血界戦線4


昼過ぎ、森羅は見慣れない部屋で目を覚ました。
体がだるくて、中々持ち上がらない。
数分してからのろのろと起き上がると、出かけようとしているザップと目が合った。
「やっと起きたか。心配すんな、約束は守ってやるよ」
ザップが歩み寄り、森羅の頭を雑に撫でる。

「約束・・・レオナルドを、説得してくれるのか」
「ああ、たっぷり楽しませてもらったしな」
森羅は、不可解な目でザップを見上げる。

「・・・どうやって、楽しませたんだっけか」
「へ?」
昨日のことを思い出そうとすると、ずきりと森羅の頭が痛んだ。
「ザップの部屋に来たところまでは覚えてる。けど、その先・・・よく、わからない」
「お、おいおいおい、マジかよ!?昨日俺と交わした熱いキッスも覚えてねえってか!?」
頭がずきりと痛んで、胸焼けがして、森羅は顔をしかめる。

「だああ、畜生!折角俺の腕や掌や舌の感触を覚え込ませてやろうとしたのに・・・もう森羅なんて知らないっ!」
ザップは駆け出し、部屋を出て行く。
足音が遠ざかり、部屋が静寂に包まれた後、森羅は手袋が取れたままの手で自分の肩を掴んだ。

回されていた腕の質感、這わされていた舌の柔らかさ、そして、下肢を包んでいた掌の熱さ。
記憶はおぼろげでも、体ははっきりと覚えている。
この気だるさは、きっと記憶にないくらいの回数を達したからだ。
布団をめくると、行為の後を示す独特な臭いが漂ってくる。
今すぐ部屋全体を掃除したくてたまらなくなって、森羅はシーツを剥がした。


布団をクリーニングに出し、掃除機をかけ、消臭スプレーを振り撒く。
掃除が終わった頃には、昨日来たときより綺麗になっていた。
起きて早々動き回ったからか、頭痛と胸焼けがひどくなる。
森羅はソファーに倒れ込み、溜め息をついた。
休もうとしていたところで、ノックの音がする。
ザップだろうかと無反応でいると、ゆっくりと扉が開いた。

「あの・・・森羅さん?」
「・・・レオナルド!?」
勢いよく起き上がると、また頭が痛んで眉をひそめる。
「大丈夫ですか?ザップさんに、森羅さんが二日酔いで辛そうにしてるって聞いて来たんです」
レオナルドはとっさに駆け寄り、森羅の肩を支える。
もう、ザップに何か聞いたかと、尋ねたかったが怖さもあって閉口した。

「今、水持ってきます。楽にしていてください」
レオナルドは森羅の背中に手を添え、ゆっくりと後ろへ倒す。
気遣ってくれることが嬉しくて、森羅はお言葉に甘えていた。
ゆったりしていると、レオナルドが水を持ってくる。
森羅はまた背中を支えられ、水を飲み干した。

「ありがとう、少し楽になった。・・・任務は、ないのか」
「僕の今日の任務は、森羅さんを看病することですよ。何か軽いもの食べられます?」
「あ、うん、少しなら」
レオナルドはまた森羅を寝かせ、台所へ向かう。
それを見て、体調不良が長引けばいいなんて、森羅はそんなことを考えていた。


レオナルドは牛乳とトーストを持ってきて、森羅の隣に座る。
簡単な食事をでもありがたくて、早速牛乳を飲んだ。
「・・・あの、森羅さんって・・・・・・男色家、ですか」
突然の問いかけに牛乳を吹き出しそうになり、必死で飲み込む。
気管に入って、おもいきりむせた。

「わああ、大丈夫ですか、すみませんすみません」
「・・・ザップから、説得されたのか」
「説得、というか・・・聞いたのは、本当に短い内容だけでした」
躊躇いがちに、レオナルドは黙る。
森羅は、期待やら恐ろしさやらの複雑な感情を抱きつつ言葉を待った。

「・・・好きだって、言われたんです。・・・あ、ザップさんからじゃないですよ!
あ、いえ、ザップさんから聞いたんですけど、そうじゃなくて・・・」
「い、一回落ち着け」
レオナルドは、一旦深呼吸する。
少しの間また黙ったが、続きを言った。

「・・・森羅さんが、僕のこと、好きだ・・・って、気があるって・・・そう、聞いたんです」
何てことを、何てストレートに言ったんだと、森羅の頭痛がひどくなる。
「・・・本当、ですか?」
もう、レオナルドと目が合わせられなくなる。
森羅は覚悟して、口を開いた。

