平坦な?高校生活9


アキの家に来てから、数時間後。
天気は一向に回復せず、未だ稲光が光っていた。
私はというと、アキの部屋で服を選んでいた。

「寝るんなら、シンプルなやつの方が楽かなー」
アキは、クローゼットから数枚の服を取り出す。
無地の、いかにも楽そうなTシャツとズボンが詰まれてゆく。
私はその中で、水色のシャツと青いズボンを手に取った。

「アキ、これ着てみてもいい?」
「ああ、いいよ」
了承を得たので、私は部屋の外へ出ようとする。
「どこ行くの?」
アキが、不思議そうに尋ねる。
「どこって、廊下に出て、着替えるだけだよ」
私は当たり前のことを言ったつもりだったので、アキの問いかけのほうが不思議だった。
だから、次に言われた言葉は、私に結構な衝撃を与えた。


「・・・ここでいいじゃん」
「え?」
思わず、耳を疑う。
「ここで着替えればいいのに。体育のとき、女子は同じ部屋で着替えるんだし」
「そ、そうだけど・・・」
それでも、私は誰かの前で堂々と着替えているわけではなくて。
いつも、隅の方でこそこそと着替えている。
部活でよく着替えているアキは、慣れているのだろうけど。
それ以前に、今は状況が違いすぎる。

「・・・何だったら、脱がせてあげよっか」
「え、な、何言って・・・」
普通なら、冗談と思うところだけれど、そんな冗談みたいなことを言ったアキは真顔で。
とても、ふざけているようには見えなかった。

真剣な表情のまま、アキが一歩近付いてくる。
私は、一歩身を引いてもよかったはずだった。
けれど、足が固まったように、その場から動こうとしない。
緊張のあまり、硬直しているのか。
それとも、アキにそうされても構わないと、そんなことを思っているんだろうか。

手が届く距離まで、アキが近付く。
私はやはり動けず、ただじっとアキを見詰めていた。
アキの手が伸ばされ、そっと頬に添えられる。
私は新たな緊張感を覚え、持っている服を強く掴んだ。
そして、アキがまた一歩を踏み出したとき、間の悪い音電子音が家の中に響いた。


「・・・電話だ」
アキは短く溜息をつき、横を通り過ぎて行く。
とたんに体の硬直が緩み、私も溜息をついていた。
今のうちに、服の着心地を確認したほうがいいかもしれない。
下の階から聞こえてくるアキの声が途切れないうちに、私は急いで着替えた。
サイズを確認し、元の服に着替え終わったとき。
ちょうどいいタイミングで、アキが帰ってきた。

「セイラン、ごめん。天気がひどくて、親が帰ってこられないって」
「あ・・・そうなんだ」
今日はもう、アキの両親が帰ってこない。
その状況は、以前に泊まらせてもらったときと同じ。
そのはずなのに、私は自分がどこか戸惑っているのを感じていた。

「夕飯、冷凍食品になってもいい?あたし、料理全然できないんだ」
「な、なら、私が何か作るよ。泊めてくれるお礼に」
私はすぐさま、そう提案する。
何かをして、気を紛らわせたくて仕方がなかった。

「いいの?セイランの手料理が食べられるんなら万々歳だよ」
アキは、嬉しそうな笑顔を浮かべる。
どうやらそれで、着替えのことは忘れてくれたみたいだった。
私もそのことは口に出さず、下にある台所へ案内してもらった。


台所に着くと、何でも使っていいと言われたので、遠慮なく冷蔵庫の中をあさる。
多少ごちゃごちゃとしていたけれど、それだけ食材はいろいろあった。
いくつか食材を選んで作ることにしたのは、シチューとポテトサラダ。
これならおかわりがしやすくて、量が調節できる。
ご飯を準備する時間はなかったけれど、レトルトパックのものがあったのでそれを使わせてもらった。
アキはというと、包丁を使うのも危なっかしいので、別の場所にいておいてもらった。

シチューを温めると、いい匂いが部屋に漂う。
それにつられたのか、アキが台所へ顔を覗かせた。
「いい匂い・・・これ、レトルトじゃないよね?」
「ご飯だけはそうだけど、他は作ったよ」
そう言うと、とたんに尊敬の眼差しが注がれた。

「すごいや。あたしには、何時間かかってもできないかも」
アキが本気でそんなことを言ったので、私はくすりと笑った。
「何だって、練習すればうまくなるよ。冷めないうちに食べようか」
それから、アキには食器を出してもらい、夕食をテーブルに並べた。
食器を並べているときも、食事をしているときも、アキの様子は目に見えて幸せそうだった。
アキが喜んでくれると、私の気持ちも温かなものになる。
そうして、和やかな雰囲気の中で夕食を食べていると、ふいにアキが言った。

「こうしてるとさ・・・何だか、新婚家庭みたいだ」
「新婚?」
夫の帰りを待ち、妻は夕食の準備をする。
シチュエーションは少し違っていても、この雰囲気はまさにアキの言った新婚家庭に似ていた。
「あはは、確かにそうだね。私が奥さんで、アキが旦那さん?」
どちらも女子だけれど、アキにはそのポジションのほうが合っている。
冗談に乗るつもりで、笑いながら言った。

「・・・本当に、そうなればいいのに」
「え?」
急に、アキが真顔になる。
「あたしが夫で、セイランが妻。そうなれば・・・ずっと一緒にいられる」
「え、えっと・・・」
どう言葉を返せばいいのか、私はうろたえる。
一緒にいられることはもちろん嬉しいけれど、結婚なんて、女同士じゃあそう簡単にはできない。
そう言ってくれるほど親身に思ってくれているのも、また嬉しい。
それでも、そんなに強い思いを受けたことのない私は、ただただうろたえてしまっていた。


