癒し手独神と英傑達4





戦いに満足して、三人は社へ帰る。

カァ君が飛んでくると、琉生の姿を見て驚愕していた。

「る、琉生様も戦われたのですか」

「目覚ましい活躍であった、俺達の力など敵わないであろうな」

マサカドサマから称賛の言葉を受けても、琉生はくすりともしない。

戦いに必要のない、余計な感情は排除されているかのようだ。



『ひとまず湯浴みをする。このまま戻れば、卒倒するだろう』

「そうだな、オレ達も後で血を拭いたい」

琉生はアシヤドウマンの方へ、ちらと目を向ける。

『どうせ入るのなら、洗ってくれるか』

思いがけない発言に、二人は言葉を失う。

今の琉生は、相手を全く恐れていないのだ。



『この背に触れる度量があればの話だが』

本気か冗談か、声色が同じで判別がつかない。

色々な意味で恐ろしいものを呼び出してしまったと、アシヤドウマンは実感していた。





湯浴みをして血を洗い流したが、琉生はまだ魔獣を出したままでいる。

「アシヤドウマンよ、将軍はずっとあのままなのか」

「さあな。オレは呼び起こしただけで、戻るか戻らないかは本人の意思だ」

会話を聞き、琉生は二人の前に歩み出る。



『悪霊を退治するには、この姿の方が良い。戻ってほしいのなら戻ろう』

琉生の意思を、二人はまだ掴めない。

黙っているところで、マサカドサマが口火を切った。



「そうだな、その姿では恐らく花壇の花は枯れてしまうだろう」

遠回しな発言だが、琉生は静かに目を閉じる。

徐々に魔獣は中へ戻ってゆき、完全に消え去った。

再び目を開いたとき、明らかに雰囲気が変わる。

どす黒い迫力は無くなり、普通の人間に戻っていた。



「・・・僕、何かあった・・・?何だか体が気怠いし・・・」

「覚えていないのか」

琉生は伏し目がちになり、しばらく沈黙する。

「何でかわかんないけど、疲れてるから寝るよ・・・」

弱弱しい声で言い、琉生は寝室へ向かう。

その気落ちは、本当に疲労感だけだろうか。

二人は訝しみつつも、深追いはしなかった。









朝になっても、琉生は中々起きられなかった。

疲れは取れている、だが気力がわかない。

このまま、自然に消えてしまいたくなるような、そんな気分だ。

「琉生様、お具合はいかがでしょうか」

外から、カァ君が呼びかける。

自分を呼んでくれる相手がいて、やっと身を起こした。



「今起きたところだよ。もう平気」

襖を開けると、カァ君が飛んできて目の前で羽ばたく。

「申し訳ありません、琉生様にあのような負担を強いてしまい・・・。

それだけ、今の八百万界には悪霊を倒す力が必要なのです」

琉生は、癖のように伏し目がちになる。

カァ君を責めることもなければ、快く了承することもない。



「本日はお日柄も良いことですから、都へ行ってみませんか?

