何とも平和な国2


昨晩、ノアは外へ出ることはせず、早いうちから眠った
昼寝をしないのは久々だったので、眠くて仕方がなかった
そうして、規則正しい生活が送れるのかと思ったのもつかの間
いつも昼寝をして過ごしている時間がぽっかりと空いてしまい、ノアは暇を持て余していた

「退屈だ・・・全然眠たくないし、何をしていいものやら・・・」
夜には、とある暇潰しがあった
だから、昼間に遊ぶということをあまりしてこなかったので、時間をどう使っていいのかわからないでいた

「暇なら、街へ出かけてみてはいかがですか?使える金銭がないわけではないのでしょう」
ノアの独り言を聞き、クラウツが助言する
しかし、ノアは眉をひそめた

「街に行ってもつまらない。だって、僕が街へ行けば皆へりくだり、商品もタダでいいと言ってくる。
一声かければかしこまり、敬語ばかり話す相手なんて、召使いと同じだ」
ここの国は治安が良い、平和な国
だからこそ、王族は慕われ、敬われている
その王族である者が一度街へ出かければ、臣民は決して無礼のないよう接するのだ
それは良いことであっても、まるで街中に召使いがいるようで、ノアは臣民のそんな態度に飽き飽きしていた

「でしたら、良い方法があります。少々お待ちを」
何かを思いついたのか、クラウツは一旦部屋を出て行く
無愛想で、礼儀正しい様で正しくない相手だけれど、ノアはそんな態度を意外と気に入っていた
ひたすらにへりくだる相手よりは、多少ぶっきらぼうなほうがいい
その方が、この退屈な時に、より刺激的な変化をもたらしてくれる気がしていた


少し経った後、クラウツが戻ってきた
両手に、ぎょっとするものを持って
「・・・クラウツ、何だ、それは」
「これは、女性用のカツラと、ワンピースと、靴です」
クラウツが持ってきたものは全て女性用のもので、それを見た瞬間、ノアの脳裏に嫌な予感がよぎった

「街へ出かけて、王子と認識されなければよいのでしょう?
それなら、変装でもして行けば解決することです」
クラウツは、いたって平坦な口調で告げる
「うん、変装は良い案だと思うけどな・・・それが、何で女装することになるんだ!?」
髪型を変えるのは100歩譲ってよしとしても
何もスカートを履かなくてもいいではないか、ヒールのついた靴を履かなくともいいではないか
ノアはそうまくしたてたかったが、その前にクラウツが言った

「嫌でしたら、どうぞこのまま暇な時間を過ごしていて下さい。
私は勝手に散歩でもしてきますから」
まるで突き放すような、執事にあるまじき発言をクラウツはさらりと告げた
王子が嫌だと言ったら、別の案を考えるのが普通だが
やはり、目の前に居る執事は考え方がずれているようだった

「くっ・・・女装か・・・」
ノアは、渋い顔をして考える
女装なんて、屈辱にも近いこと
しかし、他に街に出るための案が思いつかないし、夜まではまだ果てしない時間がある
女装は嫌だが、このまま何時間も退屈な時を過ごすのはもっと嫌だ
そう結論に達したノアは、諦めたように溜息をついた

「・・・わかった。お前の言うとおりにする」
ノアは、クラウツから衣服をひったくった
「では、準備ができたらお呼び下さい」
クラウツは嬉しそうな顔をするわけでもなく、部屋を出て行った
ノアの手の中には、しゃれたワンピースがある
それをじっと見た後、観念したように着替え始めた




「・・・クラウツ、着られたぞ」
部屋のすぐ外で待機していたのか、声をかけるとすぐに扉が開いた
茶色いロングヘアーに、控えめな花柄のワンピース、低いヒールの赤い靴
そこにいたのは、まごうことなき女子だった
落ち着かないことこの上なかったが、街へ出るためには仕方がないんだと、ノアは自分に言い聞かせていた

「これなら、誰も王子だとわからないでしょう。では、行きましょうか」
女装したノアを見ても、クラウツは眉一つ動かさない
もっと何か反応があってもいいのではないかと不満に思ったが
こいつはそういう奴なのだと、ノアは何も言わず後をついて行った


