ヘルシング6


組織に居られるようになり、リノは自分の居場所を見い出すことができた。
けれど、いきなりの集団生活には慣れない。
今まで人を敬遠してきたので、どう接すればいいかもわからないでいた。

たまには外に出てみようと、窓から飛び下りる。
すると、真夏でもないのに、太陽の光がやけに眩しかった。
一瞬で灰になる、なんてことはないけれど、好ましいものではない。
リノは、近場にある小さな森へ避難する。
日陰に入るとやけに落ち着いて、木の幹に腰を下ろした。

「こんにちは、リノ」
一瞬、木に話しかけられたのかと思った。
けれど、すぐ隣には、自分より幼い少年が座っていたものだから、目を見開いた。
普通の人間ではないようで、耳は獣のようだ。
「ボクはシュレディンガー、ヘルシングとボクらの組織を繋ぐ使徒だよ」
「ふうん・・・」
敵か味方かはかりかねていて、リノは生返事を返す。

「キミ、前の戦いでは大活躍だったみたいだね。無数のグールと巨人の群れを呑み込んじゃったんだから」
「・・・活躍っていうほどでもない」
確かに、敵を倒しはした。
けれど、それはまだ生きていた味方ごとだ。
咎められはしなかったものの、リノは心苦しさを感じていた。


「そんな顔するならさ、ボクらの組織に来なよ、リノ」
浮かない顔を見て、シュレディンガーはすかさず提案する。
「そんなこと、許されるはずない」
「誰に許してもらうの?そもそも、キミは無理やり血を吸われて、望んでいない集団に入れられたんだ。
誰にも忠誠を誓っているわけじゃない」
指摘されるとその通りで、リノは言葉を返せない。

「ボクらの組織なら、皆キミの力を歓迎する。なんせ、死にたがりの集団だからね。
敵はもちろん、味方だって食ってくれれば感謝感激だよ。
キミはもう、罪悪感に苛まれることなんてなくなるんだ」
リノが黙っていると、シュレディンガーは追い討ちをかけた。

誘惑の言葉に、リノは揺らぐ。
ここに留まるよりも、その組織に行った方が、迷惑をかけずに済むのではないか。
無意識下の自分が止められないのなら、死を歓迎する集団に行くべきではないか。
この前、自分の居場所はここにしかないと思ったばかりなのに
他に望ましい場所があるとわかると、心変わりしそうになっていた。

「ま、急に来いって言っても困るかな。明日まで待つよ」
そう言って、シュレディンガーが木の後ろに回ったと思ったら、姿が消える。
明日までに決めろと言うのも、だいぶ急だった。

リノは誰にも相談できないまま、部屋で悩みに悩む。
夜になり、気晴らしに外へ出ようとしたとき、アーカードに出くわした。
「あ・・・」
「何だ、廊下を塞ぐな」
通路の真ん中で対峙してしまい、リノは横に避ける。
「あ、あの・・・貴方は、僕が死んだ方がいいと思う」
擦れ違いざまに問いかけると、アーカードが足を止める。

「そうだな」
リノの方を見ないまま、アーカードはあっさりと答える。
その瞬間、リノは廊下を駆けていた。
もしかしたら、否定してくれるのではないかと期待をしたのが馬鹿だった。
死んで当然の存在なのに、ショックを受けている自分を意外に思いつつ、森に入る。


「シュレディンガー・・・」
控えめに名前を呼ぶと、木々がざわりと揺れる。
「ボクを呼んでくれたってことは、こっちに来る気になったんだね」
「・・・そうする」
心苦しさを覚えるなら、求められていないのなら、別の場所へ行った方が良い。
自分勝手な判断だったけれど、もう使役される吸血鬼ではないのだ。

シュレディンガーが、リノの手を掴む。
その瞬間、景色が歪んだ。
知らない空間へ引き入れられ、眩暈がする。
空間がねじ曲がり、再び元に戻った時には、森がなくなっていた。


