軍事国家3


夜になってから、外には滝のような雨が降り注いでいた。
止むことのない、ノイズのような音。
鬱陶しいと感じる人もいると思うが、そんな音が嫌いではなかった。
人のざわめきよりはずいぶんいい音だと、そう思う 。
雨の日は講堂に人が多くなるので、僕は自分の部屋へ戻ろうと、長い廊下を歩いて行く。
そこへ、早い足音が近付いてきた。

「リツさん」
よく聞く声が隣から聞こえ、視線をそっちへ向ける。
「どこ行ってたの?用事があったのにいなくて、探したんだよー」
ラトは少し、不満そうに言った。
そう言われても、そっちの状況に合わせることなどできない。
他の誰かに、自分のペースを乱されるのは嫌だから。

「外に行ってた」
「外に!?いつ召集がかかるかもわからないのに、案外いい度胸してるんだね」
その通り、万が一召集がかかっていれば、叱責を受けるところだった。
この様子ならば、彼の言ったとおり、今日は召集はなかったようだ。


「それで、用事って何なんだ」
いつまでも廊下で立ち話をしているのも何なので、僕は早く部屋へ行きたかった。
「そのことなんだけど・・・ここじゃ話しにくいし、リツさんの部屋に行ってもいい?」
ラトは一瞬口ごもった後、そう言った。

「ああ、構わないけど」
僕の言う、「構わない」という言葉には二つの意味が込められていた。
一つは、部屋に来てもいいという意味。
もう一つは、部屋へ来ても構うことはできない、という意味。
住み慣れた部屋だからといって、特別饒舌に会話をすることはないし、お茶を出したりもしない。
僕は、あくまで自分のペースを変えないつもりでいた。
ラトと共に、部屋へ行く。

「それじゃ、遠慮なくおじゃましまーす」
扉を開けると、ラトは陽気な声と共に足を踏み入れた。
僕は本当にラトには構うことなく、ソファーに腰かけ、外を見る。
部屋は一階なので、景色はさほどよくない。
けれど、誰もいない、解放的な景色を見ていると無心になれた。

窓を開ければ、外へ出ることができる。
けれど、そうしてどこか遠くへ行こうとは思わない。
だからこそ、この部屋が割り当てられたのかもしれない。
僕には、行く場所なんてないから。




「今日の雨、鬱陶しくてたまんないよ。陽があたらなくて、何だか陰鬱になりそう」
気が付くと、ラトが隣に座っていた。
ラトが鬱になったところなど、想像できないが。
それは、たぶん僕にとっても好ましくないものだなと、そんな気がした。

「それで、用事って?」
ラトのペースに任せていると、いつまで経っても要件を聞けなさそうなので僕から尋ねた。
ふいをつかれたのか、ラトは口を閉ざす。
そして、この前と同じように話が止まる。
おしゃべりなラトがこれほどまでに躊躇う用事は何なのか。
いつの間にか、そのことに興味を抱いていた。

「用事・・・っていうほどのものでもないんだけどさ」
いつもの明瞭な口調ではなく、控えめに言う。
それからまた少し間が空き、ラトは鬱陶しいはずの雨を見ていた。
僕は、それ以上は急かさずに言葉を待っていた。


「・・・・・・ほんっと、雨の音って鬱陶しい。
ボクの部屋、雨が窓に当たってうるさくて眠れないんだよね。風が吹くと、もう最悪」
ラトは突然調子を取り戻したのか、饒舌になった。
「おまけに明日は朝から演習があるし、雨のせいで眠れなくて寝坊したなんてかっこわるいよね。
それに乗じて、どんな難癖つけられるかわかったもんじゃないし」
ラトの言葉は、心なしか早い。
しゃべる量が多いので、自然とそうなっているだけかもしれないが。

「・・・そう、明日は寝坊したくないんだよね。だからさ・・・。
・・・リツさん、今日、ボクをこの部屋に泊めてくれない?」
ラトは、真っ直ぐに僕を見てそう言った。
長い話だったが、どうやら最後の言葉が用事の内容だったらしい。


