何とも平穏な国8


触れてはいけないと、クラウツにそう告げられた日の翌日
もう、相手にしてくれないのだろうかとノアは思っていたが、今日もお茶の用意がされていた
接することを許してくれるのかと、希望がわく
しかし、テーブルの上にはカップとお菓子が一組しかなかった
紅茶は淹れてあるのだが、そこにクラウツの姿はない
とりあえず、ノアは椅子に座り、紅茶を飲んだ

昨日と同じ、甘い香りと味が広がる
けれど、幸福感はない
どんなに甘美な紅茶があっても、お菓子があっても、やはりクラウツがいてくれないとだめなのだ
自分の気持ちに気付いた今、ノアは抑えきれない寂しさを感じていた


クラウツが姿を現したのは、夕方になってからだった
何をするわけでもなくぼんやりと過ごしていたノアは、クラウツを見て目を輝かせた
「クラウツ、あの・・・」
「今夜、大広間でパーティが開かれます」
「パ、パーティ?」
あまりに突然のことに、ノアは目を丸くする

「隣国の姫君が王子にお会いしたいと仰せですので、手配いたしました」
「な・・・」
抑揚のない口調で告げられる
それは、大規模なお見合いと同じではないか
そのとき、ノアはどうしてこんなにも急に事が進んでいるのかわかった
クラウツは、自分に身けられている思いの矛先を変えてしまいたがっているのだと

「クラウツ、お前は・・・」
「召使たちに準備をさせます。あまり時間がないので、お急ぎを」
クラウツは再びノアの言葉を遮り、言葉が終わると同時に召使いたちが入って来る
クラウツは、それと入れ替わるようにして出て行った
もう、話しさえ聞いてはもらえないのだろうか
ノアは泣きそうな気持ちになりながらも、正装に着替え始めた




ノアは久々にきっちりとした衣服を着て、大広間へと赴く
正直なところ、気が進まなかった
上品で優雅な雰囲気のあるパーティは、嫌いではない
しかし、お見合いのようなことを本人の同意もなしにされてはたまらない
両親がいない今、その姫をもてなすのは自分しかいないことも、気が乗らない理由だった

大広間には、すでに人が集まっていた
きらびやかなドレスを纏ったご婦人、タキシード姿の紳士、それぞれが好きに会話をし、料理を堪能していた
ノアが広間に入ると、一瞬、会話が止まる
すると、会場に居た人々が、駆け寄って来た

「ご無沙汰しております、王子」
「王子、しばらくお見かけしない間に、少し背丈が伸びましたか?」
「今日は、隣国の姫君をお迎えされるそうで・・・ご立派になられたのですね」
返答する間もなく、矢継ぎ早に言葉が投げかけられる
人々が、こうして親しみを持って接してくれることは嬉しかった
けれど、今、大勢の者に慕われても、胸の内には虚しさが残るだけだった


挨拶が済むと、人々は再びパーティを堪能しに行く
そのとき、ノアは広間の隅にクラウツが佇んでいるのを見つけた
話しかけに行こうと、立ち上がる
この場所でなら、王子の言葉を無視し続けるわけにもいくまい
そう思ってクラウツの元へ行こうとしたとき、広間の扉が開いた

全員が、さっとそこへ視線を向ける
入ってきたのは小柄な少女と召使いで、その少女こそが隣国の姫だった
姫はうやうやしくお辞儀をし、召使いと共に広間の中央を進んでゆく
そして、ノアの前に来てにこりと笑った

「始めまして、ノア王子。私はシュシュと申します。
急なことでしたのに、私のためにパーティを開いて下さってありがとうございます」
「あ、あぁ」
女性の扱いに慣れていないので、ノアの返事はぎこちなくなる
何か動作をするたびに揺れる茶色い巻き髪に、ふんわりとしたドレス
小柄な自分よりさらに小柄な姫君は、まるで、絵本の中から出てきた妖精のようだった
そんな少女の相手をするのは初めてのことで、ノアは最初から、緊張してしまっていた