変わりに表れたのは、大きな基地と一人の人間。
その相手はにやにやと笑みを浮かべた、小太りの中年男性だった。
「ようこそ、リノ、私の基地へ」
男は両手を広げ、大げさな動作をする。

「この人は少佐。ボクらの上司だよ」
リノは、じっと相手を観察する。
今はにこやかにしているけれど、なぜか不気味な笑いだ。
アーカードとは別物の属性に、期待と不安が生まれる。

「シュレディンガーから君のことは常々聞いているよ。目をつけていてよかった。
時に少年よ、君は人を殺すのが好きかい?」
「・・・普通」
「なら、好きになるといい。君は罪悪感から力を抑制しすぎている。
何もかもから解放されたときの爽快感は素晴らしいものだよ」
それは、魅力的で恐ろしい言葉だった。
今までは、吸血鬼やグールを退治してきたけれど、積極的に殺人をしたことは少ない。
人を困らせている害敵を倒す、罪悪感を軽減させるための罪滅ぼしのつもりだった。

「早速、今日小さな戦争をしに行こうと思うんだけれど、その前にこれを飲んでみるといい。
きっと、君の力を最大限に引き出してくれる」
少佐は、リノに小瓶を投げる。
その中には、闇を凝縮したような黒い液体が入っていた。
こんなものが、本当に罪悪感を消してくれるのだろうかと疑う。
半信半疑だったからか、リノはあまり抵抗なく液を飲んだ。


とたんに、心臓が高鳴り、全身に血が巡る。
まるで全力疾走した後のように体が熱くなって、すぐに効果が表れた。
「リノ、気分はどうかな?今から人がたくさんいる場所へ行くよ」
「うん・・・早く、行きたい」
リノが即答すると、少佐は満足そうに笑う。

「流石、ドクが作った強壮剤だ。シュレディンガー、連れて行ってあげて」
「はーい」
シュレディンガーがリノの手を握ると、景色が歪む。
着いた場所は、静かな街だった。
その街に似合わない武装した集団が、合図を今か今かと待っている。

「さあ、開戦だ!」
シュレディンガーの合図で、兵士が一斉に街に進む。
同時に、爪でリノの指先を切った。
指先が急激に熱を帯び、瞬時に獅子が飛び出す。
少量の出血なのに体は普段より一回り大きく、牙のぎらつきも増していた。


飢えた獅子は、街へと駆けて行く。
街の景色は、獅子の目を通して把握できる。
戦う兵士、交わる刃、逃げ惑う人々。
血が落ちていない場所なんてなく、兵士は目につく相手を容赦なく斬り倒していた。

たまに味方の兵も倒れていたが、その表情には笑みが浮かんでいる。
戦場ではありえない、とても安らかな笑顔に、リノは安心していた。
味方は、本当に死を望んでいるのだと。

リノが生み出した獅子も、敵の脇腹に食らいつき、臓器を食らう。
相手は悲鳴を上げる間もなく絶命し、血溜まりに伏せた。
異様な怪物の出現に、敵方の兵士が退こうとする。

中には背を向けて走り去る者もいたが、戦闘の場で敵前逃亡は許されない。
獅子は大きく跳躍して相手の前に立ち塞がり、瞬時に首を引きちぎった。
猛りを抑えきれぬように、獅子が吼える。
その高揚は、リノの感情に連動していた。

いくら臓腑を食らっても、血飛沫を浴びても、悲鳴を聞いても嫌な気分にならない。
それどころか、より残酷な景色が見たいと、いきり立っていた。




そして、その日、街が一つ消えた。
建物は破壊し尽くされ、住民は誰もいない。
街には濃い血の臭いだけが残り、リノは今までにないくらい惨殺した。
けれど、満たされないものが胸の奥にある。
まだ獲物が足りないのだろうかと、自分自身が恐ろしくなった。

リノは、シュレディンガーに連れられて基地へ戻る。
「素晴らしい活躍だったよ。今回は楽すぎて物足りなかったかな」
「まるで手応えがなかった。もっと・・・濃い血を浴びたい」
リノの答えに、少佐は不気味に笑む。

