後輩攻めをさせてみたかった11


草食系男子という言葉があるんなら、二人はたぶんスイーツ系男子だ。
調理部に所属しているのはほとんどが女子だけれど、中には料理が好きな男子だっている。
ただ、興味はあっても女子集団の中へ入るのは気が引ける生徒が多く、男子部員は今まで一人だけだった。
そんなところへ、幸運にも一人の新入部員がやって来た。

小柄で愛想が良い後輩は、女子からだいぶ可愛がられて、ちやほやされていた。
特に嫉妬しているわけではないけれど、誰とでも障壁なく接することができる性格は羨ましい。
必要最低限の会話はするけれど、話を盛り上げる手法なんて知らなかったから、
会話には入れず、聞き耳をたてているしかなかった。
そんな障壁を作らない後輩は、堅苦しそうな相手にも、平然と話しかけてくることが多かった。

「睦月先輩、今日は何作るの?またこざっぱりしたお菓子?」
ボウルの中身をかき混ぜている様子を、広斗(ひろと)が興味深そうに覗き込む。
「こざっぱりしてて悪かったな、今日は・・・」
「うーん、蜂蜜の香りに黄色っぽい色の生地、調理器具も材料も少ないから、カステラ?」
答えを言わなくとも、シンプルなものはたいてい当たる。
良い目と鼻を持っている広斗には、一目置くところがあった。

「地味でも、睦月先輩のお菓子好きだよ。シンプルイズベストって言うし」
普通なら素直に喜ぶとこだけれど、睦月は表情を変えない。
「でも、一番食べたいのは・・・睦月先輩の唇、かな」
これさえなければ、広斗は人懐っこい、可愛いげのある後輩に違いなかった。


広斗は見た目に反して、砂糖菓子のように甘い言葉を吐くことがある。
そんな台詞は、たくさんいる女子達に言ってやればいいのに、
たちの悪いことに、告げられるのはいつも男に対してだった。
もしかしたら同性愛者なのかと、疑うこともある。
けれど、部員に囲まれると満面の笑みで応えているので、女子が嫌いなわけではないのだと思っていた。

「ね、睦月先輩は何が食べたい?よかったら、飾り気のないもの作るよ」
「・・・別に、僕に聞かなくても、好きな物作ればいいじゃないか」
「えー、誰かのために作るほうが楽しいよ。他でもない、睦月先輩のためならなおさらだし」
恥ずかしげもなく告げられる言葉にも、もう慣れた。
睦月は顔色一つ変えず、小さく溜め息をつく。

「・・・じゃあ、マドレーヌがいい」
「また、こざっぱりしたもの選んだね。簡単だし、睦月先輩のためなら分量を1gだって間違えない自信あるよ」
「はいはい」
適当にあしらったのだけれど、広斗は面白そうに目を細めた。




何だかんだ言いつつ、カステラもマドレーヌもさほど苦戦せずに焼き上がった。
型から外し、粗熱を取る時間は内心わくわくする。
どんな出来映えになっているのだろうかと、食べる前から想像するのが楽しかった。
他の部員のお菓子もでき始めたようで、甘い香りが室内に入り交じる。
少し焦げた臭いもして、苦笑している部員もいた。

「良い焼き色だね、早く食べたいなあ」
それは、お菓子に向けられるべき言葉なのに、広斗は睦月の口元を凝視している。
「・・・何で、こっちを見て言うんだ」
「あ、ごめん、つい本命に目が行っちゃって」
広斗は将来、パティシエよりホストになれるだろうと、そう直感した。


お菓子を食べ終わり、後片付けも済むと、ぱらぱらと部員が帰って行く。
戯言を呟く後輩がいても、出来立てのお菓子が食べられる部活は魅力的だった。
「睦月先輩、相談があるんだけど・・・」
「どうした?」
珍しく声が控えめで、不信に思うと同時に興味も湧く。

