軍事国家12


ラトが軍部に残ると言ってくれてから、僕は、自分が上機嫌になっていることを感じていた。
感情の起伏とは、たった一つの言葉でこうも湧き上がってくるものなのかと、感心する。
その日は一日、ラトと過ごした。
しかし、朝早く起きたためか夜が更けない内に眠くなってしまい。
僕はいつもより早い時間に、ベッドに入ろうとしていた。

そのとき、タイミングの悪いことに扉が叩かれる音がした。
気付かないふりをして居留守をしてしまおうかと思ったが。
僕を訪ねてくる相手は二人しかいなかったので、体を起こし、扉を開けた。

「リツ、今晩は」
扉を叩いていたのは、ラトではなく彼だった。
「今晩は、ハルさん。どうぞ、入ってください」
今しがた眠ろうとしていたにもかかわらず、彼を部屋へ招いていた。
上機嫌な気分が、僕を好意的にさせていたのかもしれないし。
知り合いという関係とはいえ、彼と接することを望んでいたのかもしれない。
彼と過ごす時間は、決して苦痛ではなかったから。
僕等は、窓の前にあるソファーに腰かけた。

「ちょっと、話がしたかったんだ。眠るところを邪魔したようで悪いけど」
僕の楽な服装を見て、彼は言った。
「いえ。構いません」
もう、僕の使う「構わない」という言葉には、別に邪魔をされてもいいという一つの意味しか含まれていない。
僕はいつの間にか、彼とラトに対して無関心でいることはできなくなっていたから。


「単刀直入に聞きたいんだけれど・・・君は、戦争が終わったらどうするんだ?」
彼は、少し重々しい口調で問いかける。
「・・・そうですね、もうすぐ、終わるんでしたよね」
彼の掴んだ内部情報によって、次の戦争でこちらの国が勝利を収めるだろう。
そうなれば、僕はどうするのか、考えたことはなかった。

いや、考えたくなかったのかもしれない。
以前の自分と、今の自分とでは明らかな違いがある。
以前の僕なら、戦いが終わり、存在意義も失ってしまったら。
その後の行動は、一つしかないと思っていた。

「平和になったら、あの子のと一緒に軍部を出るのか?」
今の僕の選択肢として、一つはそれがあった。
「・・・わかりません。それは、ラトに迷惑がかかってしまう」
戦争が終わった後もラトと共に過ごせたらいいという、願望はあった。
けれど、帰る家へと部外者がついて行ったら、それこそ迷惑になる。


「ハルさんは、どうするんですか?」
僕と同じ境遇にいる彼はどうするのだろうかと、ふいに興味がわいて問いかける。
「オレは、軍部に残って防衛隊になるよ。
戦うことは嫌いじゃないし、オレはここが結構気に入ってるから」
「防衛隊・・・そんなものがあるんですか」
戦争が終わったら、戦うことはお役御免だと思っていただけに驚いた。

「ああ。もし内乱が起こったとき、それを止める役目をする。
問題は、もしかしたら一生出番がないかもしれないってことだけど」
ここに残るならば、自ずと防衛隊に入ることになるだろう。
それは、戦うことしか知らない僕にとってはうってつけのことに思えた。

「あの子と軍部を出て行くか。それとも、ここに残るか。
・・・キミは、どうしたい?」
彼が、僕の顔色を窺うように覗き込んでくる。
その問いに、少し考えた後、答えた。


「・・・僕は、もう一つの選択肢を考えていました」
僕の口調は、自然と重苦しくなる。
それは、軽々と人にいうべきことではない。
でも、聞いてほしかった。
同じ境遇の彼なら、わかってくれるところがあるのではないかと。

「戦争が終わったら、僕の存在意義はなくなる。そうなったら・・・。
・・・自害しようかと、そう思っていました」
戦うことしか知らない僕が、それを奪われたら。
平坦な日常は、ますます平坦になる。
何もしないで生きてゆくのなら、死んでも同じこと。
誰とも関わりを持たず、何をすることもなく過ごすのなら。
それならば、自分という存在はなくなっても何の支障もきたさないだろうと思っていた。