久々に訪れる街は、多くの人が行き交い、活気があって賑やかで
その様子を見るだけで、ノアの心は躍った
「私は、離れて後をついてゆきます。
あまり近くにいると、王子であることがばれてしまうかもしれませんから」
「ああ、わかった」
返事をすると、ノアはたまらず街へと駆け出していた

しばらく見ない内に、街は見たことのない店で溢れている
お菓子の甘い香りがしてくる店も、色とりどりの薬が並べてある店も
ノアにとっては、周りにあるもの全てが新鮮だった
どこから行こうかと、しきりに辺りを見回す
まずは近場からまわろうと、ノアは少し緊張しながら店に入った

扉を開いたとたん、食欲をそそるような甘い香りに包まれる
人気の店なのか、中も人で賑わっていた
カウンターを見ると、ガラスケースの中に様々な形をしたチョコレートが入っていて、その造形の美しさに目を輝かせる
思わずそこへ駆け寄り、まじまじと商品を見詰めていた


「こんにちは、おじょうちゃん。どれにする?」
カウンターの上から、女性の声が聞こえてくる
一瞬、自分に話しかけられたとわからず、ぽかんとしてしまう
けれど、今の服装を思い出し、すぐに言葉を返した

「え、えーと、何だかどれも綺麗で、迷ってるの」
男だとばれないよう、少し声を高くして答える
「それなら、これはどうかな?うちで一番人気があるチョコだよ」
女性がガラスケースの中から、丸い形をしたチョコレートを取り出す
コーティングされた球体の上に、ホワイトチョコで網目が描かれている
見た目は少し地味だったが、何ともいい香りが鼻に届いた

「おいしそう・・・それ、ください」
「ありがとう。一つでいいの?」
女性にそう言われたとき、クラウスの顔が浮かんだ
こういう甘いものを好きかどうかは知らないけれど、嫌いだったら、自分が食べてしまえばいい

「じゃあ、二つください」
本当は、全て一種類ずつ買ってみたいと思ったが
荷物がかさばって他の店をまわれなくなってしまうので、やめておいた
「二つね。銀貨一枚になります」
ノアは、持ってきた袋から金貨を取り出す
女性は一瞬、それに驚いたような表情をしたけれど、すぐににっこりと笑った

「はい、どうぞ。溶けない内に食べてね」
お釣りの銀貨と共に、何とも高級感のある箱が手渡される
「ありがとう!」
それを手に取ったとき、ノアの顔には自然と笑顔が溢れていた
初めて自分で対価を支払い、買い物をした
普通に客として自分を扱ってくれて、声までかけてくれた
特別扱いされないことが嬉しくて、ノアは小走りに、次の店へ向かった




それから、パン屋、服屋、薬局、本屋など、ノアは自分が行きたいまま、様々な店をまわった
小腹が空けばお菓子を買い、珍しい薬品も買った
城の外は、こんなにもいろんな楽しみがある
女物の服を着るだけで、こんなにも自由に、気楽に過ごすことができる
最初は嫌がっていたことも、この楽しさの前では気にならなかった

夢中になっているうちに、陽が落ちてくる
ノアがそろそろ帰ろうかと思ったとき、近付いてくる二人組がいた
「おじょうちゃん、かわいらしい恰好してるねぇ」
突然、見上げるほど背丈が高い男性が話しかけてくる
服装はカジュアルだが、どこか安っぽい感じがする二人組だった

「これから、俺達と夕ご飯でも食べにいかない?」
ノアは、目を丸くして話しかけてきた二人を見ていた
これは、ナンパというやつだろうか
まさか、自分がこうやって誘われる日が来るなんて思いはしなかった
初めての経験に、少しだけ嬉しくなったが
同時に、軽そうな男性に対する嫌悪感もわいていた

「せっかくだけど、もう帰らないといけないから」
もう、自然と女子の口調が出てきてしまう
相手にせずに帰ろうときびすを返したが、大きな手に腕を掴まれた

「そんなに時間かけないからさ、おしゃれな店知ってるんだよ」
「そうそう、おいしい食事おごってあげるし」
相手を誘うときはこう言えばいいとしているのか、すぐに引き止めようとする
決まり切ったような言葉をつまらなく思いつつ、ノアは掴まれた腕に、また嫌悪感を覚えていた

