軍事国家10


彼との二日間はあっという間に過ぎ、戦いの日が訪れた。
僕は、戦争のいざこざに紛れ、自国へ帰ろうと計画していた。
とても危険な行為だが、ラトに会いに行くには、この日しかないと意を決していた。

「ハルさん、傍にいるのは今日まででいいと言っていましたよね」
「・・・ああ」
「それなら、手錠を外してもらえませんか」
「・・・そうだな」
易々と了承してくれるだろうかと思ったが、手錠はあっさりと外された。

「ハルさん、どうかしたんですか?」
さっきから、彼はどこかもの憂げだった。
いくら強い彼でも、戦場へ行く時は流石に憂欝になるのだろうか。
「キミは・・・あの子に会いたくてたまらない。そうだろう」
唐突に指摘され、一瞬言葉に詰まる。
それは事実だったので、否定はしなかった。


「・・・止めますか?」
ラトに会うために、今日、戦場へ赴くという意図は彼に筒抜けになっている。
行かせないと言われたら、強行突破するしかない。
僕はそれほど、ラトが気がかりになっていた。

「・・・あの子に会いたいのなら、戦地から少し離れた、一番大きい廃墟へ行くといい」
「廃墟へ?」
「そろそろ、オレは行くよ。今からどう動くかは、キミの自由だ」
彼は僕を止めるまでもなく、部屋から出て行った。
今の言葉を、信用してもいいものだろうかと迷う。
もしかしたら、そこには兵が待ち構えていて、僕は始末されるのかもしれない。
だから、彼はもの憂げだったということもありえる。

それでも、僕の中には彼を信用したいという思いがあった。
廃墟に、ラトが来る可能性があるのなら、たとえ危険な場所だとしても、行く価値はあるに違いなかった。


戦争が始まると、外は慌ただしく、騒々しくなった。
兵士が戦地へ行くまで、僕は部屋の中で機を待つ。
そして、騒ぎが収まった頃、僕は窓から外へ出て、目標の廃墟を探した。
僕が着ている服は、この国にとっては敵国のもの。
発見されれば、すぐさま切りつけられることだろう。

人の気配がする場所は避け、廃墟を探す。
もう人が住んでいない家が多くあり、地形は入り組んでいたけれど。
最も大きいとあって、発見するのにそれほど時間はかからなかった。




人の気配に注意を払いつつ、廃墟を目指す。
久々に強い緊張感を覚え、いつでも刀を抜けるように身構え、入口に立った。

薄暗い廃墟の中は荒れていて、ところどころに瓦礫が積み重なっている。
戦地から離れているからか、人の気配は感じられない。
この広い建物の中に、ラトがいるのだろうか。
周囲を見渡しても、人の姿は見えない。
もっと奥を探索してみようかと思い、足を進める。

そのとき、別の足音が聞こえてきた。
敵軍かもしれないと、瓦礫の板に身を隠す。
息をひそめ、相手の様子を窺う。
足音が近付き、何者かが廃墟の中へと入ってきた。

僕は、気付かれないよう慎重に、相手を見る。
見たことのあるような、小柄な体格と、小型の銃が目に留まる。
戦場に刀を持ってこない者など、一人しか知らなかった。
僕は瓦礫を退け、姿を現す。

突然の物音に警戒したのか、相手はすぐさま銃口を向けてきた。
だが、それは発砲することなく、すぐに下ろされた。


「・・・リツさん・・・・・・」
拳銃が床に落とされ、廃墟に音が響く。
相手は、幽霊でも見るような目で、僕をじっと見ていた。

「ラト・・・」
会いたかった、その者の名を呼ぶ。
警戒心や緊張感など忘れてしまう。
僕はラトの目の前まで歩み寄り、手を伸ばした。
その存在を確認するように、頬に触れる。
温かい温度と皮膚の感触が掌を通して伝わってくると、僕は心底安堵していた。
ラトに再開できたことと、彼が信用できる人物であることが証明されたことに。

「リツさん・・・」
ラトが一歩を踏み出し、近付いてくる。
僕は受け入れるように腕を軽く広げ、小柄な体を抱きしめた。
「今まで何やってたのさ・・・戦争、終わっても帰ってこなくて・・・。
無様な死体を曝したのかって、そんな・・・そんなこと考えてたんだよ!」
ラトは、拳で僕の胸を叩く。
力は弱くとも、悲痛な痛みが伝わってくるようだった。

「ごめん。・・・彼に、ハルさんに捕らわれていたんだ」
「あの人に・・・」
ラトが言葉の続きを言わない内に、僕は身を離し、手を取った。
「帰ろう、ラト。いつもの小競り合いなら、もう終わってもいい時間だ」
ラトは何かを言いたそうにしていたが、ただ頷いた。
手を引き、ラトと共に外へ出る。
そのとき、僕は友との再会が嬉しく、周囲に気を払っていなかった。
だから、まるで気付かなかった。
銃口が、ラトを狙っていたことなんて。


