擬人ペットの緩やかな日々 兎編1


昔から、動物が好きで仕方がなかった。
皆が嫌がるニワトリ小屋の掃除も進んでやったし、飼育係を誰にも譲らなかった。
放課後は必ず飼育小屋へ行き、思う存分小屋を掃除したり、世話をしたりする。
そのおかげで交友関係は極端に少なかったが、家に帰ればペットと楽しく遊べる。
帰宅すればいつも楽しそうにしている様子を見て、親はまさかこの子供に問題があるなんて思わなかった。

そんなこんなで、今では立派な社会人。
仕事を終え、明日は休み、家に帰宅するときはだいたい意気揚々としているのだが、今日は様子が違った。
「ただいま」
玄関に入り、声をかけても返答はない。
その代わり、廊下の先から駆けてくるものがあった。

「ロップ、ただいま。いつも出迎えてくれてありがとな。レイは散歩中か」
玄関で彼を出迎えたのは、耳が垂れている兎のロップイヤーだ。
早く飛びつきたくて仕方がないというように、そわそわしているが
それは、主人が着替えて一息つくまでおあずけだ。
早くロップを愛でたいので、彼は鞄を放り出して、さっさとスーツから楽な服に着替える。
ソファーに座って溜息をつくと、すかさずロップが膝の上へ飛び乗った。
いつもなら、ここで頭や耳を撫でまくるところなのだが、彼はまた溜息をついていた。


「ロップ、聞いてくれ・・・今日、部署が移動になったんだ。
今までは、データ入力や事務作業の仕事だったのに、なんと・・・」
そこで、また溜息と共に息継ぎをして続ける。
「なんと、営業になったんだ!見知らぬ人の家に行って売り込みなんて、できるはずない・・・」
力なく、ロップの耳をいじる。
負の感情を読み取っているのか、ロップは彼に擦り寄った。

「はあ・・・仕事行きたくないな。なんて言ってても仕方ないよな、お前達を養ってるんだし」
ロップを下ろし、夕飯の支度を始める。
そんな主人の様子を、ロップはじっと見つめていた。




休日の朝、仕事へ行きたくない気持ちが大きいのか、寝起きが悪かった。
普段起きている時間になっても、なかなか体を起こすことができない。
今日の午前中は惰眠を続けようかと思ったとき、ふいに扉が開く音がした。
扉が半開きになっていて、ロップかレイが入ってきたのだろうか。
確認しようと目を開けたとき、ベッドがぎしりと軋んだ。
意外な重量物に、目を見開く。

「ご主人、おはようございます」
幻聴だろうか、人の声がすぐ傍で聞こえる。
体を起こすと、目の前には小柄な少年がベッドに座っていた。
まだ夢を見ているんだろうかと、目をこする。
なぜなら、その少年の耳はロップイヤーのように垂れ、手は人のものではなかったから。

「ご主人、ボク、ロップです。いつも、お世話してくれてありがとうございます」
少年が人懐っこい笑顔で笑いかけると、彼はおずおずと耳を握る。
ふかふかの感触は、いつも自分が撫でているものと同じだ。
最近の夢は、触感までリアルに再現できるのだろうか。

「あの、ご主人、起こして申し訳ないんですけど・・・朝ごはん欲しいです」
「あ・・・そっか、ごめん」
茫然としつつ、彼はベッドから下りる。
ふらふらとリビングに移動して、いつものように、兎用のペットフードをボウルにあけた。

「ありがとうございます。いただきまーす」
少年は鼻をひくつかせて、ボウルに顔をつっこむ。
普通なら、手でつまんで食べそうなものだけれど、その手では無理だ。
少年には指がなく、もこもことした腕はまさに兎のものだった。
少年とロップの姿がだぶって見えて、また目をこする。
けれど、もはやその姿は疑いようがなかった。


「本当に、ロップなのか・・・?」
少年は、一旦顔を上げてまた笑いかける。
「はい、いつもなでなでしてもらってるロップです」
「どうして、人の姿に・・・?」
「えーっと、昨日、ご主人が悩んでたんで、何かしたいなぁって、ずっとずっと思ってました。
そうしたら、その願いが叶ったんです!」
ファンタジックな話に、彼はついていけない。

「ご主人、人とお話するのが苦手ってよく言ってましたよね。
だから、ボクで練習してください。そうしたら、お仕事嫌じゃなくなるかもしれないです」
「そ、そうか・・・練習、か」
これが夢か現実かはさておいて、人見知りなのは事実だ。
幼い頃から人より動物と接することが多く、一方的に語り掛けることしかしてこなかった。
いつの間にかそうなっていた人間が営業なんて、胃痛と戦う日々になることは間違いない。

「ご主人、お話ししましょう」
「・・・わかった」
夢の中でも訓練になればいいと、ロップの正面に座る。
ロップはじっと見つめてくるけれど、彼から何も言葉は発されない。
真っ向から対面すると、とたんに何を話せばいいのかわからなくなっていた。


「・・・そういえば、レンはまだ散歩中なのかな」
「そうですね、今朝も早くからお散歩してるみたいです」
レン、というのは一応飼い猫だ。
クールな性格で甘えてくることはなく、なかなか触らせてもくれない。
散歩好きなのか、家にいない時間の方が多くて
食事もするときはするが、たまに外で食べてきてしまう、半分野良のような感じだ。

「ボク、ご主人とお話しできるなんて夢みたいです。ご主人のこと、いろいろ知りたいです」
夢みたい、なんてこっちの台詞だと彼は内心つぶやく。
期待されても、やはり言葉が出てこない。
そうして沈黙しているところへ、カタンという音がした。

「あ・・・レイが帰って来たのか」
玄関口にある猫用の扉が開いたのだと、移動する。
「レイ、お帰り」
帰ってきた黒猫は、じろりと主人を見る。
鋭い眼差しを向けられるとたまに怯みそうになるけれど、動物好きの性格が勝る。
しゃがみこんでそっと手を伸ばすと、今日は珍しく耳に触らせてくれた。

「レイ、おかえりなさーい」
部外者の声に、レイはさっと飛び退く。
後ろから現れた兎耳の少年を警戒し、尻尾を立てていた。
「レイ、ボク、ロップだよ」
ロップもしゃがんで、レイに手を伸ばす。
レイはじりじりと近づくと、ロップの匂いをかぎ、じろりと睨んだ。


「信じられないと思うけど・・・本当に、ロップなんだよ」
レイは疑わしげに二人へ目をやった後、そっぽを向いてまた出て行く。
戸惑っているのか、単に気に食わなかったのだろうか。
「珍しく驚いてたみたいですね」
驚かない相手なんていないだろうと、彼はまた内心つぶやく。
人相手だと、言葉が外に出てこなくなっていた。

「ご主人、ボクと話しにくいですか?」
「えっ、あー、まだ、戸惑ってて、何を話していいやら・・・」
「突然ですもんね。お休みですから、ゆっくりしましょう」
この兎の方がコミュニケーション力がありそうで、自分が情けなくなる。
「・・・よし、移動になったのは仕方ない、ロップ、コミュ障解消に付き合ってくれるか」
「はい!ご主人、今日からよろしくおねがいしますね」

時間が経っても、夢は覚めない。
今日から、奇妙な現実の始まりだった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
友人の擬人化イラストから始まった連載、うさたんとあれこれさせます。