クー・フーリン三兄弟のご近所さん6
喫茶店が休みの日、リツはエミヤに料理を習いに行っていた。
三兄弟以外で、大人の人の家に入るのは初めてで、やや緊張している。
「お休みの日なのにすみません、おじゃまします」
「いや、料理を習いたいとは殊勝な心がけだ。何も遠慮することはない」
中へ入りリビングに通されると、本格的で大きなキッチンにまず驚く。
室内も、塵一つ落ちていないような清潔感が眩しい。
「さて、作りたい料理はあるかね」
話している間にも、エミヤはさっとエプロンを着て準備をする。
「えっと、具体的にはこれというのがないんですけど・・・量があって、難しすぎなくて、オレでもそこそこ美味しいのが作れる料理・・・って、ありますか?」
「では、カレーにしよう。台所から漂ってくる匂いは食欲をそそるものだ」
「カレー、オレも大好きです!よろしくお願いします」
リツは、ぺこりと頭を下げる。
礼儀正しい少年に、エミヤは気を良くしていた。
カレーと言っても、ただ具材とカレールウを入れる料理ではなかった。
そもそもルウを使わず、味付けは全て調味料で行うのだ。
エミヤが棚から何本もの小さな瓶を取り出すと、見たこともないようなスパイスがずらりと並んだ。
「カレーって、ルウを使わなくても作れるんですか?」
「勿論だ。カレーの違いは辛さだけではない、様々な調味料や具材を組み合わせることで、その味は無限に近い広がりを見せるのだよ」
料理のこととあってか、エミヤは冗舌になる。
この粉から一体どんなカレーができるのかと、リツは今から楽しみにしていた。
カレーを作り終えごちそうになった後、リツはエミヤにレシピを貰って早速買い出しに行っていた。
カレールウでは出せない、辛味だけではない味わいが今も舌に残るようだ。
エミヤほどスムーズにはいかないかもしれないけれど、同じ材料を使えばそれなりのものができるだろう。
店を何軒か回り買い集めている間も、作るのが楽しみで仕方がなかった。
どっさり買い物をして、帰路に着く。
本番の前に予行演習をしないといけないと、多めに買ったら両手が塞がってしまった。
「よっ、リツ、買い物か?」
馴染み深い声がしたと思えば、ふいに片手が軽くなる。
気付けば、ランサーが袋を片方持ってくれていた。
「ランサー、ちょうどよかった。あの、今度、夜に三人揃う日ってあるかな」
「ん?シフトが入ってなかったら居るようにさせるぜ」
「実は、夕飯を作りに行きたいなって思ってて。エミヤさんみたいに豪華絢爛にはできないけど」
言葉の前半を聞いた時点で、ランサーは目を丸くする。
「マジで!?作りに来てくれんのか!?」
「あ、あんまり期待しないでね、今日もこれから練習するところだから」
「いつでも空けるぜ!シフト入ってても変えてもらうからよ!」
「そ、そこまでしなくていいよ。無理なく揃うときでいいから」
いつも構ってもらっているお礼をしに行きたいだけなのだけれど、ランサーのテンションの上がりように押される。
その場は、練習期間が欲しいのでとりあえず来週中でということにしておいた。
それから、家の夕飯はほぼカレーになった。
スパイスの分量を間違えるとまるで違う味になってしまい、なかなか納得のいく味にならない。
もっとおいしくできないかと、具材との相性を考えると本当に無限に組み合わせが広がる。
こうして試行錯誤するのも、それほど感謝の念が深いからかもしれなかった。
カレーの味にも飽きてきたところで、とうとう約束の日になる。
両親にも食べてもらい、一番評判の良かった組み合わせを選び、材料も買い揃えた。
未だかつて、三兄弟の家に行くのにこんなに緊張したことはあっただろうか。
玄関まで着くと、一度深く深呼吸してから呼び鈴を押した。
すると、相手が誰かも確認せずにすぐさま扉が開かれる。
「よお!待ってたぜ!」
「こ、こんばんは」
ランサーに満面の笑みで出迎えられ、リツは声が裏返りそうになる。
それは、期待と楽しみが溢れ出んばかりの笑顔だったからだ。
「ランサー、あんまりプレッシャーかけてやるなよ」
背後からキャスターが顔を覗かせ、ランサーをたしなめるように言う。
「台所にあるモン自由に使いな、俺等は適当にしてるし、出来たら呼んでくれや」
「ありがとうございます、お皿とか使わせてもらいますね」
今度はキャスターがリツの荷物をさり気なく取り、台所へ持って行く。
もしかして掃除をしておいてくれたのか、ぴかぴかに綺麗だ。
「オルタももう少ししたらバイク飛ばして帰ってくるはずだ。あと、救急箱も備え付けてあるからな」
