癒し手独神と英傑達 マサカドサマ編1





イツマデとほのぼのとしていたところへ、琉生はふいに悪しき気配を感じていた。

外へ続く道から、悪霊のような気配が近づいて来る。

「・・・何か、不穏なものが来てる気がする」

琉生はイツマデから離れ、迫る何かの方へ移動する。

ここまで悪霊が入り込んで来たのかと、イツマデは琉生の隣についた。



徐々に気配が近づき、琉生は唾を飲む。

悪霊だとはっきりわかればイツマデに向かわせたが、どこか違うのだ。

その相手が、姿を現す。

以前にも見たことがある、白地の布に飛び散った鮮血。

その者の両手には、7つの悪霊の首。

血が滴り、歩いた後に血の川ができている。



「将軍、見よ、敵将の首を狩ってきてやったわ」

薄ら笑いを浮かべ、マサカドサマは自慢げに言う。

琉生は瞳孔を開けたまま、何も言えない。

息が詰まって、窒息してしまいそうになる。

マサカドサマは、琉生から黒い魔獣が出てくることを予測していたが

琉生からは何も出てこず、体がふっと後ろへ倒れていた。



「あ、主様!」

とっさに、イツマデが琉生の背を支える。

はて、とマサカドサマは不可思議な面持ちで佇んでいた。





よほど衝撃が強かったのか、陽が落ちても琉生は目を覚まさない。

眠っている傍らでは、マサカドサマが目覚めを待っていた。

敵将の首は戦果を示す捧げ物、黒き魔獣を持つ琉生の方なら喜んでくれると思っていた。



だが、出てこようとはせず気絶する方を選ばれた。

マサカドサマは、琉生の頬へ軽く触れる。

金輪際、こうして眠っている間しか接することができないのだろうか。

じっと寝顔を見ていたところで、琉生は薄く目を開いた。

名残惜しくも、マサカドサマは手を退ける。



「・・・また、記憶、飛んでる・・・」

「今回ばかりは、本当に気絶してしまったようだ」

よくわからないことを言われ、琉生はぼんやりとしたままマサカドサマを見上げる。

「将軍、すまない。戦果を報告したかったとは言え、不快な思いをさせた」

琉生はゆっくりと起き上がり、マサカドサマから視線を逸らす。

直視し続けると、先の光景を思い出してしまいそうだった。

視界から外され、マサカドサマは琉生の髪へ手を伸ばし、指先で触れる。

琉生は反射的に緊張したが、払い除けはしない。

だが、再び視線を向けることもない。





「将軍よ、どうすれば、その目を俺の方へ向けることができる」

マサカドサマは、控えめに琉生の髪をすく。

顎を掴み無理やり向かせても意味はないとわかっていた。

琉生は薄く口を開いたものの、沈黙している。



どうすれば、自分はマサカドサマを恐れずに向き合えるだろうか。

猟奇的なことをしていても、その力は必要なものだ。

今、髪に触れる指は相手を傷付けようとしているものではない。

首を持ってきたことも、嫌がらせではなく戦果の報告のため。

けれど、相変わらず恐れの念は消えていなかった。



「・・・情けないな、僕。・・・ごめん、今は、まだ・・・」

「焦らずともよい。決して無理はしてくれるな」

普段の鬼神からは考えられない労わりの言葉。

気遣ってくれるその想いに応えたい。

琉生の脳裏には、とある相談相手が思い浮かんでいた。









翌日、琉生はカァ君と縁側に並んでいた。

一番話しやすい相手は、この烏だけだ。

「改まってご相談とは、何でしたでしょうか」

「あのさ・・マサカドサマの猟奇的な性格、何とかできないかなと思って」

聖人になれというわけではないが、せめて首を持って来るなんてことはしてほしくない。

自分を卒倒させる要因が減れば、恐怖も緩和されるのではないかと思った。



「うむむ・・・根っからの武人ですから、いえ、それ以外の要因もあるかと思いますが。

・・・では、また花を贈られてはどうでしょう。琉生様の穏やかな心に触れれば、幾分ましになるかもしれません」

「そっか、花は最高の嗜好品って言ってたし、血よりもそれで満足するかもしれない」

琉生はカァ君にお礼を言い、さっそく花壇へ移動した。





一時間後、琉生は緑色の葉を持ってマサカドサマの部屋を訪れていた。

以前は恐怖心しかなかったが、今は違う思いも込められている。

「ほう、またその葉を育ててきたのか。何か言いにくいことでもあるようだな」

「・・・わかるのか、やっぱり」

「頂戴しよう」

マサカドサマが受け取ると、花は粒子となり頭上に舞う。

一呼吸置いた後、琉生の意図は伝わっていた。



「俺に、穏やかに過ごせと、そう望むのか」

一瞬、声が冷たくなり琉生はひやりとする。

「・・・戦いを止めてほしいっていうわけじゃない。ただ、もう少し・・・血への渇きを軽減させられないかって」

マサカドサマは目を細め、琉生を見下ろす。

狂気ではない、どこか憂いを帯びているような気がして、琉生は驚いた。



「それは無理な相談だ。血を求めなくなったとき、それは俺ではなくなる。

将軍がそのような相手を望まぬと言うのなら、遠ざかるしかないのだろうな」

マサカドサマは静かに告げ、部屋を出て行く。



間違ったことをした、と琉生はとたんに後悔する。