外へ一歩を踏み出した途端、一発の銃声が鳴った。
ふいに、後ろへ手を引っ張られる。
振り向くと、鮮血がラトの勲章を赤く染めていた。

「ラト!」
後ろへ倒れようとするラトの体を、とっさに抱き止める。
とたんに、鉄臭くて嫌な匂いが鼻につく。

「っ・・・ぅ」
ラトは、痛みに顔をしかめる。
胸元の鮮血が広がってゆくのを目の当たりにすると、気が動転しそうになる。
しかし、本能が危険を察知し、僕はラトを抱えて廃墟へ引き返していた。
瓦礫の影に身を隠し、ラトを座らせる。
生温かい感触が掌に伝わり、嫌悪感よりも先に危機感を覚えた。


「ハハ・・・狙撃手がこうして撃たれちゃ、わけないや・・・」
「ラト・・・」
ラトの声は、とても弱弱しい。
血が止めどなく流れ続け、このままだとどうなるのか、考えたくなかった。
とたんに、陰鬱な感情が湧き上がってくる。
暗く、重たくのしかかってくるような、負の感覚。
これが恐怖という感情だと、初めて気付いた。

「情けないな・・・ボクが、こんな状態になっちゃうなんて・・・。
・・・これじゃあ、ボクのほうが、無様な・・・」
「ラト、もうしゃべらないでくれ・・・!」
これ以上、こんなにも弱っているラトの声を聞きたくなかった。
友を失ってしまうかもしれない恐怖が、僕の体を硬直させてしまっている。
一刻でも早く自国に帰り、医者に診せなければならないのに。
僕はラトを抱えたまま、一歩も動けなかった。




初めて感じた恐怖に包まれている中、廃墟に、何者かの足音が響いた。
さっき、ラトを撃った相手が来たのかもしれない。

僕は、ラトを守りたかった。
いつまでも、恐怖に取りつかれているわけにはいかない。
足音がすぐ近くまで来たとき、僕はラトをそっと床に寝かせ、立ち上がる。
そして、刀に手をかけ、振り向きざまに鞘から抜いた。
今の僕にはラトを守ることしか頭になくて、相手の姿を確認する前に切りつけていた。
刃がぶつかり合い、鋭い音が廃墟に響く。


「危ないな、味方の兵だったらどうするつもりだ?」
聞き慣れた声にはっとして、刀身を離す。
「ハルさん・・・」
先程別れたはずの彼が、目の前に居る。
相手が敵ではないとわかると、僕は非礼も詫びずに彼の手を引いていた。

「ハルさん、お願いです。ラトを助けて下さい・・・!」
突然の懇願に、彼は目を丸くした。
僕は説明する時間もわずらわしくて、彼をラトの元へ連れて行く。
そこで、座り込んだままのラトの姿を見た彼は、眉をひそめた。

「撃たれたのか」
「はい。僕が不用意に外へ出たばっかりに・・・。お願いします、ハルさん、ラトを・・・」
戦地の中で、無茶な願いだとはわかっている。
だけど、懇願せずにはいられない。
ラトを助けてくれるのなら、どんな対価を払っても構わなかった。

「・・・この廃墟には、抜け道がある。こっちだ」
彼が、廃墟の奥へ足を進める。
僕はそっとラトを抱え、彼についてゆく。
祈るような、すがる様な思いを抱えて。


彼が立ち止まり、つきあたりの扉を開く。
すると、薄暗い廃墟の中へ光が差し込み、外の景色が見えた。
そこは、かつて彼と来たことのある草原だった。

「ここからなら、もう道はわかるな。すまないが、オレはすることがあるから先に行かせてもらうよ」
お礼を言う間もなく、彼はすぐに走り去ってしまった。
僕も全速力で走りたい思いはあったが、ラトにあまり振動を与えてはいけない。
ラトの負担にならない程度の駆け足で、自国を目指す。

腕の中に居る友を、一刻も早く助けたい。
今の僕には、そんな思いしかなかった。




自国に着くと、僕は真っ先に医務室を目指した。
驚愕が入り混じった視線を向けられたが、そんなものを気にしている暇はない。
医務室の扉を押し開け、待機している医師と対峙する。
医師は突然の患者に驚いてはいたものの、すぐさまラトに駆け寄った。

「すぐにベッドへ運んで下さい。少し、危険な状態のようだ」
医師の言葉に、恐怖感が大きくなる。
僕はラトをベッドに横たえ、頬を撫でる。
その頬はとても冷たく感じられて、全身に悪寒が走る。

