軍事国家7


召集令が出され、軍人は演習場へ集まる。
それはかなりの人数で、広い演習場は満員状態に近かった。
皆、緊張しているのだろう、口を開く者は誰一人としていなかった。

「我らは明日、隣国と戦う!各々、持ち場に付き、準備を整えるように、以上!」
これだけの人数を召集しておいて、上官から告げられた言葉はそれだけだった。
だが、明日、隣国と戦うという、それ以上の情報はいらない。
その言葉一つで、ここにいる全員の行動は一致するのだから。

上官が出てゆくと、召集された人々も順々に扉を目指す。
早くに来た僕等は、演習場の外へ出るのは時間がかかりそうだった。
「また、小競り合い・・・か」
「だね。まったく、早く終わらせてほしいって、つくづく思うよ」
ラトは、わざとらしい溜息をつく。

その言葉に、肯定の返事は返せなかった。
僕はもしかしたら、心のどこかで戦争が終わってほしくないと、そう思っているのかもしれない。
戦いが終わってしまえば、軍人の大半はお役御免となる。
そうなれば、皆は自分の両親が待つ家へと帰ってゆくことだろう。
けれど、僕にはそれができない。
戦争が終わったら、僕は存在意義を失うのではないかと、そんな懸念が、頭を離れなかった。


「今日は武器の手入れして、早く寝ないとね、リツさん。風邪がぶり返して倒れられたら、たまったもんじゃ・・・」
「ラト、話がある。来なさい」
ラトの言葉の途中で、ふいに上官に呼び止められた。
「はい。わかりました」
ラトは会話を中断させられたことに文句一つ言わず、上官の言葉には憎まれ口をたたかず素直に従った。
上官に呼び出されるなど滅多にないので、何があったのだろうと気になる。
けれど、後を追うわけにもいかないので、僕は自室へ戻った。




自室へ戻ると、念入りに刀の手入れをする。
光に刃をかざし、その輝きを確かめる。
いくら鋭利に刃を研いでも、なるべく相手を切りたくはない。
別に心優しいわけではなく、ただ、帰り血を浴びるのが嫌だった。

一度、もろに血を浴びてしまったことがある。
服に、手に、顔にもかかった赤い飛沫。
生温かい質感と、鉄臭い匂いは思いだしたくもない。
洗っても洗っても、血飛沫の感触は中々消えることがなかった。

それ以来、人を切ることはなくなり、みね打ちがかなり上達した。
手ぬるいと言われたことはあるが、必ず相手を殺さなければならないという決まりはない。
戦力を削ぐのなら同じことだろうと、僕は考えを変えなかった。




刀の手入れをしていたら、いつの間にか陽が沈みかけていた。
何かに集中していれば、時が経つのを忘れてしまう。
そろそろ夕食を食べに行こうかと思い、外へ出ようとしたとき。
ノブに手をかけていないにもかかわらず、勝手に扉が開いた。

「リツさん・・・」
目の前には、ラトが俯き加減で立っていた。
表情にも、声にも覇気がない。
「どうしたんだ?・・・座って話そう」
ラトを部屋へ招き入れ、ソファーに座る。
ラトの視線はまだ俯きがちで、床へ注がれている。
まるで仲違いしていたときを思い出すようで、見ていられなかった。

「ラト・・・」
何とか視線をこっちへ向けられないかと、ラトの軍帽を取る。
そして、茶色い髪を、そっと撫でた。
まるで、子供をあやすような方法だったが、こんなことしか思いつかなかった。
それが功を制したのか、ラトは顔を上げた。
撫でるのを止め、視線を受け止める。


「・・・何があったんだ?」
「・・・上司にさ、お前は軍部の防衛をしてろって。そう言われたんだ」
「え・・・」
軍部の防衛も、立派な役割のように思える。
しかし、小競り合いの場では敵軍が軍部まで攻め入ってくることはまずない。
だから、それは言葉だけの役割のようなものだった。

「お前は銃撃が得意だから、それで敵を狙い撃ちにしろって。
・・・全く、いきなり配置変更だなんて冗談じゃない、いくら上司の命令だからって・・・」
「でも、死ぬ確率は格段に減るじゃないか」
戦場に出ないなら、今回の戦闘でラトが傷つくことはなくなる。
それは、喜ぶべきことなのではないだろうかと思ったが。
嬉しい、という思いは不思議と湧いてこなかった。

「そうだけど、それだと、リツさん・・・」
ラトの声が、不安気になる。
「何をそんなに不安がってるんだ?安全地帯に居られることは、良いことじゃないか」
そう言った瞬間、ラトは信じられないものを見るような目で僕を見た。

