擬人ペットの緩やかな日々 猫編1


昔から、動物が好きで仕方がなかった。
皆が嫌がるニワトリ小屋の掃除も進んでやったし、飼育係を誰にも譲らなかった。
放課後は必ず飼育小屋へ行き、思う存分小屋を掃除したり、世話をしたりする。
そのおかげで交友関係は極端に少なかったが、家に帰ればペットと楽しく遊べる。
帰宅すればいつも楽しそうにしている様子を見て、親はまさかこの子供に問題があるなんて思わなかった。

そんなこんなで、今では立派な社会人。
仕事を終え、明日は休み、家に帰宅するときはだいたい意気揚々としているのだが、今日は様子が違った。
「ただいま」
玄関に入り、声をかけても返答はない。
けれど、誰もいないわけではなくリビングルームへ行けばちゃんと家族がいる。

「ロップ、レイ、ただいま」
呼びかけると、ロップがさっと駆けてくる。
レイは、窓際にいてちらと視線を向けてくれた。
ロップというのはロップイヤーの兎で、レイは黒猫のことだ。
何だペットかと思われるかもしれないけれど、自分にとっては大切な存在だ。

ロップは甘えたがりで、よく膝の上に乗りたがるが
一方で、レイはクールであまり触らせてくれない。
よく自由に散歩へ行っていて、家に居ないこともしばしばだ。
そんなレイの気を引く方法は、一つしかなかった。

「今日はスーパーで特売してたんだ。ほら、おいしそうな魚」
鮪の切り身を見せると、レイの髭がぴくりと動く。
やはり、動物の本能は食欲にはかなわないようだ。
自分の分と取り分け、皿に盛る。
刺身だけでは足りないので、キャットフードも添えて床に置いた。

レイは軽い足取りで近付き、はむはむと刺身を食べる。
じっと見ていると、ふいとそっぽを向いてしまうのが気難しいところだ。
ロップにもご飯をあげて、自分も食べようとするけれどあまり食欲がわかない。


「はー・・・レイ、やっぱり僕の分の刺身も食べてくれるか」
レイの皿に残りの刺身を置くと、不思議そうに見上げてきた。
「んー・・・実は、休み明けに仕事の内容が変わるんだ。
今までは事務中心だったのに、今度は営業に行かないといけなくて・・・。
お前達にはこうして話せるけど、知らない会社へ飛び込んでいくなんて憂鬱すぎる・・・」
溜息をつくと、レイが短く鳴く。
情けない奴だと言われているのか、励まされているのか。

「折角の長期休暇なのに、憂鬱な気分で過ごすことになりそうだ・・・。ごめんな、愚痴って」
その日は、夕飯が食べられないまま風呂だけ浸かって眠った。
悪夢を見るかと思ったが、夢を見ることもないほどの深い眠りに落ちた。




翌日は、なかなか起きられなかった。
休日だからいいのだが、その先にある仕事を今から嫌がっている。
布団の中で何度も寝返りを打っていると、ふいに扉の開く音がした。
半開きになっていて、ロップが入ってきたのだろうかと薄目を開ける。
そのとき、ベッドが何かの重みでぎしりと軋んだ。
黒い影が見えて、ぎょっと目を見開く。

「いつまで寝てんだよ、そろそろ起きな」
人の声に、がばりと起き上がる。
目の前には、黒髪で、黒耳で、黒い尻尾が揺れている少年がいた。

「だ、誰・・・」
「この耳と尻尾見てわからないか?レイだよ」
不法侵入者が、猫耳と尻尾のオプションをつけてごまかそうとしているのだろうか。
それとも、深い眠りが浅い眠りになって、夢を見ているのだろうか。

「信じられないっていう顔してんな。昨日はあんたの刺身をくれただろ?なかなかうまかったぜ」
レイに刺身をあげたことなんて、第三者が知るはずない。
監視カメラで見られていたのなら話は別だけれど、自分にそれほど興味を抱く相手がいるとは思えなかった。
「レイ・・・なのか」
「そうだよ。信じられないかもしれないけど、信じるしかないぜ」
目の前で、黒い尻尾がゆらゆらと揺れる。
夢の続きかもしれないけれど、覚醒していると自覚していた。