「治療を行いますので、外へ出ていただけますか」
できればラトの傍にいたかったが、医師の言葉に逆らうわけにはいかない。
僕は恐怖と不安を抱え、廊下へ出た。
ふらふらと、足が自室へ向かう。
まるで、体だけが勝手に動いているようだった。
自室に着いても、不安にとらわれ、何も手につかない。
僕はただ、じっとラトの治療が終わるのを待つしかなかった。




どのくらい時間が経っただろうか。
ふいに、扉が叩かれる音を聞いた。
治療が終わったことを知らせに来たのかと、すぐに扉を開けた。
「今晩は、リツ」
「・・・・・・今晩は」
なぜ、目の前に敵国の兵である彼がいるのだろうか。
けれど、驚きを示す余裕がなく、僕はふらふらと歩き、ソファーに腰かける。
ふと外を見ると、もう陽が落ちていた。
どうやら、夜になったことさえ気付かなかったらしい。
彼が隣に座り、ソファーが少し沈む。

「・・・何で、ハルさんがここにいるんですか」
ぼんやりと、床を見詰めたまま問いかける。
「オレは元々、この国の味方だったよ。簡単に言えば、二重スパイをしていたってこと」
「あ・・・そう、だったんですか」
本来なら目を丸くして驚くべきことなのだが、やはり、そんな余裕はなかった。
ラトのことが気がかりで仕方がない。
夜になっているということは、医師に診せてからとうに数時間は経っていることになる。
よほど難かしい治療なのか、それとも。

「キミがそんなに不安を露わにするなんて、初めて見た。
・・・それほど、あの子のことが気にかかっているのか」
僕は頷き、肯定した。
不安が顔に出てしまっていても仕方がない。
抑えようにも、どうして抑えたらいいのかわからない。
まるで、負の感情に翻弄されているようだった。

「・・・怖くて、たまらないんです。もし、ラトがあのまま冷たくなってしまったらと思うと・・・。
こんなに怖くて、不安なのは初めてで・・・どうすればいいか、わからない・・・」
一旦気を抜いてしまったら、重く圧し掛かってくるそれらの重圧に、押し潰されてしまいそうになる。
潰されないためには、ラトが助かってほしいという願いを持ち続けるしかなかった。


「そんなに、怖いのか」
独り言のように、彼が呟く。
僕は、じっと床を見続けていた。
真っ直ぐに、前を向く気になれない。
だから、僕は両肩を掴もうと伸ばされた彼の手に反応できなかった。

「・・・ハルさん・・・?」
彼の手に、体を押される。
抵抗も忘れていた僕は、あっさりとソファーに仰向けになった。
そこへ、彼の体が重なる。

「恐怖は、嫌なものだろう。暗くて、陰鬱なその感情は」
「・・・はい」
今の僕は、この体勢に疑問を持つことなく、ただ一言返事をした。
彼が身を寄せ、体に腕がまわされる。
こうして人の体温を感じていると、少し、安心するようだった。
けれど、その抱擁だけで陰鬱な感情が取り払われることはなかった。


「そんな嫌な感情、オレが忘れさせてあげるよ。一時の間だけでも・・・」
耳のすぐ傍で、彼が囁く。
そして、言葉を言い終わったかと思うと、耳朶に柔らかなものが触れるのを感じた。
それは、耳朶に留まらずそのまま上へ移動する。
湿った感触が耳に残り、一瞬肩が震えてしまう。

「ハルさん、何をしているんですか・・・?」
耳をなぞる、この感触は何なのか。
知りたかったけれど、彼は答えなかった。
「オレに任せてくれれば、忘れさせてあげられるから・・・」
彼は、首元へと顔を埋める。
顎に柔らかい髪が触れ、少しくすぐったい。
じっとしていると、さっき耳朶に感じた感触を、首元にも感じた。

「っ、ハルさん・・・」
湿り気を帯びた柔らかなものに、下から上へと、首筋をなぞられる。
とたんに、背筋にぞくぞくとした悪寒が走り、また肩が震えた。
恐怖から引き起こされるものではなかったが、それが何なのかはわからなかった。
彼が顔を上げ、至近距離で視線が交差する。
その瞬間、僕の中でわずかな警告音が発された。


けれど、本当に、彼がこの不安と恐怖を拭い去ってくれるのなら。
このまま、身を任せているべきなのかもしれない。
それとも、警告に従って彼を突き飛ばしたほうがいいのだろうか。

