何とも平和な国7


あくる日の朝
クラウツは、ノアが自分に寄り添っている様子を見たが、さして驚いてはいなかった
力の抜けている手を解き、物音をたてぬようベッドから下りる
そして、しばらくの間ノアを見下ろしていた
じっと何かを考えているような、そんな様子で

ノアが目を覚ましたのは昼前で、時計を見て、それは驚いた
昨日夜ふかしをしたとはいえ、ほぼ半日眠ってしまったのだ
それほど、誰かと共に眠ることは安心感があったことなのだろう
寝過ぎて、頭がぼんやりとしている
だらだら長く眠っていると夜に眠れなくなってしまうので、急いで身支度を調えた

まずは、クラウツに起きたことを伝えておいたほうがいいだろう
城の中を探すつもりだったが、クラウツはソファーの上に座っていた
もしかして、起きるのを待ってくれていたのだろうか

「クラウ・・・」
ノアは声をかけようとしたが、言葉を止めた
何とも珍しいことに、クラウツは座ったまま居眠りをしていた
察しのいいこの執事も、寝ているときだけは無防備になるのか
ノアが目の前に立っても、気付いていない様子だった
目を閉じているクラウツを見ていると、ノアの手が自然と伸びた


指先で、黒髪に触れる
跳ねている髪は、思いの外柔らかかった
熟睡しているのか、反応はない
そうわかったとき、昨日の夜とは別のことを感じた
こうして、簡単に触れることができるのなら、今度はクラウツの方から触れてほしいと

そんなことを考えてしまう自分に驚く
これも、副作用の効果なのだろうか
でも、その手で触れてくれたなら、どれほど幸せだろうかと思うが
それは、クラウツが眠っている今は望めないことだ
ならば、せめて、自分から触れたい

ノアは慎重にクラウツの頬に触れ、前に、自分がされたように掌で頬を包む
柔らかい、肌の感触が伝わってくる
それは、確かに望んでいた感触だが、ノアはどこか物足りなさを感じていた
もう少し、鮮明に感じることはできないだろうか
柔肌を、もう少しはっきりと感じてみたい

ノアは一旦頬から手を離し、じっと考える
これから先のことをしていいのだろうかと
もし目を覚ましてしまったら、確実に咎められること
それでも触れたいという、そんな思いにかられる


やがて決心したノアは、上半身を傾け、クラウツに近付いてゆく
頬に吐息がかかる距離で、一瞬躊躇った
けれど、今更後には引きたくなくて
ノアは、細心の注意をはらいつつ、クラウツの頬に唇で触れていた

手で触れるときとは、違う感触がする
触れているところは同じでも、仲介するものが違うだけで、それだけで、頬が染まる
自分が、恥ずかしいことをしていると自覚しているから
それもあるけれど、それ以前にノアは感じていることがあった

さっきとは別種の幸福感が何を意味しているのか、ノアにはまだわからなかった
数秒ほどで、唇を離す
もうこれ以上のことはしまいと、その場から退こうとする
けれど、その前に、突然腕を取られ、強く引き寄せられた

「わ、わわっ」
眠っていると油断していたので、ノアは腕を引かれるまま、クラウツにぶつかった
顔を上げると、はっきりと開いている目が見える
まるで、寝起きとは思えないような覚醒した瞳が

「ク、クラウツ・・・」
上に乗っかっているので、顔を上げなくても視線が交わる
咎められると、そう思っていたので、ノアは目を合わせられなかった


「・・・王子の行動は、昨日から知っていました」
その言葉に、ぎくりとする
今のことだけではなく、まさか昨日のことまで気付かれていたなんて
罪悪感より恥ずかしさの方が勝り、思わず目を伏せていた

「王子は、私のことを好いておられるのですか?」
「えっ・・・」
意外な問いかけに、ノアは視線を上げる
好いているなんて、そんなこと、考えたことはなかった
クラウツに触れるのは、ただ心地良くて安心するから
それだけの理由でしかないはずだった
けれど、好きなのかと問われると、はっきりとそういうわけではないとは言えないでいた

ノアが黙っていると、ふいにクラウツが背に腕をまわす
先程、触れてほしいと思っていた手に触れられ、心臓が疼く
「王子は、私に触れられることを望んでいるのですか」
その問いには、すぐに頷いた
自分で触れるときとは、また違う温かさ
クラウツが触れてくれると、そんな幸福感を覚えるのだ


