ヘタリア #11

―最後の我儘―

僕はイタリアの家から出た後、一旦自国へ帰った
他国を併合する二日前だが、国の様子はさして変わり無かった
いつでも臨戦態勢をとれるこの国は、特別準備する必要はない
そのほうが、国民に心配をかけなくて済む
こうして国を見てみると、他国には容赦ない上司でも、国民の事はちゃんと考えているんだなと思う

見張りの兵に敬礼し、僕は家に戻った
そして自室に入ると、すぐさま電話をかけた
どうしても会っておきたい、もう一つの国に


電話をかけた時、まだ早すぎるかと思ったが、すぐに相手のほうで受話器が取られる音がした
「はい。日本です」
寝覚めの声とはさほど遠い、凛とした声が聞こえてきた

「お早うございます、日本さん」
「お早うございます。リンセイ君は早起きなのですね」
こっちから名乗る前に、挨拶が返ってきた
この声は僕の声なのだと、完璧に認識してくれているのが嬉しかった

「あの、突然の事で申し訳ないんですが・・・今からそちらに伺ってもいいですか」
少し強く、なおかつ尋ねるようにして言った
もし無理だと言われても、多少の強硬手段に出るぐらいの気持ちが入っていた

「ええ、構いませんよ。お茶を用意して、お待ちしています」
その返答に、リンセイは安心した
親切にしてもらっている相手に、強硬手段など使いたくはなかった
「ありがとうございます。では、後ほど伺わせていただきます」
僕はそう言って、電話を切った
そして身支度を整え、日本さんの家へ向かった




早くに出たので、昼前に目的地へたどり着く事ができた
玄関の扉を叩くと、ほどなくして扉が開いた

「今日は。どうぞ上がって下さい」
日本さんは微笑み、僕を迎え入れてくれた
「はい、失礼します」
蛍を見に行ったときのことが気にかかっていたが、いつもと変わらぬように接してくれたので、僕はまた安心した



畳張りの部屋に通され、僕は星座をして背筋を伸ばした
目の前には、今しがたいれてきてくれた緑茶がある
それを一口飲むと、こうして対面するとき、やけに緊張していた自分が思い出されるようだった
今はもう緊張感はだいぶ緩和され、肩の力が抜けている
だが、いつ緊張感が生まれてくるかわからないので、その前に頼み事をしてしまおうと思った

「日本さん。もう一度、この国を案内していただけませんか」
以前は、情報を集めるためだけに国を見ていた
だが、もうそんな必要はなくなった今
もう一度、純粋に楽しむために日本国を見ておきたかった

「構いませんよ。それでは、お茶を飲み終えたら行きましょうか」
「はい。・・・ありがとうございます」




それから、僕は日本国の独特な絵画や、象徴的なとても高い山を見た
失礼な話だが、軍略に関係なさそうなその山の名前は忘れてしまっていたので、また教えてもらった
その、富士山と言う山の説明は二度目だと思うが、嫌な顔一つせずに詳しく教えてくれた

何気ない気遣いをしてくれる、本当に優しい人だとしみじみ思う
その優しさゆえに、僕がしようとしていることには、反対すると思う
僕がそのことを口に出してしまえば、とたんに強い口調で咎められるかもしれない
いつも温厚な彼に強く言われたら、僕は尻込みしてしまうだろう

だから、誰にも教えたくはない
自己中心的なこの方法を、実行するためにも




僕等が家に帰ってきたときは、もう暗くなっていた
僕はここで厚かましくも「泊まらせて下さい」と、言おうと思っていた
だが、これまた親切なことに相手の方から「よろしければ、泊まっていかれますか?」と尋ねてきてくれた
僕はその親切心に感謝し、「ありがとうございます」と頭を下げた


そんなやりとりがあり、僕は日本さんの家に泊らせてもらえることになった
だが、一緒に入浴することは・・・謹んで、遠慮させてもらった
以前のことがあるので、いくら広い風呂でも一緒に入りづらいということもあったし
そんな状況になったら、またあの声が聞こえてくる恐れがあった
日本さんもそれを察しているのか、理由を尋ねることはしないでくれた




広い湯船に一人で浸かるのは、何だかもったいなく思えた
そして、少し寂しいとも感じた
今思えば、この露天風呂に入るときはいつもイタリアか日本さんがいた
僕はいつの間にか他者と過ごすことに慣れ、そして一人を寂しいと感じている
この前まで、一人は、当たり前のことだと思っていたのに