ちらと、彼の様子を見る。
驚かせてしまうだろうかと思っていたが、彼はいたって平坦だった。
もしかしたら、彼も同じことを考えたときがあるのかもしれない。


「けれど、今はもうそんなことを思ってはいません。
僕は、ハルさんとラトと関わって・・・共に居たいと思うようになったから」
どうやって自害するべきかと、考えたこともあった。
けれど、今は違う。
僕には願望が生まれ、それと共に存在意義も生まれていた。
僕は彼等と共に居ることを望み、彼等も傍に居てもいいと言ってくれたから。

「ふふ。嬉しいことを言ってくれる」
彼はくすりと笑い、手を伸ばす。
避ける間もなく腰元に手がまわされ、そのまま身を引き寄せられた。
お互いの肩が触れ、体にほんのりと温かさが伝わる。

「・・・ハルさんは、こうして人と接することが好きなんですか」
今更ながら、彼はかなり積極的な人なのだと思う。
お互いの関係を、知り合いという距離に保っているところは、べたべたした付き合いを嫌っているとわかるが。
ふいに相手の身を抱き寄せたり、引き寄せたりするところが不思議だった。

「そうだな・・・実際、キミと知り合いになるまで、自分がこんなに誰かを求めるようになるなんて思っていなかった。自分でも驚いてるくらいだ」
彼は、難しいことを考えているような、悩ましい表情をしていた。
「僕も、誰かと関わり合うことなんてわずらわしいことだと思っていました。

でも・・・ラトに触れること、ハルさんに触れられることが嫌じゃないって、そう思うようになっていました」
他者に触れ、触れられることはむしろ安心感を伴うものだと、初めて知った。
以前の僕は感じられなかった感覚。
それは、決して拒むべきものではなかった。
現に今も、彼に引き寄せられて嫌悪感は微塵も覚えていなかった。


「オレは、キミに対しては近親感を覚えているんだ。
まさか、同じ境遇の相手がいるとは思ってもみなかったから。
・・・けれど、キミに触れる理由はそれだけじゃないと思ってる」
まわされている手に力が込められ、さらに引き寄せられる。
至近距離まで近付いた彼の視線が、じっと見詰めてくる。

「・・・たぶん、オレは情愛を求めているんだと思う。
傷の舐め合いとも言えるかもしれないけれど」
「情愛・・・」
他者を慈しみ、そして愛おしいと思う気持ち。
誰からも、そんな思いは向けられたことがないし、自分の内に芽生えたこともない。
それは、僕にとって全く未知の感情だった。

「・・・それを僕に求めることは、難しいと思います。
僕には、その感情がよくわかりませんから」
それは、他者と深く関わることを示す感情。
ただでさえ他者を避けていた自分が、どうしてそんな感情を知ることができようか。

「情愛は、精神的な繋がり。そんなもの、オレもはっきりとわかってるわけじゃない。
けれど、ただ一つ明確に言えることがある」
言葉が終わった瞬間、ふいに彼の指先に口をなぞられた。
一体何事かと、僕はわずかに身を固くする。

「オレは、キミに触れたがっている。
望んでいるんだ、自分が触れてもいいと言える存在を」
彼は一時も、視線を逸らさない。
ああ、前と同じだ。
彼の視線に捕らわれ、引き込まれそうになる。

見詰めたままでいると、彼が、身を近付けてくる。
いいのだろうか、このまま引き寄せられてしまっても。
けれど、僕はきっと、それを拒まない気がする。
もしかしたら、それは求めているからかもしれない。
彼が欲しているものと同じ、他者からの情愛を。


「・・・リツ」
呟くように、名を呼ばれる。
ここから先のことをしてもいいかと、確認するかのように。
僕は返事の代わりに、彼をじっと見詰め返す。
それを了承の合図だと察し、彼が目を細め、お互いの言葉を発する箇所を重ね合わせた。

「っ・・・ん」
触れ合う箇所から伝わる温度と、柔らかな感触。
安心するような感覚が身を包み、心音が強くなってくる。
僕の目は自然と閉じられ、一切の抵抗の意思を無くしていた。
こんなことを誰かとしたことはないはずだが、この感覚には身に覚えがある。
そう、確か、昨日まどろんでいるときに感じたものと、とてもよく似ている。
あのとき、ラトが僕にしたことと―――。