琉生様にまた会いたいと思っている住民もいることでしょう」

「・・・そうだね、一度家に帰ってみようかな」

琉生は部屋から出て、都への道へ向かう。

だが、その前にマサカドサマがいて、ぴたと足を止めた。



「社から出れば悪霊に遭遇する危険があります。どうか護衛をお連れください」

「安心しろ、街中で抜刀はせん」

一人で行きたい気持ちはあったが、カァ君の言うことはもっともだ。

「・・・いいけど、せめて前は閉じてほしい。胸の傷を見られたら注目の的になる」

見知った住民に出会いませんようにと祈りつつ、琉生は都への道を進んで行った。





都の中心部はまだ悪霊の影響は少ないのか、普段と変わりない。

行商が行き交い、出店は客を呼び込んでいる。

特に目も向けず、琉生はそそくさと自分の家を目指していた。

「都を見て回らぬのか」

「・・・離れて数日だし、そんなに変わってないみたいだから」

人目を避けるように、琉生の歩みは早い。

遠回りしても人込みを避け、町外れの自宅に着く。

家に入ると、荒らされているどころか農作物などの食べ物が置かれていた。



「まるで貢ぎ物だな。帰りを待ち焦がれられているのではないか?」

「・・・腐らせたら臭うし、持って帰るよ。ほら、おいしそうな梅酒もある」

問いをはぐらかし、重い酒瓶をマサカドサマに渡す。

「ほう、酒は花の次に良い嗜好品だ。有り難く頂戴しよう」

長居は無用だと、琉生はものの数分で家を出る。

来た道と同じく、人通りのない道を通って帰ろうとしていたが

都では、人に会わないことのほうが難しかった。





「あの、そこのお方は琉生様ではありませんか!?」

背後から話しかけられ、無視できずに振り返る。

「ああ、やはりそうでしたか。ご自宅にお伺いしてもおられないので心配しておりました」

「ええと・・・暫く、留守にすることになって」

こうして話している間に、何だ何だと人がちらほら集まってくる。



「なんと、琉生様!」

「本当だ、琉生様だ!」

騒がしくなってきて、琉生は堪え切れないように駆け出す。

呼び止める声を背に、振り返らずにその場を後にした。





息が切れてきた頃、社に着く。

琉生は縁側に腰かけて、大きな溜息をついた。

「人気者ではないか、何を逃げる必要がある」

「・・・表面的はそうだけど、僕の本心はまるで違うよ」

都でちやほやされてから、琉生はどこか浮かない顔をしている。

「ほう、将軍が何を思っているのか、興味がある」

話すか話すまいか、琉生は迷うように黙る。

悪霊退治に必要とされている存在、その本心が歪んでいてもこの相手は離れないだろう。



「・・・もしかしたら、梅酒で酔えば、良い気分になって話すかもね」

その場になって、口を開くかどうかはそのときの自分の気分に委ねたい。

そこで会話は終わり、琉生は花壇の手入れへ向かった。









今日は討伐もなく夜になり、琉生は床に就こうと寝室へ入る。

そこに、すでにマサカドサマがいたものだから足が止まった。

手には、しっかりと梅酒を持っている。

「将軍よ、共に飲み明かそうではないか」

差し出された盃を、琉生は素直に受け取る。

相手の存在自体は恐ろしいが、梅酒は好物だった。



盃に、並々と梅酒が注がれる。

ふわりと甘い香りが鼻をくすぐり、乾杯もせずに口をつけた。

とたんに心地良い甘味が広がり、琉生は目を細める。

多少、度数はきついが小さな盃程度なら飲み干していた。

マサカドサマも梅酒を注ぎ、一息に飲む。



「なかなか美味だ。度数も大したことはない、量が飲めそうだ」

「一人で全部飲まないでくれよ・・・」

酔えば、対峙している緊張感も和らぐだろうと琉生は続けて二杯目をあける。

あまり早く進めてはまずいと思ったが、上等な梅酒に勢いが止まらなかった。





短時間で飲み続け、琉生の頬が紅潮する。

瞼は重たくなり、ほろ酔いで心地よくなってきていた。

マサカドサマはまだ白いままで、平然としている。

「もう酔ったのか?まだ半分程度しか減っていないぞ」

「そんなに、強くないから・・・」

盃は床に置き、うとうととまどろむ。