僕は自分自身に対して、苦笑した
そう感じるようになった今、自ら他者との繋がりを断ち切ろうとしている自分が、滑稽だった

波打つ湯に一滴の滴が落ち、小さな波紋が広がった
リンセイは、自分のすぐ傍で広がった波紋に、気付かなかった




露天風呂から上がると、日本さんは縁側に座っていた
ちなみに、この縁側という言葉も、今日教えてもらったものだ
家の中と外の中間地点にあるようなその場所は、当たり前だが風通しが良く、涼むにはもってこいの場所だった
僕は、日本さんの隣に腰を下ろした


「今日はありがとうございました。僕の我儘に付き合ってくれて・・・」
「いいえ。私も、楽しかったですよ」
突然電話をかけ、その日のうちに訪問したいなど、迷惑だったかもしれない
でも、日本さんはそんなそぶりは全く見せない
本当に、楽しんでくれたのかもしれない
僕は突然訪れ、その上我儘まで言ったというのに
でも、今日だけは大目に見てほしいという思いもあった
もうすぐ、この関係を断ち切らなければならなくなるから・・・


「あの、リンセイ君」
ふいに日本さんに話しかけられ、僕は声の方を向いた

「国内で、何か揉め事でもあったのですか?」
突然のそんな質問に、僕はきょとんとした

「揉め事・・・は、特にありませんけど。・・・どこか、気になるところでもありましたか?」
質問の意図がわからず、僕は思わず聞き返していた
「いえ。今日のリンセイ君は・・・いつもと違う気がするんです」
「え?」
その発言に、僕は呆気にとられた

「何と言うか・・その、どこか雰囲気が違うと思いまして。
私の、思い過ごしかもしれないのですが・・・」

その言葉に、僕は驚きを隠しきれなかった
今日一日は、憂いなど見せぬように、必死に隠してきた
いつものような口調、いつものような態度、いつものような表情
それらを、こなしてきたつもりだった

だが、彼は気付いていた
僕の中にある、友となった二人と決別しなければならないという、この憂いを
必死に隠していたはずの負の感情を、彼は感じ取っていた


「やはり、何かあったんですか?私でよければ、相談に乗りますよ」
僕の沈黙を肯定と受け取ったのか、日本さんが真剣な表情で言った

彼は、気にかけてくれている
僕自身ですら気付かなかった変化を感じ取るほど

彼は、心配してくれている
社交儀礼の言葉なんかじゃない
本当に、友のことを思ってくれている

日本さんにとっては、何気ない、気遣いの言葉なのだろう
だけど僕はその言葉に、涙腺が緩むのを感じていた
涙なんて、人前で流す事に僕は慣れていない
自分の弱みを見せるのは、他国へ隙を作ってしまうのと同じ
そう認識していた僕は、衝動的な行動をした



僕は、すぐ隣にいる彼を抱きしめた
自分の方が背丈が高いので、これなら相手から潤んだ目を見られることはない
また無礼なことをして、いいかげん突き飛ばされてしまうだろうかと思った
だが、彼は驚きの言葉を発することさえしなかった
僕に抱きしめられるのはもう三度目にもなるので、慣れたのだろうか

僕が衝動的にこんなことをしたのは、涙を見せないため、という目的はあった
だが、それは単なる切欠にすぎないものだと、薄々感じていた
僕は瞳に溜まった水分を抑えるべく、数回瞬いた
少し上を向いていないと、雫が零れそうだった

視点を上げると、丁度満月が見えた
その満月は、少しぼやけて見えていた
僕は、その満月がはっきりと見えるようになるまで、瞬きを続けた


「リンセイ君・・・私にできることがあれば、遠慮なく言って下さいね」
彼は、静かに言った

この人は、僕の腕の中にいる人は
抱きしめられて驚いているはずなのに、まだ僕を気遣ってくれている
彼は、本当に優しい人だ
だから、僕はその優しさに、甘えてしまった


「後、一つだけ・・・我儘を聞いていただけますか」
もう、会えなくなるかもしれない
それならば、その前に―――

「ええ。いいですよ」
「・・・僕が離れるまで、目を閉じていてほしいんです」
彼は、僕が涙を見られたくないからだと、そう解釈したかもしれない
だからこそ、すぐに「わかりました」と言って、目を閉じたのだと思う
でも、僕はその理由で目を閉じてほしいと言ったのではない
その真意は、もっとやましく、自己中心的な理由だった