「いいね、君の力が完全に解放されればまさにカオスだ。
次は、もっと骨のある相手をご用意しよう」
リノは、自然と頬を緩ませる。
まるで、本能がそれを求めてやまないように。


そうして、短期間でいくつもの街が消えた。
罪悪感が消えたリノからは、代わりに高揚が生まれていて
赤い化物達は、感情に呼応するように成長していく。
食欲旺盛になった化物は、たまに味方も食らってしまったけれど
誰にも咎められることはなく、むしろ味方が笑顔で絶命することが救いだった。

街が消えていく噂は、瞬く間に広まる。
そんな身勝手な戦争が、放っておかれるはずはなかった。
「リノ、今日もたくさんの命を吸ったね。気分はどう」
「すごく清々しい。ここなら、僕は僕の存在を否定しなくてもいいんだ」
それでも、相変わらず満たされないものがある。
命を奪う欲求とは違う欲望が、未だにくすぶっている。
解消法方がわからないからか、惨殺には拍車がかかっていた。

「じゃあ、帰ろうか」
シュレディンガーが手を取ろうとしたところで、リノが振り返る。
「・・・先に帰ってて。獅子に乗れば、すぐに基地に着けるから」
何者かの気配を察知したのか、シュレディンガーは大人しく消える。
リノが街の中へ戻ると、相手が姿を現した。


「やっぱり、貴方か」
「私の元を離れるとは、死に急いだな」
お互い、再開を喜ぶこともなく対峙する。
リノは獅子を出し、戦闘意欲を示した。
「僕を連れ戻しに来るほど、貴方は思いやりのある相手じゃない。
街を消す害敵を、打ち滅ぼしに来たんだ」
「よく、わかっているではないか」

アーカードは銃を構え、同じく臨戦態勢に入る。
容赦なく銃弾が放たれると、獅子は跳躍してかわした。
そのままアーカードに飛びかかり、頭に食らいつこうとする。
アーカードは手刀で獅子の脇腹を突いたが、吹き飛ばすことができない。
獅子は唸り声をあげ、その手を肘から食いちぎった。

「ちっ、なかなか頑丈になっているようだな」
すかさず銃弾が放たれ、獅子の頭を貫通する。
けれど、血の効果かすぐに回復し、太い爪が銃を叩き落とした。
続けざまに、アーカードの肩が切り裂かれる。
以前より攻撃力も格段に上がっていて、地面に血溜まりが広がった。
その血に危険を感じ取ったのか、獅子は一旦離れてリノの傍に寄る。

「今なら、貴方だって殺せる。僕が死んだら、いくつ命があったって飲み込んでみせる」
薬の効果で気も大きくなっているのか、リノは大口をたたく。
少年の戯言を、アーカードは鼻で笑った。

「少し力をつけたくらいで調子に乗るな。絶対的な恐怖を味あわせてやろう」
アーカードが写真のフレームを作るように、指で四角の形を作る。
すると、とたんに周囲の空気が変わった。
そのフレームから、おどろおどろしいものが飛び出てくる気がして、リノは警戒する。
空気はどんどん重々しくなってゆき、アーカードのマントの中に無数の瞳が現れた。


巨大な目に見詰められ、リノは思わず一歩後ずさる。
獅子は怯まず、アーカードに飛びかかった。
けれど、その牙が届く前に、目が黒い波に乗って出てくる。
赤い体は一瞬にして闇に呑まれ、傷に戻ることもなく消えてしまった。

まるで、自分が死んだときの闇と同じだと、リノは驚きを隠せない。
しかも、それは犬の形に姿を変え、牙をむき出しにして迫ってきた。
リノはとっさに指を切り、犬や怪鳥を放つ。

それも、獅子と同じように一瞬で闇に取り込まれ、消えてしまう。
おぞましい姿はほとんど同じなのに、力量がまるで違った。
目の前まで狂犬が迫り、リノは腰が抜けて尻餅をつく。
一時でも目を逸らしたとたんに食われてしまいそうで、瞬きすらできなかった。