呼吸のためか、彼が一旦離れるが、すぐに覆い被さってくる。
行き場を失っていた僕の手は、いつのまにか彼の腕を掴んでいた。
やはり、無意識の内に、彼に触れることを求めているのかもしれない。
他者の温もりと、不思議な安心感を与えてくれる彼を。

何度も何度も、一旦離れては重なる行為が繰り返される。
それに伴い、自分の体が熱くなってゆき、呼吸をするたびに漏れる呼気が、だんだんと荒くなる。
なぜ、自分がこんな反応をしているのかわからないけれど、決して嫌な感覚ではない。
まるで、胸の内から温められてゆくような。
初めて自覚した、そんな感覚に戸惑いながらも、僕はそれを心地良いものだと感じていた。




もう、回数なんて数えていられない。
何度繰り返されたかわからない口付けに、だんだんと息が詰まってくる。
呼吸をしようと口を開いたが、彼は構わず覆い被さってきた。
「っ・・・は・・・」
呼吸が苦しいせいか、それとも他の要因が働いているのか。
心音が、自分ではっきりとわかるほど強くなってくる。
それでも、彼の行為は収まらない。
僕は口を閉じる間もないまま、ただ彼から与えられる熱を感じているしかなかった。

抵抗できないでいると、ふいに口内に違和感を覚えた。
どこか熱を帯びていて、柔らかなものが触れている。
それは、重ね合っている唇ではなく、覚えがある感触に、体が強張る。
かすかな悪寒が、背筋を走る。
そして、口内に感じたその違和が、舌先に触れた。

「っ・・・!」
身震いしてしまいそうになる感触に、思わず手に力が込められる。
彼の腕を強く掴み、その震えを止めようとするが、舌先に感じたものに、どうしても肩が震えてしまっていた。


「リツ・・・」
僕が震えを感じた直後、重ねられていた箇所が解放された。
「は・・・っ・・・」
とたんに呼吸が楽になり、僕は大きく息をつく。
手の力が自然と抜け、彼の腕を掴んでいられなくなった。

「・・・すまない。焦って、嫌な思いをさせてしまった・・・」
彼の腕が背にまわされ、そのまま抱きしめられた。
服を通して、彼の心音が伝わってくる。
体温が上昇しているのは彼も同じなのか、それは平常より早い気がした。

「・・・焦るなんて、らしくないですね」
焦りを感じたのは、僕も同じだった。
知り合いだと思っていた相手に口付けられて、驚かないわけがない。
けれど、彼の行為は恋人同士がするような、甘酸っぱいものではなくて。
彼はただ、近親感を覚えている相手と触れ合いたいと。
余計な感情など入っていない、そんな行為だとわかっていたから、僕も受け入れることができた。


「ああ。・・・キミには、選択権があるから」
彼の口調は、どこか寂しげに聞こえた。
僕には、選択権がある。
それは、僕がラトの元へ行くか、彼と共に軍部に残るか、そのことを示しているのだろう。
僕はまだ、自分の行き先を決めていない。
ラトに迷惑をかけても、傍にいたいという思いはある。
けれど、迷惑に思われるくらいなら、軍部で彼と共にいてもいいとも思っていう葛藤があった。

「今は、こうしていてもいいか・・・?」
彼の両腕が、再び背にまわされる。
温もりを感じた僕は、少しだけ彼によりかかり、身を預ける。
そして、自分からもその温度を求めるように、やんわりと彼の背に腕をまわした。
僕は、ラトに触れたいと思うけれど。
彼と居ると、包み込んでほしいと、そう思ってしまう。
庇護されるようなこの抱擁が、嫌じゃなかった。

その後、僕はさんざん悩むことになる。
ラトと共に軍部を出るか、それとも、彼と共にここで暮らすか。


そして、戦争が、終わりを告げた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
少し半端な感じですが、これで、一応連載は終了です。
ですが、まだまだあんなものやこんなものが書き足りないので。
番外編として続けて行きたいと思います。