後輩攻めをさせてみたかった15


いつもよりだいぶ早く学校を出て、帰宅する。
徒歩でも五分ほどで着き、観念して鍵を開けた。
「あら、今日はずいぶん早いのね」
「うん、ちょっと・・・」
「こんにちは、瀬人さんのお母さん。部活の後輩の、皆川輝です」
悪態をついていた口は敬語を話し、表情は満面の笑みに変わる。

「まあまあ、瀬人にこんなかわいらしい後輩がいたなんて。どうぞ上がって上がって」
母はすっかり騙されて、すぐにスリッパを並べる。
「ありがとうございます。瀬人さんにこんな若々しいお母さんがいたなんて、驚きました」
「あら、口が上手いのねえ。瀬人、怖がらせないようにしなさいよ」
怖がってくれれば、むしろ好都合かもしれない。
あまり気乗りしなくとも引き下がれず、二階にある自室に招いた。

部屋は掃除していなくて、まず山積みの本やCDが目に入る。
埃っぽくはないものの、とにかく物が多かった。
「ここが瀬人さんの部屋か。面白そうなものがたくさんある」
輝は、本棚やCDの棚をまじまじと見る。
たぶん、見たこともないマイナーなタイトルに内心困惑しているだろう。
ほとんどが、普通の店にはなかなか置いておらず、ネットで取り寄せたマイナーの巣窟だ。


「ここらへんは後でじっくり見せてもらうとして、アサの曲、聞いてもいいですか」
「あ・・・うん」
CDラックの奥から、アサの初代アルバムを取り出して、デッキにセットする。
再生すると、低いベース音が部屋に流れた。

「ずいぶん音小さいんだね」
「母さんが、この曲は不気味だって言うから」
「まあ、どんな曲でも好き嫌いはあるよね」
音楽を流しつつ、輝は本棚をあさる。
食虫植物図鑑、完全死亡マニュアル、どマイナーな本の数々が並ぶ。
部屋から逃げ出してもおかしくなかったが、輝は何冊も、ぱらぱらとめくって見ていた。
辟易したら出て行くだろうと、特に声をかけるわけでもなく、椅子に座って本を読む。
アサの曲を聞きつつ、好きな本に没頭できる時間は、まさしく至福だった。

「ねえ、瀬人さん」
ふいに声をかけられて、しぶしぶ本から顔を上げる。
「ベース弾けるんだよね、ちょっと聞きたいな」
「・・・今は、母さんがいるから」
言い訳に使おうとしたところで、軽く扉を叩く音がした。
「瀬人、母さん買い物に行ってくるからね、お友達を怯えさせないようにね」
自分の運が悪いのか、輝の運がいいのか、母の足音が遠ざかって行く。

「ベース、聞かせてほしいな」
もはや言い訳は思い付かなくて、ベースをケースから出した。
目を閉じて、音楽に集中する。
曲の一番が終わり、二番に入ったところで、弾き始めた。

ここにいるのは自分だけだと言い聞かせて、音に陶酔する。
最初は指が強張ったけれど、やがて輝がいることを忘れかけていた。
何百回も聞いた曲、ワンテンポも遅れない。
指は滑らかに動いて、奏で、曲が終わった。
目を開き、ベースを下ろそうとする。

「止めないで。最後まで聞きたい」
驚くべき申し出に、一瞬戸惑う。
それでも、曲が始まると、指は自然と弦に添えられていた。


結局、ベースをアルバムが終わるまで弾き続けていた。
音が完全に止むと、ようやくベースを肩から下ろす。
目を開けると、やけに近い距離に輝がいたものだから、ひっくり返りそうになった。

「・・・倉庫に置いておくのは、勿体ない腕だよ。もっと聞きたいって、そう思った」
「そ、んなこと・・・」
声が裏返る。
「・・・そんなこと言われたの、初めてだ」
「それは、ずっと倉庫に閉じ籠って、誰にも聞かせなかったからだよ。違う?」
何も違わなくて、押し黙る。
そして、真正面の、至近距離から注がれる視線に耐えきれなくて下を向いた。

