軍事国家4


朝の演習が終わり、ラトと別れた後、僕は彼に呼び止められていた。
先日、知り合いとなった彼に。
「リツ、今日も外へ行かないか」
「・・・大丈夫なんですか?」
前は召集がなかったからいいものの、今回もないとは限らない。

「大丈夫。今日も、召集はない。・・・そんな気がするんだ」
また、何の保証もない言葉がかけられる。
しかし、自信がなさそうには聞こえない。
「いいかな。一人だと行きづらいところがあるんだ」
僕は少し考えたが、保証のないその言葉に乗ってみることにした。
彼の言葉なら、何となく信用してもいい気がする。


「今日は街へ行くから、私服に着替えた後、入口で落ち合おう」
「私服・・・ですか」
僕は返答に困る。
自分のクローゼットの中には、寝るときに着る楽な服と、軍の制服しかない。
その楽な服も、外へ来て行くには相応しくないもので。
外出することがなかった僕は、私服らしい服を持っていなかった。
了承の返事ができないままでいると、彼は何かに気付いたようだった。

「もしかして、制服以外の服がない・・・のか?」
厳密にいえば寝具があったが、僕は頷いた。
「じゃあ、オレのを貸すよ。部屋に来てくれ」


彼の部屋も、僕と同じ一階にあった。
室内の構造は自室とほとんど同じで、違うところと言えばソファーが窓の前にないことくらいだった。
「この中から、好きなやつを選べばいい」
彼はそう言って、クローゼットを開けた。
部屋の雰囲気はほぼ同じなのに、その中だけは全く違っていた。

そこには、奇抜な色から、落ち着いた色まで様々な服がほとんど隙間なく詰められていた。
好きなものを選んでいいと言われたが、軍服と寝具した着たことのない僕にとっては難しい課題だ。
どれを着ればいいものなのだろうかと、クローゼットの前で立ち尽くす。
すると、それを見かねた彼が、何枚か服を取って手渡した。

「君には、こういう落ち着いた色の服が似合うと思うな」
渡されたのは、黒いパーカーに白いシャツ、そして黒い長ズボン。
ファッションセンスがどうのこうのなんてさっぱりわからなかったので、言われたとおりに着替えることにした。
一応、別室へ移動してから。


慣れない服を着終わり元の部屋へ戻ると、彼はすでに着替え終わっていた。
「うん、よく似合ってる。それじゃあ、行こうか」
彼の服装も黒が中心で、あまり目立たなさそうな印象を受ける。
けれど、どこか大人びていて、彼に相応しい恰好だと、そう感じた。




少し離れた街には、そこそこの人通りがあり、そこそこのざわめきが聞こえてくる。
僕は街へ来るのが初めてで右も左もわからないので、はぐれないよう彼の隣を歩いていた。
「甘いものが好きなら、行っておいて損はない店があるんだ」
口調はいつも通りだったが、彼はどこか機嫌がよさそうだった。

道を右へ左へと曲がると、もう一人では帰れなくなる。
しばらく歩いて足を止めた場所には、桃色に塗られた扉があった。
「男一人で入るにはかなりの勇気がいるけど、君がいたら心強いと思ってね」
彼の言うとおり、この店に一人で入る勇気はなかなか出なさそうだ。
外装からして、明らかに女性向けの店だと一目で分かる。

「気が進まなかったら、引き返してもいいよ」
彼にそう諭されたが、ここまで来て帰る気はなかった。
「いえ、入りましょう。僕も甘いものは好きなので」
「ありがとう」
彼は一瞬ふっと笑い、扉を開いた。


外装もさるものながら、店内はもっと華やかだった。
明るい色の花がところどころに飾られていて、棚の上には動物のぬいぐるみが置かれている。
極めつけは、どこに視線を動かしても目に入るハートの模様。
軍の内部では、一度も見たことのないものばかりが並んでいた。

「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
店員と思われる女性が、少し驚いた様子を見せつつも丁寧に対応する。
「ああ。男二人は場違いかな?」
彼はそう言いつつ、女性に軽く微笑みかけた。
その表情は、先に見たものと比べてどこか違和感がある気がした。

「いいえ、そんなことはございません。お席へご案内させていただきます」
女性はどこかぎこちない動きで、先に歩いて先導した。
移動中に店内を眺めると、テーブルについているのは女性ばかりだった。
やはり、男性が来るのは珍しいのか、ちらとこちらを窺っている。
彼は特に気に留めていないのか、平然と案内された席へ座った。