「ボク、もっと凝ったお菓子作ってみたいんだ。
でも、一人だと苦戦しそうだから・・・お願い、手伝って!」
広斗は目の前で掌を合わせて、大袈裟に頼む。

「凝ったお菓子って、何を作りたいんだ」
「これ、このタルトなんだけど・・・」
広斗が本を開けて指差したのは、六種のフルーツタルトという、きらびやかなお菓子だった。
六等分することを想定して、林檎、ベリー類、オレンジなどで分割されている。
いつもシンプルなものを作っているけれど、豪華な装丁が嫌いなわけではない。
写真を見て、睦月は思わず唾を飲んでいた。

「家だと、こんなに面倒なやつ作れないから・・・明日の放課後、付き合ってほしいんだ」
特に甘い言葉も言われず、素直な依頼すぎて睦月は逆に訝しむ。
本来なら部活はない日だけれど、視線はフルーツタルトに釘付けになっていた。

「・・・わかった。明日、手伝うよ」
「ほんと!?ありがとう、約束したからね!」
そんなにタルトが食べたいのか、広斗は無邪気な笑顔を見せる。
そうやって喜んでもらえると、決して気分は悪くならなかった。




翌日のタルト作りは、かなりの時間と手間がかかった。
なんせ六種類もフルーツがあるので、切るのも盛り付けるのも手間がかかる。
タルト生地を作るだけでもなかなかの時間がかかり、気付けば数時間経っていた。
そんな難関なレシピも、とうとうオーブンに入れて、後は焼き上げるだけになる。
一息つきたかったけれど、焼き時間の間に後片付けをしておく。
洗い物が終わったところで、二人はようやく椅子に座った。

「疲れたー。でも、本格的に作れて楽しかったなあ」
「そうだな、確かに一人じゃきつかった」
だいぶ労力を使っただけに、仕上がりは期待できる。
どこで練習してきたのか、広斗の調理の腕は平均以上だった。

「あれ、洗い物したのに、まだ手から果物の香りがするや」
広斗が指の匂いをかいだので、同じようにしてみる。
果汁が染みついているのか、ほんのりと柑橘系の香りがした。
そこへ、広斗が顔を近づける。

「睦月先輩からもしてるね。・・・そうだ、味は残ってるのかな」
「いや、流石に味は・・・」
言葉の途中で、広斗は睦月の手を掴む。
そして、自分の口元へ持って行き、躊躇いなく口内へ含んでいた。

「な・・・!」
指先に広斗の舌が触れ、睦月はとっさに手を引く。
信じられないものを見る目で向き合うと、そこには真面目な表情があった。
悪ふざけでしかないはずなのに、なぜ笑っていないのか。
目をじっと見ていられなくなって、ふいと顔を背けていた。

「確かめさせてくれないの」
「確かめる、って・・・自分の指でも、舐めてればいいだろ」
「睦月先輩のじゃないと意味ない。いつも言ってるよね、一番食べたいのは先輩なんだって」
人肉を食べたい、なんて直接的な意味ではないと察してしまう。
だからこそ信じられなくて、どうとも反応できなかった。
室内には、だんだんと甘い香りが漂い始める。


「いろんなフルーツの匂いが混じってるね。ボクは、睦月先輩ともっと甘い時間を過ごしたいな」
いつもの冗談のはずなのに、なぜ目が笑っていないのか。
広斗が立ち上がったので、睦月は同じく起立して後ずさった。
けれど、すぐに壁際に追い詰められてしまう。
じりじりと迫って来る後輩に、緊張感を覚える。

「睦月先輩と二人きりでお菓子作り、楽しかったな。
でも、フルーツタルトなんてただの口実だったんだよ」
「口実、って・・・そんなの、おかしい」
すぐ間近まで広斗が迫り、体が接する。
真面目な目に見上げられると、心臓が反応した。

