軍事国家9


僕が起きたとき、もう彼はいなかった。
だが、手錠はつけられておらず、ベッドの支柱に鎖が垂れ下がったままだ。
そして、そこらに寝具が脱ぎ散らかしてある。
捕虜に手錠をすることも忘れるほど、かなり急いでいたのだろうか。
とりあえず、自由になったのをいいことに僕は刀を取りに行った。

別に、外へ出て誰かを襲うというわけではなく。
これ以上運動不足にならないよう、素振りをしようと思っただけだった。
その前に、散らかっている彼の寝具を適当に畳んで片付けておく。
自室がいつも殺風景なせいか、あまり物が散乱しているのは落ち着かない。
そして、冷水で顔を洗って目を覚ましてから、僕はひたすら素振りに励んだ。




その後、軽く汗をかいてきて、そろそろ休もうかとベッドに座ったとき、勢いよく扉が開いた。
慌てた様子で入ってきた彼は、僕の姿を確認すると早足で近付いてくる。
何があったのだろうかと、僕は呆然と彼を見上げていた。

「・・・よかった。まだ、居てくれたのか・・・」
焦りが消え、その表情は安堵に変わる。
彼は一息つくと、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
その手を払おうと思ったら払えたが、僕はじっとしていた。

彼の手が、頬へ触れる。
まるで、ここに確かに相手が存在していることを、実感しているように。
「・・・逃げたりしませんよ。それは、無謀なことだとわかっています」
安心したのか、彼は手を離して隣に座った。


「朝、少し寝坊してしまってね。それで、かなり慌てていて・・・途中で、手錠のことに気が付いた」
部屋の散らかりようから、そうだと思っていた。
寝坊なんて、彼にはあまり似つかわしくないことだと感じたが。
敵情視察の仕事は、よほど疲れることなのかもしれない。

「キミを繋ぎ止めてないことに気付くと、とても不安になっていた。
もしかしたら、キミは自国へ戻ってしまったんじゃないかと・・・・・・あの子に会うために」
「・・・いえ」
ラトに無事を伝えたい思いは、今も確かにある。
けれど、刀を取った瞬間、逃げ出そうとは思わなかった。
右も左もわからない国から一人で抜け出すのは無謀なことだし。
それに、彼を困らせたくはないと思った。
僕が逃げ出したら、彼はきっと咎められる。
そう考えたら、逃げる気が失せていた。

「すまないが、また繋がせてもらう。キミを信用していないわけじゃない。
ただ・・・オレが不安なだけなんだ」
彼は僕の腕を掴み、手錠をはめる。
不自由になることはわかりきっているが、抵抗はしなかった。
滅多に表情を乱さない彼が、僕のことで慌てていたのだと思うと。
腕を掴む手を、払いのけることができなかった。




その後も彼は慌ただしくしていたが、昼食も夕食も運んできてくれた。
昨日と同じく、風呂に入るときは手錠は外された。
そして、今日も睡魔を感じていないのにベッドに横になる。
もちろん、彼は隣にいた。

「ハルさん・・・どうして、僕をここへ連れて来たんですか?」
あれだけ忙しそうにしている中で、食事を運ぶ手間や入浴中の見張りを考えると。
誰かを連れてくるなんて、手間がかかるだけのことに思えた。
「オレも、最初はだれかを連れて来る気はなかった。けれど、途中で気が変わったんだ。
・・・キミは、オレによく似ていたから」
「僕が、ハルさんに?」
どこが似ているのか、疑問に思い問い返す。

「・・・オレは、よりどころが欲しかったんだと思う。自分に似ている相手なら、どこか安心できるから」
「さっきから、似ているって言ってますけど・・・どこが似ているんですか?」
僕が気づいていないことがおかしかったのか、彼は苦笑した。
「演習のときのキミを見ていたら、すぐにわかった。仏頂面で、周囲に関心を持たなくて、人並み以上に強い。
キミは、どうして自分がそうなったのかわかっているんだろ」

「どうして・・・と、言われても・・・」
周囲の他者は、自分以上に感情表現が豊かで、必ずと言っていいほど誰かしらと交友関係を持っている。
特に、表情豊かなラトがその良い例だった。
自分は周囲とどこか違うなと思っていたけれど、人が全て同じなはずはないと気にもとめなかった。
愛敬を振りまくことなんてできなくて。
他者を安心させるための愛想笑いなんてできなくて。
ラトと出会う前は、一人が当たり前だった。

「この年になってわかっていないはずはない。
キミは愛情や友情、それに伴う幸福や安心を感じたことがなかった。だからそうなったんだ」
「・・・それと、僕がハルさんと似ていることと、どう関係があるんですか」
僕の問いに、彼は一瞬の間をおいて、答えた。


「キミには、親がいないだろう」
誰にも話したことのないことを言い当てられ、目を見開いた。
「キミは、軍に育てられていた。余計な感情は教えず、戦うためだけに。
だから、愛情なんて一欠片も受けられなかった」
僕は、何も言えなくなった。