「お決まりになりましたら、そちらのボタンでお呼び下さい」
「ああ、ありがとう」
女性の丁寧な対応に気を良くしたのか、彼はまた微笑んで言った。
女性の視線はそんな彼に釘付けになっているようだったが、僕は彼の表情にやはり違和感を覚えた。


「ここはケーキの専門店なんだ。代金はオレが払うから、遠慮せずに頼むといい」
「いえ。自分の分は、自分で払います」
「オレが頼んでついてきてもらったんだ、これくらいさせてくれ」
服まで貸してもらって、感謝するのはこっちの方だと思ったが。
意思を覆すには苦労しそうだと感じたので、「じゃあ、お願いします」と軽く頭を下げた。

メニューを開くと、そこには大量の文字が並んでいた。
メインのケーキの種類もさることながら、それに合わせる飲み物の数もかなりある。
聞いたことのない名前のものが多数あり、一つ一つ見ていくのは時間がかかりそうだ。

「・・・じゃあ、僕はザッハトルテにします」
数あるメニューの中から、かろうじて知っている名前のものを選ぶ。
「オレはミルフィーユ。ここに来る前から、もう決めていたんだ」
彼はメニューを閉じ、備え付けのボタンを押す。
呼び出し音が鳴ると、すぐにさっきの女性がやって着た。

「ご注文、お伺いいたします」
「ザッハトルテと、ミルフィーユをお願いできるかな」
女性はさっと伝票に注文を記入し、彼をじっと見た後、「かしこまりました」と言い、去って行った。


頼んだ品は、ものの数分で運ばれてきた。
ケーキ一つを乗せるのには大きい皿の上には、周囲にチョコレートソースで模様が描かれていて。
この見た目からしても、軍の食堂とはレベルが違うことは明らかだった。
「後で、また一口ずつ味見しよう」
彼は、さらりとそんなことを言った。
また、僕が口を開けることになるのだろうか。
もしそうなったら断ろうと決めてから、ザッハトルテを口に運んだ。

「おいしい・・・」
一口食べた瞬間、思わずそう呟いていた。
濃厚なチョコレートの味に、舌触りの良いスポンジの食感。
それだけでかなり上質な素材を使っているとわかり、舌つづみを打っていた。
「お勧めしただけのことはあるだろう?」
「はい。言っては悪いですけど・・・軍のものとは、レベルが違います」
正直な感想を言うと、彼はふっと笑った。

「一口、貰ってもいいかな」
そう言われた瞬間、僕は「どうぞ」と言って皿を差し出していた。
これなら、フォークに刺さったものを奪われることはない。
予測どおり、彼は自分のフォークを使ってケーキを一口、口に入れた。
「うん、なかなかだ。オレのも一口どうぞ」
そう言って、彼は同じように皿を差し出す。
僕は内心ほっとしつつ、彼のケーキを一口もらった。

「これも、おいしいですね」
軍にはない種類のケーキの味に、僕はまた舌づつみを打った。
「よかった。オレはこのケーキが一番好きなんだ」
濃厚な甘さのケーキは、一つだけでも十分な満足感を得られた。


「ありがとうございます。良い店に誘ってくれて」
お礼を聞くと、彼は軽く微笑んだ。
その頬笑みには、さっきのような違和感はない。

「軍に甘党は少なくてね、こっちも誘ったかいがある。・・・あ」
彼は何かに気付いたのか、僕の方に手を伸ばす。
その手は口元へ伸び、指先が口端をなぞった。
僕はたじろぎ、わずかに身を引く。
「警戒しなくてもいい、チョコソースを取っただけだから」
彼の指先を見ると、少し黒く汚れていた。

「すみません、すぐに拭きますから」
紙ナプキンを取ろうとしたが、その前に、彼は自分の指先をぺろりと舐めてしまった。
「あ・・・」
目を丸くして、彼を見る。
指を介したとは言え、そんなに平然と相手の口元についたものを舐めるなんて信じられなかった。

「どうした?そろそろ行こうか」
彼が立ち上がると、慌てて後を追う。
代金は、僕が申し出る前に彼がさっと払ってしまった。




店を出た僕等は、真っ直ぐに軍部に帰る。
そして、帰ってきたときは全身濡れていた。
運の悪い事に丁度大雨に降られてしまい、歩くたびに冷たさを感じ、床が濡れる。
この状態で室内をうろつくのは、どこか申し訳ない気がした。