「そうじゃない!ボクが心配してるのは、そんなことじゃ・・・」
ラトは俯きがちになり、もごもごと口を動かす。
それは言いにくいことを言おうとしているときの癖なのだと、最近気付いた。
僕は急かすことなく、じっと言葉を待つ。
やがて、ラトが顔を上げた。


「・・・リツさんが・・・ボクの知らない内に死んだら・・・」
それ以上のことを言うのは辛いのか、ラトは閉口した。
「僕のことを、心配してくれてるのか?」
驚きを隠せず、思わず問う。
ラトは、自分のことで不安になっていると思っていたのに。

「・・・・・・そうだよ」
照れくさいのか、ラトは視線を逸らす。
「ラト・・・ありがとう」
僕はラトの肩へ腕をまわし、自分の方へ引き寄せていた。
突然のことに驚いたのか、ラトはわずかに身を固くする。
けれど、肩に置かれた手を振り払おうとはしなかった。
照れくさい言葉を聞いたとたん、純粋に、嬉しいと感じていた。
それを表情に出せない僕は、喜びをこうして示そうとしていた。


「・・・ボクの知らないところで死んだら許さない・・・。
無様な死体をさらしたら、絶対に許さないからね!」
ラトは何かに耐えるように、拳を握った。
「大丈夫だ。僕は、そんなにやわじゃない。それは、ラトが一番知ってることだろ?」
少しでも不安を取り除くように、できるだけ明るい声で語りかける。
演習のときも、日常の中でも、一番近くに居たのはラトだった。

「・・・そうだね。リツさんは、腑抜けでも、臆病でもない。きっと・・・・・・大丈夫だよね」
その呟きは、まるで自分自身に言い聞かせているようだった。
「・・・これから、夕食にしようと思うんだけど、一緒に食堂へ行かないか」
共に時間を過ごすことで、少しでもラトを安心させたい。
一人で不安を感じているより、他者がいたほうがまだ楽だろうと思った。

「・・・うん。ちょうど、ボクもこの後行こうと思ってた。
それなら、早く行こう。座る場所、なくなっちゃうよ」
ラトは僕の腕を引き、立ち上がる。
声の調子は元に戻っていたものの、それは必死に平静を保とうとしているとしか見えなかった。
明日の戦いで、死ぬわけにはいかないと決意する。
この友を、悲しませないために。




一緒に夕食を取った後、僕はラトと別れ、自室に戻っていた。
時間は早いが、明日に備えて眠ってしまおうかと思ったとき、またノックの音もなく扉が開かれた。

「リツ、今晩は」
彼は扉を開くと、遠慮なしに部屋へ入ってきた。
「・・・何か用事ですか」
風邪をひいたときに思わぬことをされたからか、彼に対して少し警戒心を含んで問う。
それに、ラトに余計な事を言った理由もはっきりしていない。
彼はラトのことをあまり快く思っていないのではないかと、そんな気がしていた。
最も、彼との関係は知り合いという、いつでも切れるものなので気にすることもないのかもしれないが。

「ああ、重要な事を伝えに来た。・・・明日、君はオレと組んでもらう」
「ハルさんと・・・」
ラトの配属が変わったので、僕は一人で戦わねばならないものだと思っていたが。
どうやら、そこは上司が手配してくれていたようだ。

「それを伝えに来ただけだよ。それじゃあ・・・お休み」
彼は、何をするわけでもなく、それだけ伝えて出て行った。
一人でも、あれだけ強い彼がついていてくれるのならば、とても心強いはず。
なのに、僕は安心するどころか不安を感じていた。
それは、初めて組む相手と上手く行動できるかと、そんな懸念に違いないと、無理矢理結論づける。
僕は、もう早く寝てしまおうとベッドに入った。




翌日、とうとう戦争が始まる時が近付く。
服装や刀の最終確認をして、部屋を出る。
すると、こっちに向かっている彼の姿が見えた。
戦場へ行くにはそぐわない袋を、右手に吊り下げて。

「お早う。よく眠れたかな?」
「はい。ハルさんが帰った後、すぐ寝たので」
袋の中身が気になった僕は、ちらと視線をそこへ移す。
それに気が付いたのか、彼は袋の中身を取り出した。

