軍事国家8


僕は、右手に違和感を覚えて目を覚ました。
見慣れない家具に天井、そして何より窓の前にソファーが置いていない。
そこが自分の部屋ではないと気付き、僕は跳ね起きた。
同時に、右手の方から金属音が聞こえてくる。
鉄の感触を持った違和感へ目を向けると、ベッドの柱に、右手が手錠で繋がれていた。

垂れ落ちている長い鎖を強く引っ張り、抵抗してみる。
けれど、鉄はとうてい人の力でどうこうなるものではなく。
ベッドの柱も太く、軋む様子さえない。
諦めて動きを止めると、人の気配を感じた。

「リツ、起きたのか」
部屋の扉の前には、何食わぬ表情をして彼が立っている。
いつもと変わらぬように見える風体には、一つだけ違うところがあった。
彼の軍服には、自国の竜の勲章ではなく、敵国の、獅子の勲章が付いていた。


「ハルさんは、やっぱり・・・」
気を失う前の出来事が、思い起こされる。
嘘であってほしいと思っていた。
彼がスパイだと、裏切り者だと、信じたくなかった。
目を背けてしまいたくなるが、服の勲章が真実を物語っている。
彼は最初から、敵軍だったのだということを。

「キミのことは、優秀な助手だと言っておいた。
けれど、まだ信用されたわけじゃないから、繋がせてもらってる」
彼が、隣に腰掛ける。

「・・・戦争は、もう終わったんですか」
「ああ。今回も、長引くことなくあっさりと終わった。
けれど、こんな馬鹿馬鹿しい小競り合いももうすぐ終わる。オレが情報を流したからね」
それは、自国の敗北を宣言される言葉だった。
僕と街へ行ったとき、彼は、召集がない気がすると言っていが、それは確信だったのだ。
国の軍事機密を入手するぐらいなのだから、召集のタイミングを知ることなど造作もないことなのだろう。


「・・・ラトは、どうなるんですか」
自国が制圧されたら、人々は、軍人達はどんな扱いを受けるのか。
その中で僕は、ラトのことだけが気がかりだった。

「キミは、いつの間にそんなに他人を気にするようになったんだ?
制圧した国をどうするかなんて、オレにはわからないよ」
その言葉を聞いた瞬間、自分の目の色がさっと変わった。
彼の体を思い切り押し、仰向けに倒す。
そして、抵抗される前に、彼の首に両手をかけていた。

「・・・僕を、国へ帰して下さい」
彼は、珍しく驚きを示している。
僕はこんな行動をしながらも、自分自身に驚いていた。
頭で考える前に、手が出ていた。
こんなこと、今までになかったことなのに。
自国が制圧されたら、ラトがどうなるかわからない。
そう思った瞬間、一瞬頭の中が白くなり、気が付いたら彼の首に手をかけていた。


「そんなに、あの子が大切なのか?少し前までは、オレ以外の他者に興味を示さなかったのに」
だからこそ、僕は自分の変化に戸惑っていた。
こんなにも他人を気にかけている自分に。
ラトが、友人と位置付けられたから、初めてできた友人だから、これほど気にかけているのだろうか。

「僕を、ラトの元へ行かせて下さい。断るのなら・・・」
首にかかっている両手に、わずかな力を込める。
しかし、彼は抵抗するどころか、余裕の表情を浮かべていた。

「オレを殺す?その後、キミはどうする。
一人で自国へ帰っても、オレに代わってキミがスパイだと言われ、処分されるだけだ」
真っ当な言葉に、僕は口をつぐむ。
冷静に考えれば、一人ではここから抜け出すことさえできないとわかる。
悔しさを覚えながらも、僕は彼から手を離した。
彼は起き上がり、ベッドに座り直す。


「いつも手錠を付けっぱなしってわけじゃないし、食事は運んでくる。
しばらくの間、大人しくしていてくれ」
命令する様な口調ではなく、まるで懇願しているように聞こえたのは、気のせいだろうか。
彼はそう告げて、早々に部屋から出て行ってしまった。
残された僕は、何をすることもできずにぼんやりとしていた。
部屋を見渡すと、隅に刀が立てかけられているのが見えたが、そこまで手が届きそうにない。
手錠を繋いでいる鎖は長いと言っても、行動範囲は限られていた。

体が鈍ってしまわないかと思ったが、それ以前に気がかりなことがある。
自国にいるはずのラトは、一体どうしているだろうかと。
軍部の自衛を任されていたので、死亡している確率はかなり低い。
けれど、ラトは僕が死んだと思ってはいないだろうか。
戦いが終わっても、帰らなかった相手を、死んだと判断してもおかしくはない。