「その調子では、今までも貢物を持て余していただろうに」

「貢物・・・」

思い起こすことがあり、琉生は視線を床に向ける。

「何で、皆持って来るんだろう・・・僕は、人の為にしてるわけじゃない・・・」

小さな声で、ぽつぽつと呟く。



「治療の礼ではないのか」

「・・・血が、嫌いなの知ってるだろ?なのに、見せに来るんだ・・・だから、見たくないから治すんだ・・・」

眠気で、言葉が浮つく。

決して慈善で治療していたわけじゃない、見ていたくないからだ。

それを感謝され、崇められる、相手の為を思ってしていることではないのに。



「何も、感謝される理由なんてないのにな・・・」

「どんな理由があるにせよ、門前払いなどしなかっただけよいではないか。

俺とて、悪霊退治をしているのは八百万界のためではない」

「じゃあ、何のため・・・」

マサカドサマは、その先の言葉を途切れさせるよう梅酒を飲む。





「そろそろ甘さが口につくようになってきたな。何かで割りたいものよ」

「お湯か水か、持ってこようか・・・」

琉生が立ち上がろうとすると、マサカドサマがとっさに腕を掴む。

「将軍よ、今日の護衛の褒美を貰えぬか?」

「・・・じゃあ、お湯か水を・・・」

そっけないことを言って出て行こうとする琉生の腕を、ぐいと引く。



「一度、将軍の血を味わってみたい。そうだな、腕の血管など太くて良さそうだ」

酔い覚めしそうな発言に、琉生はとたんにぞっとした。

「そ、そんなこと、嫌だ・・・」

「何、腕を落としはせん、皮膚を軽く切るだけだ」

マサカドサマがすらりと刀を抜いたものだから、危機感は一気に増す。

嫌だ、と強く思った瞬間、一瞬意識が消える。

とたんに琉生の背から黒い魔獣が出現し、マサカドサマを見据えていた。



『鬼神よ、主に手をかけようとするか』

魔獣の爪が、マサカドサマへ向けられる。

鋭い凶器はその首を刎ねるかと思ったが、寸前のとこで止められていた。

手に掛けられるのが自分の方になっても、マサカドサマは真っ直ぐ琉生を見据えたまま動かない。

殺されないとでも思っているのか、それともよほど血に飢えているのか。



『・・・それほど欲するのか。こんな者の血を』

じっと視線が交差した後、魔獣は手を退ける。

許しを得ると、マサカドサマは刀身を琉生の腕に当て、さっと引いた。

本当に鋭い刃物で切ったとき、あまり痛みはなく血だけが滲む。

傷はさほど深くなくとも、血は指を伝い盃へ落とされていた。





梅酒が注がれ、ゆらりと鮮血が揺れる。

マサカドサマは待ちきれないよう、一息で飲み干した。

甘さに交じる、鉄の香り。

低級な悪霊のものとはまるで違う味わいに、マサカドサマは陶酔していた。



「何と濃い香りよ、割ってしまうのは勿体ないほどだ」

『飲んだのならもう終わりだ』

だが、マサカドサマは琉生の腕を離さない。

そして、距離を置くどころか傷口へ唇を寄せていた。

『何を・・・』

傷口に、唇が触れる。

堪え切れないように、マサカドサマは舌先で血を拭っていた。

大胆不敵な行動に、琉生は息を飲む。



血の跡を追うように、柔い舌が伝う。

腕から、手首を這い、指先まで弄られていく。

恐れとは違う寒気を感じ、琉生は困惑していた。

血ではなく、マサカドサマの液で手が濡れる。

広い面で愛撫され、奇妙な感覚を覚えてしまい琉生は眉根を下げていた。



『っ・・・この場は、役目が違う』

戦いが琉生流の存在は、こんな感覚は覚えてはいけない。

魔獣は体の中へ消え、琉生はかくりと頭を下げる。

意識は直ぐに戻り、はっとしてマサカドサマを見た。



「・・・な、なな、何して、って、腕切られて、いつの間に」

狼狽する琉生を見て、マサカドサマは怪しく笑む。

「誠に美味であった。あわよくばもっと味わいたいところだが、将軍の血気を奪いすぎてはいかんな」

もう満足したのか、マサカドサマは素直に手を離す。

切り傷を見るとその場にいるのが怖くなって、琉生は寝室から出ていた。



記憶はないが、感触は残っている。

腕から指先にかけて、柔いものが這った後の湿り気が。

鼓動が早いのは、恐怖心からに違いなかった。