「そう・・・ザップの言った通りだよ。僕は、君に気がある」
驚愕しているのか、レオナルドは口を半開きにして唖然としている。
「君は、こんな世界にいるのに平和的なんだ。だからかな、近くに居ると安らいでいて、それで・・・。
・・・気付けば、目で追うようになってた。任務で一緒になるたびに、内心だいぶ喜んでた。困るよな、こんなこと」
よほど困惑しているのか、レオナルドは呆けたままでいる。
ふ、と森羅は諦めの息をついた。


「もう、帰ってもいいよ。いずれ回復すると思うから」
「か、帰りませんよ!今日一日一緒にいます!」
「任務だからって、無理しなくても・・・」
「無理してないですし、嫌でもないです!僕、驚きはしましたけど・・・気持ち悪くなんて、ない、です」
レオナルドは、森羅の手を軽く握る。

「・・・むしろ、光栄だって思うくらいです。僕、迷惑かけてばっかりなのに、森羅さんに好かれてたなんて」
「僕の言う好きって、そんなに軽々しいものじゃないんだ・・・」
「うーん・・・森羅さんは、僕と、何かしたいっていうのあるんですか」
大胆なことを聞かれて、森羅は言いよどむ。

「・・・手を握ったり、抱きしめたり、したい」
「あ、なんだ、それくらいなら、いくらだって握りますよ」
レオナルドは森羅の手袋を取って、両手で包み込む。
とくん、と森羅の心音が反応して、頬がほんのりと温かくなった。

「でも、僕、そんなに楽しい話できないですけど、いいんですか?」
「僕も、そんなに饒舌じゃない。・・・傍にいてくれるだけでいい」
「な、何だか、面と向かって言われると照れますね。
・・・正直に言うと、恋愛感情があるかどうかはわからないです。
でも、嬉しい、とは思ってます。・・・すみません、半端な返事で」
「それで十分だ。突き放されないんなら、それで・・・」
もう近寄りたくないと言われても、おかしくないはずだった。
それどころか、許容してくれている。
ただそれだけでも、森羅の胸は幸福感で溢れていた。




それから、レオナルドは森羅につきっきりだった。
饒舌に話すことはなくとも、傍にいるだけで充足感がある。
胸焼けも頭痛もだいぶましになってきた頃、陽が暮れてきた。

「もう、暗くなるな・・・」
「そう、ですね」
名残惜しい様子が、お互いに伝わる。
それでも、森羅は特に何も行動ができずにいた。
行きすぎたことをして、引かれるのが怖い。
そんな思いが、行動を抑制させていた。

「いつザップが帰ってくるかわからないし、そろそろ出た方がいいかもな・・・」
「・・・そう、ですね」
レオナルドがソファーから立ち上がり、森羅を見下ろす。
そのとき、ふと目に入ったものがあった。

「あの、森羅さん、何かうなじに虫刺されみたいな痕が」
「えっ」
レオナルドは、おもむろに森羅の服を少し引いて覗き込む。
そこには、うなじから背中にかけて赤い痕が点々とついていた。

「森羅さん、これ・・・」
「虫刺されなんてこと、信じられないよな。・・・ザップが、つけた痕だ」
一瞬、レオナルドの表情が凍り付く。
「あ、あの人は、なんていうことを・・・」
「違うんだ、無理矢理じゃない。・・・君に、男色家のことを軽蔑しないように説得すると、そう言ってくれたから」
レオナルドはぎょっとして、ソファーに座り直して森羅に向き直る。

「まさか、そんなこと・・・ど、どこまでやらかしたんですかあの人は」
「・・・手淫まで、だと思う」
怒っているのか、呆れているのか、レオナルドはまた口を半開きにする。
そして、少しの間を空けた後、きっと口を結び、ふいに森羅へ寄りかかった。

「レオナルド・・・?」
「レオ、でいいです。森羅さん、まるで割に合ってませんね。ザップさんは僕に一言しか言わなかったのに」
今、こうして接することができているから十分だ、と森羅は思う。
けれど、レオナルドの声はだいぶ静かだ。


「そうだ、割に合いませんよね・・・これくらいのことがないと」
レオナルドは、遠慮がちに森羅の背へ片腕を回す。
森羅は目を見開き、息を詰まらせた。
すぐに息継ぎをして、レオナルドにそろそろと量腕を回して抱き留める。
拒まれる様子がないので、少しだけ自分の方へ引き寄せていた。