「・・・ほら、この量の雨じゃあ、明日まで待っても止みそうにないし。
ほんとうるさいんだよ、ボクの部屋、睡眠妨害するくらい、それほど鬱陶しくて、うるさくて・・・」
返事をする前に、ラトは一気に言った。
口調はいっそう早くなり、最後まで言葉がついていっていないのか、珍しく尻切れになっていた。
雨音なんて、部屋によってそんなに変わるものだろうかと思ったが。
ラトがどんどんまくしたててくるので、たぶんそうなのだろうと納得してしまった。

「寝るときくらいは静かにしていてくれるのなら、構わない」
何か嫌み事が返ってくるかと思ったが、ラトは目を見開いて僕を見ていた。
だが、すぐに我に返ったのか、また饒舌に話し始めた。

「・・・いいの、そんなに簡単に部外者を招いちゃってさ。
そんなんじゃ、いつか寝首をかかれるよ?」
自分から泊まりたいと言っておきながら、ラトは矛盾したことを言う。
口が減らないのはいつものことだが、どこか本調子ではないような。
ときたま焦りが見えるような、そんな感じがした。


「・・・着替え、取ってくる」
ラトはぽつりと呟き、立ち上がる。
「毛布も持ってこれるか?」
ラトが部屋を出てゆく前に、言葉をかけて引き止める。
「何で、そんなもの持ってこないといけないのさ」
「部屋には毛布が一枚しかない」
部屋に備え付けられている備品は、来客のことなど考えてはいない。
必要ならば購入することもできるが、僕にとってそれは必要のないことで。
一人で生活できる備品があるのに、それ以上のものを購入する考えなんてなかった。

ラトは、僕の言葉が何を意味しているのかわかっていないようだった。
けれど、少し硬直した後、はっと目を見開いた。
そして、何か言葉を捜すようにもごもごと口を動かしていた。


「・・・・・・ボクの部屋は二階にあるんだよ?そこから、あんなかさばる毛布を持ってこいだなんて。
ボクが刀を扱えないくらい非力なの、知ってるでしょ」
ラトは珍しく、口を動かしている間ずっと視線を合わせなかった。
いつもならば、相手を挑発する意味も込めて視線を合わせて話すのに。
それは、珍しいことだとは思ったが、気にかけるほどのことではなかった。

「・・・着替え、取ってくるから」
ラトはきびすを返し、早足で部屋から出て行った。
その間、何をするわけでもなく、僕はじっと外を眺めていた。




ぼんやりと雨音を聞いている最中、扉の開く音がした。
ラトが帰ってきたらしく、隣を下ろす。
「リツさんは、いつごろ寝るの?まだ、この雨なんかを見てるんなら、ボク先にお風呂入って寝ちゃいたいんだけど」
「ああ、構わない」
僕は、じっと外を見たまま答えた。

「・・・わかった。気の済むまで、そうやって鬱陶しいものをぼんやり見てるといいよ」
ラトは吐き捨てるようにそう言い、持ってきた寝具を抱えて浴室へ向かった。
兵士の部屋の構造はだいたい同じに作られているので、歩みに迷いはない。

僕は、雨を見ているわけではない。
ただ、視線の先に雨が入り込んでいるだけのこと。
ここから見える景色が殺風景でも、にぎやかなものでも、この状態は変わらない。
ぼんやりと、じっとして時間を過ごすことには慣れていた。
ただ、今日が終わるのを待ち、明日を迎える。
僕は日常の楽しみを知らなければ、退屈も知らなかった。

平坦な時間の繰り返し。
感情の起伏なんて、最後に感じたのはいつだっただろうか。
いつも平坦でいることは、当たり前で、普遍的なものだと思っていた。


「リツさん、いいかげん飽きないの?ずっと単調な、そんなもの見ててさ」
いつの間に上がってきていたのか、背後からラトの声が聞こえてきた。
「別に、何も感じない。だから、飽きることもない」
退屈だと感じるから、飽きがくる。
飽きがくるから、退屈だと感じる。
そのどちらも感じていなければ、じっとしているこの時間も飽きない。
当たり前の、普遍的なことを、どうして飽きるというのだろうか。