「やっぱり、王子も小柄でかわいらしいのですね。お写真を見て、ぜひお会いたいと思いましたの」
「そ、そうか、ありがとう」
シュシュは饒舌に話すが、ノアはやはりぎこちなかった
もし、気に入られてしまったら、この王女と結婚することになるのだろうか
ならば、むしろ嫌われた方がいい
そうすれば、クラウツへの思いを消さないで済むのだから

「王子、お座りになって、お話しをしましょう。私、王子のことが知りたいのです」
ふいに手を引かれ、椅子へ誘導される
本来ならばノアがリードすべきところだが、そんな余裕はなくて
いつの間にか、シュシュが先行して話し始めていた



シュシュは本当に話すことが好きなのか、会話は一時も止むことがなかった
趣味は、好きな食べ物は、何で科学が好きなのか、何でその髪型なのか
質問は、きりがないほど繰り返される
一応、ノアはそれらの全てに受け答えていたけれど、気持ちは、どこか浮ついていた
それに、最近はこんなにも多くの会話をすることがなかったので、だんだんと疲れてきていた

「王子・・・王子は、あまり楽しくありませんか?」
疲れが顔に出てしまっていたのか、シュシュが心配そうに問いかける
「い、いや、そんなことはない。王女との会話は・・・楽しい」
何とか笑顔を作って答えるが、それはお世辞だった
本当のことを言うと、多くを語ることは苦手だった
こうして長々と話しているより、一言二言、クラウツと会話をするほうがいい
そのほうが、よほど楽しく、幸せになるだろうと
ノアはシュシュに微笑みかけつつ、そんなことを思っていた

「よかった。・・・そういえば、王子にお付きの方はおられませんの?」
お付きの方、という言葉にノアは反応した
「いや、隅の方にいる、あの執事が共に居てくれるんだ」
言葉と同時に、そのクラウツの方を見る
一瞬、視線が交わったが、ふいと逸らされてしまった


「あのお方がそうなのですか?お若くて意外です。
執事と言えば、もっと年のいった者を想像しておりました」
「そうだろう?僕も、そう思っていた。
最初は、僕と対して年が変わらない者が執事など勤まるのかと思っていたが・・・これが、中々クセのある奴なんだ。
いつも無表情で言葉に抑揚がなくて、敬意というものを知らないような奴なんだ」
疲れた様子はどこへ行ったのか、ノアは急に饒舌になる

「まあ、どんな変わったところがあるのですか?」
「それが、僕にパン粉を平然と振りかけてきたり、女装しろって行ってきたり、そんな様子を見て楽しんでる奴なんだ」
「まあ。面白いことをなさるのですね」
シュシュは口に手を当てて、上品に笑う

「でも、紅茶を淹れるのがうまくて、それに、僕が突拍子もないことをしても・・・拒まないで、いてくれる」
そのとき、ノアは自分がクラウツに触れたときのことを思い出していた
腕に触れても、肩によりかかっても、嫌な顔一つせず、突っぱねないでいてくれた
無表情でも、何を考えているのかわからなくても、普通とは違うことをして、何だかんだで楽しませてくれる

「・・・王子は、よほど、その執事のことを慕っておられるのですね。
口調が一気に変わったから、わかりますわ」
その言葉は、まるで、自分の気持ちを代弁したもののようだった
慕っていることには違いないけれど、少し違う
それ以上の気持ちが、自分にはある

「僕は・・・そうだ、慕っている。とても・・・」
そこで、言葉を止めるべきだった
けれど、口をつむぐことはできなくて
想いが、唇から零れ出ていた



「・・・好き、なんだ」
「・・・え?」
シュシュは、目を丸くして聞き返す
「僕は、クラウツのことが・・・・・・好きなんだ」
信頼している従者として、などという、そんな意味ではない
それは、もっと親しい関係に使う言葉で
その意味合いを読み取ったのか、シュシュは唖然としてノアを見ていた