「どうして、人型になったんだ・・・?」
「さあな。あんたが不安感のあまり、話相手が欲しすぎてたまらなかったからじゃないか」
「ええ・・・話すのは得意じゃないし、一人が好きなんだけど」
「うだうだ言っても仕方ないだろ。こうなったのはあんたのせいなんだから、責任とれよ」
「ええ・・・」
わけのわからないことになって、困惑せずにはいられない。
そんなところへ、ロップがぴょんと飛び跳ねてきたのでぎょっとした。

「あ・・・そっか、ご飯が欲しいのか。すぐ用意するよ」
とりあえずベッドから降りて、ふらふらとリビングへ赴く。
ロップには、いつものように小皿にペットフードを盛る。
今のレイに同じことをしては流石に失礼だろうと、どうしようかと考える。


「・・・何か、食べたいものあるか?」
「変わったのは姿だけだ。普段通りでいい」
「そっか、じゃあ猫缶出すよ」
これなら見映えもいいだろうと、しっとり系の猫缶を皿に移す。
そして、ちらとレイを見た後スプーンもつけておいた。
床ではなく、ちゃんとテーブルの上に置く。
自分の朝食の準備をしつつ様子を伺うと、レイはスプーンを使って食べていた。

「・・・スプーン、使えるんだな」
「散歩中に色んな人間を見てるからな」
皿を舐められたらビジュアル的に問題がありそうだったので、ほっとする。
自分は適当にパンとサラダで済ませ、いつもより少ない食事を終えた。
昨日から、やはり食欲がわかない。

「食事量が少ないな。それほど、先のことが心配かよ」
「そりゃあ、そうだ。いきなり違うこと、しかも苦手分野に配属されるんだから」
「うじうじしてたって苦しいだけだろ。気晴らしに出かけようぜ」
レイに腕を取られ、玄関口へ引っ張られる。
家にひきこもりたい気分だったが、確かにうじうじしているよりはよさそうだった。
だが、出る前にはっと気が付く。

「ちょ、ちょっと待て、そのまま外へ行く気か!?」
「何だよ、猫耳つけてる人間だってたまにいるだろ」
「た、確かにいるけど・・・流石に尻尾はまずい!」
急いで部屋に戻り、丈の長いアウターを取ってくる。
さっとレイにはおらせると、何とか尻尾が隠れた。

「気が済んだなら、行くぞ」
また腕を取られて、外へ出た。
大通りで見られたらどうしようかと思ったが、レイはさっそく裏道へ進もうとする。

「ろ、路地裏に行くのか?」
「いつもの散歩コースだ、人ごみよりいいだろ」
路地裏は薄暗くて、不安感をあおられる。
入り組んだ路地は先が見えなくて、おどおどしていた。
たまに住宅があり、人の声が聞こえてくる。
恐らく、レイは塀の上を伝って人の様子を観察しているのだろう。


路地裏を抜けていくと、小さな空き地に出た。
草はぼうぼうで、手入れされていないようだ。
そこで、レイがふいに猫の声を発する。
すると、周囲から何匹もの猫の声が聞こえてきて、ひょっこりと姿を現した。
白猫、黒いぶちがある猫、茶色の縞模様の猫などがこっちを見ている。
しばらくはレイを観察するように遠巻きにしておたが、やがて近くに寄ってきた。

「ここ、猫の集会場なのか」
「ああ、情報交換の場所だな。なかなか面白いことが聞ける」
集まった猫たちは、にゃあにゃあとしきりに鳴いている。
「ふーん、三丁目のおばさん離婚すんのか、夫婦の中は破綻寸前、と」
「えっ!あの愛想のいいおばさんのとこが?」
「四丁目のリーマンは転勤が決まって引っ越しか、もう新しい居住人も決まってると」
「あの人、半年前に来たばかりなのに、もう移動なのか」

