何とも平穏な国6


先日、ノアがネロからもらった薬の効果は、中々切れなかった
一日経った今でも、必要以上にクラウツのことを見てしまうし、自分の態度がどこかよそよそしくなってしまう
それから、自分の中で、何かが変わってしまった気がしていた
ずっとこのままでいたら、自分はクラウツに何を思うようになってしまうのだろうか
勘の鋭いあの執事のことだから、変なことを思ってはすぐ察知され、突っ撥ねられるに決まっている
それを防ぐためにも、効果を消す方法を聞きにいかなければならない
せめて、効果がどれくらいで切れるのかだけでも知りたくて、ノアは約束を破り、夜の庭に来ていた

「ネロ、昨日の薬のことで、聞きたいことがあるんだ」
そう尋ねると、ネロはびくりと肩を震わせた
「王子・・・申し訳ありません!あの後、家で分析してみたのですが・・・
あれは、失敗作だったのです」
ネロは必死に訴え、必死に頭を下げる

「・・・失敗?」
信じられない言葉に、ノアは目を丸くしていた
「はい・・・。あの薬の効果はほんの数分しか続かず、すぐに正気に返ってしまうことが判明したのです。
そんな品をお渡ししてしまい、本当に申し訳ありませんでした・・・」

「数分で、すぐ、正気に・・・」
言葉が途切れがちになり、驚きを隠しきれない
だとすれば、昨日のことはどう説明がつくというのか
それどころか、今でさえも薬の効果は続いていると思っていたのに
意識が朦朧としていたのは、最初だけで
本当は、あれは、自分の意思だったというのだろうか


「お金はお返しいたしますので・・・・・・王子?」
ネロの言葉は耳に入らず、ノアは遠くを見ていた
「・・・そうだ、ネロ、その薬に、副作用はないのか?
例えば、効果の余韻のような、ぼんやりとした気持ちが続くとか」
まだ決め付けるのは早いと、とっさに問いかける
失敗作なら、何らかの副作用が出てきてもおかしくはなかった

「副作用・・・ですか。・・・そうですね、もしかしたら、あるかもしれません。
何にせよ、未完成なものですので・・・」
ネロは申し訳なさそうに言ったが、ノアにとってそれは喜ばしい返答だった
副作用があるかもしれないなら、クラウツに対してのことは、それで説明をつけられる
クラウツも、聞く耳を持たないわけではないし、全て薬のせいだったと、そう言えば嫌われることはないだろう
ノアがほっと胸を撫で下ろしたその瞬間
背後に、人の気配がした

「もう会ってはいけませんと、そう言ったはずですが」
冷ややかな声が背に突き刺さり、ノアはこわごわと後ろを向く
いつからそこに居たのか、薄暗闇のなかにクラウツが佇んでいた
「ク、クラウツ、あの、これは・・・」
ノアは俯き、言葉を探す
けれど、どんな言い訳もこの執事には通用しなさそうで、何も言うことはできなかった

「ネロ、とおっしゃいましたか。もう王子はあなたと会うことはありません」
クラウツは冷たく言い放ち、ノアの手を取る
そして、呆気にとられるネロを残し、有無を言わさず城の中へと引っ張って行った
そのとき、ノアはクラウツを怒らせてしまったことが悲しかったが
同時に、手が繋がれていることを嬉しくも思っていた
突っ撥ねられてはいない、拒まれているわけではないのだと
この手は、そういうことを教えてくれていたから




クラウツは、ノアの自室に着いたところで手を離した
「王子、昨日の言葉をお忘れですか」
いつもと変わらぬ、平坦な口調でクラウツは問う
けれど、約束を破ってしまった罪悪感で、ノアはクラウツの顔を見られないでいた

「す、すまん・・・でも、もう会わないようにする」
今日は、どうしても薬のことが知りたくて会いに行ってしまったが、もう庭に行くことはしないと誓った
どこまで信じてもらえるかは、わからないけれど

