ヘルシング5


翌日、いよいよ大規模な戦闘の日がやってくる。
村から移動すると、アーカードとセラスは敵の本拠地へ行き、リノは拠点で待機する。
リノは、二人が敵を全滅させてほしいと願うばかりだった。

しばらくは連絡もなく、変わりない時間が過ぎてゆく。
このまま終わってほしいと、リノはひたすら望んでいたけれど
その望みは、けたたましい警告音で、あっけなく崩された。

「敵襲、敵襲!直ちに臨戦態勢に入れ!」
兵士長が呼び掛けると、兵士は整列し、リノは一番後ろにつく。
外に出ると、遠くのほうから向かってくる人形の集団が見えた。
中には人の5倍はありそうな巨人もいて、よく目立つ。

「相手はのろまなグールだ、恐れることはない、頭をぶち抜いてやれ!」
兵士長の鼓舞を合図に、兵士は銃の安全装置を外し、陣形を組んで駆け出した。
リノは怪鳥を呼び出し、背中に乗って空中から辺りを見渡す。
すると、集団は前だけではなく、拠点の後ろからも来ているのが見えた。

兵の意識は、巨人がいる方へ釘付けになっている。
リノは全ての指先を切り、植物、犬、蛇、獅子も呼び出す。
怪鳥だけは自分の元に留め、他はグールに向かわせた。


しばらくはその四体だけで防げていたが、離れていては血を与えることができない。
傷つきすぎると、再生できなくなり、戻すこともできなかった。
わずかな出血量では、集団に太刀打ちできない。
リノはナイフをじっと見詰め、少しの間静止する。
けれど、死ぬよりはましだと、思いきって脇腹にナイフを突き立てた。

「ぐ・・・っ」
奥歯を噛みしめ、ナイフを引き抜く。
指先とは比べ物にならないほど出血し、竜が形どられた。
竜はグールの群れに向かって飛び、すぐさま獲物を食いちぎる。
あの竜なら大丈夫だろうと、リノはひとまず様子を見た。

ところが、グールは止めどなく沸いてきて、なかなか決着がつかない。
いつまで経っても竜を戻すことができず、リノの意識は朦朧としてきていた。
こんな戦闘は初めてで、対策が思い付かない。
竜はまだ獲物に夢中で、戻ってくる気配はなかった。

一旦戻しに行こうかと、怪鳥を群れの方へ向かわせる。
そのとき、背後から耳をつんざくような鋭い音が聞こえた。
ほとんど同時に、体に強い衝撃がと熱い痛みが走る。
リノが恐る恐る自分の体を見ると、心臓が長い弓矢に貫かれていた。


「あ、あ・・・」
血が逆流して、口から零れ落ちる。
命を司る臓器が動きを止め、生命力を奪う。
死のイメージが流れ込み、リノは絶望にとらわれた。
せめて、敵の近くで息絶えなければならない。
リノは気力を振り絞り、怪鳥をグールの群れの方へ向かわせる。
目前まで来て、竜も怪鳥も消え、リノは地面に落ちた。

瞳孔が開き、何も認識しなくなる。
体から、徐々に温度が奪われてゆく。
落ちてきた獲物に、グールは食らいつこうとした。
その瞬間、リノの血の色が赤から黒に変わる。
おどろおどろしい液体は、瞬く間に広範囲に広がっていった。

液体はグールにまとわりつき、全てを覆い尽くす。
その身は闇の中に呑まれ、存在は何もなくなった。
意思を持たないはずのグールが怯え、退こうとする。
黒い影は高速で地面を這って進み、動くものを捕らえた。

巨人も、グールも、次々と吸収され、ものの数分で周囲に誰もいなくなる。
それでも、一人の命を補完するには、空っぽの器ではまるで足りない。
影は生命力を渇望して、逆側へ動き出した。


まだ戦闘中の集団の背後から、どす黒いものが忍び寄る。
巨人に苦戦しているのか、周囲にはすでに息絶えている兵士が地面に突っ伏していた。

「死んでも通すな!自分の体を盾にしてでも進行を妨げろ!」
兵士長の声で、兵士はいきり立つ。
銃弾を放つが、巨人の皮膚は固くまるで歯が立たない。
一人、また一人と兵士が薙ぎ払われ、踏み潰されてゆく。
そんな中を、黒い血はより生命力が強い生き物へ真っ直ぐに進み、巨人の足にまとわりついた。
巨人は焦ったように辺りを見回していたが、やがて大人しくなる。
そして、闇の中へ沈んでいった。

