心の空白期間4


先日の報告書は、ノルが中々に大胆な発言をしたので恥ずかしながら送信した。
意外なことに、それは思いの外好評だった。
新しい指示としては、これからも自主的な発言や行動を促すことと。
他の環境へ連れて行って、変化を見るようにとのお達しがあった。
元々、あまり外へ出て娯楽を楽しむ方ではないので、どこへ連れて行こうか悩む。
ノルをちらと見ると、マルを掌の上に乗せて餌をやっていた。

それを見て、ふと、とある場所が思いつく。
動物を嫌いではないのなら、取り囲まれても平気だろう。
「ノル、動物が好きか」
問いかけると、ノルは首だけ動かしてアキヒロを見上げる。

「はい、好きです」
「なら、午後はいい所へ連れて行ってやる」
「ありがとうございます」
会話が終わると、ノルはマルに視線を戻した。
こうして興味が分散していくと、ノルの中でいずれ自分の存在は小さくなるだろうか。
実験体に思い入れをしては辛くなるだけだが、少し、寂しい気がした。




午後、ノルを連れてきた場所はとにかく猫がたくさんいる場所だった。
動物園というわけではなく、ここならもっと気軽に触れ合える。
アキヒロとノルが店に入ると、店員がにこやかに出迎えた。

「いらっしゃいませ。お二人様ですね」
「ああ、このフリータイムのコースで頼む」
店内を見回すと、平日の昼間だからか、まだ人はいなかった。
常連ではないお客を珍しがっているのか、足元で猫がうろついている。
そこかしこに様々な猫がいて、机の上で外を見ていたり、ツリーハウスの中でこちらを伺っていたりする。
そんな様子を見ると、自然とアキヒロの頬は緩んでいた。

まず手洗いを済ませ、説明を受ける。
猫のおやつは有料で購入でき、玩具は自由に使ってもいい。
他にも、人間用の飲み物や食べ物もオーダーできる。
ここは普通の喫茶店でも動物園でもなく、猫と楽しめる喫茶店だった。

「ここの猫たちは何があっても傷つけないこと」
「わかりました」
ノルが承諾すると、二人で長椅子に座った。
周りで猫がうろうろとし始めたが、アキヒロは今すぐ抱きしめたい衝動を抑え、警戒心が解けるのを待つ。

元々人慣れしている猫なので、近付いてくるまでさほど時間はかからなかった。
黒いぶちがある猫が、ノルの膝の上に乗り上げる。
そして、じっと無表情な顔を見詰めた後、そこへ座った。
どうすればいいかわからないようで、ノルは微動だにしない。


「ほら、マルのときと同じように撫でてやれ」
「はい」
大きな掌が、ゆっくりと猫の背を撫でる。
そうしていると、アキヒロの膝の上にも白猫が乗って来た。

「撫でてほしいのか、よしよし」
猫の頭から背をそっと撫でると、暖かくてさらさらとした体毛が、何とも心地いい。
思わず頬が緩み、視線が優しくなるのを自覚する。
警戒心が完全に解けたのか、数匹の猫が集まってきて、足元にじゃれついてくる。
無垢で愛くるしい動物に囲まれ、アキヒロは最上の癒しを感じていた。

そんなアキヒロを、ノルは猫を撫でつつじっと見る。
そして、ふいにお互いの距離を詰め、肩を触れさせた。
狭い椅子ではないのに何事かと、アキヒロはノルに視線を移す。

「猫を撫でて、何か、感じるものはあるか?」
「かわいらしいです」
マルのときと同じ感想だったが、間違ってはいない。


「それはいいんだが、少し離れて・・・」
「アキヒロさんもかわいらしいです」
店員の誤解を受けそうなことを平然と言われ、アキヒロはとっさに視線をさまよわせた。
その後、視線を猫へ移して何も言わないでいると、ノルは猫から手を退かす。
そして、許可を取ることもなく、アキヒロの後頭部に掌を添えてゆっくりと撫でた。

アキヒロはびくりと肩を震わせ、ノルと向き直る。
間近で視線が交わると、なぜか指示が思いつかなくなった。
その間も、大きな掌に後頭部を撫でられる。
まるで猫と同じ扱いを受けている気分になり、アキヒロは膝の猫を退かして立ち上がった。

「・・・他の猫も撫でて来る」
「はい」
アキヒロは、ノルが何をするか気が気でなくて落ち着けなかったが。
猫と戯れていると、いつの間にかそんな懸念は忘れていた。
フリータイムにしたのをいいことに、猫をまんべんなく撫でまわし、猫じゃらしも使って遊ぶ。
ノルは相変わらず、寄って来た猫を機械的に撫でていた。
途中で飲み物を注文して小休憩し、また遊ぶ。
まるで、さっきの出来事を忘れたがっているように、アキヒロはひたすら猫に夢中になっていた。