無駄な心配をかけたくない。
僕はこうして、生きていると伝えたい。
ラトを不安にさせることは苦痛だった。
いつの間にか、僕には以前の自分からは考えられないような、他者への共感性が生まれていた。




彼が部屋に戻ってきたのは、陽が沈んだ後だった。
彼は隣に腰掛け、僕にトレーを手渡す。
その上には、食パンやシチューといった、洋風の食事が乗せられていた。
「手錠が邪魔だったら、前みたいにオレが・・・」
その先の言葉は予想できたので、僕はさっと器を持った。
動いていないのであまり食欲はなかったが、食べないでいると、食べさせられかねない。

フォークか箸でもあれば、何とか手錠の鍵を壊せないかと思ったが。
それは悟られていたのか、置いてあるのはスプーンだけだった。
それに、彼に監視されている状況では何をすることもできず、大人しく食べ進めるしかなかった。




「・・・ごちそうさまでした」
何だかんだ考えつつも、不味くはなかったので全てたいらげた。
彼はトレーを適当な棚の上に乗せ、ポケットから小さな鍵を取り出す。
そして、ベッドの支柱にはめられている手錠を外した。

「風呂に入るときくらいは外すさ。けれど、そのときは・・・」
まさか、監視のために一緒に入るなんて言い出すのではないかと思い、悪寒が走る。
「入り口にはオレがついていることになるから、なるべく早く済ませてくれ」
予想が外れ、僕は安堵した。
敵国に捕らわれていながら風呂に入るなど、のんきなことだと思うが。
彼も、土埃で汚れた相手と一緒に居たくはないのだろう。

「ほら、立って」
手錠の鎖を引かれ、腰を上げる。
まるで、飼われている犬のようで良い気はしない。


浴室へ着くと、彼は扉を一枚挟んで外で待機していた。
手錠はつけられたままで、それは外に居る彼へとつながっている。
監視の目を逃れたのはいいが、一つ問題があった。

「・・・ハルさん」
手錠の先へ、呼びかける。
「どうした?」
「・・・服が、脱げません」
下半身は何とかなっても、上半身の服がどうしても手錠にひっかかってしまう。
僕は何とも微妙な格好で、その場に立ち尽くしていた。

「ああ、そうか」
彼ははっと気がついたように、中へ入ってきた。
「じゃあ、それも外すしかないな」
躊躇う様子はなく、彼は簡単に手錠を外した。
逃げ出しはしないと信用されているのか。
それとも、逃げ出そうとしても押さえつける自信があるのだろうか。


「・・・ありがとうございます」
「ま、なるべく早く済ませてくれよ」
手錠が外れたから、監視のためについてこられたらどうしようかと思ったが。
そんな気はないようで、僕はまた安心していた。
捕らわれた身ではあるが、世話をされている身でもある。
だから、彼に言われたとおり、なるべく急いで体を洗った。

時間にして、十分ほどだっただろうか。
予想以上に早かったのか、僕が浴室から出ると「もう終わったのか」と驚かれた。
そして、再びベッドに繋がれる。
あまり体を温めずに出てきてしまったので、僕は熱を逃がすまいと毛布を被った。

眠ってしまってもよかったが、いつもほど体を動かしていないせいか睡魔を感じない。
動くたびに鳴る金属音を多少鬱陶しく思いながらも、横になってぼんやりとしていた。

こうして暇な時間があると、ラトのことを考えてしまう。
余計な心配をして、憂鬱になってはいないかと気がかりになる。
僕は、自分が思う以上に、友人ができたことを喜ばしく感じているのかもしれない。
寝返りをうつたびに、僕は自国の状態よりもラトのことを思ってしまっていた。


ほどなくして、入れ替わりに浴室へ入った彼が戻って来た。
彼は楽な服に着替えていて、軍服は棚の上に無造作に置かれた。
「寝苦しいかもしれないけど、我慢してくれ」
そう言われ、僕はベッドの端に寄り、一人分のスペースを作る。
肩を並べて眠るのは不安が伴ったが、ベッドは一つしかない。
僕は、自分に選択権はないんだと言い聞かせた。

「じゃあ、お休み」
だが、その不安は杞憂だったようで、彼は隣に寝転がると、すぐに目を閉じた。
もしかしたら、もう以前のことを気にかけなくてもいいのかもしれない。
口元へ口付けられたのは、何かの気の迷いだった。
きっとからかわれただけなのだろうと、そう片付けた。