「わけわかんないこと言って。じっとしてたら退屈だし、飽き飽きするでしょ?。
ボクには耐えられないなー。そうやって、変化のない景色を見続けることなんて、拷問に近いよ」
「拷問か・・・」
この平坦を拷問と証するラトは、どこか滑稽だった。
その拷問も、人によっては安定となるというのに。

「明日早いんだし、いいかげん寝る準備でもしたら?
リツさんが寝坊して遅れたら、ボクも迷惑するんだからね」
そう言われて、ふと時計を見る。
いつの間にか、日付が明日に変わろうとしていた。

「そうだな。ラトの言うとおり、そろそろ眠ったほうがいい時間だ」
僕は腰を上げ、クローゼットから適当な服を出して浴室へ向かった。




あまり長湯はせずに、さっと体を温めて部屋へ戻る。
すぐに布団をかぶるのだから、芯まで温まる必要はない。
すでにラトは眠っただろうかと思ったが、ベッドの上には誰もいない。
ラトはソファーに座り、窓の外を見ていた。

「雨は、鬱陶しいんじゃなかったのか」
話しかけると、ラトはぱっと立ち上がった。
「・・・別に。リツさんがどうしてこんなものを見てるのか、気になっただけだよ」
ラトは、またぶっきらぼうに言った。

「じゃあ、僕は寝るから」
きびすを返してベッドの方へ向かうと、ラトもその後を追ってきた。

「もう、雨を見なくてもいいのか」
「あんなものをじっと見てるなんて、退屈で耐えられないよ。
リツさんがあんまり熱心に見てるもんだから、楽しいところもあるのかと思って試してみたけど。
期待はずれもいいとこだね」
ラトは、いつもながらの早口でまくしたてた。
まるで、何かに言い訳を付け加えているかのように。

もう会話は切り上げようと、僕はベッドに寝転がる。
ラトもすぐに続いて入ってくると思ったが、本人はその場に立ち尽くしていた。


毛布が一つしかないのなら、自然と一つのベッドで眠ることになる。
ラトは、そのことに戸惑っているのだろうか。
けれど、そうなることは知っていたはず。
ラトはこのことを了承してから、寝具を取りに帰ったのだから。
ならば、何か他の要因があるのだろうかと考えた。

「・・・そうか、枕がないのか」
ラトは、寝巻以外の寝具を持ってきていない。
立ち尽くしている理由は、枕がないと眠れないと、無言でそう主張しているのだろう。

「ソファーのとこにクッションが一つあるから、それを使ってくれ」
それを聞くと、ラトはソファーのところへそれを取りに行った。
やはり、枕がないことが気に入らなかったのだろうと、僕は一人納得していた。
ラトが戻ってくる前に、もう一人寝転がれるように端によってスペースを作る。

「・・・まったく、枕も一つしかないなんて。恋人ができたらどうするつもり?
こんなんじゃ、すぐにふられちゃうよ。。
まあ、話嫌いなリツさんなら心配することもないか。そもそも、できなさそうだもんなー」
「そうだな」
嫌み事を言ったのに、すぐに肯定的な返事を返され、ラトは言葉に詰まったように口をつぐんだ。
別に、話すことを嫌っているわけではない。

話すことに、必要性を感じられないだけだ。
何の変哲もない日常会話を交わして、何になると言うのだろうか。
特別な知識が増えるわけでもなく、有益な情報が得られることも少ない。
そんなことは、ただの浪費だとしか感じなかった。
最も、ラトは相手に不快感を与え、それを楽しむという目的があるように思えるが。
それなのに、なぜほとんど無反応な僕にこれほど話しかけてくるのだろうか。


言葉に詰まると、ラトはのろのろとした動作でベッドに入る。
そして、遠慮がちにベッドの端に寝転がった。
さっきとはうってかわって、控えめな行動が不思議だった。

「そんなに端にいたら、落ちるかもしれないぞ」
壁に面していないラトの方は、一回寝がえりを打ったら落ちてしまう。
それほど、ラトはぎりぎりの場所にいた。

「・・・そんなマヌケじゃないよ。何、リツさんは落ちたことあるの。
だから、そんな余計な心配するの。そんなの、おせっかいなだけだよ」
機嫌を損ねたのか、ラトは背を向けた。
僕はそんな態度に腹を立てることなく、傍にあるスイッチで部屋の電気を消した。
ラトの言葉にはもう慣れていたし、口論など無駄なことだ。
就寝の挨拶もないまま、目を閉じた。




