異常疾患5


前は路地裏を歩いていれば遭遇できた狂犬も、徐々に数が少なくなってくる。
一日に一匹遭遇できるかできないかになり、確実に成果が出ていた。
麻酔も余り、この調子だと、そろそろ保健所から仕事修了の連絡が来てしまうかもしれない。
そうなったとき、ジュンに何て言おうかと、今から頭を悩ませていた。

「難しい顔してんな」
言い訳を考えているところで、ヤトに呼び掛けられる。
「・・・今は放っておいてくれないか」
「そういう訳にはいかねえな。やっと一匹駆除できて、気が昂ってんだ」
ヤトはわざと耳元で囁き、興奮ぎみに吐息を吹き掛ける。
今日は何をされるのかと、背筋に寒気が走った。
ヤトが狂犬を始末してきたときは、たいてい興奮の余韻が残っていて
物足りなさを解消させるために選ばれたのは、弱味を握っている相手だった。


早々に手が服の中へ入り込み、胸部をなぞる。
耳には柔くて湿った舌が伝い、身震いした。
服のボタンが次々と外され、肌の前面が露になる。
そこには無数の赤い痕がつけられていて、目を背けていた。
おそらく、背の方にも点々と残っているだろう。

ヤトは、まだ足りないと言わんばかりに、胸部へ口付けていく。
軽く食まれ、ちくりとした痛みを感じるごとに痕が増える。
まるで、これは自分の所有物だと、そう主張しているようだ。
いつまで、こんなことをされ続けるのだろうか。
一つの弱味を握られただけで、支配されてしまっている。
唇を噛み締め、ひたすら刺激に耐えていた。


「ずいぶんと痕がついたもんだな。上半身はもういい、次は・・・」
ヤトの手が下へ伸び、ズボンを掴む。
そのとき、反射的にヤトの手首を掴んで止めていた。
下半身をさらけ出されたら、口付けだけでは済まされない。

「抵抗してもいいのか?まあ、オレはそれでも面白そうだって思ってるけどな」
「う・・・」
意地悪く警告され、力が緩む。
けれど、ずっと言いなりになっていては、行為がエスカレートするのは目に見えている。
迷っていると、ズボンの留め金が外されてしまう。
危機感を抱いたとき、危険信号が思い出させてくれた。
余っている麻酔が、まだポケットに入っていることを。

迷っている暇はなかった。
ヤトから手を離し、ポケットから小型の注射器を取り出す。
そして、すぐさまヤトの腕へ突き刺していた。
「っ!」
半分ほど麻酔を注射し、ヤトから離れる。

「動物用の麻酔を打ちやがったか・・・」
「人だって動物だ。量は少ないから死にはしないけど、暫く動けなくなる」
即効性のある麻酔は、ヤトから力を奪う。
座っていることもままならなくなり、ベッドに倒れていた。
とっさに保身に走ってしまい、後先考えずに行動してしまった。
これで、ジュンにばらされてしまうことだろう。
同じく力が抜けて、ベッドに腰掛けていた。

「これで、オレがあんたの事情を隠しておく理由がなくなったな・・・」
「・・・どうせ、狂犬がいなくなったら戻らないといけないんだ。立ち去る理由ができたよ」
精一杯強がるけれど、声に落胆が隠せない。
ちらと隣を見ると、ヤトは薄く口を開き、細く息を吐いていた。
今、口と鼻を塞いでしまえば、簡単に殺せる。
そうすれば、ジュンに職業がばれることはないし、嫌われずに済む。
手がヤトの方へ伸び、指先が唇に触れた。


「オレのことを、殺したいのか・・・」
ぴた、と手の動きが止まる。
「ま、そうに決まってるよな・・・脅して、無理矢理犯してんだからよ・・・」
「恨みを買うって、わかっていてもそういうことをしたいのか」
「・・・そうだ。オレ自身、止められるもんなら、病棟になんていなかっただろうな・・・」
悪いことだとわかっていても、自分本位の行動を抑制できない。
それは、ただの自己中ではなく、脳の疾患からだ。
だから、ヤトは牢屋ではなく病棟に入れられている。
改めてそう気付くと、ヤトに対して恨みや憤りが生まれなかった。

指先は口を塞がないけれど、離れようともしない。
何を思ったのか、その隙間の中へと入り込んでいた。
仕返しのつもりだろうか、人差し指がヤトの舌へ触れ、表面をそっとなぞっていく。
柔らかくて、ほんのりと温かい。
噛む力もないのか、ヤトは大人しくしている。
反抗の言葉を発するどころか、目を細めて何かを感じているようだった。

ヤトが舌をわずかに動かし、やんわりと絡めてくる。
指がしっとりと濡れると、滑らかな感触に同じく目が細まっていた。
そこで少しの間硬直し、何をやっているのかと指を抜く。
服で適当に拭うと、気まずくて言葉が言えなくなった。
沈黙のさなか、ヤトがだるそうに腕を動かし、自分の服を脱ぎ始める。


「・・・何してるんだ」
ヤトは答えず、服をはだけさせる。
そこで、曝け出された肌を見て目を丸くした。
ジュンに負けないくらいの白い肌には、いくつもの傷跡が残っていた。
「言っただろ、恨みを買っても、止められないってよ・・・」
それは、争い事の末についた傷なのだろうと察した。

自分がいくら傷ついても、面白そうな出来事に手を出さずにはいられない。
ただの自己中ではなく、だいぶ厄介な疾患のようだ。
まるで、本能のままに行動する、猪突猛進な動物。
そう感じてしまったら、保健所職員の同情心が疼いた。

