ヘルシング3


リノがヘルシングに無理やり連れて来られた次の日。
昼間は自由が与えられていたものの、特にすることはなかった。
いつもなら、嗅覚を頼りに獲物を探しに行っている。
けれど、ここではその獲物は指定されると、そう説明を受けた。

陽の光の元に出られなくても、大した問題ではないし、血を取り入れることにも慣れている。
それよりも、早めに組織から抜け出さなければならない。
どうせ、自分の居場所なんてすぐになくなる。
組織がらみとあらば、力の全てが露呈した時、最悪、命を狙われる可能性もあった。

抜け道はないかと、リノは屋敷内をうろつく。
廊下に出ると、扉がずらりと並んでいていきなり嫌気がさした。
そこで、ナイフで小指を切り、床に垂らす。
赤い水溜まりが広がると、波打ち、犬の形になった。

「どこか、抜け道がないか探してきてくれ」
犬は一声鳴き、廊下を駆けていく。
後は任せようと、リノは部屋に戻った。

リノは部屋でも指を切り、赤い魔物を作り出す。
中指を切れば植物が、人差し指を切れば怪鳥が形どられる。
この力さえなければ、普通の人間として、平凡な日々を送れただろう。
けれど、この生き物達は怨む気にはならなかった。
部屋で赤い魔物と戯れていると、ふいに扉が開く。
目を向けると、アーカードが赤い犬の首根っこを持って運んできていた。

「逃げ出そうなんて考えないことだ。お前はもはや私の眷属、命令には逆らえないのだから」
手を離すと、犬は一目散に リノへ駆け寄る。
まだ新しく生まれたばかりの犬は、脅威に怯えていた。
リノは体毛を撫で、血を傷口に戻す。

「・・・僕が逃げたほうが、最終的に都合が良くなる」
「それはお前の都合だろう。赤い魔物は何種類出せる」
いくら訴えても無駄かと、リノは溜め息をついた。

「何種類いるのか、僕自身にもわからない。切る場所や量によっても違う」
リノが薬指を切ると、その血からは長身の蛇が生まれる。
子供なら、人呑みにしてしまいそうな大きさだ。
「僕が血を流しすぎると、それを補完するために皆凶暴化する。便利で頼もしい子達だ」
「補完、か」
アーカードは、魔物とリノを交互に見る。


「では、お前が死ねばどうなる」
リノは目を見開き、周囲にいた魔物は歯を剥き出しにする。
それは、尋ねてはならない禁句だと警告するように。
「どうした、雰囲気が変わったな」
「・・・そんなこと、わからない。死んだことなんて・・・」
ない、と言い終える前に、アーカードが地面を蹴る。

とっさに、植物も、怪鳥も、蛇も、進路を阻もうと一斉に襲いかかったけれど
アーカードは、すさまじい腕力で全てを薙ぎ払った。
生き物が壁にぶつかって弾け、血飛沫に変わる。
強化されたはずの植物でさえあっけなく壊され、リノは呆然とした。

「嘘をつくな。お前の気の変り用は、明らかに何かを隠している」
何もかもを見透かされるような瞳を見ていられなくて、リノは視線を逸らす。
反抗的な態度が気に食わないのか、アーカードはリノの顎を取って無理に上を向かせた。

「口を開け、言葉を発しろ、それともこじ開けてほしいか」
アーカードは顎から手をずらし、指をリノの口元へ持っていく。
尖った爪先で唇をなぞられると、引き裂かれそうな気がして恐怖心が生まれる。
細い刃が隙間に入り込もうとすると、少しずつ口を開いてしまった。


「さあ、答えてみろ。お前が死んだら何が生まれるのか」
いざ問われると、リノの声帯は凍り付く。
それは、話すにはとても恐ろしいこと。
知られてしまったら、こんな危険因子を放っておくはずがない。
リノが言葉を発しないでいると、アーカードは爪先を口内へ進めた。

「う、っ・・・」
鋭利な刃物が舌に触れ、リノは呻く。
その気になれば、口内はズタズタに切り裂かれるだろう。
「ここを切れば、どんな魔物が生まれるのだろうな」
アーカードは、指の腹で舌の表面をなぞる。
いつ傷付けられるかわからないからか、リノは寒気を感じていた。
指はいたずらに動き、頬の裏や舌先を撫でてゆく。

「うぅ・・・っ」
まるで、どこを切ってやろうかと図られているようで、リノはくぐもった声を出す。
爪先だけでなく、たまに指の腹で触れられると、奇妙な感覚が走った。
それがはっきりする前に、アーカードは指を抜く。
爪から唾液の糸が伝い、リノはわずかに紅潮した。