まるで、近所のおばちゃんの井戸端会議だ。
話をしている中、一匹の猫が足元に寄ってきた。
警戒している様子ではないので、しゃがんで首元を撫でてやる。
指の腹で優しく撫でると、ごろごろと喉を鳴らして気持ち良さそうな声が聞こえた。
その様子を見て、他の猫も寄ってくる。
同じようにして撫でてやると、何だか気持ちがほっこりした。

「手馴れてるな」
「たまに、猫喫茶に行ってるから」
実を言うと、全てはレイを撫でるための練習の成果だ。
ちょっとやそっとじゃあ気安く触らせてもらえないが、いつかこのテクニックで喉を鳴らせてみたかった。
レイの足元には、白や黒の綺麗な猫が寄ってきている。
結構もてるのだろうか、アプローチされているようだ。
だが、レイは無表情で特に反応していない。

「モテモテじゃないか、気になる子いないのか?」
ひやかすように言うと、レイにじろりと睨まれる。
「そろそろ行くぞ、ここで一日過ごしてたら話疲れる」
撫でている途中だったが、ぐいと腕を引かれて空き地を出る。

その後は、魚屋への近道や、大通りへの抜け道を教えてもらう。
夜に歩くのは勘弁してほしいけれど、急いでいるときにはいい近道だ。
童心に帰ったようなわくわく感じがあったが、帰宅した頃には結構疲労感が溜まっていた。
リビングに入るなり、どかりとソファーに腰掛ける。


「はー、疲れた・・・レイはいろんな場所を知ってるんだな」
「毎日散歩してんだ、これくらい当然だろ」
自慢することなく、レイは猫のときと変わらずクールだ。
アウターを脱ぐと、尻尾が解放されたことを喜ぶように揺れる。
黒くて細くて長い尻尾を、ついじっと凝視してしまう。
慣れあいを好まない、飼い主にも懐きにくい、そんな相手を撫でられる日は来るのだろうか。

「結構歩いて疲れたから、昼ごはんでも食べようか・・・」
運動したら少しは胃が動き、何か食べたくなる。
インスタント味噌汁とご飯パックを用意したところで、レイにも何か作ろうと思い付いた。
冷蔵庫をあさり、ししゃもを取り出して魚焼きのグリルへ乗せる。
その間にお湯をわかし、ご飯をレンジで温める、何とも簡単な料理だ。

ほどなくして、ししゃもの焼けるいい匂いがしてくる。
ちらとレイの方を見ると、匂いに反応しているのか、尻尾がゆらゆらと動いていた。
お湯がわいたらインスタント味噌汁に注ぎ、パックの白米を皿に移しかえる。
そして、ししゃもも並べると一応はまともな食事のように見えた。
「レイ、一緒に食べないか」
テーブルにレイの分のししゃもも乗せると、素直にやってきた。

「いつも缶詰めばかりだから、たまには・・・」
言い終わる前に、レイはひょいとししゃもの尻尾を掴んで食べる。
頭から尻尾まで綺麗に食べると、無言のまま二匹目に手を伸ばしていた。
これはよほどおいしかったのだろうと、見ていて嬉しくなる。
自分は、いつもより早く胃が受け付けなくなって一匹しか食べられなかったけれど
レイに作ろうという思いがなかったら、もっと適当になっていただろう。


食べ終わると、レイは指まで綺麗に舐め取る。
「なかなかうまかったぜ。あんたは相変わらず少食だな」
「まあ・・・先のこと、考えちゃうから」
仕事のことを思うと、胃が締め付けられる。
白米を味噌汁で流し込み、早々に食事を終えた。

「なあ、夜は二品作れよ。そうすれば、尻尾に触ってもいいぜ」
「えっ、いいのか」
ぱっと、表情が明るくなる。
滅多に触れられない尻尾に触れるなら、どんな手間暇でもかける気になっていた。
いきなり人形になった猫に、動揺していないわけじゃない。
けれど、意思疏通がはかれることが嬉しくて、今は高揚感の方が強かった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
今度は定番の猫擬人化。
レイは攻めがわでぐいぐい行かせます。