何とも平和な国1


一人の王によって収められている国
その国の規模は、大きくはなくとも、科学産業が発展した豊かな国だった
そこは平和な国だったが、王子は不満に思っていた
王も王妃も、今はとある技術を確立させることに忙しく、息子に構うことができない日々を送っていた
王子は、両親が忙しいとわかっていつつも、二人が離れて行ってしまったことに寂しさを抱かずにいられないでいた

そんな王子を不憫に思った王は、一人の執事を招き、王子の側近とすることにした
今朝、突然そのことを告げられた王子は、自室でその執事と対面していた


「お前が、父上が言っていた執事なのか」
王子は、目の前にいる執事を訝しげに見る
執事と言えば、どこかの年老いた紳士をイメージしていたが
そこにいるのは、自分より少しだけ年上の少年だった

「はい、執事のクラウツと申します。
ノア王子、これから暫くは、私が王子を観察・・・ではなく、お世話をさせていただきます」
クラウツと名乗った執事は、うやうやしく一礼をする
途中で、ぽろりと零れたような単語があったが、ノアは特に気にしなかった

「お世話・・・ね。どうせ、僕が危険なことはしないか監視する役目なんだろう?
一人息子の僕に何かあったら、一大事だもんな」
この国の後次は、ノアしかいなかった
もし、ノアがいなくなってしまったら、王位を継ぐものがいなくなってしまう
それは、国の民に多大な不安を与えることで、絶対に避けなければならないことだった

「まあ、それもありますが。一番重要なことは、私が楽めるかどうか・・・
ではなく、王子が孤独に捕らわれぬよう、楽しませるためです」
また、思わず零れた言葉が聞こえたような気がしたが、聞き流しておいた
執事なんて、召使いがグレードアップしたようなもので
へりくだって、何でも言うことを聞いて、つまらない相手に決まっている

「そうかそうか、まあ、適当にすればいいさ。じゃあ、僕は寝る」
「寝る?まだ、昼過ぎですが」
「昼過ぎでも何でも、眠いものは眠いんだ」
ノアは最近、就寝時間が遅かった
夜でなければ会えない相手がいるから昼寝をするのだが、そのせいでまた就寝時間が遅くなっていた

「そんなこと、面白くな・・・いえ、お体によくありません。
狩りにでも行かれてはいかがですか?」
その提案に、ノアは露骨に嫌な顔をした
「狩り?それは王族の楽しみかもしれないけどな、何でそんなことをしなければならないんだ?
食料に困っているわけでもないし、遊びで動物を殺すなんて愚かしいとしか思えん」
ノアは必死に、まくしたてるように言った

この言葉が嘘というわけではないが、本当のところは違っていた
一度だけ、狩りに出たことはある
そのとき、従者が一匹の鹿を仕留めたのだが、血を流して倒れている鹿を見た瞬間、卒倒してしまった
そのときまで、自分がこれほど血を見ることが苦手とは知らず
卒倒したときの羞恥が拭えないまま、今に至っている
だから、ノアは二度と狩りになど行くものかと決めていた


「狩りはお嫌いですか」
「ああ、そうだ。だから昼寝でも・・・」
「なら、狩らなくてもいいですから、とりあえず森へ行きましょう」
クラウツは言葉を遮り、突然の提案を出す
従者が王子の言葉を遮るなんて意外で、ノアは一瞬だけ目を丸くした

「とりあえずとは何だ、とりあえずとは。何か、目的があるのか?」
「はい。少なくとも、昼寝なんかよりは面白いことかと思います」
昼寝なんかという、何気に失礼な言葉にノアはまた驚いたが、それよりも、面白いという単語に興味がわく
この、どこか個性的なところがある執事が、どんなことをするのか見てみたかった

「なら、その面白いこととやらを見せてもらおうか」
眠いことは眠いけれど「仰せのままに」
クラウツはうやうやしく一礼をし、部屋を出る
ノアは、ほのかな期待を持ちつつ、その後を追った

すぐ外に出るかと思ったが、クラウツが向かったのは調理場だった
「森へ行くのではなかったのか?」
ノアは、訝しげに問いかける
「ここに、必要なものがあるのです」
クラウツは戸棚を開け、一つの袋を取り出す
軽々と持っているので、重量感があるものではなさそうだ

「では、行きましょうか」
クラウツは遠慮なくその袋を拝借し、調理場を後にする
勝手に持って行ってもいいのかと尋ねようとしたが
それがなければ面白いことが見られないのだから、黙っておいた




二人は城を出て、森の中を歩いていた
木の根が飛び出しており、足場は結構悪い
クラウツは軽い足どりで進んでいたが、ノアはしょっちゅうつまづきそうになっていた
「おい、本当にこんなところに面白いものなんてあるのか?」
ノアはそろそろ歩くのが嫌になってきたのか、不満気に問いかける

「もう少しですから、文句言わずについて来て下さい」
クラウツは背を向けたまま、ぶっきらぼうに答える
その返答のそっけなさは、本当に王子に仕える者なのかと疑いたくなるほどだった
その態度はないだろうと、ノアが文句を言おうとしたとき、木々の先に開けた場所が見えた

「王子、着きましたよ」
クラウツに続いて、ノアも開けた場所に立つ
地面は背の低い草で覆われていて、中央には小さな泉があった
薄暗い森の中とは違い、明るい陽の光が差し込んできている
そこは、まるで休憩していって下さいと言わんばかりの、快適な空間だった

「森の中に、こんな場所が・・・でも、これが面白いものなのか?」
平和を象徴するような、穏やかな雰囲気のある空間は、面白いという表現とは掛け離れている
ノアが疑問に思っていると、クラウツは持っていた袋を開き、中にある粉のようなものを草原の上に振り撒いた
はらはらと風に舞いながら落ちてゆく様子を、ノアは呆然として眺めていた