「行かないって言ってるでしょう、離して!」
ノアは声を張り上げ、振り払おうと腕を振るが、男は手を一向に離そうとしない
それどころか、気の強いところを気に入ったのか、にやにやとした笑みを浮かべている
なら、急所を蹴りあげてやろうかと思った瞬間、頭上で何かが破裂する音がして、辺りが闇に包まれた


「何だ!?」
男が驚き、はずみで腕が解かれる
今の内に逃げようとしたが、視界が真っ暗になり、どっちへ行けばいいのかわからない
ノアが混乱していると、ふいに手を掴まれ、強く引かれた
しつこく捕まえに来たのかと思ったが、手の感触がさっきと違った

「こちらです、王子」
闇の中から聞こえてきたクラウツの声に安心し、ノアは手を引かれるままに走った


闇の外へ出て、城の傍まで辿り着いたところで、クラウツは走るのをやめて手を離した
慣れない靴で走ったせいで余計に疲れ、ノアは肩で息をしていた
「クラウツ・・・助かった」
普段の声に戻し、礼を言う
走った距離は同じなのに、クラウツは息一つ乱していなかった

「念のため、闇の吐息を持って行ってよかったです」
闇の吐息というのは、煙幕と同じもので
科学が発展しているこの国では、普通の薬局で手に入れることができる
よく悪戯に使われるのだが、こういう使い方もあるのかとノアは感心していた
「それにしても、女言葉がさまになっていましたね。まんざらでもなかったのではないですか?」
図星を言い当てられ、ぎくりとする
しかし、ここで素直に頷いてしまうのは恥ずかしすぎた

「王子だとばれないために仕方なく、だ。仕方なくしたことなんだからな!」
強調して言ったが、信じたのか信じていないのか、クラウツは素知らぬ顔をしていた
「陽が落ちてきたので、帰りましょうか」
クラウツは、なんと正門から堂々と城へ入ろうとする
できれば他の入口から入りたいと、ノアは歩みを引き留めようと駆け出す
そのとたん、足にずきりとした痛みが走った


「痛っ・・・」
ノアはわずかに呻き、その場に座り込む
「王子?」
異変に気付いたクラウツが、ノアの傍へ行く
痛みの原因は、靴を脱いだらすぐにわかった
さっき走ったせいで靴ずれを起こし、足首のあたりが擦れて赤くなっている
小さな傷なのに、靴を脱いで裸足で歩いたほうがいいと思うほどに痛い

「あー・・・クラウツ、靴を持っていってくれ。もう、裸足で歩く」
クラウツの性格からして、遠慮なく先に帰るだろうと思っていた
けれど、そうはせずにじっとノアを見ていた
「・・・どこに、王子を素足で帰らせる従者がいますか」
クラウツは溜息をつき、その場にしゃがむ
そして、背中と足に腕をかけると、いとも簡単にその体を持ち上げた

「わわっ」
急に視点が上がり、ノアはうろたえる
「別の入口がよかったら、そちらから入りましょう」
まるで、ノアの気持ちを読み取ったようにクラウツが言う
これは、俗に言うお姫様だっこという体勢で
これもまた、まさか自分がされることになるとは思っていなかったことだ

けれど、侮辱されているとは感じない
いつも何を考えているかわからない顔をしているクラウツが、気をきかせてくれている
そのとき、自分を支えてくれている腕が、とても頼りがいのあるものに感じた
自分と同じくらいの細腕なのに、重たそうな様子は見せず、荷物ごと抱えている
そして、背中と、足にまわされているその腕が、どこか心地良いと思えるのはなぜだろうか


「着替える前に、まず医務室へ行きます。化膿でもしたら、面倒なことになりますから」
「き、着替える前に!?」
医務室へ行くということは、誰かにこの様子を見られてしまうということで
いくらなんでも、それは恥ずかしすぎた

「ちょ、ちょっと待て、別に、着替えてからでも・・・」
「いいえ。すぐに行きます」
そう言い切られ、ノアは何も言えなくなってしまう
最も、運ばれている身だから何を言っても無駄だった

「うぅ・・・お前、結局は自分が楽しみたいだけだろう、そうなんだろう」
クラウツは答えず、ただ歩みを進めて行く
そのとき、ノアは、買ってきたチョコは自分で食べてしまおうと、そう思った




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
予想以上に長い。もっと短くまとめたいのですが・・・
それはそうとこの連載でも出てきましたお姫様抱っこ
ネタが少ない奴でさーせんorz