ヤトの首元にある傷を撫で、胸部や腹部へも触れていく。
ズボンの辺りについたところで、流石に手を引っ込めたけれど
ヤトは自らベルトを解き、下半身の衣服もずらしていた。
太股の辺りにも、大きな傷跡が残されている。
その傷にも触れたところで、手首を掴まれた。
麻酔が解けはじめているのだろうか、案外しっかりと握られる。

「そこじゃなくて、真ん中のとこに触ってくれよ・・・」
弱弱しい声で求められて、どきりとする。
手は迷うように硬直していたけれど、言われるがままにその中心部に触れていた。
掌で包み込み、おずおずと愛撫する。
ヤトは細い吐息を吐き、手をベッドの上に下ろした。
もう解放されたはずなのに、ヤトから離れられない。

「なあ・・・オレが、前にあんたにしたように、擦ってくれよ・・・」
ヤトは、発情期にでもなっているのだろうか。
声にも、眼差しにも欲が含まれていて、誘惑される。
この動物に望まれているのなら、叶えたい。
もはや、ヤトを手負いの犬のようにしか見ていなかった。


望み通り、ヤトの中心を上下に擦る。
感じさせるこつなんて知らなくて、ひたすらに手を動かした。
「ん・・・・・・は・・・っ」
単純な動作でも反応することはするのか、ヤトが息を吐く。
掌の中で固くなる感触に動揺しつつも、動きを止められない。
掌全体を使って、ヤトの感じやすいものを刺激していった。
たまに、指の腹で裏側をなぞると、それがびくりと震える。

「は、あ・・・。なあ、いかせてくれよ・・・麻酔を打った、あんたのその手で・・・」
その懇願の言葉が、二つの意味に聞こえる。
性的な意味で達させてほしいという意味と、多量の麻酔を打って逝かせてほしいという意味に。
後者の方が、ヤトにとっては幸せなのかもしれない。
もう、無謀なことをして傷つかずに済む。
今までだって、麻酔を打って殺してきた。
ヤトが死ぬときも、愛おしく思えるだろうか。

掌が止まり、空いている方の手が自分のポケットを探る。
注射器に残っている麻酔は少ないけれど、首の動脈に的確に刺せば、逝かせることができる。
ヤトは身の危険を感じているはずだけれど、じっと様子を観察しているようだった。
少しの間、動きを止めて葛藤する。
そうして、再び動いたのは、ヤトを包み込んでいる方の手だった。

「っ、あぁ・・・」
再び刺激を受け、ヤトが喘ぎを漏らす。
もう迷わないように、ひたすら掌を上下に動かして全て包み込む。
自然と早くなった動きに、ヤトは打ち震える。
「ああ、ツカサ・・・!」
ふいに名前を呼ばれて、目を見開く。
きっと、無意識の内だろうけれど、本心から求められているようで、内心嬉しかった。
同時に手に力が入り、ヤトのものを強く握り込む。

「っ・・・ん、あっ・・・!」
ヤトの体が跳ね、とたんに下肢から白濁が溢れ出す。
ほとんどが掌にかかり、淫猥な感触が指の間に入り込んだ。
嫌悪感はなくて、ヤトの液がおさまるまで受け止める。
量が多く、掌が完全に液でまみれていく。
白濁がおさまると、ヤトは肩で息をした。

そこで、改めて自分の手を見てはっとする。
ヤトにじっと見上げられ、沈黙が流れた。

「・・・あ、洗ってくる」
いそいそとベッドから下り、部屋を出て行く。
この廃墟に水道が生きていてよかったと、心底思った。
洗い場で勢いよく水を出し、掌を擦って洗う。
白濁の量が多く、擦るたびにぬるりとした淫猥な感触を感じ、動揺した。
今の行為は、同情心からに違いない。
理性を持たない、無謀な犬のように見えたから、だから放っておけなかった。




手を洗い終え、部屋に戻る。
麻酔が切れたのか、ヤトは服を着直してベッドに座っていた。
少し躊躇ったけれど、体調を窺おうと隣に座る。

「・・・あのさ、一つ聞きたいんだけど、ジュンはどうして入院していたんだ?
猫好き過ぎるからとは言ってたけど、よくわからなかった」
先の行為のことを言われる前に、会話を投げかける。
「その言葉の通りだ。ジュンは友達思いすぎるから、猫が傷付けられたらどうあっても報復する。
相手が誰であろうともな」
ヤトは、誰であろうとも、というところを強調して言う。

「それは・・・相手が、人間でも?」
「当たり前だ、あいつは差別しないからな」
ジュンの無邪気な表情の奥には、やはり狂気が潜んでいた。
猫を傷付けた相手は、たとえ人であっても容赦なく報復し
それが原因で、病棟行きになったのだろう。
それ以上言葉を続けられないでいると、肩をぐいと引き寄せられる。

「あんたは、オレを生かすことを選んだんだ。・・・後悔するなよ」
「・・・ああ」
生返事をすると、肩が離される。
力も気力も戻っており、心配することはなさそうだった。
けれど、これで、職業のことをジュンにばらされても文句は言えない。
殺して口封じをする、のではなく、生かすことを選んだのだから。
ジュンとヤト、この二人に疾患があるからこそ、普通の人間よりも好ましく思えてしまう。
そんな自分も、やはり異常に違いなかった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
またもやいかがわしい・・・しかもヤトがリバになっていたという。
最初はすぐ終わると思っていた話ですが、案外続きます。