「な、何だ、これは・・・」
兵士長は唖然とし、液に銃を向ける。
敵か味方かはかりかねている内に、影は兵士の足も侵食し始めた。
「ひっ、は、離れ・・・」
最初は怯えていた兵士は、腰元まで侵食されたとたんに銃を置いて抵抗を止める。
他の兵士も、巨人も、グールも同様に、逃げることもしなくなっていた。

それは、とても甘美な死。
これから先にある全ての幸福を奪う代わりに、全ての不安や絶望も消し去ってくれる。
その誘惑にとらわれ、誰も抵抗しない。
黒い欲望は、何もかもを奪い尽くす。
それが通りすぎた後には、荒廃した地面しかなくなる。
葉虫一匹、草の根一本残さず、命あるものは全て消えていた。

一つの命を蘇らせるためには、一人の生命力だけでは足りない。
敵も味方も関係ない。
命の欠片を掻き集めるため、闇は拠点に向かおうとしていた。


その進路に、人影が降り立つ。
一人の人間とは比べ物にならない生命力を持つ相手に、影は矛先を変えた。
「獲物を追い詰めたところで緊急の呼び出しとはな。全く、世話のやける奴だ」
黒い液が、アーカードの足元から体へ上ってゆく。
それが心臓に触れた瞬間、アーカードは一瞬だけ目を見開いていた。
そして、口元に狂喜の笑みが浮かぶ。

「そうか、これがお前の死か。まだこんな化物を飼っていたとはな」
アーカードは足元に広がる闇に手を入れ、その人物を引きずり出す。
闇の中から瞳孔が開いたままのリノが現れて、アーカードを見上げた。
黒色がうねり、相手の動きを拒むようにまとわりつく。
戻してほしい、何も考えられない漆黒の中へ納めてほしいと訴えるように。

「私の命を欲するか。いいだろう、その器にどれほど取り込めるか、試してみろ」
闇が、アーカードの心臓を侵食すると、一つ、また一つと命が消えてゆく。
心臓をわしづかみにされるような激しい痛みを感じても、アーカードの体は崩れなかった。

「どうした、もっと欲しいのだろう。何十、何百、何千という命が」
アーカードは爪で自分の舌を引っ掻き、口内に血を満たす。
そして、二本の指でリノの口をこじ開けた。
そのとき、くぐもった声が、喉の奥から発される。


「・・・コ・・・ロシ、テ・・・」
絶え絶えの言葉で、殺してほしいと懇願する。
取り込んだ命が定着しない内に、これ以上奪わない内に。
「私を求めておきながら矛盾したことを言うな。さあ、屠(ほふ)ってみろ」
アーカードは指を引き抜き、無駄な言葉を発する口を塞いだ。
開いたままの隙間へ、血にまみれた舌を差し入れ、すぐにリノのものに絡み付く。
反射運動からか、リノの肩が一瞬跳ねる。
すぐに、アーカードの血液が舌にまとわりつき、口に溜まっていった。

「ア、ァ・・・」
リノは、喉を鳴らしてアーカードの血を飲む。
何十人分かの血を凝縮したような濃い液体は、少量で渇きを潤した。
アーカードはまだリノを捕らえ続け、柔い舌を蹂躙する。
中を掻き回し、口内を隅々まで弄り、充分に味あわせる。
動くたびに血と唾液が入り交じり、卑猥な音を発した。


効果があったのか、アーカードにまとわりついていた影が身を引いてゆく。
リノの目は焦点が合い、驚愕を露にして目の前の相手を見詰めていた。
口内にある柔い感触に動揺し、これ以上血はいらないと訴えるように、胸を押す。
もう、リノは生き返っていたけれど、アーカードは背に腕を回し、まだ解放しようとしない。
むしろ、怯えて引っ込もうとする舌を無理やり絡ませ、縦横無尽に掻き乱した。