「クラウツ、一体、何が・・・」
再び問いかけようとしたとき、森の中で何かが動いた
一匹ではなく、複数の何かがこっちへ向かってきている
ここから確認できない、得体の知れないものに緊張し、ノアは唾を飲んだ
森の中にいたものが明るみに近づき、輪郭がはっきりとしてくる
それは、警戒するにはほど遠い小さな生き物だった


「・・・兎?」
森の中からやって来たのは、白くて丸みを帯びた生き物で
長い耳と小さな体を見れば、すぐにそれが兎だとわかった
白兎はノアがいる方へ駆け寄り、地面をしきりに嗅いでいる
それに続いて、黒や灰色のものもやってきて、地面に鼻をこすりつけている
そこは、今しがた粉が撒かれた場所だった

「クラウツ、一体何をまいたんだ?」
もしかして、動物を引き寄せる不思議な粉なのだろうかと、そんな不思議なものに興味を抱いていた
クラウツは、答える代わりに袋の中身を見せる
そこには、期待外れなことに、何の変哲もないパン粉が入っていた

「何だ、ただのパン粉か。てっきり、動物が夢中になる特殊な物かと思ったんだが・・・
それで、この餌付けが面白いことなのか?」
その粉が、どんな動物でも従わせる効果を持っていたなら、確かに面白いことだと思うが、ただ引き寄せただけ
ふわふわとした兎を見るのは嫌いではなかったが、面白いことでもなかった

「まさか。これから、面白くなるようにするのです」
クラウツは、粉をそこらじゅうにまいてゆく
すると、森の中から続々と兎がやって来て、今やノアの足元には何匹もの兎がいた
たまに靴先に鼻をこすりつけてくる様子は何ともかわいらしく、見ているだけで心が和むようだった


「王子、撫でてみてはいかがですか?ここの兎は人懐っこいので、逃げはしませんから」
「・・・そうだな」
ノアはその場にしゃがみこみ、そっと兎に手を伸ばす
クラウツの言うとおり、人の気配が近付いてきても逃げる様子はない
伸ばした手は、少し躊躇うように止まったが、やがて、こわごわと兎の背に添えられた
その瞬間、ノアは思わず目を細めていた

温かい、動物の体温が掌を通して伝わる
そして、とても心地良い、ふわふわとした感触も
もっと触れてみたくて、頭の方も撫でてみる
優しい愛撫に、兎の方も気持ちよさそうに目を細めていた
もしかしたら、こうして動物を撫でるのは初めてのことかもしれない
癒しとは、こういうことを言うのだと、ノアは実感していた

クラウツはじっとその様子を観察していたが、再び粉を撒き始めた
それは風に乗って、ノアの膝にかかる
そうしたとたん、兎が軽く跳躍し、膝に乗ろうとした

「うわっ!」
突然、兎が迫って来てノアは後ろに尻餅をつく
そのときを待っていたと言わんばかりに、クラウツの瞳が怪しく光る
ノアが体勢を立て直す前に、クラウツは両手で袋を持ち、中身の全てをノアに振りかけていた

「ぶわっ!な、何を・・・」
とたんに、ノアの体が粉まみれになる
そのとき、兎達が一斉にノアの方を向き、すぐに全ての兎が駆け寄って来た
「わ、わわ、あわわっ」
かわいらしい相手でも、複数で来られれば驚きもする
兎が急接近し、ノアの足に、手に、腹に、鼻をこすりつけた

「ク、クラウツ、何とかしてくれ・・・っ、あははっ、く、くすぐったい」
兎が鼻を動かすたびに、服の上からでもむずむずとした感触がする
けれど、それは不快なものではなかった
体がふわふわとした感触に包まれ、温かさが伝わってくる
そういえば、こんな温もりなんて、両親が忙しくなってから感じたことはなくて
ノアは懐かしくも思える温かさに、幸福感を覚えていた


しばらくすると粉がなくなり、兎が離れてゆく
少し名残惜しかったが、引き止めはせず、森へ帰ってゆく兎を見送った
「王子、いかがでしたでしょうか」
粉をぶちまけたくせに、しれっとした様子でクラウツは問いかける
けれど、ノアは憤りを感じてはおらず、むしろ、温かくて心地良かった

「・・・まあ、なかなか楽しかった。召使たちに、あんな発想はないからな」
どこまでも礼儀正しく従順な召使いでは、自分をここに連れてくることすらしなかっただろう
ましてや、王子の上に粉をぶちまけることなんてもっての他
どこか個性的な、この執事だから成し得たことに、ノアは少しだけ感心していた

「それはよかった。では、帰りましょう」
クラウツは、まだ座っているノアに手を差し伸べることもなく、帰路を辿った
ここから、ノアの日常は、少しずつ変化してゆくことになる
何を考えているのか分からない、この個性的な執事によって




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
突発的に思いついた、王子と執事シリーズです。別に、黒執事にはまったわけではありません
王子と執事の設定を書いておきますが、自分で想像したい!というお方はスルーでどうぞ〜


ノア王子
15歳の少年。髪の色は茶色で、髪型はショートカット
身長は150cmほどと小柄
意地っ張りなところがあり、あまり素直にものを言わない

クラウツ
17歳。王子より2歳違うだけだが、どこか大人びている
髪の色は黒で、髪型は・・・ぴんぴん跳ねているんですが、表現しづらい・・・
身長は160ほど
滅多に表情が変わらず、何を考えているのか察しにくい
イメージとしては、柴田亜美さんの「SCRAMBLE!」に出てくるクラウスなのです
(長い間、私が名前を間違えてクラウツと呼んでいたため、この連載ではそうなっていますorz)