「はい。ささやかな差し入れだ」
袋から出てきたのは、いつも食堂で食べているチーズケーキだった。
片手で持てるサイズのケーキが、目の前に差し出される。
「もしかしたら、最後の食事になるかもしれないから、君の好物の方がいいと思ってね。
それとも、オレが食べさせてあげようか?」
彼は平然と、そんな恥ずかしいことを言った。


「・・・いえ、自分で食べます」
僕はケーキを受け取り、一口かじった。
いつもより、強い甘さが広がる。
作る人が変わったのだろうかと、それを不思議には思わなかった。

「じゃあ行こうか。まだ早いけど、オレには特別任務が課せられているから」
そんなことは聞いていなかったが、僕はケーキを頬張りつつ、彼の後について行った。




辿り着いた場所は、軍部の裏側だった。
人気がなく、ひっそりとしている。
「・・・ここで、特別任務があるんですか?」
一体どんな任務かと、僕はいぶかしんでいた。
「そうだ。・・・とても、重要な任務がね」
彼はそう言い、袋から一枚の紙を取り出した。
そこには細かい文字が、びっしりと書かれている。

「これは、国家機密レベルの書類だって言ったらどうする?」
僕は目を丸くし、彼を見る。
戦争へ赴く緊張感を緩和しようと、そんな冗談を言っているのだろうか。

「さらに、オレは敵国から来たスパイだって言ったら、キミはどうする?」
「・・・何を、言っているんですか?」
敵国のスパイなどと、面と向かってそんなことを言われても、普通なら、到底そんなことは信じられない。
けれど、そんな冗談のような内容なのに、彼の表情からふざけている雰囲気は、微塵も感じられなかった。
悪寒を覚え、腰元の刀に手をかける。

「リツ、オレと一緒に敵国へ行かないか」
「え・・・?」
冗談にしか聞こえないはずの内容が、真実味を帯びて、彼の口から発された。
彼が一歩、距離を詰めてくる。
本能的に危険を察知した僕は、思わず抜刀していた。

「まあ、易々と連れていけるとは思っていなかったけど」
同じタイミングで、彼も鞘から刀を抜く。
緊張感が、その場に走った。


刃がぶつかり合う、鋭利な音が響く。
演習のときとは違う、重たい音。
一旦離れては、再び刀身が合わさる。
そのたびに、緊張感が増してゆく。

彼は、演習で相手にしてきた誰よりも強かった。
何回切り返しても防がれ、どんなに距離を空けてもすぐに詰められる。
一瞬たりとも、集中を解くことができない。
精神力も体力も、だんだんと削られてゆく。

「やっぱり、キミは強いな。パートナーなんていらないほどに」
「ラトのことを言っているんですか」
まるで、ラトが必要のない存在だと言われている気がして、手に力がこもる。
「そう。キミとあの子が仲違いしてくれなかったから、分散させるのが面倒だったけど」
さらっと衝撃的な事を言われ、僕はまた目を見開いた。

「まさか・・・上司も、敵国の・・・」
ラトの配属を変えたのは、上司の采配のはず。
しかし、その裏では彼が関わっており、その真意は僕を敵国へ引き込むためだった。
「なぜ、わざわざ僕を引き込もうとするんですか。部外者を連れて行くなんて、行動しづらくなるだけです」
その問いに、彼の視線がわずかに揺らいだ。
重苦しい空気が流れ、場は静まりかえる。


「それは・・・・・・」
彼が、静かに呟く。
しかし、言葉の続きを聞くことはできなかった。
突然、膝から力が抜け、簡単に足が崩れた。

「な・・・」
自分の意思とは別に、地面に膝をついてしまう。
とっさに立ちあがろうとするが、どうしても足に力が入らない。

「できれば、好物のケーキに薬を入れるなんて真似したくなかったけど」
彼が刀を鞘に戻し、近付いてくる。
ケーキがいつもより甘く感じたのは、そのせいだった。
刀を取らなければならない。
けれど、もはや腕の力も奪われている。
けれど、顔だけは上げ、しっかりと彼を見据えていた。

「向こうに着いたら、ちゃんと説明するよ。だから、少しの間、大人しくしていてくれ」
彼がしゃがみ、目の前に来たとたん、腹部に強い衝撃が走った。
「ぅ、ぐ・・・っ」
とても強力なみね打ちに、呻き声が漏れ、物がせり上がってきそうになる。
あまりの衝撃に、意識が遠のいてゆく。
ここで目を閉じてはいけないとわかっていても、どうしようもできなかった。

「決して、悪いようにはしない。決して・・・」




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
結構な急展開で・・・ここから、いかがわしい度数も増していく予定です。
しばらくは、ハルのターンとなります。