「は、や・・・あ・・・っ」
激しい動きに体が反応し、リノの呼吸が熱っぽく、荒くなる。
相手を押し返そうとしていた手は、いつの間にか服を強く掴んでいた。
そこで、アーカードがやっとリノを解放する。
血の混じった唾液が落ち、リノは肩で息をしていた。

「どうだ、満足したか」
答えはわかりきっていると言うように、アーカードは意地の悪い笑みを浮かべる。
「っ・・・殺して、くれればよかったのに」
「私を食らおうとしたのはお前だ。私はそれに応えてやったに過ぎない」
本能と意識が乖離していた状況を指摘され、リノは何も言えなくなる。

「首謀者は婦警が片付けるだろう。戻るぞ」
アーカードはリノの腕を引くが、足が動かない。
「か、帰ったら、白い目で見られる、すぐに追い出される」
「戻るぞ」
有無を言わさず、アーカードは強く腕を引く。
ここでは何を言っても無駄だと、リノは諦めて歩みを進めた。



拠点に戻ると、早速インテグラに呼び出された。
周囲の目を気にしつつ、リノは肩身の狭い思いでアーカードの隣に並ぶ。
「二人とも、ご苦労だった。これで吸血鬼の異常発生は防げるだろう。今日はもう自由にしていろ、以上だ」
それだけで言葉が終わったのが信じられなくて、リノは虚を取られる。

「そ、それだけですか。僕は、味方を大勢殺したのに」
「それ以上に敵も殺した。お前が味方を気遣って何もしなければ、全滅していたかもしれん」
「で、でも、僕・・・」
「兵士達は銃を取った瞬間、死を覚悟していた。お前を恨んではいないさ」
インテグラは、リノの頭を軽く一撫でする。
追い出されて当然だと思っていた、殺されても仕方がないと思っていた。
こんな危険因子を、傍に置いておくはずはない。
なのに、咎められるどころか、慰められている。

リノの目から、清らかな滴が零れ落ちる。
人を殺せても、血に慣れていても、中身は少年だった。
「お前が死んだら、この男が止めるだろう。アーカード、世話をしてやれよ」
インテグラは長い髪を翻し、遠ざかって行く。
リノは、未だに優しい言葉が信じられず、茫然とその背を見送っていた。
アーカードは、ぼんやりとしているリノの腕を掴んで、自分の方へ引き寄せる。

「これで、お前を生かすも殺すも私次第というわけだな」
改めて告げられた事実に、リノは黙ってアーカードを見上げる。
引き寄せられても、突っぱねようとはしない。

「だが、私の血を飲んだお前は、使役される吸血鬼ではなくなった。
もう、お前は自由になったわけだが、どうする?」
意地の悪い問いに、リノは眉をひそめる。
答えは、一つしかないとわかりきっているのに。


「この組織に、ヘルシングに、僕を置いてほしい・・・」
「組織ではなく、真に求めている者を言ってみろ」
胸の内を見透かしたように、アーカードは悪どい笑みを浮かべて答えを誘う。
リノは迷うように視線を逸らしたけれど、逃げようとはしなかった。
「僕を・・・貴方の傍に、居させてほしい・・・です」
望んでいた返答に、アーカードは歯を見せて笑う。

「いいだろう、これからも私の眷属として仕えるがいい。
戦闘時だけではなく、夜の遣いとしてもな・・・」
いやらしい意味合いに聞こえ、リノは目を伏せた。
動揺しているリノの頬に、アーカードの広い掌が添えられる。
さらに動揺させようとしているだけにも思えるが、それ以外のものも感じられて。
ゆったりと撫でられると、リノは自然と目を細めていた。

誰もかれも関係なく、全てを取り込んでしまう、異端な存在。
誰からも受け入れられることなんてないと思っていた、居場所なんてないと思っていた。
けれど、この組織は異常な力を認めてくれた。
そして、この異常な相手は、傍にいることを許してくれた。
生きることも、死ぬことも、もはや自分の意思で決められることではない。
全ては、この吸血鬼が決めること。
それを受け入れるように、リノは少しだけ、アーカードの体に身を寄せていた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
いかがわしい場面の後にべろちゅー、順番間違ってますがアーカードだからいいかと思った←