―少年兵器 アナザーストーリー 2―


翌日、僕は扉の開く音で目が覚めた
一瞬、あの無機質な部屋が脳裏を掠めたが、すぐにここはルカの家なんだということに気付いた
「やっと起きたか。おはよう、セキ」
その声に僕は寝惚け眼で起き上がり、「おはよう」と返した

「もう昼近いぜ、さっさと下りてこいよ」
そう言って、ルカは部屋を出た
どうやら、十分休みすぎてしまったようだ
僕は急いで着替えて、昨日の大きな部屋に向かった
部屋に行くと、ラサとルカのお母さんが昼食の準備をしていた
二人は僕に気付くと、ルカと同様に「おはよう」と言ってくれた
僕は、もちろん二人に挨拶を返した

「もうすぐお昼ご飯ができるから、先に顔を洗っていらっしゃい」
そう言われ、僕はすぐ洗面所に移動した
ここは、孤児院とは全然違う
同じなのは、こうして顔を洗って、歯磨きをするといった不変的な事だけだ
もう、ずっと天井を見続けて一日が終わる、なんて事はないんだ
僕がリビングに戻ると、テーブルには四人分の昼食が並んでいた
僕はまた、ルカの正面に座った

こうして、誰かと食卓を囲むことなんてなかった
たわいもない話をしながら食事をすることなんてなかった
一般的な人にとっては、これは日常的な事に過ぎない
けれど、僕にとってはとても新鮮に感じられていて
僕は相変わらずぽつぽつとしか言葉を発さなかったが、この雰囲気が嫌じゃなかった


「なあセキ、食べ終わったら外行こうな。早速、いい物見せてやるよ」
「うん」
僕とルカのこんな短時間のやりとりを、二人は微笑ましそうに見ていた
食事が終わり、僕は「ごちそうさまでした」と告げて玄関口へ向かう
ルカは先に食べ終わっていたので、すでに玄関の扉に手をかけていた

「孤児院の中からじゃ、絶対見れない景色だぜ」
ルカが、扉を開く
その外の世界には、僕が決して見ることのなかった景色が広がっていた

「綺麗なもんだろ、田舎ならではの景色ってやつだ」
「うん・・・綺麗だ」
僕は、たまらず外へ出た
踏み出したのは、白い道の上
昨日は灰色だったはずの道
だけど、今日はどこもかしこも汚れの無い、白に染まっていた

「雪・・・」
「ああ。昨日の夜の内に降ったみたいだ、ラッキーだったな」
家の外にはとても広く、美しい世界が広がっていた
僕は、茫然とその白い世界を眺めていた
まだ、ちらちらと白い粒が降ってきている
雪を見るのは初めてじゃなかった
けれど、僕は孤児院の庭に積もった物しか見たことはなかった
その時も綺麗だとは思っていたけど、こうして外に出て間近で見ることはなかった

僕はしゃがんで、その雪をすくってみた
とても冷たくて、指先が痺れる
これが、雪という物に触った感覚だと初めて知った
手の熱で雪が溶けて水になっても、それはまだ冷たかった

少し触っただけで、手が瞬く間に冷やされていく
ただ、冷たいだけなら冷蔵庫の氷でも同じだ
だけど、僕の心は揺り動かされていた
この、綺麗な白い世界に
この、冷たい雪の感触に、僕は感動を覚えていた


「・・・やっぱりお前、セキって名前似合わないな」
ふいにルカの声が聞こえて、僕は振り向く
「どうして?僕にはぴったりだと思うよ」
名付け親の顔なんて知らない
けど、その名前の通り、僕の手は赤褐色に染まった
この汚れた両手にふさわしい名前だと、そう思う

「いや、似合わない。今のお前にはこの真っ白な雪が恐ろしいほど似合ってる。
俺には、そう見える」
ルカの言葉でも、流石にありえないと思った
今の僕とこの雪は、対照的な存在だ
まるで、無垢の赤子のように全く汚れの無い雪
それに対して、罪の証が染みついた、真っ赤な僕の両手
どうあがいても、交わることはない

「そんなはずない。・・・ルカの目は、少しおかしい」
「ハハッ、そうかもな」
ルカは微笑しながら、僕の目の前まで歩み寄る
何かを話すわけでもなく、僕をじっと見ていた
白い世界に、静寂が流れた


「・・・消えて、しまいそうだ」
「え?」
僕はその言葉の意味がわからず、聞き返した

「このままお前が雪の中に居ると・・・雪と同化して、消えてなくなるんじゃねえかって思った」
「まさか」
そんな事、あるはずがない
白い世界と対照的な僕が、それと同化してしまうなんて
それ以前に、雪と人が同化するなんてありえない
でも、ルカの言葉は真剣なものだった
ルカは本気で、僕を汚れの無い物として見ているのだろうか

「・・・そろそろ中に入ろうぜ」
そう言って、ルカが僕の手を取った
そして、ビクッと肩を震わせた

「おいおい、お前の手、雪に負けないくらい冷たくなってるじゃねーか」
「あ・・・うん、昔からそうなんだ」
孤児院に居た頃、雪を綺麗だと思っていても外に出なかった理由がこれだ
僕の手は異常なほどに冷えやすく、すぐにかじかんでしまう
今日は思わず外に出てしまったし、雪も触った
だから、僕の手は、ルカが驚くくらい冷え切っていた

ルカの手は、とても温かく感じた
炎や、お湯のとは違う、人の温もり
それがとても心地よくて、僕は思わずルカの頬に手を伸ばしていた
ルカはまた肩を少し震わせたけれど、振り払おうとはしなかった
温かい・・・
こうして、ずっと触れていたくなるほど、心地いい
今までずっと、気付かなかった
これが、人の温かさ・・・


