軍事国家、番外ラト編2
ラトと共に生活するようになって、二日目。
夕食と同じく、朝食もラトが作ってくれて、僕はまた食器運びや後片付けをした。
それから、家でぼんやりするよりはどこかへ出かけようと提案され。
僕等は、歩きで行ける範囲を散策することにした。
静かな町並みを、ゆったりとしたペースで歩いてゆく。
滅多に軍部の外に出ることがなかった僕にとって、田舎の風景でも新鮮なものだった。
それはラトも同じことなのか、曲がり角を曲がるたびに辺りを見回していた。
「・・・こうやって、リツさんと外を歩けるなんてなー。
少し前までは、毎日銃の練習をしてたのに」
「そうだな。軍部に居た頃には、想像もできなかった」
こんなにものどかなところにいると、演習をしていた日々が嘘のように思えてくる。
もう、誰かの痛ましい声を聞くこともないし、鉄臭い血をの匂いを感じることもない。
そんな平穏は退屈なものなのかもしれないけれど、僕はそう感じてはいなかった。
軍部を出てから、まだ日が浅いせいかもしれないが。
何より、ラトと共に居られるだけで、日常をつまらないと感じることはないだろうと思った。
ぽつぽつと会話を交わしつつ、見知らぬ土地を歩いてゆく。
あまり遠くに行って迷っても困るので、そろそろ折り返そうかと思ったとき。
少し先の方に、開けた場所を見つけた。
「リツさん、そこの公園に行ってみよう」
ラトは、小さな公園へ入る。
そこには、子供が喜びそうな遊具がわずかばかり設置されていた。
平日だからか、誰の姿もない。
ラトはちらと遊具を見たが、流石にそれで遊ぶ気はなさそうだった。
僕等は、備え付けてあるベンチに腰を下ろし、一息ついた。
「そういえばリツさん、家に帰らないってこと親に連絡したの?。
黙っておくと、後々面倒なことになると思うよ」
「大丈夫だ。僕には、連絡する人がいないから」
僕の発言に、ラトは目を丸くした。
「・・・親が、いないってこと?」
ラトは少し、声を小さくして尋ねる。
「ああ。僕は物心ついたときから、すでに軍部にいたから」
親がいないことを、悲しいとは思わない。
軍の誰かに育てられたことも、不幸だとは思わない。
だって、僕はそれ以外の境遇を知らないから。
親の愛情を知らなければ、それがないことを寂しいとも思わなかった。
「そっか・・・」
聞いてはいけないことを聞いてしまったかと、ラトは閉口した。
別に、触れてはいけない話というわけではないのだが。
こういった話は、相手が気を遣ってしまうのだろう。
「・・・でもさ、それでも悪いことばっかじゃないよね。
ボクの家は、もううるさくてさ。家に帰ったら、あの人達はいつも小言の言い合いをしてて嫌になっちゃうんだよ。
そもそも、ボクがこんな厭味ったらしくなったのも、あの人達のせいなんだから」
ラトはまた、両親のことを「あの人達」と呼んだ。
そこには、親しみは込められておらず、むしろ嫌悪感が含まれているように聞こえた。
「親と、仲が悪いのか?」
そう尋ねると、ラトは嫌な事を思い出したのか眉根を寄せた。
「悪いも悪い、最悪だよ。ケンカしない日なんて数えるほどしかないんだよ、信じられる?
