癒し手独神と英傑達6
都に翼の生えた悪霊が出たと連絡を受け、三人はカァ君に先導されて向かう。
昨日まで平穏だった街並みは一変し、周囲に黒い霧が散布されている。
人の声はせず家に引っ込んでいるようで、どこからか咳きこむ音がする。
「邪気を帯びた霧だ、まともな人間には悪影響だろうな」
「ならば、さっさと済ませるぞ」
マサカドサマが、屋根の上へ目を向ける。
敵が表れたと察したのか、そこへ黒い物体が降り立った。
大きさはあまり人と変わらないが、背からは大きな羽が生えている。
黒字に赤色が混じった、烏のような翼。
造形は不気味だが、琉生はその姿を凝視していた。
「何だ、たった一体か。楽に終わってしまいそうだな」
先制して、アシヤドウマンが火炎の呪術を放つ。
悪霊はさっと飛んでかわし、漆黒の霧を吐き出した。
周囲は闇に包まれ何も見えなくなり、翼の羽ばたく音だけが聞こえる。
「これで目暗ましのつもりか」
マサカドサマは目を閉じ、音に集中する。
幾多の修羅場を潜り抜けてきた剣豪に、視界など必要ない。
羽音が接近した瞬間、大きく一歩踏み込む。
そして一瞬のうちに抜刀し、一閃を切っていた。
地面に、物体が落ちる鈍い音がする。
霧がみるみるうちに消え、そこには首と胴が切り離された死体が転がっていた。
むごたらしい光景を直視しないよう、琉生は目を背ける。
「・・・流石だね」
「手ごたえがなさすぎた。刀はまだ血を欲しておるわ」
狂気じみた発言に、琉生は何も言葉をかけられない。
もう悪霊は消えただろうかと恐る恐る地面へ目を向けると、一枚の羽が残されていた。
烏よりも大きめの、朱が混じった羽を恐れず手に取る。
「よく易々と触れたものだな、病魔をもたらす悪霊のものに」
「憑代になるかと思って。試しにやってみるよ」
力を失った羽から、さほど邪悪なものは感じられない。
何も生まれなかったら、それはそれで観賞用に欲しかった。
社に戻ると、琉生はさっそく鶺鴒台に羽を置く。
深呼吸してから、小刀で指を切ってその羽へ捧げた。
今は何も感じられないが、一晩経てばどうなるか。
琉生は期待して、床に就いた。
「・・・おい、イツマデ寝てるんだ」
誰かの声がして目を開ける。
夢ではない、昨日の羽が憑代になったのだと、さっと体を起こした。
「やっと起きたか、永遠の眠りに就いたのかと思ったぞ?」
羽から生まれたのは、悪霊が自我を帯びたような人の姿。
体は人型、青白い肌に鋭く黒い爪、蛇の尻尾に背丈ほどある漆黒の羽。
始めて見る妖を、琉生はじっと注視する。
「何だ、オレの姿の恐ろしさに声も出ないか」
「いや・・・ただ、驚いて」
「フン、驚愕より恐怖に歪む顔の方が良いものだがな。
さて、オレを呼び出したからには何か期待することがあったんだろ?」
まさか、目の前で羽を見たかったからとは言えない。
「ああ、八百万界にはびこる悪霊を退治することに協力してほしい」
「ククッ、いいぜ。オレに憑りついた奴等に思い知らせてやらなきゃなァ」
好戦的なようで、都合が良い。
昨日は闇に紛れてほとんど見えなかったが、戦闘時にはきっと羽を広げ羽ばたいている姿が見られると期待していた。
部屋から出ると、新たな英傑の気配を察知してカァ君が飛んできた。
「琉生様、また新たな戦力が増えましたね!」
「無事に呼び出せてよかった。早速なんだけど、どこかで悪霊が暴れていないかな」
「ちょうど、町外れの村に出現したところでございます!すぐに後の二人もお呼びして・・・」
飛び去ろうとするカァ君の足を、とっさに摘まんで止める。
「二人で行くよ。イツマデの実力が見たいんだ」
きっと、手練れの二人と行けばあっという間に終わってしまう。