僕は視線を落とし、彼と向かい合った
たぶん、僕が肩に置いている両手を離すまで目を閉じているのだろう
その誠実さを、僕は利用した
後先考えず、僕は行動した


「日本さん・・・」
目の前にいる相手の名前が、自然と発された
名前を呼ばれても、相手は律義に目を閉じていた

そして、僕は目を閉じ、口付けた
以前のような、中途半端なものではなく
相手が、言葉を発する場所に
なるべく驚かせないように、ゆっくりと重ね合わせた


「ん・・・っ」
掴んでいる肩が、少し震えた
いつでも振り払えるように、肩を掴む力は緩めていた


彼とこうすることに、不思議と迷いはなかった
もう会えなくなると思った瞬間、行動していた

僕は、今しているその行為を、愛情の証として使っているのか
それとも、親しい友の証として使っているのか
それは、僕自身でもわからなかった
だが、この状態がとても心地よいことだけは、確かだった


重ねている箇所の、柔らかい感触が
相手に触れていることで伝わる、温もりが
それらが要因となって、心音が早くなる
自分の顔が、赤く染まっているだろうなということがわかってくる

僕は彼を感じ、そして反応している
イタリアに口付けられたときと似ているような、だがどこか違うような
そんな不明瞭な感覚があった




それ以上、行為を進める気はなかった
僕は重ねていた個所を離し、相手の顔を見た
まだ僕の手が触れているからか、目は閉じられたままだった
目の前にいる人の顔は、赤みを帯びていた

僕が肩から手を離すと、眼前にある両目がゆっくりと開かれた
そして、僕は以前、イタリアと対面したときのように言葉に詰まった

次に何と言っていいか、わからない
なぜそんな状況に陥ってしまうのかも、わからない
僕は相手を見詰めたまま、ただ硬直するしかなかった


「少し・・・冷えて、きましたね」
言葉を紡いだのは、日本さんからだった

「そろそろ床に着きましょうか。このままだと、湯冷めしてしまいそうですし」
その口調に、動揺している様子は見られなかった
あまり慌てては、相手に失礼だと思っているのだろうか
だが、冷静な口調はまるでたった今の衝撃を必死に覆い隠しているような、そんな感じがした

日本は立ち上がり、和室へ移動して行った
その後を、流星は追いかけた




和室に敷かれた二組の布団
流星は右に、日本は左にそれぞれ寝転がった
さっきしたことを、何も咎められなかった
話題に出ることも、なかった
相手はいつもの口調で、「お休みなさい」と一言言っただけだった


もう少しで、今日が終わる
明日になれば、併合のための準備は終わる
そうしたら、もう会えなくなる

せめてそれまで、一分一秒でも長く、友の近くに居続けたい
無礼な事をしたって構わない
ぎりぎりまで、彼の存在を確かめていたい


そんなことを思った僕は、再び行動していた
僕は就寝前の挨拶を交わす前に、すぐ隣の布団へ移動した
そして、そこで眠ろうとしている相手を、包むようにして抱きしめた

「リンセイ君・・・?」
突拍子もないリンセイの行動に、日本は目を開いた

「すみません・・・失礼なことだとは、わかっています。
けれど・・・今日だけ、もう一回僕の我儘に付き合って下さい・・・」

僕は、懇願した
振り払われたくなかった
彼の優しさに甘え、すがるように抱きしめた
僕の事情なんて、彼は知る由もない
拒否する権限は勿論相手にあるが、今はこうすることを許してほしかった



日本は、抵抗しなかった
じっと動かず、リンセイの首元に額をあてていた
礼節をわきまえている彼がこんな行動に出るのは、何か訳があるのだと思った
それも、接吻を促すような、重大な訳が

日本は再び、「お休みなさい」と一言言った
リンセイは、許してくれた日本に感謝した
そして「お休みなさい」と返事を返すと、自分も目を閉じた
自分の腕に包まれている存在を、確かに感じながら―――




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
そろそろ、連載終了のお知らせです
日本は、あんなことやこんなことされると慌てふためくのが常道ですが
私の中では、大人びていて冷静なイメージがあるので、こんな性格となっております