「瀬人さん、オレとバンドを組もう」
突拍子もないことを言われて、思わず輝に向き直る。
「こういう、平々凡々じゃない人を探してた。音楽教室の中にも、瀬人さんみたいな変人はいない」
「変人ってことを否定はしないけど・・・皆川君なら、どのグループからも引っ張りだこじゃないか。
わざわざ僕に言わなくても・・・」
「ただ技術があるだけのベーシストじゃなくて、独特な感性が欲しいんだ」
耳を疑わずにはいられない。
敬遠しかされてこなかったはずの性質を、欲しがる相手がいるなんて。

「異質なだけじゃない、アサの複雑な曲を弾ける技術もある。瀬人さん、オレと組もう」
再び言われて、ベースを抱く。
不安や迷いがあるときの癖だった。
俯きがちになり、逡巡していると、輝の手が伸びてくる。
何をするのかと硬直していると、長い指が耳に触れ、形をなぞられた。
びくりと肩が震えて、今度は、本当にひっくり返って倒れた。
ベースだけはしっかりと抱き、尻餅をつく。

目を丸くして輝を見上げていると、その表情が緩んだ。
「あはは、何だか、ベースを抱く瀬人さん見てると・・・」
続きを考えているのか、その先の言葉はない。
「一度、オレが通ってる音楽教室に行こうよ。授業が終わった後なら、防音室を貸してもらえるから。倉庫よりは格段に良い環境だよ」
輝を見上げたまま、少しの間が空く。
頭の中は突然のことに焦り、不安感が渦巻いていたけれど
気付けば、自分の首は縦に振られていた。




音楽教室に連れていかれたのは、翌日の夜だった。
逃がさないようにと、腕を引かれて。
教室にはまだ人がいて、グループでわいわいと話している。
「あれ、見ない顔だね、テルの友達?」
長身の男性に訪ねられて、答えに迷う。

「オレが無理矢理連行して来たに近いかな。
この教室の、防音室のすばらしさを知ってもらいたくて」
「それはいい。仲間と演奏したほうが、テルはもっと生き生きすると思うよ」
輝は、会話の間ずっと、よそ行きの笑顔で答えていた。

いよいよ、防音室へ入る。
真四角の部屋には立派なアンプやデッキが配置してあって、内心楽しみになっていた。
「瀬人さん、アサの曲を弾いて。絶好の環境で聞きたい」
「・・・わかった」
せかされて、デッキにCDをセットする。
ベースを構えて、まずはゆったりと重々しいメロディーが流れる。
曲調が激しくなると、指は勝手に連動して素早くベースを弾いた。

音が室内に響き、全身で音を感じる。
倉庫や家とは、まるで音響が違う。
アサの声が聞き取りやすくなり、ますます陶酔する。
一度目を閉じると、独特な世界に入ってしまうようだった。


持ってきたのはシングルだったので、数分で演奏は終わる。
溜め息をついて目を開くと、また、やけに近い距離に輝がいた。
思わず後ずさると、すぐに間が詰められる。

「やっぱり、良い・・・アサの曲だけ弾いてるの、勿体ないな」
「誉めすぎだよ」
「瀬人さん、オレ達でアサの曲をアレンジしてみようよ。オレ、ギターやボーカルに切り替えてもいいから」
「ア、アレンジ?」
そんなおこがましいことをしていいのだろうかと、気が引ける。

「コピーバンドなんて山ほどある、営利目的ってわけじゃないんだからさ」
断ってもいいはず、なのに首が動かない。
最高の音響がある環境と、輝が奏でる音への興味が、返事を躊躇わせる。
安心感を求めるようにベースを抱き寄せると、輝が口端を上げた。

「こっちから頼むんだから、タダってわけじゃないよ」
輝が、ポケットから何かのチケットを取り出す。
そこには食虫植物が描かれていて、思わず凝視していた。


「食虫植物展の鑑賞券、少し遠いけど、行く?」
「行きたい」
「じゃあ、オレとタッグ組んでくれる?」
「う・・・」
自信のなさから視線を逸らすと、以前のように輝の指が耳に触れる。
後ろに飛び退こうとしたが、壁に背がついた。

指の腹が、耳の外側をゆっくりとなぞっていく。
なぜか緊張して、視線を右往左往させていた。
「倉庫じゃなくて、いつでも防音室で弾けるんだよ。加えて、植物展に行ける。・・・悪い条件じゃないと思うけど」
誘いかけるように、耳が掌で愛撫される。
寒気のような感覚が背中に走ったけれど、頬は熱かった。

