異常疾患3


ジュンが出て行った後、すぐには出て行けずに気が落ち着くのを待つ。
猫の声は止まず、まるで誰かを歓迎しているように聞こえた。
数分経って息が整うと、服の乱れを直して声の方へ向かう。
そこには、ジュンと、見知らぬ少年が立っていた。
持ち物は小さな肩掛け鞄だけだが、中に何が入っているのか想像すると怖い。

「ジュン。良い子にしてたか」
「うん。新しいパートナーとも仲良くやってるよ」
着いて早々、ジュンに指を差される。
おそらく、隣の少年がヤトなのだろう。
年齢は、ジュンと変わらないように見えたけれど
まるで、狂犬病の犬と対峙しているような気分になった。

「ツカサには、みんなすっごく懐いてるんだ。ツカサも、みんなのこと大切にしてくれるから」
「ふーん、こいつらが懐いたのか」
ヤトが、訝しむように視線を向けてくる。
射止めるような眼差しに、一瞬呼吸が止まった。
パートナーなんてものではなく、ジュンとは都合の良いタイミングで出会ったに過ぎない。
この不審者は何物なのかと、怪しむのも無理はなかった。

「まあ、お前が懐いてるんなら、オレ達にとって危険因子じゃないってことだな。
ジュンから聞いてると思うが、オレはヤト。ジュンと同じ、頭のネジが一本取れてる奴だ」
自嘲気味なことを言い、ヤトが手を差し出してくる。


「僕はツカサ。ネジが取れてるのは・・・たぶん、同じだよ。よろしく」
案外友好的なのか、疑うことなくヤトの手を取る。
そのとたん、ぐいと引き寄せられ、体がぶつかった。
気付いたときには、うなじにひやりとした金属が当たる。

「随分と不用心だな。こんなんじゃ、簡単に寝首をかけそうだ」
ヤトは、怪しい笑みを浮かべて手を強く掴む。
やはり、危険な相手だと実感する。
その表情は、獲物を手中に収めた肉食獣を思わせた。

「ヤト、ツカサを傷付けないで!」
ジュンが訴えると、案外あっさりと解放される。
ヤトを睨んでいると、ジュンが駆け寄ってきた。

「ジュン、こいつにかなり懐いてんだな。人見知りはどうしたよ」
「みんな、ツカサのことは危険じゃないって言ってる。それに、ツカサはとっても温かいから」
「温かい、ねえ」
ヤトは、興味深そうにまじまじと視線を向けてくる。
平熱が高い、という意味ではないとわかっているのかもしれない。

「ちょっと、話しようぜ。二人っきりで、な」
ヤトに再び手首を掴まれ、強く引っ張られる。
この狂犬に逆らわないほうがいいと、大人しく誘導された。
その後を、一匹の猫がついてくる。
心配してくれているんだと思うと、少し嬉しくなった。


猫を連れたまま、ジュンの部屋に入る。
手が離されると、一歩退いて距離を置いた。
「さて、と。いろいろ聞きたいけど、まずはあんたの職業から教えてもらおうか」
いきなりまずい話題になり、口をつぐむ。
保健所の職員だなんて知られたら、猫達どころかジュンも近寄らなくなるだろう。
野良にとって、保健所なんて絶対に行きたくない場所のはずだ。

「どうしたよ、言えないようなヤバい仕事か」
猫がいるこの場で言うのは、ある意味やばい。
何かいい嘘はないかと、言葉を探した。
「・・・同業者だよ。僕も、君達とおな・・・」
同じだと言いかけた瞬間、肩を強く掴まれて壁に押し付けられる。
背の痛みに顔をしかめたときには、喉元に手がかけられていた。

「同業者だと?馬鹿言うな、お前みたいな奴、精神病棟にはいなかった」
「ぐ、う・・・」
動脈の辺りを親指で押され、息が詰まる。


「もう一度聞く、お前の仕事は何だ、何の目的でここにいる」
親指の力が緩まり、呼吸が楽になる。
だが、まだ手はかけられたままで、死が間近にあった。
嘘をつけば、次こそ喉を潰される。

「・・・その、猫がいる前では言えない。頼む、一旦猫を外に出させてくれ」
「ジュンには知られたくないことか。いいぜ、追い出してやるよ」
ヤトが手を離し、猫に歩み寄る。
乱暴する気かと、ヤトより先に猫に駆け寄っていた。
「ごめんな、監視を頼まれてるのかもしれないけど、少しの間だけ外に出ていてくれないか」
猫は考えるようにじっと目を見て、一声鳴く。
わかってくれたのか、部屋の外へ歩いて行った。

「猫に真顔で話しかけるなんて、あんたもたいがいだな」
「まだ日は浅いけど、一緒に居れば皆が賢いってわかる」
ここの猫達は呼び掛けに応えるし、餌を貰えたら感謝もする。
たまに甘えてきては喉を鳴らし、人より随分と扱いやすくて癒された。
しばらくここにいたら、ジュンのように人嫌いになるかもしれない。