そうしたら、じっくり飛ぶ姿を見ていられなくなるなんて、カァ君にはとても言えない。
「大丈夫でしょうか、村には結構な数の悪霊がはびこって・・・」
「見くびるなよ、相手の数が多いほどオレは有利になる」
イツマデに凄まれ、カァ君は羽を縮こませる。
「それよりも、主様は行かない方がいいんじゃないのか。見た所、ひ弱そうだ」
「心配してくれるのか?」
「・・・違う、足手まといになられたら迷惑なだけだ」
一瞬、イツマデの表情が変わって、おや、と思う。
「大丈夫、何回か悪霊退治に同行してるけどいつも無傷なんだ。記憶が、少し飛ぶときはあるけど」
前はあれほど嫌がっていたのに、いつの間に恐怖心が薄れたのだろう。
悪霊退治をしているということは、残酷な場面には遭遇しているはず。
なのに、死屍累々の光景を見た覚えがなく、怯えて戻って来ることがなくなっていた。
「わかりました。村までご案内いたします」
カァ君に先導され、二人は後をついて行った。
村へ着くと、とたんに不穏な空気に包まれる。
辺り一帯は邪気に包囲され、侵食されつつあった。
「お二人とも、お気を付けを。ここから先は悪霊が・・・」
「すでに、お出迎えしてくれてるみたいだぜ」
異質な者の気配に、鎧を着た悪霊、巨大なドリルを携えた悪霊がぞろぞろと姿を現す。
10体はいるが、イツマデは高揚するように目を見開いている。
「さあ、悪霊狩りの始まりだ!」
イツマデは大きく跳躍し、羽を広げて宙へ舞い上がる。
空の一部を赤黒い羽が覆う光景を、琉生は注視せずにいられなかった。
以前に対峙したときと同じく、イツマデは黒い霧を周囲に撒き散らす。
「離れてろよ主様、疫病は人を選ばないぜ!」
今度の黒い霧は、ただの目暗ましではない。
霧を吸った悪霊の動きはとたんに鈍り、武器を持つのもやっとの様子になっている。
「さあ、病に侵されじわじわ苦しめ!そして、その後は・・・」
イツマデは空中で静止し、両手を掲げる。
そして、黒い炎を呼び出し一気に放っていた。
黒炎がほとばしり、悪霊に直撃する。
とたんに金切声のような悲鳴が聞こえ、琉生はとっさに耳を塞いだ。
「地獄の炎に焼かれて消し炭になりな!」
イツマデが火球を連投し、火柱がほとばしる。
鎧を着こんだ兵には効果が薄いようだったが、黒い霧に侵されやがて倒れていった。
悪霊の増援がわらわらとやって来るが、病は伝染していく。
悪霊の死体からまた霧が噴き出て、どんどん感染していった。
力が落ちたところへ、容赦なく炎が襲う。
悲鳴を聞き、敵を屠るイツマデの表情は爛々としていて
その翼も、どこか怪しく煌めいているようだった。
琉生は、そんな狂気じみた姿でも注視し続ける。
意気揚々と飛び回り、羽ばたく翼。
やはり綺麗だと、そう思ってしまった。
そうして見とれているところへ、一体の悪霊が忍び寄る。
イツマデがちらりと琉生へ目を向けた時、危機は背後に迫っていた。
「ッ、主様!」
表情から笑みが消え、瞬時に琉生の元へ飛ぶ。
辿り着く前に、悪霊が刀を振りかぶる。
その瞬間、琉生の背から漆黒の魔獣が姿を現していた。
強靭な腕が悪霊を払い除け、遠くへ吹き飛ばす。
悪霊にも似たものが出現し、イツマデは呆気に取られる。
だが、あまり凝視している暇はなく、残りの敵を片付けにかかっていた。
やがて、悪霊が殲滅され、残ったのは消し炭だけになる。
自分を卒倒させるような血だまりが広がっておらず、琉生はほっとしていた。
敵の気配がなくなり、イツマデは琉生の前に降り立つ。
「イツマデ、凄いや、結構な数が居たのに簡単に片付けて」
「ああ、中々いい叫びを聞けた。主様も、一体倒していたな」
「僕が?まさか、そんな力ないよ。イツマデが助けてくれたんだろ?」