軍部に来たときは、正直せいせいしたよ」
その言葉は、僕にとっては意外なものだった。
家族と言うものは、仲睦まじい配偶者がいて。
そして、愛すべき子がいる、そんな温かなものだと思っていた。
しかし、ラトの答えからはそれは全く感じられない。
「・・・家族に、愛情を感じてはいないのか」
そんな質問をしたとたん、ラトは鼻で笑った。
「愛情?そんなもの、あの人達の間にはとっくになくなってるよ。
お互いは、ただ鬱憤をぶつけるだけの相手にすぎないんだ。
・・・もちろん、ボクに対してもね」
ラトは思い切り毒づき、吐き捨てるように言った。
家族とは、僕が思っているほど良いものではないのだろうか。
少なくとも、ラトの家族関係は円滑にはなっていないようだ。
そのとき、僕はかすかな憂いを感じていた。
ラトが思い切り毒づくほど、両親を嫌っていることに。
その理由は、親を好きになる要素、つまり、愛情を十分に受けていないことだと思ったから。
「寂しくないのか?親と、そんな関係で」
ラトの性格上、すぐにさっきのような毒が飛んでくるかと思ったが、ラトは言葉を発さなかった。
文句の言葉を考えているような雰囲気ではない。
まるで、悔しさと苛立ちといったものが入り混じっているような、そんな複雑な表情をしていた。
「寂しくなんかないよ、あんな人達に愛情を注がれるなんて虫唾が走る。
・・・もう行こう?帰るの、遅くなっちゃうよ」
ラトは早口で会話を終わらせ、腰を上げる。
僕は、その早口な言葉に、痛ましさを感じていた。
相手の気持ちを汲み取ることが苦手な僕でも、十分にわかる。
ラトがどれほど、強がっているかということが。
「甘えても、いいと思う」
「え?」
ぽつりと呟かれた言葉に、ラトが振り向く。
「ここは、ラトが嫌う家でも、大勢の他人がいる軍部でもない。
だから、たまには肩の力を抜いてもいいんじゃないか」
強がっている姿を見たら、そんな言葉が発されていた。
もう、自分を弱く見せないために毒づく必要はないのではないかと。
せっかく、解放的な環境に来たのだから、たまには、弱さを見せてほしかった。
「・・・甘えろなんて、さ・・・・・・。
ここ、外だよ?いくらリツさんがあんまり周りの視線を気にしない人でも、それは・・・」
ラトは何かを言いかけたが、そこで言葉を止めた。
「・・・ほら、もう行こう。食事作るのボクなんだから、あんまり遅くなっちゃうと困るんだよね」
ラトは焦ったように、公園の出口へ走って行った。
ここでこれ以上は話せないのかと、ラトを追いかける。
焦ったその様子を、少しおかしく思いながら。
家に帰ってきたとき、疲れたのかラトはどさりとソファーに座った。
「意外と距離があったね。ボク、少し休むよ」
僕も多少は疲れていたので、同じくソファーに腰かける。
隣を見ると、ラトがどこか迷っているような、そんな表情で僕を見ていた。
どうしたのかと、僕もラトを見詰め返す。
「・・・あのさ・・・・・・」
ラトは何かを言おうとしたようだったが、また口をつぐむ。
そして、落ち着きなく視線を動かした。
その視線と共に、ラトの手がわずかに持ち上がる。
しかし、その手が何かを掴むことはなかった。
やがて諦めたかのように、小さく溜息をついて床に視線を落とした。
一体、何をそんなに迷い、気落ちしたのだろうか。
そこで、僕は先の公園でのことを思い出した。
あのときも、ラトは何かを言いづらそうにしていた。
僕はその内容について、とある予想をたてる。
もしかしたら、ラトは甘えようとしているのではないかと。
「・・・ラト」
まだ困惑しているのか、名前を呼んでも、ちらとこっちを見ただけでそれ以上の反応はなかった。
しかし、むしろそれは好都合なことで、ラトが僕の方へ注意を向けない内に傍へ寄り添う。
そして、ラトが気付くその前に、すぐ傍にある体を一瞬だけ持ち上げ、自分の膝の上へ乗せた。
「えっ・・・?」
何事かと、ラトが振り向こうとする。
すると、自ずと首が曲がり、ラトの頬が目の前まで近付く。
そのとき、僕は何かを考える前に、近付いてきたその箇所へ、そっと唇を触れさせていた。
「っ・・・」
驚いたのか、ラトは顔をさっと戻して前を向く。
一瞬しか触れられなかったせいか、僕はもどかしさを感じた。
膝の上にずっと乗せるのは疲れそうだったので、僕は足を広げ、その間にラトの体を落とす。
そして、自分の腕の中にいる相手を逃がさないように、しっかりと抱き留めた。
「リツさん・・・」
ラトは戸惑ってはいるようだが、拒もうとはしなかった。