「大丈夫ですよ、血の味がするカレーなんて悲惨なことにはしません」
冗談を言い、雰囲気が柔らかくなる。
やっぱり、キャスターと接すると気が楽になるようだった。
一人になり、早速エプロンをつけると、もう一度深呼吸して調理に取り掛かった。
具材を切り、炒め、米を洗い、炊き上げる。
スパイスの分量を慎重に計り、順番に、分刻みで入れていく。
家でさんざん予行演習をしてきたかいもあり、順調に進んでいた。
調理中、外からバイクの音が聞こえてくる。
オルタが帰ってきたのだとわかると、緊張の反面気合が入るようだった。
今思うと、何が好物か知らないまま作っていたけれど、どうか苦々しい顔はされませんようにと、祈りつつ作っていった。
やがて、台所にスパイシーな香りが漂う。
味見をして、納得して、完成した。
大きめの皿にご飯を盛り、具材たっぷりのカレーをかける。
非力な腕では4つは運べず、ランサー達を呼びに行こうと台所を出た。
リビングへ行くと、三兄弟がテレビを見たり本を読んだりして待機している。
「あの、お待たせしました、運んできていいですか?」
「おっ、待ちわびたぜ!運ぶの手伝うな!」
ランサーは犬のように駆け寄り、リツと一緒に台所へ行く。
その後を、二人も着いてきていた。
「おー!カレーか、大好物だ!」
「ん、何か香りが違うな、いいやつ買ってきたのか?」
「い、いえ、ルウは使ってなくて、片栗粉でとろみをつけたり、スパイス組み合わせたり・・・」
「すげー!本格的だな!」
ランサーはずっと笑顔で、今にもかぶりつきそうな勢いだ。
とりあえず、リビングテーブルに持って行って、スプーンも並べる。
いよいよ実食のときだと、リツは固唾を呑んでいた。
「じゃ、いただくとするか」
キャスターを皮切りに、三兄弟がカレーを頬張る。
リツはまだ食べられそうになく、様子を伺っていた。
「・・・ど、どう、かな・・・?」
咀嚼している途中だろうけれど、こわごわと、思わず尋ねる。
一口飲み込むと、早速ランサーが口を開いた。
「すっ、げーうまい!いつも食ってるヤツと全然違うな!」
「ああ、なんつーか、いろんな味が混ざってうまいこと辛味になって、味わい深い」
嬉しい感想に、リツは思わず顔をほころばせる。
「オルタ、お前も何かねえのかよ」
キャスターに促され、オルタはリツを見る。
最も緊張する場面に、リツは息を飲んだ。
「・・・ああ、美味いな」
そこで、一瞬だけ、オルタは口端を上げる。
もう、それだけでリツは胸を打たれていた。
口数が少なくても、滅多に見せない笑みを浮かべてくれただけで十分だ。
リツは、そこでやっと自分も食べられるようになった。
三兄弟は揃っておかわりをして、米の一粒も残さず綺麗に平らげる。
リツは、大きな安堵感と喜びに包まれていた。
「ありがとな、俺等のためにこんな手の混んだモン作ってくれて」
皿をシンクに運びつつ、キャスターは優しい表情をリツに向ける。
「いつもお世話になってるから、せめてもの恩返しになってよかった」
「恩を受けてるのはどっちだか。・・・なあ、もう少し時間あるか?」
リツがこくりと頷くと、キャスターはおもむろに冷蔵庫の扉を開ける。
中には、缶チューハイ、ビール、ワイン、ウイスキーなどがぎっしりと入っていた。
「凄い量だ・・・」
「これから晩酌だ。あ、お前にはちゃんとノンアルコールカクテルあるからな」
キャスターが、桃のイラストが描かれた缶チューハイを手渡す。
確かにノンアルコールと書いてあり、大人びた飲み物にリツはわくわくしていた。
今度は、リビングのローテーブルの方へ大量の酒類を並べる。
用意のいいことに、さきいかや柿ピーなどおつまみも豊富だ。
「んじゃ、今日は美味いメシ食わせてくれたリツに乾杯!」
リツはノンアルコールカクテル、ランサーはビール、オルタはウイスキー、キャスターはワインで乾杯する。
早速缶を開けて口をつけると、初めて飲むカクテルは甘すぎなくて、ジュースとは違う味わいだ。
「これ、美味しい、ジュースより好きだなあ」
「お、なら将来は案外イケる口になるかもな。たっぷりあるから飲め飲め!」
ランサーが近くに来ると、いつもと違う匂いがする。
これがお酒の匂いなのかと、初めてランサーが大人のように見えた。
キャスターのワインは綺麗な赤色をしていて、目を引くけれど飲んではいけない。
「ワインが気になるか?残念ながら飲ませてやれねえけど、匂いくらいならいいぜ」
キャスターにグラスを差し出され、リツはふちに鼻を近づける。