そうして迷っている内に、彼がさらに近付いてくる。
視線をじっと合わせたまま、徐々に身を下ろして行く。
彼は、お互いの、声を発する箇所を重ね合わそうとしていた。

「・・・!」
それに気付いた僕は、反射的に顔を背ける。
いくら人付き合いが少なくとも、それは知り合い同士がすることではないとわかっていた。
だが、彼は動きを止めない。
下りてきた箇所が、そのまま頬に触れる。
温かみを帯びた彼の唇が押し付けられると、再び緊張感が走った。

他者の体温は安心すべきもののはずなのに、逆に緊張する。
顔を背けたままでいると、口元に、彼の吐息を感じた。
そして、先程と同じように、口端へも口付けられる。

「っ・・・」
やはり、安心感とは逆のものを覚える。
だが、彼を跳ねのけようとは思えない。
この行為を受け入れているわけではないが、拒絶することもできなかった。


「リツ・・・オレに、任せてくれる・・・?」
彼が身を離し、少し距離をおいて問いかけてくる。
僕は迷い、彼を見詰めた。
このまま身を任せたら、どうなってしまうのだろうか。
それは、僕には知り得ないことに違いない。
けれど、彼がこの不安を拭い去ってくれるのならば。
任せてしまっても、いいのかもしれない。

そう思ったとき、僕は、小さく頷いていた。
彼に、身を委ねると。


彼は、僕の服に手をかける。
上着も、シャツも、一つ一つボタンを外されてゆく。
直接、肌に触れられているわけではないのに、ボタンが外されてゆくたびに心音が強くなっていった。

ほどなくして、それらが全て外されて肌が露わになる。
そこで、彼も自分の服のボタンを外してゆく。
同じく、肌を曝したとき、彼は再び身を下ろし、お互いを重ねていた。

「ハルさん・・・」
露わになった胸部が、何の隔たりもなく触れ合う。
直に感じる彼の体温が、心地良かった。
お互いの心音が、重ね合っている箇所から伝わってゆく。
こうして、誰かと肌を重ねたことなど一度もなかっただけに、緊張しているのか。
その音は、いつもより少し早い気がしていた。

気が付くと、僕は彼の背に、腕を軽くまわしていた。
本能が、彼を求めているのだろうか。
不安で仕方がなくて、誰かにすがりつきたい、慰めてほしいと。
そう、思っているのだろうか。


「楽にしていれば、不安なんて考えられなくなる」
身を重ね合わせたまま、彼が囁く。
彼が、不安を覆い隠してくれる。
けれど、本当にこのままでいいのだろうか。
不安を感じなくなったら、ラトのことも忘れ去ってしまうのではないか。

ラトの様子を見に行きたい。
彼に不安感を拭ってほしい。
僕の中では、そんな二つの思いが対立していた。

そのまま動けないでいると、彼の手が、太腿のあたりに触れるのを感じた。
その手は滑るように動き、だんだんと上ってくる。
そして、その手が、太腿の付け根に触れた。

「う・・・」
敏感にものを感じる箇所に彼の手が触れると、思わず肩が震え、声にならない声が喉を通り過ぎてゆく。
このとき、彼を突き飛ばしてもいいはずだった。
けれど、僕の腕はわずかに震えただけで、相手を拒む意思は見せなかった。

もう、僕は望んでしまっている。
彼にすがりつき、一時的でも負の感情を覆い隠してくれることを。


「リツ・・・」
優しい声で、名を呼ばれる。
単なる呼びかけではなく、何らかの感情が込められているような声だった。
下肢の服を止めているベルトに、手がかけられる。
不安を取り払うための行為に及ぶのだと思った。
だから、最後に。
何も考えられなくなる前に、呼んでいた。
たった一人の、友の名を。

「・・・ラト・・・・・・」
僕は目を閉じ、行為が成されるのを待つ。
しかし、彼はぴたりと動きを止め、沈黙していた。
「・・・これでも・・・この状態でも、あの子のことが気になるのか・・・」
僕が目を開いた瞬間、彼は独り言のように呟いていた。
そして、ベルトから手を放し、身を起こした。


「・・・あの子のところへ行ってあげるといい。
オレは元々、治療が終わったことを伝えに来たから」
彼はそれだけ言うと、服を着直して部屋から出て行ってしまった。
僕は彼の気の変りように呆然としていたが、ラトの治療が終わったのならぼんやりしている暇はない。
ソファーから腰を上げ、服を整える。
そして、僕もすぐに部屋を出て、医務室へ走った。


不安を拭い去る行為は成されなかったが、一人でいるときよりはいくらか気が紛れた。
彼の手や、触れた肌が温かくて。
いつもより声が優しくて。
僕はまぎれもなく、彼といることで安心していたから。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
寸止めでじれったい話でした。
ここでうんにゃらかんにゃらすると、番外編が書けなくなってしまうので・・・。
モヤモヤした方はすみませんorz。