「消えないでくれよ、本当に・・・」
ルカが目を細めて、頬にある僕の手にそっと自分の手を重ねた
「うん。消えないよ・・・絶対に、消えない」
言われなくても、僕はルカと一緒にいるつもりだ
ルカがいなくなったら、僕はまた空っぽになってしまうから

「二人とも、そろそろ中に入ったほうがいいわよ」
突然した声に、ルカは慌てて手を放す
そのタイミングで、ルカのお母さんがスーツを着て玄関口から出てきた
「じゃあ、お母さん仕事に行ってくるわね。夕ご飯までには帰るから」
「あ、ああ」
ルカの返事はぎこちない
今の様子を見られたかもしれないと、思ったからだろうか

「ほ、ほら、セキ、一緒にテレビでも見ようぜ」
「うん」
僕達は家に戻り、リビングへ向かった
部屋はストーブがつけてあって、温かかった
ルカのお母さんが僕達が戻った時に寒くないようにと、つけておいてくれたみたいだ
僕達は冷たくなった指先を温めた後、テレビの前に座った
このテレビを点けたら、また残酷な映像が映るんじゃないかと、僕は内心緊張していた
そんなはずはないとわかっているはずなのに、あの建物で、ルカとこうして並んで映像を見ていた時の事を思い出してしまう

「もうあんな映像流れないから、大丈夫だ」
ルカも同じ事を考えていたのか、ルカは僕の背中を軽く叩いた
そして、ルカがリモコンを手にしてテレビの電源を入れた
パチンという電子音がする
その音を聞いただけで、僕は少しどきっとしてしまった
けれど、画面に映ったのは死体じゃなくて
ちゃんと生きて動いている、動物の映像だった

「ほら、大丈夫だろ。色々チャンネル変えるけど、わからない事があったら聞けよ」
「うん。ありがとう」
それから、しばらく僕はテレビ画面に釘付けだった
テレビなんて数えるほどしか見たことがなくて、興味がわかない映像はなかった
ニュース、ドラマ、音楽、お笑い、様々なジャンルの映像を見た
ルカは僕に色々な物を教えるために、数何回もチャンネルを切り替えてくれて
チャンネルが切り替わる毎に、僕はルカにしつこいくらい質問をした
それでもルカは面倒そうな様子は一切見せずに、僕の疑問に答えてくれた
色んな事を見聞きして、数時間でだいぶ僕の世界は広がった


けれど、その中でどうしてもわかりづらいものがあった
それは、チャンネルがドラマに切り替わった時だった
画面には男性と女性が映っていて、何かを話している
しばらくは会話の映像が続いていたが、突然、男性と女性が抱き合った
僕はその様子を見ても、ただ単に寒いからお互いを温め合っているだけだろうとしか思わなかった
そして、またしばらくその映像が続いた後、その男性と女性は唇を重ね合わせていた
僕にはその行為の意味が理解できなかったので、すかさずルカに尋ねてみた

「ルカ、何でこの人達はこんな事してるの?寒いから?」
その質問の答えは、すぐには返ってこなかった
さっきまではどんな問いかけをしてもすぐに答えてくれていたけれど
今回は珍しく、質問の答えを考えているようだった

「あー・・・これはな、愛情表現ってやつだ、わかるか?」
「わからない」
僕は即答する
「だよな、俺もよくはわかんねーし。
でも、まあ・・・大まかに言えば、あれは愛し愛される喜びや感謝を表現してるって感じだな」

「喜びや、感謝・・・」
「まあ、言葉じゃうまく説明できねーからこれはパス。チャンネル変えるぜ」
ルカはそう言って、早々にチャンネルを切り替えた
とりあえず、この人達は寒いからそうしていたわけじゃないということだけはわかった


それからまた数時間、僕はテレビを見続けていた
そんな僕の隣に、ルカはずっと居てくれた
テレビの映像というものは、ルカにとっては珍しくとも何ともないもののはずで
中にはルカにとってつまらないものもあったと思う
それでも一回も席を立つことなく、傍に居てくれた
ルカのお母さんが帰って来て、「夕ご飯ができたわよ」と、声をかけてくれるまでずっと
僕は、それが嬉しかった

それでも、僕はルカに微笑みかけることはできなかった
嬉しいと思っているはずなのに、笑うことができない
僕は、元々笑うことができないように生まれてきたんじゃないだろうかと思ってしまう
ルカが微笑みかけてくれたように、僕も笑顔を見せてあげたいのに
どうしても、それができない
どうしても・・・

「セキ、飯ができたってさ。行こうぜ」
ルカの声にはっとして、我に返った
僕は考え事をしていると周りの声が耳に入らなくなってしまうようで、呼ばれても全然気付かなかった
椅子にはもう2人が座っていたので、僕はいそいそとルカの正面に座った
ラサとルカのお母さんが作った食事は、今日もとてもおいしかった
あの無機質な部屋で食べた食事もまずいわけではなかった
けれど、今こうして食べている食事のほうが不思議とおいしく感じた

その時、ルカはいつものように食事をしていたが、内心焦っていた
あの建物から逃げ出す時、セキに笑い方を教えてやると言った
セキに、笑顔を取り戻させる
そう、できると思っていた

雪で覆われた美しい世界を見せれば、笑ってくれると思った
テレビを見せて、面白い物があれば笑ってくれると思った
けれど、セキは一向に笑顔を見せる気配が無かった
セキが嬉しいと、楽しいと思うことがまだわからない
それでも、絶対にセキに笑ってほしい
ルカは、そう思ってやまなかった