「これが、格の違いだ。お前を犬の餌にすることなど容易い」
狂犬を引っ込めて、アーカードがリノを見下げる。
「あ、貴方は、僕が死んだ方がいいんだろう。一思いに噛み砕けばいい・・・」
「お前は死を望んでいるのだったな。なら、なぜ震えている」
「えっ・・・」
そのとき、リノは自分の手が震えていることに初めて気が付いた。
死を間近にして、恐怖している。
それか、ずっと抑制されていた感情を思い出しただけかもしれない。


「相変わらず矛盾している奴だ。あのとき、私はお前の意思を尊重して答えてやっただけだというのに」
アーカードは片膝をつき、リノの顎を取る。
そのとき、リノの心臓が高鳴る。
恐怖心ではなく、もっと別のものが反応していた。
顎を取る手が移動し、指先が首元の血管をなぞる。

「あっ・・・」
触れられただけで、リノは上ずった声を発する。
その声は、明らかに怯えではない。
アーカードは何かを確かめるよう、指の腹で首筋から顎の裏までをなぞり上げた。

「あ、や・・・やめ・・・」
ぞくぞくとした感覚が、リノの背に走る。
敏感に反応する様子を見た途端、アーカードはにやりと笑った。
「お前は死に急ぎたいのか、その逆なのか、どちらを望む」
ここで前者を選べば、死なせてくれるのだろう。
けれど、口は半開きになるだけで言葉を発そうとしない。
心の奥底にある意思と本能が、葛藤していた。

「お前は案外口が固いな。だが、割るのは楽そうだ」
アーカードはリノのうなじに手を添え、身を引き寄せる。
そして、半開きのままの唇を軽くなぶった。
柔く湿った感触に、リノの息が止まる。
反射的に突っぱねてもおかしくはないのに、ただ硬直してアーカードの行動を観察していた。


「このまま外でしてやろうか、それとも血にまみれたベッドにでも行くか」
「ふ、ふざけるな・・・!」
危機感がリノを動かし、アーカードから離れる。
そして、対峙することを止め、背を向けて走り去っていた。

「そんな速度で、私から逃れられると思ったか」
すぐ側で声がしたと思った瞬間、体が背後から捕らえられる。
胸部と腹部に腕が回され、動きを制されていた。
以前と同じ体勢に、寒気を覚える。
嫌な予感がしたとき、首筋に歯が突き立てられていた。

「うあ・・・っ」
鋭い痛みに、リノは声を上げた。
血が逆流し、吸われていくのがわかる。
徐々に命を奪われる感覚に、前と同じく傷口が熱くなる。
けれど、今はそれ以外にも感じるものがあった。

「あ、あ・・・もう、離し・・・っ」
いつか、下腹部を探られたときと同じように、リノは拒否しようとする。
アーカードの腕に爪をたてたが、何の効果もない。
全身が熱くなる半面、寒気も伴う感覚は、無理やり成された行為のときと類似していた。

血を吸われ続け、意識が朦朧としてくる。
もう、爪をたてることも辛くなり、リノは力なく腕を下ろした。
抵抗の余地がなくなると、アーカードが牙を抜く。
そして、自分の体を支えるだけで精一杯のリノを反転させた。

「お前は欲を覚えている。私が教えてやった色欲をな」
アーカードは、リノの耳元で怪しく囁く。
吐息をかけられるだけでも、リノは腰が砕けそうになった。
「折角だ、その体に最後まで刻み込んでやろう・・・」
有無を言わさず、アーカードはリノの体を軽々と抱える。

「ぼ・・・僕は、危険な存在を受け入れてくれた貴方を裏切った。
それなのに、組織に戻そうとしてくれるの・・・」
「私は、私が愉しめることをするだけだ。組織云々など関係ない」
アーカードは、地面を蹴って飛翔する。
リノは抵抗する気力も体力もなく、そのまま腕に抱かれていた。



―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
だいぶ超速展開、アーカードが気分屋で助かりました。
いかがわしい話へのフラグが立ったので、次で一区切りです。