「まいったな。着替えがオレの部屋にあるから、とりあえず着替えよう」
雨を吸い、冷たくなったこの服を早く脱いでしまいたくて、彼の部屋へ移動する。
彼は床が濡れるのも構わず、中へ招いてくれた。

「服はそこらへんに置いといてくれればいい。オレは、先にシャワーを浴びてくるよ」
彼は、滴をしたたらせながら浴室へ行った。
僕はというと、玄関口に立ちつくしていた。
服を脱ぎ散らかして、床に水たまりを作るのは気が引ける。
だから、僕は直立不動のまま、彼が戻ってくるのを待っていた。
その最中にわずかな寒気を感じたが、服は着たままだった。

ものの数分で戻ってきた彼は、驚いた様子で僕を見た。
「あれ、まだそんな冷たい服を着てたのか?」
「あまり、床を濡らしたくなかったので」
「そんなこと気にしなくてもいいのに。君も、早く体を温めてきたほうがいい」
「はい、ありがとうございます」
寒気がしてきていたので、言葉に甘えて部屋に入る。
脱衣所に着くとすぐに服を脱ぎ捨て、浴室の扉を開けた。


シャワーを浴びて、適当に体を温める。
することはそれだけなので、数分で終わった。
浴室から出ると、バスタオルが一枚、無造作に置いてあった。
それを拾い上げ、体を拭く。
まだ体が十分に温まっていないのか、再び寒気を感じる。
早く服を着てしまおうとしたが、元の服は彼の部屋に置きっぱなしだった。
そう気付いた瞬間に扉が開き、突然のことに目を見開く。

「服を持ってきたんだけど、丁度良いタイミングだったみたいだな」
彼は、着替えた時に放置していた僕の軍服を手にしていた。
見ても嬉しくないものを見せないよう、僕はさっと腰にタオルを巻いた。

「男同士で恥じらうことでもないのだろう。服、ここに置いておくよ」
彼はおかしそうにくすりと笑い、服を床に置いた。
「ありがとうございます」
用事が済んだ彼は、すぐに出ていくかと思った。
けれど、彼は扉とは反対の方向に足を進め、僕の方へ近付いてきていた。


「・・・どうか、しましたか?」
近付いてくる彼に、僕は不思議と緊張感を覚える。
珍しく、丸腰の状態でいるからかもしれない。
彼が目の前に来たとき、ふいに腕を掴まれた。
「ハルさん・・・?」
彼の掌が、腕を滑ってゆく。
腕のとは言え、滅多に露出しない素肌に触れられ、僕はまた緊張していた。

その手は肩へ伸び、その次は胸部へ添えられる。
他者の手の感触を不快には思わなかったが、ひたすら困惑していた。
胸部に置かれた手は、まだ下へと下がってゆく。
そして、その手が腹部へと触れた瞬間、僕は防衛本能から、とっさに後ろへ飛び退いていた。

「ハルさん・・・っ」
僕は、困惑した声で彼の名を呼ぶ。
彼は一体、何をしようとしていたのか。
焦りと困惑が、脳内で入り混じる。
彼が、一歩近付いてくる。
僕は本能的に後ずさり、その分だけ離れる。
そのとき、彼はくすりと笑った。

「そんなに警戒しなくてもいい。演習のときから思っていたけど、やっぱりいい体つきをしている」
「体・・・・・・あ、ああ、そういうことでしたか」
その言葉を聞いた瞬間、困惑は消え去った。
さっき、彼は筋肉の付き方を調べていたのだ。
上腕筋、胸筋、それらがどの程度のものか確かめていたにすぎない。
勝手に焦ってしまった自分が恥ずかしかった。

「冷えない内に、早く着替えたほうがいい」
彼はそう言い、何事もなかったかのように出て行った。
そこで、僕はタオルを解き、やっと服を着ることができた。
彼の行動は何でもない、ただの調査のようなもの。
それなのに、まだ焦りが残っているような感じがする。
あんな風に体に触れられたことが、始めてだからだろうか。
服を着終わった今でも、掌の感触はまだ体に残っていた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
ハルは結構直接的なアプローチが多くて、イベントを起こしがいがあります。