「・・・あ、もしかして、本気にした?」
「・・・え?」
アキの表情が、いたずらっぽい笑顔に変わる。
「冗談だよ。女同士じゃ、難しいことだし」
「・・・そ、そっか、そうだよね」
突然の切り替えに、私の表情は複雑なものになる。

「そうそう、冗談。あ、シチューおかわりもらってくる」
アキは立ち上がり、台所へ向かった。
さっきの言葉を、アキは冗談だと言った。
けど、本当にそうなればいいと言ったときの表情を思い出すと、とても冗談だと思えなくなる。
私の考えすぎかもしれないけれど。
胸の内にひっかかるものを、気にせずにはいられなかった。


その後、夜遅くになってもアキの両親は帰ってこなかった。
心配しているかと思ったけれど、アキが不安にしている様子はなかった。
アキの後でお風呂に入り、部屋に行く。
やっぱり、布団は一つしかなかった。

すでにアキが寝転んでいたので、私も隣に仰向けになる。
電気のスイッチがないか探したけれど、周囲には見当たらない。
私がきょろきょろとしていると、ふいに手に温もりを感じた。
お風呂上がりで、ほどよく温まっている。

「まだ・・・寝たくない」
すぐに手を握り込まれ、一瞬だけ心臓が跳ねる。
「そう・・・だね。明日も休みだし、夜更かししてもいい・・・かな」
けれど、そこから会話が弾むわけではなく、アキは黙りこくってしまった。
あまり積極的に話す方ではない私は、同じく沈黙していた。


そうしていると、だんだんうとうととしてくる。
電気がついていて明るくても、目を閉じればものの5分で眠れそうだった。
アキと手を繋いでいる安心感があるから、余計に。
「・・・セイラン」
目を閉じようかとしていたとき、呼びかけられる。

「そろそろ眠る?電気消してこようか?」
「・・・そうじゃなくて、寝る前にさ・・・」
アキは、やたらと言葉に詰まっていた。
とても言いづらいことを言おうとしているんだと、すぐにわかる。
私は黙って、仰向けのまま口ごもっているアキの横顔を眺めていた。

少しの間、再び沈黙が流れる。
またうとうとしていると、ふいにアキが覚悟を決めたようにこっちを向いた。
私は閉じかけていたまぶたを開き、アキと視線を合わせる。
「寝る前に、もう一回・・・キス、したい」
「あ・・・う、うん、いいよ」
私は、自分でも驚くほどあっさりと、そう言っていた。
それは、友達同士でするにはとても大胆なこと。
でも、拒否する理由なんて見つからなかった。


「・・・じゃあ、するよ」
アキが起き上がり、体勢を変える。
私も同じようにしたほうがいいかと、体を起こそうとしたけれど、その前に肩を押された。
「そのままでいてくれればいい」
私の肩に手を置いたまま、アキが身を下ろす。
まるで、押し倒されているような体勢。
そう気付いてしまうと、頬に熱が上っていくのを感じていた。

ためらいは消えたのか、アキの顔が目の前まで迫る。
頬の熱と共に、私の心音は強くなってきていて。
思わず、目を閉じていた。
今更、羞恥心を覚えているのか、これ以上アキの強い眼差しを受け止めていられなくて目を閉じる。
そして、すぐにお互いの距離が、完全になくなった。

柔らかい、重なった箇所が離れるまで、私は何も考えられなかった。
温かで幸せな感覚を、ただじっと感じ、完全に身を任せていた。
その時間は数秒ほどだったけど、私にはとても長い時間のように感じていた。
だから、アキが離れたとき、私は名残惜しいものを感じていた。


目を開き、アキを見上げる。
お互いの距離は、まだだいぶ近い。
このまま、離れるんだろうなと思ったけれど、その予想は全く逆だった。
また、アキが身を下ろしてきて、唇が重なる。

「ん・・・う・・・」
さっきよりも、アキは強く重なっていて、鼻から抜けるような声が自然と出てしまう。
恥ずかしいと思っても、抑えられない。
お互いの熱と心音は、もう止めようがなかった。

確実に、さっきより長い重なりの後。
顔を合わせる前に、体が抱きすくめられた。
鼓動はまだ早くて、密接している体からはっきりと伝わってきていた。
まるで、お互いが共鳴しているようで心地いい。


「セイラン・・・今度こそ、どん引きすること言っていい?」
「・・・うん」
「あたし、さ・・・・・・」
迷ったように、間が空く。

「セイランのこと、好きだ・・・」
「・・・ありがとう」
このとき、私はアキの言った好きを友情的なものだと思っていたから、普通にお礼が言えた。
だけど、その真意は違ったんだ。
アキは少しだけ体を上げて、お互いの顔が見えるようにした。
私は赤い顔のまま、アキを見詰める。
そして、アキは目を閉じ、小さな声で、囁きかけるように告げた。


「・・・・・・愛してる」
その声は小さくても、強く、強く私の耳に残った。
アキが目を開き、ゆっくりと体を起こす。
そして、部屋の電気を消した後、仰向けに寝転がった。

「・・・お休み」
「うん・・・お休み」
その言葉を堺に、会話は終わった。
寝付きが悪い方ではないけれど、今日はすんなりと寝付けそうになかった。
告げられた、たった5文字の言葉が、耳に焼き付いたように離れない。
もしかしたら、朝まで起きていることになるかもしれない。
私は、ぼんやりとした光の豆電球を見詰めていた。