「今までの言葉、全部冗談なんかじゃないんだよ。睦月先輩・・・キスしたい」
「う・・・」
指の腹が唇に触れ、体が強張る。
どうして、振り払おうとしないのか。
重なったら、どんな感触がするんだろうという好奇心だろうか。
指が離れると、広斗自身が近付いてくる。
全然笑っていない顔が、本気なんだと訴えているようで、硬直してしまう。

後頭部に手が回され、下を向くよう促される。
ぶつかってしまう、と思ったとき、反射的に目を閉じていた。
そして、伝わって来たのは柔らかい感触、ではなく、甲高い電子音だった。
驚きのあまり目を見開いて、前を向く。
広斗はさっと身を離し、オーブンへ近付いた。


「何て間の悪いオーブンなんだろう。・・・取り出さないとね」
小さく悪態をつき、広斗はオーブンを開ける。
とたんに、数種類の果糖の香りがして、睦月はふらふらと惹かれるように歩き出していた。
広斗が金具を使い、鉄板を調理台の上に置く。
狐色に焼き上がったタルト、果汁が溢れる果物に、目をやらずにはいられなかった。
そうやって、じっとタルトを凝視している睦月を見て、広斗がやっと笑う。

「そうそう、お菓子を見てるその目がいいんだよね。期待に満ち溢れてる。
その視線を、少しでもこっちに向けたくてたまらなかった」
「だって、粗熱を取ってるときって、胸が踊るんだ」
タルトの豪華さに夢中になっていて、後半の言葉は聞こえていない。
広斗は、諦めたように溜め息をついた。


少しの間広斗は大人しくしていて、辛抱強くタルトが冷めるのを待った。
待ち遠しいのは睦月も同じで、すでにナイフを手にしている。
やがて、手をかざして温度を確認した後、いよいよタルトをまな板の上に置いた。

「切るのはお任せするよ。睦月先輩のカッティングは正確無比だから」
広斗に言われる前に、睦月はすでにタルトへ切り込みを入れていた。
食への執念からだろうか、とにかくカッティングは得意で、
まるで、見えない定規を使っているようだと言われていた。
フルーツで六つに区分けされたタルトを、睦月は真剣な眼差しで切っていく。
手早く正確な作業はすぐに終わり、タルトは綺麗に六等分されていた。

「広斗、どれが食べたい?」
「睦月先輩が選んでからでいいよ」
そう言うと、睦月はブルーベリータルトをすぐに取った。
広斗は適当に、手前にあったオレンジタルトを取る。
わしづかみにして食べるなんて無作法だけれど、皿を用意するのさえもどかしかった。


睦月はその造形を眺めてから、タルトの先をかじった。
とたんに、口の中にブルーベリーの酸味と甘味が広がり、香りが鼻に抜ける。
レシピに忠実に作ったのだから味が悪いはずはなくて、自然と頬が緩んでいた。

幸せそうな表情を、 広斗はどこか羨ましそうに見る。
そこで、何かを思い付いたのか、わざとのろのろとタルトを食べ進めていた。
そして、睦月がタルトをたべ終わったところで、「あ」とわざとらしく声を発した。

「ブルーベリー、ボクも食べたかったな。
睦月先輩ったら夢中になっちゃって、一口分も残してくれないんだから」
「あ・・・ご、ごめん、かなりおいしかったから、つい」
気まずそうに言うと、広斗が席を離れてにじり寄って来る。

「でも、まだ味は残ってるよね?・・・味あわせてほしいな」
「え・・・っ」
広斗がさっきのように顔を近づけて来て、睦月はとっさに顔を背ける。
逃げようとしたけれど、頬に手が添えられて阻まれていた。

「協力して作ったんだから、貰う権利はあるよね?食べたいんだ、本当に」
それは、タルトのことなのか、それとも別のものか。
どちらにせよ、広斗がすることは変わらず、体を密接にしてくる。
そのとき、タルトの甘さで気分が良くなっていて、どうかしていたんだと思う。
広斗の顔が近づいても、振り払おうとはしない。
そして、唇に吐息がかかると、そのまま重なっていた。