「さあ、私の質問に答えろ」
もう顎は掴まれていないのに、顔を背けることができない。
射止めるような眼差しから、視線が逸らせない。
口の隙間が開き、言葉を発そうとする。
言ってはいけない、待っているのは迫害だけだ。

過去の場面が蘇る。
どろどろとした黒い景色、交わる赤い人の血液。
思い出すと、リノの瞳孔が開き、声帯が震えた。

「・・・言え、ない・・・絶対に、誰にも・・・」
震える声で、リノは反抗した。
「抑制力が恐怖心に勝ったか。その精神力に免じて、今回は見逃してやろう」
アーカードはふいと視線を逸らし、部屋を出る。
リノは胸を撫で下ろし、脱力した。




夜になると、本格的に仕事が始まる。
だいぶ強制的なものだけれど、リノは従うしかなかった。
今回赴く場所は、いつものような小さな集落ではなく、規模が大きい町だ。
遠目からでも、グールがうろついているのがわかる
グールの群れは、獲物を渇望するように、民家へ向かっている。

「見ての通り、まだ生存者がいる。なるべく保護するようにとのお達しだ」
「じゃあ、それは貴方に任せる。僕はきっと、傷を補完するためなら見境なく襲うから」
返事も聞かず、リノは怪鳥を出してその背に乗る。
そして、血の臭いが強い方へ飛んで行った。
勝手な行動に、アーカードは舌打ちする。
「この私に、雑魚の処理をさせるとはな。どうやら調教が必要のようだ」
アーカードは怪鳥を見送り、不敵に笑っていた。


血の臭いの発生源を、怪鳥は真っ直ぐに目指す。
支配者は大きな家で虚栄を張るものなのか、着いた場所は一番大きな屋敷だった。
中に入ると、広いホールに長い廊下が繋がっている。
室内は静かで、人がいる気配はない。
けれど、人以外のものはいた。

天井に何かの気配を感じ、リノは上を向く。
すると、無数の赤い刃が降りかかってきた。
さっと飛び退いてかわすと、刃が床に突き刺さる。
次に降りて来たのは、ひょろりと背の高い優男だった。

「おやおや、子供がこんなところへ来ては危ないよ」
一見、人畜無害のように見えるけれど、口からする臭いはごまかせない。
ぎらついた瞳は、目の前の相手を餌として認識していた。

「グールを大量生産して、案外食欲旺盛なのか」
「そう、いくら吸ってもまだ満たされない。そんなとき、餌から来てくれるなんて、私はついている」
相手は犬歯をぎらつかせ、欲望を剥き出しにする。
殺意を感じ、怪鳥が跳躍して敵の腹を突き刺そうとした。
相手は太い刃を作り出し、怪鳥の体を貫いた。
リノはすかさず親指を切り、血を垂らす。
そこからは獅子が生まれ、敵めがけて突進した。

相手は逃げようとせず、床に掌をつく。
獅子が頭にくらいつく直前で、下から無数の刃が突き出し、串刺しにしていた。
獅子に気をとられているうちに、リノは指を深く切って怪鳥へ血を与える。
貫かれた体はみるみるうちに回復し、再び羽ばたく。
相手は怪鳥へ目を向け、殺意の矛先を変える。
その瞬間、獅子が吠え、体を引き裂かれつつも刃から抜け出す。
そして、敵の頭部に牙を突き立て、首の繋ぎ目から引きちぎっていた。

血飛沫を飛び散らし、相手は仰向けに倒れる。
空腹ではない獅子はそれ以上貪らず、リノの元へ戻る。
グールの数が多いだけで、いつもとあまり変わらなかったと、拍子抜けする。
リノは怪鳥と獅子を戻し、出口へ向かった。

そのとき、背後で吸血鬼の胴体が静かに立ち上がる。
異様な気配にリノが振り返ったとき、赤い刃が腹部を貫いていた。
「ぐ・・・!」
激しい痛みに、リノは顔をしかめる。
体を支えていられなくなり、壁を背にして座り込んだ。


刃が消えると、腹部からとめどなく血が溢れ出す。
吸血鬼は、頭部がなくなっても餌を欲しているようで、リノのいる方へ歩みを進める。
赤い水溜まりはどんどん広がり、小さな池くらいの大きさになる。
それが波打ち、見上げるほどの高さまで形どられてゆく。
大量の血液から生まれたのは、全身を鱗で覆われた竜だった。