「結構です。ですが、就寝時、暫くは王子を監視させていただきます」
「・・・わかった」
何か反論できるわけもなく、ノアはただ頷いた
ベッドの横に椅子でも置いて、寝息をたてるまでじっと見ているのだろうか
それはいかにも落ち着かない感じがしたそうだったが、仕方ない
ノアは大人しく、ベッドに寝転がる
すると、意外なことに、クラウツまでもがベッドに入ってきていた

「お、お前も、一緒に寝る、のか?」
監視というから、どこか別の場所で見ているものだと思っていただけに、その行動は意外だった
「ここなら、王子が抜け出したらすぐにわかるでしょう」
「ま、まあ、そうだが・・・」
キングサイズのベッドなので、ゆうに二人分のスペースはある
しかし、それ以前に、クラウツと並んで眠ることがあるなんて思わなかったし
自分の中で何かが変革したこともあって、ノアは心配していた
無意識のうちに、クラウツが嫌がるようなことを自分がしてしまわないだろうかと

「お休みなさい、王子」
それ以上会話を交わすこともなく、クラウツは早々に目を閉じる
「お、おやすみ・・・」
ノアは言葉と同時にそっぽを向き、強く目を閉じる
薬の副作用が現れない内に、寝てしまおうというように


数十分、時間が経ったが、ノアは眠れていなかった
誰かと床を共にするなんて幼少期以来のことで、全く落ち着けない
クラウツはもう眠っているのか、静かな寝息が聞こえてくる
それも、ノアを落ち着かなくさせている原因の一つだった

寝返りを打ち、クラウツの方を向く
そういえば、寝顔を見るのは初めてだった
目を閉じ、何も厳しい言葉が飛んでこないからか、その横顔はやけに端整に見えた
もう少し近くで見たいと思い、ノアは慎重にクラウツへ近付く
気付けば、もう少しで肩が触れてしまいそうになる位置まで移動していた

こうして、すぐ傍で、じっと相手を見ていると、ふいに衝動が湧き上がってくる
昨日と同じような、そんな感覚がよみがえってきて、ノアはクラウツの方へそろそろと手を伸ばす
そして、すぐ傍にあった手に、自分の手を重ねた
起こしてしまうかと思ったが、反応はない

「クラウツ・・・」
念のため、呼びかけてみる
それでも、聞こえてくるのは寝息だけで、他の反応は全くなかった
相手が完全に眠っているとわかったとき、ノアは重ねていただけの手を、そっと握っていた
とたんに、胸の中が温かくなる
手を握るだけでこんなにも温かいものを感じるのは、きっと薬の副作用なのだろう
ノアは、そう信じて疑わなかった


クラウツが起きないのを見ていると、もっと触れたいと思えてくる
ノアは、もう少しだけ、クラウツに近付く
それだけでも、心臓の音が強くなってゆくようだった
その不思議な現象をまた副作用のせいにして、ノアはクラウツの肩に寄り添う
昨日のように、頭を乗せる
最初は、流石に起きてしまうかもしれないと緊張したけれど
すぐに、触れている心地良さの方が大きくなった

誰かに触れることで感じる温かさは、やはり幸せだと思う
父親や母親に触れるのとは、どこか違う
なぜ、そう思うのだろうとノアは考えたが
それも薬の成し得ることなのだと、簡単に結論が出た
それよりも、今はクラウツに身を寄せている、この心地良さを感じていたかった

ノアは、静かに目を閉じる
今なら、すぐにでも眠れそうな気がしていた
その予感の通り、ノアはほどなくして小さな寝息をたて始めた
ちょうどそのとき、自分の手が握り返されたことを、ノアは知る由もなかった




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
じわじわと、思いがつのっていっています
個人的には、これくらいの長さの話がちょうどいいと思うんですけど
やっぱり、いちゃつき入れるとこの倍はかかるので、改行作業がしんどいこのごろです