。
何だか森の住人のような、そんな錯覚に陥るようだ。
キャスターの隣についていると、ふいに、手が握られる。
街中では、こうして歩くことなんてできないけれど、今ならいいんだ。
リツは、自分からも手をやんわりと握り返して、微かにはにかんでいた。
二人でただぶらぶら歩くだけでも、安らいでいく。
それは、相手がキャスターだから、ひときわ安心感があるからに違いなかった。
夜は山菜や旬の野菜中心の食事だったけれど、品数があって案外満腹になる。
夜は夜で風情があって、深呼吸するだけで癒やされるようだ。
「眠くなる前に、風呂入るか」
「うん、確か備え付けのお風呂があったはず」
木の扉を開けると脱衣所があり、浴室へ続くと思われる扉がある。
先に入ってしまおうと、そこで衣服を脱いで浴室へ行く。
中は檜の香りがして、大人もゆうに足が伸ばせる浴槽が備え付けられていて
ここの料金がますます気になる作りだったけれど、言われたとおり野暮なことは気にしないことにした。
シャワーで軽く体を流してから、浴槽に入る。
ぬるめのお湯に浸かると、思わず溜息が漏れた。
こんな贅沢、許されていいのだろうか。
旅館もそうだが、キャスターを独り占めしていることも。
さあ体を洗おうと、一旦浴槽から出る。
そのとき、ふいに、扉が開いた。
「おっ、結構広い風呂だな」
リツは、目を丸くして静止する。
キャスターが、もちろん服を着ていなくて、浴室に入ってきていた。
「何固まってんだ?」
「あ・・・あの・・・シャワー、先に、どうぞ・・・」
「ああ、悪いな」
リツは、ぎこちなくシャワーを手渡す。
そうだ、何も裸の付き合いは初めてじゃない、銭湯に行ったじゃないか。
動揺する方がおかしいのだと、リツは平静を保とうとキャスターを直視しないようにした。
少し距離を置いて、体を洗う。
銭湯ではないので、スポンジやタオルがついていなくて、手で泡だて擦り付ける感じだ。
もしも、また、洗ってやると言われたらどうしようか。
キャスターの手で、肌を撫でられ触れられたら。
そんな考えのさなか、キャスターは普通に浴槽に入った。
「ふー、風呂場でも木の香りがするって贅沢な気分だな」
「そ、そうだね、癒される」
一人で一体何も気兼ねしていたのかと、さっさとシャワーで泡を流す。
洗い終わったのにじっと留まっているのは不自然で、遠慮がちに浴槽に入った。
男二人が入ってもスペースは十分で、密接にならずほっとする。
きっと、触れ合えばのぼせ上がってしまうから。
「それにしても懐かしいな、銭湯以外で誰かと一緒に風呂入るなんてよ」
「も、もう皆、成人してるもんね」
まさか、家の風呂に二人で入る、なんて言わないだろう。
「10年くらい前だったら、アニキアニキってちょろちょろついてきたもんだがなぁ」
キャスターは、昔を懐古するようしみじみ言う。
もしかして、寂しいのだろうか。
成長し、一緒に旅行にも行けなくなった。
慕われていた身としては、虚しいところもあるのだろう。
「あ、あの・・・。・・・オレのこと、弟代わりにしてもらってもいいよ」
リツは、キャスターと向き合い思い切って言う。
おこがましいことを言っている気がして、後半、声が小さくなった。
「いいのか?弟を可愛がるように接しても」
「こんな、まごまごした弟、合わないかもしれないけど・・・」
そう答えた瞬間、腕を引かれる。
くるんと体が反転したかと思えば、背中がキャスターにぶつかっていた。
「え、あ、あの」
後ろから抱き締められる形になり、リツは慌てる。
じゃれ合う程度のものではない、素肌が直に触れている。
「こうして、抱きかかえてやることもあったな。頭撫でると喜んでよ」
キャスターはリツの体をぐっと引き寄せ、そっと頭を撫でた。
背に密着する肌も、腹部に回された腕も、頭を撫でる掌も、落ち着きをなくさせる要因になる。
弟にしていたことを懐かしんでいるだけ、それだけなのに、他の事を考えてしまう。
キャスターは、自分にとっても兄のような存在なのに。
きっと、こんなスキンシップに不慣れなだけだ、きっとそうだ。
ぬるめのお湯なのに、やけに暑い。
心臓は一向に落ち着かなくて、強く強く鳴っていた。
「おっと、のぼせたらまずいな」
心音が伝わってしまったのだろうか、キャスターが腕を解く。
「そ、そろそろ、上がり、ますね」
動揺の具合が、露骨に出る。
まだ落ち着かない心臓を抑え、リツは浴室を出た。
浴衣に着替え、涼しい風に当てられていると幾分か気が落ち着いていく。
自分から弟みたいに扱ってもいいと言っておきながらどぎまぎしていては、おかしなことだ。
少し惜しいけれど、早めに寝たほうがいいかと布団を敷く。
その最中で、キャスターが出てきた。
「お、布団敷いてくれてんのか」
「あ・・・はい、キャスターさんのも敷くところで・・・」
「ん?一つでいいぜ」
即座に言われ、動きが止まる。
けれど、それも、昔弟と一緒に寝ていたからだろうと思い直した。
「湯冷めしねえうちに、もう寝るか?」
「あ・・・はい、ですね」
そう答えたけれど、なかなかすんなりと布団に入れない。
まごまごしていると、キャスターが先に横になった。
そして、布団をめくって片側を開ける。
「ほら、来いよ、リツ」
ふいに名前を呼ばれて、どきりとする。
今は近所の坊主ではなく、弟として見ているのだと。
惹かれるように布団の中へ入り、キャスターと向かい合わせになる。
距離が近付いたとたん、そっと体が抱き寄せられた。
また、心臓が心地良く鳴る。
甘えてしまいたい、優しい包容に、そんな欲求が生まれる。
風呂上がりの体は温かくて、眠気を誘う。
気付けば、自分からもキャスターに腕を回していた。
もっと近付きたい、抱き締めたままでいてほしいと要求するように。
縋りついて来るリツを見て、キャスターはふっと笑っていた。