熟成した葡萄にアルコールを混ぜたような、果物の香りがしてこれも美味しそうに思えた。
「いい匂いだなあ。色も綺麗でおいしそう」
「ま、もう数年経ってからな」
キャスターはグラスを引っ込め、ぐいと飲む。
オルタの方へ目を向けると、琥珀色でこれもまた違う美しさがあるお酒だ。
興味深そうに見ていると、オルタはグラスをテーブルに置いた。
嗅いでもいいのかと、隣に移動してグラスを手に取る。
鼻に近付けると、さっきよりだいぶ強いお酒の匂いがしてぎょっとした。
「わ、これ、すごく強そう」
「こんぐらいじゃねえと飲んだ気しねえ」
オルタはリツからコップを取り、平然と口をつける。
大人っぽいなあ、とリツは羨ましそうにオルタを見詰めていた。
飲んではおつまみをちまちまつまみ、思いのままに団らんする。
大人の集まりの中に居るのが楽しくて、リツもよく笑っていた。
三人が新しいお酒を開けるたびに、匂いだけ嗅がせてもらう。
甘いもの、すっきりしたもの、初めて感じる香りが多くて興味は尽きない。
そうしているうちに、だんだん楽しさが増してきて、常に頬が緩んでいた。
「お酒ってたくさんあるんだなあ、オレも早く飲めるようになりたい」
「成人したら、一緒に飲もうな」
キャスターはまた違う種類のワインの匂いだけ嗅がして、グラスを傾ける。
そこそこ飲んでいて、ほんのりと頬に朱が差していた。
「・・・キャスターさん、髪綺麗だなあ」
「ん?」
リツはぽつりと呟き、キャスターの髪に触れる。
青くて長い髪を指の間にくぐらせ、さらさらとした感触を楽しむ。
突然のスキンシップに、三兄弟はリツを注視した。
「わあ、さらさらだ。気持ちいいなあ」
リツは髪を掴み、すりすりと頬ずりする。
自分から、積極的に触れてくるなんてどうしたのかと、キャスターは目を丸くしてリツを見る。
まさかと思い頬に手を添えたが、熱っぽくはなっていなかった。
リツはキャスターの髪を離すと、次はオルタの方へ移動する。
なんと、ぴったりと側に寄り添って腕に触れていた。
「オルタさん凄い筋肉だなあ。太くて固くて憧れるなー」
うっかりしたらセクハラになりそうな発言に、オルタは黙っている。
リツは腕をぺたぺたと触った後、オルタの足をじっと見た。
そして、素足の甲を掌ですりすりと撫でる。
「足のサイズも全然違うんだ、男らしいなあ」
ここでも積極的で、オルタはリツの額に手を当てる。
二人で確かめても、やはり熱はないようだった。
「オイ、酒飲ませたんじゃねえだろうな」
オルタは、ランサーをぎろりと睨む。
「い、いや、全部ノンアルコールのはずだぜ。酒の匂いで酔った気分になってるんじゃねえか」
大人の飲み会の輪に入り、不慣れな酒の匂いを嗅ぎ、脳が錯覚しているのかもしれない。
「・・・とにかく、このまま帰したら誤解されかねねえ。ちょっと電話入れてくるわ」
親元へ連絡しておこうと、キャスターは一旦席を外す。
その間に、リツはランサーの隣に移動した。
「へへ、何だか楽しいなあ」
「そ、そっか、良かったな」
隣にぴったりとつかれ、距離が近くて、ランサーは内心穏やかでなくなる。
視線を逸らしているランサーの顔を、リツはじっと覗き込む。
「ランサー、オレ、ランサーのおかげで毎日楽しいんだ。キャスターさんとも、オルタさんとも会えたし」
「あ、ああ、良かったな」
ちらりとリツを見ると、純粋無垢な目が真っ直ぐに向けられていて、ますます落ち着かなくなる。
「ランサー、オレと友達になってくれて、ありがと・・・」
大胆なことに、リツはランサーの手をきゅっと握る。
それは、感謝の念を示すための行動。
けれど、ランサーの理性を崩壊させるには十分だった。
そこで、電話を終えたキャスターが戻って来る。
「坊主、今日はオレ達の家に泊ま・・・」
「あー!リツ好きだー!」
ランサーはがばりとリツに抱き付き、ぎゅっと抱きしめて
そして、頬に唇を押し付けていた。
柔らかい感触に、リツは目を丸くする。
ぎょっとしていたのは、他の兄弟も同じだ。
一瞬、時が止まったかのように空気が凍る。
ランサーがリツから手を離した瞬間、オルタがすかさず首を掴み高々と持ち上げていた。
「テメェ、何してやがる」
「ちょ、ちょ、ま、締ま、る・・・」
ランサーが持ち上げられ、リツはとっさに膝立ちになってオルタの足にしがみついた。
「オ、オルタさん、オレ、ぜんぜん気にしてないですから、大丈夫ですから、離してあげて・・・」
リツが縋り付くものだから、オルタは渋々ランサーを離してやる。
そのまま下ろされ、ランサーは思い切り尻餅をついた。
(ここからルート分岐になります。)