視界が閉ざされ、雨音だけが聞こえる。
僕は寝付きが良い方ではないので、しばらくの間横になっているだけだった。
そして、だんだんとまどろんできたとき。
毛布がわずかに動き、人が動く気配を感じた。

「・・・リツさん」
ラトも寝付きが悪いのだろうか、隣から声が聞こえてきた。
けれど、返事をすると目が覚めてしまいそうだったので、黙っていた。

「・・・寝てるよね、リツさん」
再び、ラトが話しかけてくる。
けれど、返事はしない。
会話が弾んでしまったら、本当に明日寝坊してしまうかもしれない。

その声を聞きながらも、まどろみが強くなる。
ラトはその言葉を最後に黙り、また雨音だけが聞こえるようになる。
このまま静かにしていれば、ものの数分で眠れそうだった。

だが、言葉が止んだそのとき、前髪が揺れるのを感じた。
室内に風が入り込んでいるわけではない。
何か別のものが、髪を揺らしている。
それが額に当たると少しくすぐったかったが、瞼が重たくなっている今、目を開くのは面倒だった。


しばらく経つと、髪の揺れはおさまった。
しかし、今度は別の場所に感じるものがあった。
かすかに温かいものが、右頬をかすめる。
まどろんでいる最中では、それが何なのか判明できなかった。

やがて、頬全体にその温かいものを感じるようになった。
この温もりは一体何なのだろうと疑問に思ったが。
その答えが出る前に、意識は途切れてしまった。




翌朝、もう雨は止んでいた。
雨音は聞こえず、寝転んだままでもそれがわかった。
室内が明るくなり、朝が来たことを知らせている。
枕もとの時計は、起床しなければならない時間を指していた。

ラトはもう起きただろうかと、隣を見る。
すると、やけに近くに茶色い髪が見えた。
昨日は、落ちそうなほど端に寄っていたはずのラトの体は、すぐ隣にあった。
少し背を丸め、寄り添うかのようにしている。
それはがまるで猫のように見え、僕はラトの頭を軽く撫でていた。

「ん・・・」
自分の髪に触れられていることに気付いたのか、ラトがわずかに身じろぐ。
手を離した瞬間、ラトは薄らと目を開けた。
その目は、ぼんやりと相手を見上げる。

「おはよう」
声をかけた瞬間、ラトははっとしたように目を見開き、慌てた様子でベッドから下りた。
起きぬけで思考がはっきりしていないせいで、昨日、僕の部屋へ来たことを思い出せていないのだろうか。


「・・・あ、ああ、そうだった、昨日・・・。
・・・あー、もう、リツさんが隣にいるもんだから、てっきり寝首をかかれるのかと思ったよ」
ラトはそう言いながらも、ばつの悪そうな表情をしている。
自分は壁際にいたので、近付いてきたのはそっちだと思うと言おうとしたが。
寝起きで口論する気は起こらなかったので、やめておいた。

「そろそろ戻って、支度をしたほうがいい」
朝の時間は、とても早く過ぎてゆく。
ただ何となく時間を過ごしている僕でも、その感覚はあった。

「・・・わかった、さっさと帰るよ。二度寝して、遅刻なんてしないでよね。
そんなマヌケなことされたら、ボクも恥かくんだから」
寝起きでもラトは饒舌で、寝具のまま出て行った。
楽な私服にも見える服なので異様な姿ではないと思うが、何をそんなに焦っているのだろうか。
ラトはたぶん、よほど演習に遅れ、恥をかくのが嫌なのだろうと。
そう結論づけて、僕も支度を始めた。




―後書き―。
読んでいただきありがとうございました!
なかなか、進行が遅いですorz
ですが、最終的にはやっぱりいかがわしいことになるのがこのサイトの小説。
番外編まで書こうかと思っているので、長くなりそうです。