抱き留めている体から伝わる体温は、気持ちを安心させてくれる。
こうしていると、とたんにもっとその温かさを感じたいと、そんな思いが生まれてくる。
抱きしめるだけではなく、もっと、ラトを感じたい。
自分の傍に居る存在を、もっと―――。
そんな思いにかられるさなか、視線を下げたところに、細い首が目に入る。
その箇所が視界に入った瞬間、僕はまた、何かを考える前に行動していた。
まるで、そこへ誘い込まれるかのように、視界に入ったその箇所へ、唇を触れさせていた。
「あ・・・」
柔らかな肌の感触を、鮮明に感じる。
手で触れるときとは、どこか違う温かさがあり、心地良かった。
唇で触れているその箇所に、もっと触れたくなる。
さっきよりも強くなった思いにかられ、感じたことのない欲求が沸き上がってくる。
そして、僕はその欲求に背を押されるままに、ラトの首に、そっと舌を触れさせていた。
「やっ・・・」
柔らかで、湿ったものの感触に驚いたのか、ラトは軽く、僕の腕を掴んだ。
その感触から逃れるために、ラトの体が少しだけ前かがみになったが。
僕は、腕の中にいる相手を逃そうとはしなかった。
さらにラトへ身を寄せ、触れさせている舌を、ゆっくりと這わせてゆく。
「や、あ・・・リツさん、待って・・・」
制止の言葉に、僕は一旦身を離す。
「ボク達、結構歩いた後だから、お風呂入った後のほうが・・・だから、今は・・・・・・」
それほど汗をかいているわけではないから気にしなかったが。
ラトが気にかかるなら仕方がないと、腕を解いて身を解放した。
「・・・・・・ボク、夕食の下ごしらえしないといけないから」
まるで独り言のように呟くと、ラトは小走りでキッチンへ行ってしまった。
僕はというと、不思議な物足りなさを感じていた。
舌で肌に触れてみたとき、今までに感じたことのないような、不明瞭な感覚を覚えていた。
相手を、もっと求めてしまいたくなるような、そんな感覚。
なぜ、こんな行きすぎたことを考えてしまうのだろう。
拒否されなかったからよかったものの、もしこの行為が原因で嫌われてしまったら。
そうなる可能性もあったのに、自制できなかった。
それでも、ラトは、風呂の後ならいいと、そう言った。
風呂の後に、同じベッドで眠るとき。
僕は自分を自制できるだろうかと、そんなことを考えていた。
そして、どこかぎこちない雰囲気のまま夜は過ぎていった。
どういうわけか今日は、先に風呂に入ってほしいと頼まれ、僕は早々に、ベッドに寝転んでいた。
こうして一人でいるときは、特に感じるものはない。
けれど、どうしてラトに触れると自制ができなくなるのだろうかと。
そんなことを考えていたが、その答えは出なかった。
そうして考え事をしていると、やがてラトが部屋に入ってきた。
そして、昨日のようにおずおずとベッドへ寝転ぶ。
僕はそれがじれったく感じ、ラトの腕を取り、自分の方へ引き寄せていた。
力が強すぎたのか、小柄な体がぶつかる。
風呂上がりのその体はとても温かくて、僕はとたんにあの感覚を感じていた。
ラトに触れたいという、そんな思いを掻き立てる感覚を。
「リツさん・・・」
いつものラトからは似つかわしくない、か細い声で名を呼ばれる。
視線を下げると、ラトがじっと僕を見詰めているのが見えた。
以前にも感じた、引き寄せたくなるような視線に、自制心など忘れてしまう。
もっと温もりを感じたいと、身を屈めてラトの首元に顔を埋める。
すると、背にやんわりとラトの腕がまわされた。
僕からも、ラトの背に両腕をまわす。
まるで、甘えている子供のような自分を意外に思う。
だけど、恥ずかしいことをしているという感覚はなかった。
ただ、相手の温かさを感じ、包み込まれていることに、とても安心していた。
「・・・リツさん?」
動きを止めた相手に、ラトが怪訝そうに問いかける。
しかし、返事はない。
その代わりに、規則的な呼吸が首元をくすぐっていた。
「え・・・リツさん、もしかして・・・寝てるの?」
まさかと思いつつも問いかけるが、やはり返事はない。
ラトはこの状況で眠る相手に、愕然としていた。
「・・・・・・この、ヘタレ」
ラトはまわしていた腕を解き、力の抜けている腕から抜け出す。
そして、部屋を出て、再び浴室へ向かっていた。
―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
もやもやする終わり方ですが・・・。
ラトが行った場所で何をするのか、その先はご自由にお考え下さい←。