「っ、ぅ・・・」
その感触は、思った以上に柔かった。
シフォンケーキを押し付けられているような感じがしつつも、人の体温を感じる。
今唇を塞いでいるのは、ケーキではなく広斗なんだと実感すると、
とたんに鼓動が早くなって、温度を共有するように頬が熱くなっていった。

広斗はなかなか離れなくて、睦月の上唇を軽く食むように挟み込む。
まるで味見されているようで、睦月はきつく目を閉じた。
軽く舐められると、湿った感触に反応するように肩が震える。
それは中へ入ってこようとしたけれど、入り口は断固として閉められていた。
諦めてくれたのか、広斗が口を離す。


「睦月先輩、柑橘系は嫌い?」
「嫌いじゃないけど・・・」
「なら、お願いだから口を開けて。オレンジタルト、味あわせてあげたい」
タルトの味は気になるけれど、それ以前に問題がありすぎる。

「それなら、まだそこに残ってるじゃ・・・」
言いかけたところで、言葉が塞がれる。
残っているのを食べればいいと、睦月はそうやって逃げようとしたけれど、
広斗はすぐに身を進めて来て、開いた隙間へ自らを差し入れていた。

「ん・・・!」
唇をなぞるだけだった感触が舌に触れ、とっさに身を引く。
けれど、細腕のわりに強い力で抱き留められて、その場に留まるしかなかった。
口内でお互いがやんわりと触れると、ほのかに柑橘系の味がする。
反射的に唾を飲んでしまったとき、これは広斗の液なんだと思ったけれど、もう遅かった。

その味をもっと与えるよう、広斗は睦月に触れ続ける。
あまり早急ではなく、ゆったりと舌を撫でると、お互いに鼓動が強まった。
甘い香りが混じりあい、拒む気力をなくしてゆく。
呼気は熱っぽくなるのに睦月からは少しずつ肩の力が抜けていった。


ようやく広斗が離れると、重なっていたものの間に細い糸が引く。
睦月と交わった液を少しも逃さぬよう、広斗は軽く口付けてそれを拭った。
「甘いね、果汁とボクらの液が混ざって、すごく甘い」
「なんて、こと、してるんだ・・・」
本気で拒めなかった自分も自分だけれど、する方もする方だ。
多くの女子部員がいる中で、よりによってこんな無愛想な男を選ぶ気が知れなかった。
顔を真っ赤にしている睦月を見て、広斗はあっけらかんに笑う。

「タルト、まだ四種類あるよ。全部味わってみたいな」
「っ、さらに半分にすればいいだろ」
睦月は焦ってナイフを手に取り、何か言われる前にタルトを二等分にする。
さっきとはうってかわって大きさは微妙に違い、動揺が見てとれた。
そこへ広斗が近付き、ナイフを持ったままの睦月の手へ掌を重ねる。

「睦月先輩・・・ボクの欲望、聞いてくれる」
睦月は俯きがちになったまま、広斗を見れないでいる。
「蜂蜜とか、メイプルシロップとか、生クリームとか・・・
そういうものを睦月先輩に塗りたくって、全部舐め取りたいんだ」
とんでもないことを耳元で囁かれ、睦月の息が一瞬止まる。
自重していないことを言うなと、強く言ってもいいはずだった。
けれど、重なっている広斗の手がわずかに震えているのを感じると、何も言えなくなっていた。
睦月が黙っていると、やがて広斗が身を離す。

「ごめんね、気持ち悪いこと言う後輩で。でも、無理にする気はないから安心して」
広斗は視線を逸らし、睦月と向き合おうとしなくなる。
軽蔑されていたらどうしようかと、その目を見るのが怖かった。

「残りのタルトは持って帰ってよ。ボクは睦月先輩を襲っちゃう前に帰るからさ」
軽い口調でも冗談に聞こえなくて、睦月は何とも言葉を返せない。
調理室を出て行く広斗に、一言かけることもできなかった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
最後の台詞からわかるように・・・とんでもないことさせようとしています。