「瀬人さん・・・オレは、そのベース音と聞いていたいんだ。瀬人さんの音が、性質が欲しいんだよ」
「み、皆川君・・・」
熱烈なことを言われ慣れてなくて、気恥ずかしくてたまらない。
掌が、耳から頬へ下がる。
変な気分になってしまい、焦った。

「わ、わかったから・・・手、退けてほしい」
「ずるいことしてごめん。でも、ありがとう」
輝は、やんわりと微笑む。
それは、いつもの愛想笑いとはどこか違う気がした。

「次の休み、植物展に行こう。目的地まで案内するからさ」
輝は、チケットんずらして二枚目を見せる。
「・・・二人で行くのか」
何だか図られた気がしたけれど、楽しみなことは楽しみだった。




次の休み、約束通り輝と植物園へ来ていた。
案外人が多いのが意外で、カップルや家族連れもいた。
「結構な人ごみだね。はぐれないように、こうしていよっか」
輝が手首を掴み、軽く引く。
そのときは、植物展に早く入りたくてあまり気にならなかった。

中へ入ると、ずらりと食虫植物が並んでいた。
広い庭園に生えているのは、全てが食虫植物だ。
ハエトリグサ、ウツボカズラといった有名どころから、図鑑でしか見たことのないものまである。
とたんに瞬きするのも惜しくなって、輝を引っ張っていた。

植物との仕切りのぎりぎりにしゃがみ、まじまじと見る。
ハエトリグサを軽くつっつくと、ゆっくりと口が閉じた。
「かわいい・・・」
草を優しく撫で、じっと見つめる。
そのとき、自分は夢中になっているけれど、輝は退屈していないかとちらと横目で見る。
そのとき、輝の視線は植物ではなくこっちの方へ向けられていて、不思議だった。
やはり退屈なのだろうかと、観察もそこそこに立ち上がる。


「次のブース、見に行こうか」
輝に言われ、園内マップ片手に引っ張られて行く。
次は室内に変わって、より人ごみの中に紛れる。
のろのろとむと、皆が注目している植物がお目見えだ。
枠の外には1mはある大輪が咲き誇っていて、独特な匂いを出している。
巨大なラフレシアを、立ち止まって観察せずにはいられなかった。

身を乗り出して、少しでも近くで見ようとする。
そのとき、隣に人が来て、肩がぶつかってよろけた。
「瀬人さんっ」
前のめりになったところで、さっと腰元が引き寄せられる。
輝が支えてくれて、何とかバランスを保てた。

「あ、ありがとう」
「瀬人さんは植物に夢中になってていいよ。周りには気を払っておくからさ」
安心させようとしているのか、少し強く引き寄せられる。
体の側面が密接になって、どことなく緊張した。

「・・・も、もう大丈夫だから。次、見に行こう」
「そうだね。人いきれが鬱陶しくなってきたから」
ぱっと手が離されたかと思いきや、手首に移動しただけだ。
もはやどうこう言わず、大人しく連れられて行った。


園内を回りきった頃には、いつの間にか陽が暮れかけていた。
輝はご丁寧に、家まで送ってくれた。
「今日はありがとう。すごく楽しかった」
「オレも、観察してるの楽しかったよ。そうそう、これお土産」
いつの間に買ったのか、ビニール袋を手渡される。
中を覗くと、小さなハエトリグサの鉢植えが入っていた。

「これ・・・貰っても、いいのか?」
「これは、瀬人さんの部屋にこそ似合うよ」
顔には出ないものの、内心感激する。
女子が、かわいらしいぬいぐるみを貰ったときの気持ちがわかるようだった。
「ありがとう、みなが・・・」
「名前で、呼び捨てでいいよ」
一瞬躊躇い、口を閉じる。

「・・・ありがとう、輝」
そう呼ぶと、輝はやんわりと微笑む。
呼び方を変えただけで、不思議と、親しくなった気がした。
「感謝の気持ちなら、態度で示してほしいな。
部活は止めて、放課後は防音室に来るっていう態度で」
「・・・わかった」
今度は、さほど返事に困らない。
部活に未練はなかったし、約束を守るのはこちらの方だ。

「また、面白そうなイベント見つけたら誘うよ。じゃあ、また明日」
軽く手を振り、輝が遠ざかって行く。
僕は、指の腹でハエトリグサの頭をそっと撫でた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
後輩の責めシリーズにしては、珍しいじわじわ展開。
確実に、密接にはなってゆきます。