そんな中、ノアは一つ心配していることがあった
もしかしたら、この幸福感は全て薬の効果によるものかもしれないと
だとしたら、その効果が切れたとき、この幸せが消えてしまうのではないだろうか
以前は、クラウツに触れたくなることを、副作用のせいにしたがっていたのに
今は逆に、効果が続いてほしいと思っている
続いているかもわからない、その効果を
静寂の後、クラウツは腕に力を込め、ノアの体を引き寄せた

「あ・・・」
体が密接に触れ合い、ノアは思わず感嘆の声を漏らす
こうして引き寄せられ、体が重なるだけでも、胸の内に温いものを感じる
クラウツはノアの声を聞き、何かを考えるようにふと遠くを見ていた
そして、腕の中にいる相手に視線を戻すと
傍にある頬に、ゆっくりと唇を触れさせた

「ふぁ・・・」
ノアは再び、感嘆の声を漏らす
頬に柔らかな感触を感じると、肩の力が抜けるような、そんな声が出てしまう
自分がさっきしたことを、今、クラウツが同じようにしてくれている
柔らかい、温かい、どっと幸福感が溢れてくる
ノアは思わず、クラウツの体に手をまわしていた

そのとき、思った
この温かさを、幸せを、絶対に消したくはないと
クラウツが唇を離しても、ノアはまだ幸福感に包まれていた

「・・・王子は、このようなことを望んでおられるのですね」
それは、尋ねかけなくともわかること
今や、ノアの頬は、完全に紅潮していたから

「あ、で、でも、前に飲んだ、薬のせいかもしれないんだ。副作用が続いて、その・・・」
幸福感と共に恥ずかしさも込み上げて来てしまい、つい弁論する
「副作用・・・」
クラウツはそう呟き、腕を解く
そろそろ離れてほしいと暗に言われているようで、ノアも腕を解き、横へ退いた
すると、クラウツはさっと立ち上がり、何か声をかけるわけでもなく部屋から出て行く
部屋に残されたノアは、一人ぼんやりと幸せの余韻を感じていた




それから、クラウツの様子に変わったところはなかったが、翌日、とある変化があった
それは、午後三時ごろのことで、その日は珍しく、お茶の用意がされていた
昼寝のせいで、ノアはティータイムなど意識していないときが多かったが
どういうわけか、今日はクラウツが自主的に準備をしたようで
テーブルの上には、二組のカップと、小さなクッキーが並んでいた
ノアは、紅茶の香りに誘われるようにテーブルの前の椅子に座った
それを見計らったかのように、クラウツが部屋へ入って来る

「クラウツ、これは、お前が用意をしてくれたのか?」
「はい。たまには、いいかと思いまして」
テーブルを挟み、クラウツがノアの正面に腰を下ろして対面する
今思えば、クラウツと共に紅茶を飲むのは初めてのことで、ノアは緊張気味にカップへ手を伸ばした
口元へ持っていくと、甘い香りがふわりと鼻をくすぐる
種類はわからなかったが、何ともおいしそうな香りにひかれた

カップに口を付け、味見程度に紅茶を飲む
そのとたん、何とも甘い香りと味が、口一杯に広がった
「・・・うまい。クラウツ、お前は紅茶を淹れるのが上手いのだな」
「執事として、当然のたしなみですので」
あまり執事らしくない相手がそんなことを言ったので、ノアはくすりと笑った
紅茶を飲む合間に、クッキーをつまむ
クラウツは、ゆっくりと紅茶を飲んでいた


何とも、穏やかな時間が流れてゆく
お茶の時間を設けるなんて、何の気紛れかはわからないけれど
ノアは、クラウツと共に過ごせるこの時間が幸せだった
面白い会話をするわけでもなく、ただそこにいてくれる
それだけでも感じる幸せは、これは薬の副作用などではないのではないかと、薄々そう思い始めていた

紅茶を飲み終え、クッキーをたいらげ、穏やかな時間が終わる
テーブルの上が殺風景になると、急に物寂しくなるような感じがした
「あのさ、クラウツ・・・また、いつか、こうして紅茶を淹れてくれないか」
また、こんなゆったりとした時間を共に過ごしたい
ノアの願いに、クラウツは少し間を開けた後答えた