目の前に獲物がいるのを見つけると、竜は大口を開けて涎を垂らす。
そして、吸血鬼を一口で食い潰した。
咀嚼するたびに赤黒い血飛沫が飛び散り、リノの顔にかかる。
竜は喉を鳴らして獲物を飲み込むと、リノに視線を向けて、頬の血を舌先で拭った。
自分でもこれほど巨大なものを見るのは初めてで、少し怯む。
同時に、死ぬほどの致命傷でなくてよかったと、心の底から思っていた。

竜の食欲は、一体の吸血鬼ではとても足りない。
飛翔して天井を壊し、上空から町を見下ろした。
グールの数はだいぶ減っているものの、まだ動いている者もいる。
竜はグールの群れめがけて急降下し、巨大な口で体をさらった。

一瞬で咀嚼し、何体も一気に飲み込む。
強大な敵に、グールは一斉に襲いかかったが、獲物が集まって補食されやすくなるだけだった。
竜は骨の一片も残さず、次々と食い潰していく。
数分で、周囲に動くものがいなくなる。
それでも、空っぽのグールだけではまだ満たされていなかった。


一方で、アーカードは教会で吸血鬼と対峙していた。
さほど驚異的な相手ではなかったのか、その表情は冷めている。
「私の仕事を増やしたあげく、何も楽しませられないとは。
お前のような糞餓鬼は、さっさと死んでしまえ」

「ま、待ってくれ、すぐにグールを消すか・・・」
言葉を言い終えない内に、教会全体が揺れ、骨組みが軋む。
次の瞬間には天井が破壊され、吸血鬼とアーカードの間に竜が舞い降りる。
吸血鬼が突然の部外者に呆けていると、長い尻尾に体が貫かれていた。
竜は獲物を口に放り込み、充分に噛み砕く。
そして、次はアーカードに目を向けた。

「まだこんな化物を飼っていたとはな。私を食らいたいか」
面白い相手を見つけ、アーカードはにやりと笑う。
だが、ちょうど満腹になった竜はそっぽを向き、天井から出て行った。
血を蓄えた竜は、真っ直ぐに主人の元へ向かう。
さほど時間もかからず生まれた場所へ着き、未だに座り込んでいるままのリノを見下ろした。

「お帰り・・・」
リノが手を伸ばすと、竜は頭を下げる。
その口元に掌が触れた瞬間、竜の体は崩れ、腹部の傷口に吸収された。
傷跡は全く残らず、顔色に赤みがさす。
傷も血も補完され、平然と立ち上がれるようになっていた。


「グールの始末を押し付けて、自分はのうのうと食事か」
竜に続いて、アーカードが姿を現す。
「別々に行動したほうがよかった。そうじゃなかったら、貴方を食べていたかもしれない」
「私を食らうだと?見くびるな」
侮辱と受け取ったのか、アーカードはさっと移動し、リノの首を掴んだ。
「っ・・・」
血が出るか出ないかのぎりぎりのところで、爪が食い込む。
少しでも力が加えられれば、動脈を掻き切られ、ショック死することは間違いない。

「お前のような小さな器ではこの身は食いきれん。逆なら、ありえるがな」
アーカードは、リノの口端を舌でゆっくりと弄る。
柔い感触に身震いし、反射的に心音が強く鳴った。
舌はそのまま移動し、唇へ這わされる。
どこを噛めば一番血が吹き出すかと、探っているようだったけれど
妖艶な色欲さえも感じられて、緊張で呼吸がままならなくなっていた。

舌は唇のところで止まり、広い面が押し付けられる。
リノの寒気はますます増し、とっさにアーカードの胸を両手で押した。
けれど、逃れることは許されず、首を掴む手は後頭部に回される。
自分からも唇を押し付ける形になり、リノは強く目をつむった。

拒んでいることを知りながら、アーカードは執拗に唇を弄る。
艶かしい液が表面を濡らし、何度も全体をなぞる。
鼻呼吸だけでは苦しくなってきても、口の隙間を開けるわけにはいかなかった。

リノが頑なに口をつぐんでいると、やがてアーカードが身を離す。
リノはすぐに距離を置き、寒気を追い出すように息をついた。
「柔い感触は良い。一思いに食らいついてやりたくなる」
「そ、そうしたら、あの子達が黙ってない」
「出血したら出現するのだろう。ならば、吸い尽くしてやればいい、お前の存在ごと」

冗談に聞こえなくて、リノはまた身震いする。
けれど、それは理想なのかもしれない。
この相手なら、一滴の血液も、一本の髪の毛も残さず消してくれる。
それは、自分が死ねる唯一の方法なのではないかと、リノは気づいてしまった。

「仕事は終わった。帰るぞ」
部屋を出るアーカードの背を、リノはじっと見つめていた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
アーカードはいやらしいところがあるので、大胆なことがさせやすくていいですね。