家に帰ってきてからも、アキヒロの機嫌は良かった。
最近、羽目を外して楽しむなんてことをしていなかっただけに、思い切り楽しんだ。
まだ報告書を書く気にはなれず、マルに餌でもやろうかと入念に手を洗う。
ケージを開けて触れようとしたが、奥へ逃げられてしまった。

「ん、どうした?」
捕まえようと、手を伸ばす。
そのとき、マルは小さく鳴いてアキヒロの指を噛んだ。
「っ!」
人差し指の先に鋭い痛みが走り、反射的に腕を引く。
慌ててケージを閉めて指を見ると、赤々とした血が滴り落ちていた。

「まだ猫の匂いがついていたのか・・・」
さらに入念に洗わなければならないと、洗面所へ行こうとする。
だが、いつの間にか目の前にノルが立ち塞がっていた。
横を通り過ぎようとしたが、さっと腕を掴まれ持ち上げられる。
何が珍しいのか、ノルは傷口をまじまじと観察しているようだった。

「どうした、血が珍しいのか」
「いいえ、今すぐ治療しなければいけません」
ノルは腕を引き、アキヒロを洗面台へ連れて行く。
そして、弱い流水を出し、慎重に指先を洗った。
腕を掴まれたままなのが気になったが、アキヒロはノルの自主的な行動に感心していた。


血を洗い流すと、ノルは救急箱を取ってきて消毒液を取り出す。
それほど大層な怪我でもなかったが、アキヒロは何も言わない。
ガーゼに染み込ませた消毒液がつけられ、絆創膏が張られる。
誰かを治療することなど馴れていないはずだが、手際はよかった。
「ありがとう。自発的に行動できるようになったんだな」
「血を見たら、治療しろと言われていました」
前々から言われていたことをしただけなのかと、アキヒロは気落ちした。

「でも、猫喫茶に居た時は許可もなく頭を撫でていたな、なぜそうしたんだ?」
「わかりません。反射的な行動に近いです」
「そうか・・・」
それでも、猫と同じ扱いだったとしても、何か思うことはあるはず。
以前のような、何もかもに無関心な状態からは変化してきていると確信していた。


「ノル、何かしたいことはあるか」
午後は猫と戯れるだけになってしまったので、報告書に書くことが欲しいと問いかける。
何を言うかと楽しみにしていたが、ノルが言ったのはまた意外なことだった。

「抱きしめたいです」
確実に恋愛小説や映画を見せすぎたと、アキヒロは反省した。
「・・・そうだ、マルの餌を補充しないとな」
許可しようかと迷ったが、つい逃げてしまう。
アキヒロがケージの上から餌を落とすと、マルがいそいそと齧り始めた。
そんな姿を見ると、噛みつかれたことなんて気にならなくなる。
食べ終わるまで眺めていたくてその場に留まっていると、すぐ後ろに人の気配を感じた。
振り向こうとしたが、その前に体が動かなくなる。

「ノ、ノル」
背後から両の腕が回され、引き寄せられる。
鍛えられた固い筋肉が当たり、一瞬だけ心音が強くなった。
そこから何をするわけでもなく、手を繋いだ時のように静止する。
胸部の辺りから静かな息遣いが伝わってきて、動揺せずにはいられなかった。


「・・・何で、こういうことをしたいのかは、わからないのか」
「はい。不明瞭な感覚です」
また、ノルは許可を取らずに行動した。
その要因を判明させれば、研究所の連中がどれだけ目を輝かせるだろう。
けれど、はっきりとさせてしまえば、どうなってしまうのか。
ただ、小説や映画の真似事をしたいだけの可能性もあるが。
もし、そうではなく、もっと深い感情から誘発されているのであれば、実験終了後に辛くなるのは間違いなかった。

「そろそろ離すんだ」
「はい」
指示をすれば、ノルは素直に腕を解く。
そして、お互い何も言わないまま黙っていた。
まだ、抱かれているような感覚が体に残っている。
思った以上に動揺しているのか、体温がやや高い気がしていた。

「・・・今日の夕飯は、一緒に作るか。自主性もいいが、協力というのも覚えないとな」
「はい」
何事もなかったかのように振る舞い、台所に立つ。
二人とも平静な表情をしていたが、アキヒロの心境は、どこか穏やかではなかった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
1話1話が結構ぽんぽんと進んでいきます。早くいちゃつかせたいもんで←。
猫喫茶は作者の願望です、最近はそんな欲求を小説に加えて満足する・・・と、いうことをしているもので。
そして、それがBLに繋がれば大満足←←