そこで、イツマデはたまに記憶が飛ぶということを理解する。
「危険が迫ったときに強く呼んでくれたのは覚えてるよ。ありがとう」
「いや、だから主様が・・・まあ、いい」
わざわざ教える義理もなく、イツマデは追及しなかった。
イツマデがばつが悪そうにそっぽを向いたとき、琉生はそろりと手を伸ばして羽に触ろうとする。
けれど、蛇が瞬時に牙を剥き出し威嚇していた。
「おいおい、瘴気に侵されることをお望みか?」
直前で止められてしまい、琉生はすごすごと手を引っ込める。
美しい羽はごわごわだろうか、滑らかなのだろうか。
瘴気に侵されると聞いても、手触りが気になっていた。
社に戻ると、やけに静かだった。
周囲を見ても、二人の姿が見えない。
「琉生様、お帰りなさいませ!」
「ただいま。やけに静かだけど、二人は?」
「ただ今遠征に行っていただいております。遠方でも悪霊がはびこっておりまして・・・」
あの二人なら大丈夫だろうと、特に不安には思わない。
それよりも、自分の見ていないところで血への渇きを満たしてくれるのなら都合が良かった。
それに、カァ君しかいない今なら良い機会になる。
「イツマデ、今日はお疲れ様。・・・人気がないし社を見て回るといいよ、一時間ほど」
琉生はイツマデを置いて、花壇へ向かう。
たぶん、羽が綺麗だなんて言ってもお世辞だと鼻で笑われるだろう。
けれど、あの花ならきっと伝わる。
琉生は花壇の前で、イツマデのことをずっと考えていた。
一時間後、花壇に紺色の花が咲く。
控えめで奥ゆかしい小さな花だが、色合いは鮮やかで美しい。
琉生はさっそく花を摘み取り、社へ戻った。
辺りを見渡すと、屋根の上に黒い影が見える。
「イツマデ、下りて来てくれないか」
声をかけると、影がばさりと飛び、目の前に降り立つ。
「まあ、木の上よりは快適に過ごせそうな所だな」
「気に入ったみたいで良かった。これ、今日の討伐のお礼」
琉生が花を差し出すと、イツマデは訝し気に目を向ける。
「花・・・?オレが触れたら、枯れ落ちそうなもんだけどな」
「そんなことないよ、受け取ってほしい」
ずいと差し出され、イツマデは爪先で花の茎を掴む。
相手に渡った瞬間、花は紺色の光の粒子になって降り注いでいた。
琉生が抱いていた思いの、全てが伝わる。
悪霊になっていたときから、その羽に見惚れていたこと。
今の姿になったら、羽は朱を帯びてさらに魅力的に見えたこと。
敵を倒すときも、死体を残さず消し炭にしてしまうので、怖くなくて好ましいこと。
そして、羽に触れてみたくて仕方がないこと。
そんな思いを直接的に感じた瞬間、イツマデの様子が明らかに変化していた。
「ア、主様・・・ア、ァ・・・・・・ありがとう」
とても戸惑った後の最後に聞こえた、小さなお礼の言葉。
いっぱいいっぱいになった中で、やっとそれだけ告げたのだと目に見て取れる。
悪霊を燃やしているときの、爛々とした表情とはまるで違う。
戸惑い、視線を合わせられず、俯きがちでいる。
そんな様子が意外すぎて、つい、目と鼻の距離まで近付いていた。
「・・・羽、触っちゃ駄目か?」
「ア・・・オレの、羽は、疫病を運ぶ・・・手が、爛れるかも・・・」
しどろもどろになっている隙に、琉生は勝手に羽に触れた。
さらりとしていて、柔らかい羽毛の感触。
人を傷つける要素なんて、何もないように思える。
「すごく良い手触りだよ。これで爛れるなんて、信じられない」
思わず頬をすり寄せる。
イツマデは口をぱくぱくとさせ、何を言っていいかわからなくなっているようだった。
戸惑う姿を見て、琉生はくすりと笑む。
自分の行動一つで、こうも動揺させられることが可笑しい。
とたんに、優越感とは違う、構いたくなるような衝動が湧き上がっていた。