「かしこまりました。また・・・いつか」
その返答が嬉しくて、ノアは照れたように笑った
この一時のためなら早く眠って、もう昼寝はしまいと
そう思える程、午後のティータイムは大切なものになった




そして、その日の夜
早く寝てしまおうと、ノアはいつもより早めにベッドに入ろうとしていた
「王子、お待ちください」
その直前で呼び止められ、ベッドには入らず、腰かける
「ん、どうした?」
ノアは、目の前に立つクラウツを見上げる

「眠る前に、確かめたいことがあるのです」
言葉と共に、クラウツの手が伸ばされる
それは、そっとノアの頬に添えられた
「た、確かめたいこと?」
添えられた手に、緊張感を覚える
その手は頬を一撫でしかたと思うと、ゆっくりと移動してゆき
細い指先が、愛撫するように輪郭をなぞっていった

「ク、クラウツ・・・」
指先だけの愛撫でも十分に熱を感じ、ノアは戸惑う
その指は頬を通り過ぎ、首筋へと移動してゆく
「は・・・」
喉元を優しく撫でられ、空気が抜けるような声が漏れる
頬に唇で触れたことといい、この愛撫といい
クラウツという執事は、こんなにも積極的だったのだろうか
まるで割れ物を扱うような優しい愛撫に、ノアはうっとりとしてきていた

その反応を見た瞬間、クラウツは手を離し、小さな溜息をつく
「王子は、まだ私に触れられることを望んでおられるのですか」
図星を言い当てられ、ノアの頬に熱が上る
「そ、そうだけど、でも・・・」
副作用がまだ残っているかもしれないと言おうとしたとき、言葉は遮られた


「薬の効果なら、もう切れていますよ」
「・・・え?」
「今日の紅茶には、解毒剤を入れておきました。ですから、もう副作用も残っていないはずです」
衝撃的なことを聞かされ、ノアは言葉を失う
よくも王子の紅茶に一服盛ったなと、文句を言っている場合ではない
愛撫されたときに感じる、うっとりとしてしまうような反応
それは、薬のせいなどではなく、自分の、本心からの反応だったのだ

「え、あ、その・・・と、いうことは・・・だな・・・」
戸惑わずにはいられなくなる
副作用がなくとも、触れられることを心地良く思うのならば
それは、クラウツのことが好きだという答えに辿り着いたから
それでも、戸惑いはしたが、嫌悪感はなかった
好きであるということがこの幸福感に繋がるのなら、それでもいい

「そうか・・・どうやら、僕は、お前のことが・・・」
好きみたいだと、そう言おうとした瞬間、クラウツの手に口を塞がれていた
「それ以上は、言ってはいけません。その言葉は、執事などに向けられるものではないはずです」
ノアは、口を塞がれた理由がわからなかった
相手が執事だろうが何だろうが、なぜ伝えてはいけないというのか
それは、忌み嫌う言葉ではないはずなのに


「王子、あなたは国王の一人息子なのですから、子孫を残す義務があるはずです。
それなのに、男である私にうつつを抜かすなど、許されないことです」
クラウツは、ずっと確かめていた
ノアが本当に、執事である自分に興味を示しているかどうかを
今までは、薬による、一時的な迷いかもしれないと思っていたが、解毒をした今、確信していた
王子が、必要以上の好意を抱いているということを

言葉を言い終えたところで、クラウツが手を離す
「もう、私に必要以上に触れてはいけません。眠るときも、別々にしたほうがいいでしょう」
クラウツはそれだけ言い、部屋から出て行ってしまう
ノアは唖然とした後、力なくベッドに倒れ込んだ
もう、触れてはいけない
折角、自分の想いに気付いたというのに

けれど、クラウツの言葉は正論だった
自分は、王族の血を絶やさないために、いずれ、子孫を残さなければならない
そうわかっていても、気付いてしまった
うつつを抜かしていたい、クラウツと接する幸福感を消したくない
それでも、本人に拒否されてしまえば、どうしようもなくなってしまう
一人きりで眠る夜、そのベッドは、やけに広く感じられた




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
このままひっつくかと思いきや、それでは平坦すぎるので少し突き放すような展開を加えてみました
やっぱり、いちゃついている場面をつなげただけの小説ではなく、展開があったほうが後々萌えると思いましたので・・・