クー・フーリン三兄弟のご近所さん3
昨日オルタに勉強を教えてもらったとき、興奮したのか驚きが大きすぎたのか中々寝付けなかった。
幸いにも、今日はテスト前の最後の休み。
あわよくば、今日も教えてもらえないかと、クー・フーリン家に行っていた。
呼び鈴を押し、誰か出てくるのを待つ。
「お、坊主じゃねえか、遊びに来たのか?」
「いえ、その、勉強、教えてもらえないかなって思って」
「ああ、いいぜ。入りな」
ランサーはいないのか、家の中は静かだ。
「オルタさんはまだ寝てるんですか?」
「アイツは大学だ。わざわざ人の少ない休日の授業を取っててな、オルタらしい」
休みの日だから居るかと思いきや、予想が外れて内心残念に思う。
「前みたいに、オルタの方がよかったか?」
「えっ、知ってたんですか」
「オルタが、お前の親に今から帰らせるって伝えとけって電話かけてきたからな」
そんなことまでしてくれていたのかと、本当に感謝が尽きない。
そのときのことを思い出すと、自然とはにかんでしまう。
「ちなみにランサーは喫茶店でバイトだ。悪いな、せっかく来たのにオレしかいなくて」
「そ、そんなことないです。あの・・・もし、ご迷惑でなければ、キャスターさん教えてもらえませんか?」
「いいぜ、とりあえずリビング行くか」
突然申し訳ないと思いつつ、今はそうも言っていられない。
リビングに通してもらうと、ローテーブルに参考書やノートを広げて準備した。
「んじゃ、早速やるか」
「はい、お願いします」
リツが座ると、キャスターはそのすぐ後に座る。
ん?と思ったときには、背がぴったりとくっついていた。
まるで、キャスターを座椅子がわりにしてしまっているような体勢だ。
「あ、あの、キャスターさん?」
「お、数学か。式の展開とか懐かしいねえ」
キャスターが身を乗り出して参考書を見ると、ますます背が密着する。
すっぽり包み込まれていて、不思議と緊張した。
「そうなんです・・・って、あの・・・やけに、近くないですか・・・?」
「ん?ああ、そのよそよそしい敬語止めるんなら離れるぜ」
「で、でも、年上ですし」
「オレ等、そういうの気にしねえから。むしろ他人行儀なほうが嫌なんだよな」
キャスターは、顎をリツの頭の上に乗せて訴える。
このままでは、とても勉強どころではない。
「わ、わかりま・・・わかった、ので、せめて、隣で・・・」
「へいへい、温くていいと思ったんだけどな」
どこか渋りつつ、キャスターは隣に移動する。
次男といい、そんなに敬語が嫌なのだろうか。
距離が近いことには変わりなかったが、抱きかかえられているよりはだいぶ緊張感は軽減されていた。
それからは、普通にキャスターに勉強を教えてもらう。
まるで先生みたいで、とてもわかりやすくてするする頭に入っていく。
どうしてこの公式を使うのか、何でこう展開するのか、答えだけでなく意味も教えてくれて
家庭教師顔負けの知識と丁寧さに、リツはさすがだと感心していた。
「あれ・・・もう、問題終わった。家だとあんなに苦戦してたのに」
「コツを掴めばこんなモンだ。丸暗記だと応用でつまづくからな」
うーんと唸っていた問題が、こんなに楽に解けるなんて。
リツは、キャスターに改めて尊敬の眼差しを向けていた。
「キャスターさん、先生みたいですごくわかりやすかった。厚かましく、頼ってよかったです」
「いいってことよ」
素直にものを言うリツの頭を、いつものように広い掌が撫でる。
自分の弟達もこんな可愛げがあれば、と思いながら。
「そうだ、オマケに教えてやりたいことがある」
キャスターは一旦席を外し、本とペンを持ってすぐ戻って来る。
本の表紙にはまた難解な文字が書いてあり、一文字も読めない。
キャスターは、どかりとリツの隣に座り直して本を開く。
「オレは考古学専攻してて、北欧で使われてたルーン文字の研究してんだ。
アルファベットに似てなくもないが、一文字に様々な意味を持つ」
アルファベットと象形文字を混ぜたような記号が並び、下に解説が書いてある。
漢字に音読み訓読みがあるように、確かに一文字に意味が似通う様々な読み方があった。
「この組み合わせで、相手にものを伝えられるんだ」
「ああ、呪術としても使われて、力があると信じられてた。オレはその研究してんだ」
ますます知的な学者っぽいと、リツはまじまじとルーン文字を眺める。
「ちょっと手出してみな」
ふいに言われ、リツは手を差し出す。
すると、掌を仰向けにされて、そこにマジックで?のマークを書かれていた。
「これ、どういう意味・・・」
読み方を探そうとしたが、その前に本が閉じられる。
空いた手は、そのマークをゆっくりとなぞった。
「これはな、愛情、博愛、慈愛だな」
「え、あい、じょう」
未知数のxではないのだと、リツはぎょっとしてキャスターを見上げる。
他の似た意味合いも込められているのに、最初の言葉のインパクトが強すぎた。