「で、質問に答えてもらおうか」
「・・・・・・僕は・・・保健所の、職員だよ」
そこで、ヤトの目が一瞬丸くなる。
そして、堪えきれないように吹き出した。
「保健所!?よりにもよって保健所かよ!
猫と仲良しこよしやってる奴が、まさか保健所から来ただなんてな」
ヤトが笑うのも無理はない、野良にとって、保健所なんて歓迎されるはずはない。
嘘が露呈すれば、むしろ敵だと思われるだろう。

「あんた、ここの猫を薬殺する気か?」
「いや・・・ただ、狂犬病の犬を始末するように言われてるだけだ。
本部から持たされてる麻酔は、そんなに多くないから」
言われている仕事は、本当にそれだけだ。
けれど、日常の、当たり前の仕事として、野良を保護する役目もある。
野良の溜まり場を見つけてしまった今、早々に帰るわけにはいかなかった。

「始末したいんなら、連れて行ってやるよ」
ヤトに手首を掴まれ、有無を言わさず誘導される。
逆らう意思はなく、大人しく共に外へ出た。




ヤトも路地裏を把握しているのか、迷わず進む。
獲物がこの先にいると、確信しているような足取りだった。
無言のまま進んで行くと、奥から犬のうなり声が聞こえてくる。
そこへ行くと、行き止まりで犬がうろうろとしていた。
口から涎を垂らし、目は爛々と光っている。
明らかに異常だと、一目でわかった。

「血の匂いに引かれて来てんだな、ここはいい狩場だ」
ヤトの声に反応し、犬が視線を向けてくる。
相手が二人いても関係なく、すぐさま飛びかかってきた。

ヤトは袋から、小振りの斧をさっと取り出す。
そして、犬の攻撃をひらりとかわすと、すれ違いざまに腹部を切りつけていた。
鮮血が飛び散り、その場を濡らす。
犬はその場に倒れ、ぜいぜいと息をした。
だいぶ深く切れたのか、もう動けないでいる。


「もう終わりか。せっかくだし、もっと血溜まりを広げてみるか?」
止めをさそうと、ヤトが犬に歩み寄る。
その前に、僕は犬の傍へ近づき、しゃがみこんでいた。
もう虫の息の犬の首元へ手を当て、か細い呼吸を確かめる。

「・・・痛いよな。すぐ、楽にしてやるから」
ポケットから、小型の注射器を取り出す。
そして、首の動脈へさっと刺して、すぐに抜いた。
首元に手を当てていると、徐々に呼吸が弱まり、間隔が長くなる。
確実に、死へ近づいているんだと実感し、目を閉じる。
その息が途切れる瞬間を、見逃さないように。


そして、脈動は数秒で止まった。
触れている体が、だんだんと体温をなくす。
僕はじっと、犬が息絶える状態を感じ取っていた。

「あんた、動物好きじゃなかったのか」
目を開くと、ヤトがすぐ傍まで来て、顔を覗き込んでいた。
「動物は好きだよ、大好きだ。だから保健所の職員になったんだ」
「でも、保健所とあらば野良を殺さないといけないんだろ。矛盾してるぜ」
僕はかぶりを振り、否定する。

「矛盾なんてしてない。だって、僕は、動物の何もかもが好きなんだ。だから・・・
だから、その命が途切れるときの、脈動が止まるときの感覚でさえ感じていたいんだ」
驚いたのか、ヤトが黙る。
頭のネジが取れているのは、自覚していた。

ただの動物好きならよかった。
生きている動物を触れ合うだけで満足していれば、それでよかった。
けれど、いつから物足りなくなっていたんだろう。
動物の温かな体温だけでなく、冷たくなる様子も感じていたくなっていた。

徐々に呼吸が弱まり、完全に止まる瞬間さえも、愛おしく感じる。
野良を処分する仕事は、まさしく天職だった。
だから、今、狂犬病がはやりかけていることも嬉しく思う。
なぜなら、それだけ動物が息絶える瞬間を感じ取ることができるのだから。


「はははっ、なるほどね、どうりで死体を見ても平然としてるわけだ。
大好きな相手なら、どんな状態であっても愛しく見えるってことか」
ごまかすことなく、頷いて肯定する。
ヤトになら、知られても軽蔑されることはないだろう、けれど。

「ま、オレはあんたの趣味をどうこう言うつもりはないけどさ、これをジュンが知ったら、どんな顔するだろうな。
保健所の職員ってことだけでなく、動物を殺すことが趣味だなんてよ」
恐れていることを指摘され、唇を噛む。
畏怖、軽蔑、憤り、どんな負の感情が向けられるだろう。
ジュンのことを、猫と同じような愛しい動物だと認識しているのだろうか。
好かれ続けたいと、そんなことを切実に思うようになっていた。

「言わないでくれ、って頼んだら、秘密にしておいてくれるのか・・・?」
「さあな。あんたの態度によるけど」
ヤトが身を近付け、耳元で囁く。
息を吹きかけられるだけで、なぜかぞっとした。
「とりあえずジュンの住処に帰ろうぜ。お楽しみは、それから・・・な」
手首ではなく、手を握り締められる。
そのとたん、寒気が背を走っていた。



―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
やっぱり主人公もいささかおかしいです。そして、次は・・・早々に、いかがわしくなります。