「・・・こんなとこで、割に合いますか?」
「あ、ああ、十分すぎるくらいだ」
こうして腕の中に抱き留められるなんて、夢にも思っていなかった。
心臓の鼓動は、相手に聞こえてしまっているだろう。

「何だか、やっぱり照れますね」
「気持ち悪いと思われていないんなら、それで・・・」
ふと、レオナルドと目が合う。
少し身を下ろせば触れ合えるほどの距離に、森羅は硬直した。
レオナルドも動きを止めて、じっと森羅を見上げる。
お互いに黙ったまま、どうしようかと迷っていた。

「森羅、さんは・・・僕と、その・・・したい、ですか」
何を、とは言われなくても、森羅は唾を飲む。
欲望を、露わにしてしまっていいのだろうか。
レオナルドはもう何も言わず、じっとしたままでいる。
このままでいいのかと、問いかけるのも野暮な気がして
森羅は、ゆっくりと身を下げた。

「おい、いつまで人の家でいちゃついてんだ!」
もう、触れ合うぎりぎりのところまできていたとき、扉を荒々しく開けてザップが入ってくる。
それだから、お互いはさっと身を離してソファーの両端に寄った。
「俺これからティファニーと一夜を過ごすんだからよ、いい加減出てけ!」
あっという間につまみ出され、外へ追いやられる。
雰囲気は一気に崩れ、二人はどうしたものかと顔を見合わせた。

「・・・帰ろう、か」
「そうですね・・・もう、遅いですし」
どちらかの家に泊まる、なんて大胆な発想はなく、二人は別れた。




翌日、森羅は早くに目が覚めてしまって朝からライブラに赴く。
部屋に入ると、すぐ目の前にレオナルドの背があってぶつかりそうになった。
「あ・・・おはよう」
「わっ、あ、おはよう、ございます」
お互いに、挨拶がどこかぎこちない。
メンバーが揃っている中、ザップだけが気に食わなさそうな視線を向けていた。

「二人とも、おはよう。今日は・・・」
「今日もその二人組ませるんすかー、なーんか、やけに頻度高くないすかー」
ザップが、わざわざ声を大にして訴える。
森羅は固唾を飲んで、クラウスの言葉を待った。

「森羅君はまだライブラに入って日が浅い。まずは、軽度な任務で雰囲気に慣れてもらおうと思ってな。
レオナルド君なら、無闇に危険な所へは行かない」
真面目な返答に、ザップは面白くなさそうに口を尖らせる。

「でもー、レオとばっか組んでたらー、ライブラの仕事がいかに危険かなんて、わかんねーんじゃないすかー」
「心配せずとも、そろそろ買い物以外も任せるつもりだ。それに、好きな相手の側に居た方が意欲が出るだろう」
その場にいる全員が、言葉を失った。
まさか、色恋沙汰には一番疎そうなクラウスに気取られていたとは思わず
森羅は目を見開いて緊張し、レオナルドは落ち着きなく辺りを見回していた。

「だ、旦那、いつ、どこで気付いて・・・」
「入団して間もなくだな、視線を見ていればわかる」
自分の視線はそれほどのものだったかと、森羅は言い訳を諦める。

「その通りです、僕は・・・」
「森羅君は、よほど動物好きなのだな」
「そう、動物が・・・って、動物?」
「音速猿に興味があるのだろう?レオナルド君の肩に乗っているところを、いつも見ている」
全員が言葉を失い、変な空気になる。
しんとした後、森羅がくすりと笑った。


「そう、そうなんです。音速猿が人に懐くなんて珍しくて、つい目が行くんです」
森羅はレオナルドに近付き、今も肩に乗っている音速猿を撫でる。
「そうなんですよねー、森羅さん、じっと見るもんだから薄々気付いてたんですけど、やっぱり動物好きだったんですねー」
レオナルドも、あっけらかんに笑って声を大にして言った。

「ちょ、ちょっと待てよ旦那、コイツが見てたのは・・・」
森羅は、服からほつれた糸を抜き、指の力だけでザップへ向かって放つ。
針と同じ硬度になった糸は、ザップの耳をかすめて壁に突き刺さった。
「ザップ、どうかしたか?」
「いえ、何でもございやせん・・・」
ザップは弱々しく言い、ささっと後ろへ引っ込んだ。

「そうか、では、今日二人に頼みたい物は・・・」
レオナルドと森羅は、お互いをちらと見て、やんわりとはにかんだ。