もう、撤回できないことを言ってしまった
あれだけ饒舌だった姫が驚きのあまり言葉を失い、気まずい静寂が流れる
ここから再び会話を盛り上げるのは、無理かもしれない

「・・・ごめん」
一言だけそう告げて、ノアは立ち上がる
そして、顔を伏せたまま、早足で広間から出て行った




ノアは部屋へ駆け込み、ベッドへ腰を下ろす
自分のせいで、台無しにしてしまった
たった一言で、雰囲気を壊してしまった
けれど、どうしても、言葉を止められなかった
まるで、溜まり溜まっていた思いが決壊して溢れ出てきたように、まごうことなき、本心からの言葉を呟いていた

一人俯いていると、部屋の扉が開く音がした
ノアが顔を上げたときには、目の前にクラウツが立っていた
「王子、何をしているのですか。今すぐ戻って下さい」
焦っているのか、その口調はいつもより少しだけ早かった
いくらクラウツの言葉でも、了承したくなくて首を横に振る
今更戻っても、どう弁解すればいいというのか
それに、もう饒舌な姫と話すのには疲れてしまっていた


「一体どうしたというのです。会話は何とかできていたではないですか」
どうしたのかと、そう問いかけられたとき、ノアはクラウツの目を真っ直ぐに見て言った
「好きだと、言ったんだ」
衝撃的なことを言ったつもりだったが、クラウツの表情は変わらなかった

「いきなり、告白をなされたのですか?」
「違う!僕は・・・僕は、お前のことが好きだと、そう言ったんだ!」
言葉を遮られたくなくて、どうしても伝えたくて、ノアは、声を張り上げた
そこで初めて、クラウツに変化が訪れた
無表情なのはいつものとおりだったが、口をわずかに開き、硬直している
王女との会話でなぜそんなことを言うことになったのだと、そんな疑問が渦巻いているようだった

クラウツが動かないでいるその隙に、ノアは立ち上がり、その体に抱きつく
強く、背に腕をまわして、お互いを密接させた
「楽しくなかった・・・王女は饒舌に話しかけてくれたけど、疲れただけだった・・・
お前と話しているほうがどんなにいいだろうかって・・・何度も思った」
クラウツは黙り、ノアの言葉に耳を傾ける

「お見合いなんて、婚姻なんてしたくない!僕は、お前じゃないと嫌だ・・・クラウツ、お前と・・・・・・お前と、一緒にいたいんだ!」
言葉と共に、必死にすがりつく
突き放されたくない、この想いを消そうとしてほしくない
王子のプライドなんて忘れて、懇願していた

クラウツがゆっくりと腕を動かし、ノアの肩に手を置く
引き寄せるわけでもなければ、突き放すわけでもない
そこには、大きな葛藤が渦巻いているようだったが、やがて、弱い力でノアを押し返した


「・・・そんな迷い事を言ってはいけません。わかっているのでしょう、王子は・・・」
引き離されたその瞬間、ノアの目の色がさっと変わった
「そんなこと、わかってる!」
自分でも、驚くくらいの声が出る
そして、渾身の強い力でクラウツの腕を引き、瞬く間にベッドへ押し倒していた
これには流石のクラウツも驚きを示し、とたんに目を見開く
ノアはクラウツの上に馬乗りになり、その驚愕の表情を見下ろしていた

初めて変化した表情を、こんな形で見たくはなかった
けれど、もう止めようがない
「お前が僕を拒むんなら、無理にでも・・・!」
クラウツの肩を抑えつけて、身動きが取れないようにする
そして、身を下ろし、顔を近付けていった