彼は疲れているのか、ものの五分もしない内に寝息が聞こえてきた。
僕は相変わらず、眠気を感じていなかった。
水でも飲みに行きたいと思ったが、水場まで鎖が届くはずもない。
大人しく寝転がっているしかないのかと思ったとき、ふと、棚の上にある軍服が目に入った。
確か、ズボンのポケットには鍵が入っていたはず。
今もまだそれが入っているかはわからないが、調べる価値はありそうだった。

ベッドから一歩踏み出し、棚へと手を伸ばす。
指先が服の端を掴もうとするけれど、惜しいところで届かない。
ここで諦めるのは悔しく、体の節々を思い切り伸ばす。
そうこうしてあがいていると、指先が服に触れた。
音をたてないようにさっと引き寄せ、ちらと彼の様子を見る。
寝返りはうっていたものの、目を覚ましてはいないようだった。

今の内に、ポケットの中を探ると、手に固いものが触れた。
もしやと思い取りだすと、それはさっき見た小さな鍵だった。
水を飲みに行くだけで、すぐ戻ってくるからいいだろうと、僕は手錠を外そうとした。


「・・・そんなに、オレから逃げたい?」
突然、呟きが背後から聞こえてくる。
振り返る前に、体が強い力で引き寄せられていた。
素早い行動に抵抗する間もなくベッドに尻餅をつくと、背中が彼にぶつかった。
すかさず腹部に両腕が回され、捕らわれる。

「闇に紛れて、逃げようと思ったのか?」
すぐ傍から、寝惚けてはいない、覚醒した声が聞こえてくる。
「・・・水を飲みに行こうと思っただけです」
こんなことは、下手な口実にしか聞こえないだろう。
たとえ本当のことだとしても、今の僕の状況からは説得力が全くなかった。

「そういうときは起こしてくれてもいいのに。・・・まあ、いいか」
背に、彼の体重がわずかにのしかかる。
密着している彼の体温は不快なものではないけれど、やはり警戒心を覚えずにはいられない。
肩を強張らせていると、彼は僕の手から鍵を奪い、後ろから器用に手錠を外した。

「水を飲みに行ってもいいよ」
彼は笑って、そう言った。
その笑みに何かが隠されているような気がしたが、今は言葉に従うことにした。


水を飲むのに時間がかかるはずもなく、すぐに彼の元へと戻る。
手錠をかけられるかと思ったが、彼はそうしなかった。
「眠るときくらいは外すことにするよ、寝づらいだろうし」
「そんなに、僕を信用してもいいんですか?」
この状況で逃げ出すのは不可能に近い、愚かしいこととわかっている。
けれど、どこかで心変りして逃げ出さない可能性がなくはないのに、あまりに不用心すぎる。

「ああ。寝苦しいのは嫌だろ?ただし、拘束はさせてもらうけど」
「拘束?」
手錠は外したのに、どうしようというのだろうかと疑問に思いつつ、ベッドに寝転がる。
その瞬間、背中に、さっきと同じ温度を感じた。

「っ、ハルさん」
僕は、焦りを示す。
寝転がったとたん、また背後から彼に抱きすくめられていた。
「これなら、キミがいなくなったらすぐにわかる。
また水が飲みたくなったら起こしてくれればいい」
耳元で話しかけられ、むずむずとした感覚に身じろぐ。

「でも、こんな・・・」
講義しようとしたとき、さらに強く引き寄せられる。
腹部と胸部に、手がしっかりとまわされていて。
僕は動揺のあまり、思わず口をつぐんで押し黙ってしまった。


「手錠より、このほうが安全かもしれないな」
彼は、この状況を楽しんでいるような、そんな口調だった。
僕はというと、動揺するばかりで少しも楽しくはなかった。

「・・・お休み、リツ」
「あ・・・お休み、なさい」
ぎこちなかったが、一応就寝の挨拶を交わす。
今度こそ本当に眠る気でいるのか、背後から規則的な息遣いが感じられるようになった。
こうして体を触れ合せることなんて慣れていなくて、しばらく緊張状態が続く。
けれど、だんだんと動揺と緊張感が解けてゆき、睡魔を感じるようになる。
もしかしたら、僕は安心し初めているのだろうか。
驚異しかない敵地で、彼の体温をこうして感じていることに。

答えを出す前に、頭がぼんやりとまどろんでくる。
目を閉じると、もう思考することが面倒になった。
さっきまで冴えていた目は、もう開けない。
背に感じる温もりが、とても温かくて、心地良かった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
ハルとは、だんだん密着度が上がってまいりました。
一度手錠ってつけさせてみたかっt←。