物心ついたときから、気が付けば僕は軍部にいた。
毎日上官に着いてゆき、幼い頃から様々なトレーニングをしていた。
幸い、体を動かすことが嫌いではなかったし。
それ以外の時間の潰し方を知らなかったので、苦ではなかったことを覚えている。
けれど、上官の顔は思い出せない。
僕はそのときから、周囲に興味がなくなっていた。

刀を持てるようになったら、すぐに戦闘技術を叩き込まれた。
人を切るための道具を使い、敵を殺めなければならない。
いずれそうなるだろうと感じていても、訓練に手を抜くことはしなかった。
誰かを失う悲しみと、誰かの存在を消す行為の罪悪感を知らないがゆえに、僕の考え方はとても淡白で、非情だった。
ただ嫌悪したのは、人を殺めたときに被った返り血だけだった。

慈悲を持たない軍人は、軍部にとって都合が良い。
僕が血を嫌って、相手を殺さなくなることは想定外だったかもしれないけれど。

僕は今も、多くのことに興味を示さず、ゆえに多くのことを知らない。
感情の起伏さえも知らないのだから、仏頂面になるのも当たり前だった。
ラトのことが大切だという、そんな思いだけはあるものの。
どういうときに、どんな感情を覚え、どんな表情になるのかということは。
未だに、わかっていない状態が続いていた。




「・・・ハルさんも、同じなんですか」
「ああ。言っただろ、キミはオレと似てるって」
「けれど、ハルさんは感情を表に出せるし、周囲に・・・。
僕に、興味を示して、知り合いになろうと言ってくれました」
自分の状態を考えると、彼はまだ感情表現が豊かであるように見える。
それに、僕と知り合いという接点を持とうとした。
もし僕が彼の立場だったら、ずっと一人でいたことだろうと思う。

「オレのは全部作り笑いだよ。スパイになるには、周囲に怪しまれない程度の愛嬌は必要だから、教え込まれただけだ。
けれど・・・キミに話しかけたのはなぜかな、自分でもはっきりとはわからない」
「作り笑い・・・ですか」
彼と街に行ったときに感じた、貼り付けたような笑みの違和感。
それは、スパイであることを隠すための、一種のカモフラージュのようなものだったのかもしれない。
けれど、彼の笑みが全て違和感のあるものだったわけではない。
彼自身は気づいていないのかもしれないが、演技とは思えない、自然な微笑みを見たのを覚えている。


「やっぱり、自分と同じ境遇の相手だから知らず知らずのうちに引かれたのかもしれないな。
キミだって、オレに興味を示していただろう?」
「それは、そうですけど・・・」
彼に興味を示していたことは否定しなかった。
一人で演習に挑み、掠り傷一つ負わない彼は言うまでもなく目立っていて。
それは誰しもが注目する存在だと思っていた。
だが、彼に興味を示した理由は僕も、無意識のうちに同じ境遇の者に引かれていたということなのだろうか。

「いざ仕事を果たすとき・・・キミを連れてゆきたいと、そう思った。現に、今でも・・・」
彼は言葉を止めて、僕の髪に触れる。
「・・・オレは、キミといて安心してる」
「え・・・」
髪に触れている手が、頬へと下りる。
彼の体温が頬から伝わってきて、わずかに目を細める。

安心しているのは、僕も同じだった。
こうして触れられることが、少しも嫌ではない。
むしろ、自ら求めたくなるような、そんな感じがする。
意外だったのは、自分が他者を安心させることができる存在だったということだ。
こんな仏頂面に、癒しを求める相手なんていないと思っていたのに。


「後二日・・・そうしたら、また戦争が起こる」
「そんなに早くに?」
一回、戦争が起これば、少なくとも一カ月は間が空くのが普通だったが。
この前勃発したにも関わらず、二日後なんて異例のことだった。
やはり、彼の情報による影響は大きいらしい。

「戦争が起こるまででいい。それまででいいから・・・オレの傍に居てくれ」
弱い声で、懇願される。
この状況で、僕に肯定以外の選択肢はなかった。
たとえ、こうして捕らわれていなくとも、彼の願いなら、聞き入れていたと思う。
誰かに求められることを、喜ばしいことだと、僕はそう感じていたから。

「・・・はい。僕は、ハルさんの傍にいます」
繋がれた生活は、快適なものとは言えなかったが。
彼の願いを聞きたいという思いと、戦争に紛れてラトに会えないかという、そんな考えが僕を頷かせていた。

「・・・ありがとう」
その瞬間、彼は頬笑みを浮かべた。
それは、全く違和感のない、自然なものだった。
ふいに、身が引き寄せられる。
まるで包み込むように、彼の両腕が後頭部と背にまわされて、温かな抱擁が心地良かった。

伝わってくる彼の心音に、安心感を覚える。
その心地良さからか、僕は思わず彼の背に腕をまわしていた。
お互いの身が、ほとんど隙間なく重なる。
気付くと、僕は目を閉じていた。
この温もりを感じながら、眠りたかった。
僕の存在を求めてくれた、彼の傍で。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
少しマンネリ化してきたので、ハルのターンはこれで一区切りとなります。
しかし、春休み中であまりストレスが溜まっていないので。
妄想力が萎えつつあるのが最近の問題ですorz。