怒りを見せるわけでもなく、ただ諭された。

相手の本質を変えようとしてはいけない、それはその者の意思を奪うのと同義だ。

ならば、自分が変わるしかない。

琉生は覚悟をして、自室へ向かった。





誰の気配もないことを確認し、鶺鴒台の前に立つ。

そして、備え付けの小刀を手に取った。

普段は、憑代から呼び出すために血を捧げている。

何もない状態でも、琉生は袖をまくり小刀を近づけていた。



とたんに、動悸が早くなる。

誰かに切られるより、自分で傷つけるのはいつも緊張する。

それに、今回は指先を少し切るだけではない。

いつか、マサカドサマにいつの間にか切られていたくらいの傷にしなければ。

肩で大きく深呼吸をしても、気が落ち着くものでもないし

こういうことはいくら躊躇っても時間が解決してくれるものではない。

自分の恐怖心が圧し掛かる前に、勢いでやってしまわなければ。



小刀を強めに肌に押し付け、さっと引く。

やはり、怯えが邪魔をして深くは切れない。

けれど、研ぎ澄まされた小刀のおかげで赤い一閃が引かれていた。

じわりとした痛みと共に、血が横に流れて行く。

顔の近くへ持ってゆきその匂いを嗅ぐと、鉄臭さに顔をひそめる。

拒否反応が、早く遠ざけてくれと訴えるが

我慢して、恐る恐る、自分の血を舐めてみた。



匂いが口内にも広がり、胸焼けするような濃い味がして、拒否反応が出る。

こんなものをマサカドサマは好んで飲んだのかと思うと、やはり人種が違うのだと実感する。

けれど、拒むのではなく近付きたかった。



嫌気を覚えつつ血を味わっていたが、やがて冷や汗が出て限界がくる。

そろそろ手当をしたほうがいいだろうと戸棚を漁るが、運悪く包帯が切れてしまっていた。

袖を元に戻し、傷口を隠して外へ出る。

別室にならあるだろうと、近くの部屋に入ろうとしたが

そこはマサカドサマの部屋だと思い出し、ぴたりと足を止めた。

ここへ入るのは気まずい、と離れようとしたとき、ちょうどマサカドサマが出てきてしまった。





「血の匂いがすると思えば、将軍ではないか。どこか怪我でもしたか」

どきりとした瞬間、腕を取られ袖がまくられる。

腕に引かれた一線を、マサカドサマは凝視していた。

「切られたにしては不自然な向きだ。自ら傷付けたか」

「ええ、と・・・」

歯切れの悪い返答をよそに、マサカドサマは傷へ口を近づける。

とたんに、弄られた感触を思い出すようで琉生は反射的に震えていた。

だが、触れる直前で動きが止まる。



「・・・手当てをしなければならんな」

腕を引かれ、琉生は素直に部屋へ入る。

直前の所で踏み止まってくれたことが意外で、警戒心は薄れていた。

マサカドサマは棚から包帯を出し、琉生の腕に巻いていく。

敵の首を狩ることに長けた鬼神が、手当の術を知っていたことが意外だった。

手際よく、きっちりと包帯が巻かれる。



「ありがとう。・・・手際がよくて、驚いた」

「将軍、まさか自傷行為に目覚めたのではあるまいな」

余計な話はせず、すぐさま問われて琉生は俯きがちになる。

ここで黙っては勘違いさせるだけだと、口を開いた。



「血に慣れたかったんだ。おこがましくマサカドサマを変えようとするんじゃなくて、僕が変わればいいって」

「無理はしてくれるなと言ったであろう。血を厭うのならば、護衛は他の者に任せれば良い」

確かに、刀を扱うのはマサカドサマだけで、他の二人の戦いで血だまりは生まれない。

けれど、それでは意味がないのだ。



「それだったら、自分の腕を切ってまで嫌な匂いを嗅いだり、味わったりしない。僕は・・・」

一呼吸置いて、声に出す。

今回ばかりは花に頼るより、自分の言葉で伝えたかった。





「僕は、マサカドサマについていてほしいから、それに、他の一面も知りたいから、まだ離れてほしくないから・・・」

伝えたいことが、しどろもどろになってしまう。

戦闘狂の一面だけ見て遠ざかりたくない。

さっき手当をしてくれたように、マサカドサマだって違う面がある。

気遣いの言葉をかけ、異常に気付き気にかけてくれる、そんな慈悲もあるのだ。



「血の池地獄を見ても卒倒しないようにするから、遠ざかったほうがいいなんて言わないでほしい・・・」

絞り出すような声で、最後まで言い切る。

まるで、幼子が駄々をこねているようだ。

「誰が、自らの本心から望んで、将軍から離れるなどと・・・」

マサカドサマの掌が、頬を撫でる。

まるで割れ物に触れるように優しくて、琉生はマサカドサマを見上げていた。



その目に狂気は含まれていない。

映っているのは、もっと他の穏やかなもの。

視線を合わせても恐ろしくない、じっと見詰めていたい。

要求に応じるよう、マサカドサマの身が下りてくる。

視界に相手しか映らなくなったとき、お互いの距離はなくなった。



言葉を発する個所が、マサカドサマと重なっているのだと感じる。

不思議と、怯えも驚きもない。

こうして、慈愛を受けることを望んでいたのだと思う。

目を閉じ、身を預けることを示す。

もう逃さぬよう、マサカドサマの手は背に回されていた。