今、しようとしていることがクラウツもわからないはずはない
顔を背けられて当然のはずだった
けれど、驚きが消えたクラウツの瞳は、真っ直ぐにノアを見詰めていた
観念したという様子ではなく、これで気が済むのであれば、好きなようにすればいい
その後の関係は、元に戻るのだからと
まるで、そう訴えかられているような気がして、唇に触れる直前でノアは俯いていた


「・・・王子」
ぎりぎりのところで自分を抑制したノアを褒めるように、クラウツはやんわりと背に腕をまわす
ノアは、クラウツの首元に顔を埋め、震えていた
「ごめん・・・ごこんなこと、するつもりじゃなかった・・・
ただ、話を聞いてほしかった・・・それなのに、僕は・・・・・・」
自然と声がすぼまり、小さくなる
我を忘れることなんて、初めてだった
どうせ拒まれてしまうのなら、無理矢理にでもしてしまおうと
そんなことを考えてしまった自分を、恐ろしく思う
あのまま我に返らなかったら、きっと、クラウツはこうして腕をまわしてはくれなかっただろう

「お前に、嫌われたくない・・・なのに、嫌われるようなことをしてしまう・・・
僕は、自分がわからなくなりそうだ・・・」
嫌われたくない、その思いが一番にあるはずなのに
その思いを押し退けて、強い感情が湧き上がって来た
止めようのない、その感情は、行き場を失った欲求に他ならなかった

「嫌いになどなってはいませんよ。多少、驚きはしましたが」
クラウツは、ノアを安心させるよう背中を撫でる
その言葉と愛撫に、震えは少し収まったようだった

「王子、私は、貴方のことを気に入っていました。
森に行ったときから、これは楽しめそうなお方だと」
クラウツが、優しげな口調で語り始める
「女装のときといい、薬のときといい・・・問題を出したときは特に楽しめました。
まさか、あんな答えを言ってくるとは思わなかった」
ふいに、言葉遣いが砕けたものになる
そこには、親近感が含まれているように聞こえて、ノアの震えはいつの間にか止まっていた

「この王子の元でなら、長く居続けられそうな気がした・・・
そこまで気に入った貴方だからこそ、幸せになってほしいのです。
国王のように、王妃様を迎え、安泰を得てほしいのです」
クラウツの言葉に、ノアは大きな喜びと驚きを感じていた
自分のことを気に入っていると、そう言われたことがとても嬉しくて、飛び跳ねたくなるような気分になる
そして、触れることを禁じるようになったのは、そんな考えがあったからなのかと、同時に驚きもしていた


クラウツはこの先の安泰を願っているが、ノアは納得しなかった
自分にとっての幸せは、安泰ではない
「安泰などいらないと、そう言えば・・・お前は、僕のことを好いてくれるようになるか・・・?」
背を撫でる手が、ぴたと止まる

「そういうことではありません。私は・・・」
そこで、ノアは顔を上げ、クラウツの目をじっと見た
揺るぎようのない決心を秘めた瞳に、しばらくお互いは視線を交差させていたが
やがて、クラウツが短く溜息をついた

「・・・わかりました。・・・明日、一日だけ、私は王子の望むことを、何でもいたしましょう。
その代わり、約束して下さい。私への想いは、忘れると」
ノアは、返答に詰まった
望むことを何でもしてくれるなんて、これ以上にない魅力的な提案だが
その一日が終わってしまえば、この想いを抑えつけなければならなくなる
それでも、こうして葛藤するほど、クラウツの言葉は惹かれるものだった

沈黙の後、ノアは口を開く
「・・・それで、いい。・・・・・・お前の条件を飲む」
どうせ、このまま触れることを許されないのであれば
明日、自分が満足するまで、思うままのことを望んでしまおう
言うとおりにすることがクラウツの望みならば、そうしたかった
「ありがとうございます。それでいいのです。それで・・・」
クラウツの言葉は、ノアに向けられている一方で、自分に言い聞かせるようでもあった




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
受けのはずの王子を積極的にしてみると、意外と萌えることが判明した話でした←