「重ねて書くと、さらに効果が増す」
キャスターは、続けて掌に?のマークを書いていく。
2つ、3つと重ねられ、意味を知った今、無性に恥ずかしくなっていた。
「あ、あの、弟みたいな、兄弟愛みたいな感じで・・・?」
それ以外の意味合いだったら、何があると言うのだろうか。
戸惑っているリツを見て、キャスターはあっけらかんと笑った。
「ははっ、オレの弟もこんぐらい可愛げがありゃあな」
ついつい、口に出して言ってしまう。
次男は俺に構うなという雰囲気がありありとわかるし、三男は猪突猛進で手がかかる。
その点、リツは構いがいのある少年で、頭を撫でたくなる衝動にかられる。
「で、でも、ランサーはいつも明るくて元気で、一緒にいると楽しいし
オルタさんは、無口でだけどさりげなく気遣ってくれる優しいところがあって・・・。皆、良い兄弟だと思います」
弟たちの長所をぽんぽんと挙げられ、キャスターは目を丸くする。
純粋な少年だと、ふっと目を細めた。
「よーし、勉強頑張ったご褒美だ、ランサーがバイトしてる喫茶店にでも行くか」
「あ、じゃあ、財布取りに帰らないと」
「学生に支払わせるほど困窮してねえよ、いいからついて来な」
腕を引かれ、身一つで外へ出た。
街の大通りに進んでゆき、見たことのある喫茶店に赴く。
そこは、夜にオルタと出会った場所だったから驚いた。
「ランサー、ここでバイトしてるの?」
「だいたい昼だけどな、オルタはその時間を避けて来てる」
オルタのことを考えていたと先読みされ、さすがだなあとつくづく思う。
中へ入ると、すぐに元気な声が聞こえた。
「いらっしゃ・・・って、何だ、キャスターかよ」
「客に向かって何だはねえだろ、一回、お前が働いてるとこ見せようと思ってよ」
リツがいることに気付くと、ランサーはどこか照れくさそうに頭を掻く。
「ま、いいけどよ。そんじゃ、そこの2人がけのとこにでも・・・ご案内、します」
付け加えたような敬語を使い、席に案内される。
今は昼食のピークは過ぎていても、そこそこの人で賑わっていた。
喫茶店なんて滅多に来なくて、何を頼もうか迷う。
「ここのケーキセットは絶品だぜ、名シェフが作ってる」
「本日のケーキセット・・・ティラミスおいしそう。じゃあ、それで」
キャスターが手を挙げると、ランサーがやって来る。
「・・・ご注文は、お決まりでしょうか」
「ケーキセットとコーヒー単品で」
「かしこまりー、ました」
店長の目があるのか、ランサーは敬語を崩さない。
いつも友達のように話しているからか、敬語が似合わなくてリツは笑いを堪えていた。
ケーキを待っている間、ランサーを目で追う。
他の客には愛想よく、明るく対応していて、敬語以外はいつものランサーだなと思う。
きっと、どんな相手にも屈託なく接することができるのだろう。
猪突猛進で単純と言われているけれど、ちゃんといいところもあるのだ。
「お待たせしました、コーヒーとケーキセットです」
今度は別のウエイターが、オーダーを運んでくる。
キャスターにはコーヒー、リツはティラミスがついてきた。
ケーキなんてわざわざ買ってまで食べなくて、だいぶ久々だ。
「いい匂い・・・いただきます」
早速、ケーキを一口食べる。
ケーキは甘くて当然、だけどこのティラミスにほんのりとした苦味もあって、舌の上でとろけた。
滑らかなチーズとコーヒーが混ざり、優しい味わいが口の中に広がっていく。
「おいしい・・・これ、すごくおいしい、滑らかで、チーズとコーヒーが合ってて、舌触りが良くて・・・」
「それだけ褒めたら、きっとエミヤも喜ぶな」
続けてコーヒーも飲むと、甘さが中和されて、温かさにほっと落ち着く。
ブラックでも飲めるくらい、香り高くて苦すぎなくて、最高の組み合わせだった。
「コーヒーと合わせるとさらにおいしい・・・すごく腕の良いシェフがいるんだ」
「ああ、ちょっといけすかねえ奴だけど、料理の腕は一級品だ。どれ、オレにも一口くれよ」
「はい、どうぞ」
リツは自然に、ケーキをひとかけキャスターに差し出す。
皿を移動させるかと思いきやフォークごと差し出され、キャスターは少しの間静止する。
けれど、ふっと笑ってあーんとケーキを食べていた。
そのときになって、リツは恥ずかしいことをしたのでは、とはっとする。
「あ、あの、すみません、失礼なことして・・・」
「いや、仲睦まじい感じでいいじゃねえか。やっぱここのケーキ旨えわ」
まるで本当の兄弟のような、そんなほのぼのした雰囲気が回りを包む。
そんな、ほんわかした様子の二人をランサーは凝視していた。
「・・・おい、それ、割ったらバイト代から引くからな」
今にも持っている皿を馬鹿力で割りそうな気がして、店のオーナーが諭す。
「わ、わーってるよ、そんぐらい・・・」
リツは笑顔で喜んでいるはずなのに、なぜむしゃくしゃするような感覚になるのだろう。
大切な相手が取られてしまうような、いつの間にかそんな懸念を抱いていた。