召喚魔にいろいろされて人間止めてみた話12


朝、祐樹は広間から漂ってくるいい香りで目を覚ました。
もたもたと朝支度を済ませて、砂糖とバターのかぐわしい香りにひかれるように、広間へ向かう。
そこには、すでに先客が座っていた。
「か、母さん!」
祐樹が驚きの声を上げると、母が振り向く。

「あら、祐樹、ちょっと寝過ぎじゃないかしら?早く台所へ行って、朝食を取っていらっしゃい」
言い終わると、すぐに母はテーブルに向き直る。
とりあえず朝食をとりつつ話をしようと、祐樹は台所へ向かった。

そこには、ワンプレートでサラダや飲み物やらが置いてある。
甘い香りの発生源は、中心に置いてあるフレンチトーストだった。
卵の明るい黄色に染まったパンを見ると、思わず生唾が出る。
落とさないようにしっかりとプレートを掴み、祐樹は母の隣に座った。

さっそく話をしようと思ったけれど、トーストの匂いにひかれる。
先に一口かじると、蜂蜜の甘さとバターの香りが口一杯に広がった。
噛むたびに、じんわりと卵の液が染み出してきて、濃厚な味わいを醸し出す。
祐樹は夢中になって、しばらくそのまま朝食を食べ続けていた。

「祐樹、アゼルさんに迷惑はかけてない?」
「かけてない、と思う。・・・貢献もできてないけど」
アゼルからは、未だに森の奥へ狩りに行く許可は出されていない。
早くユノやカイブツのように自由に行動してみたかったけれど、まだ祐樹の力は不安定すぎた。

「あら、そうなの。不甲斐ないわね、お世話になっているんだから、皿洗いくらいしなさい」
「う・・・そ、そうする」
母は、わざわざこんなとりとめのない話をしに来たのだろうか。
それだけとは思えなくて、祐樹は疑問を投げかけた。


「母さん、街で何かあったのか?言付けならヨシュアにでもさせればいいんだし、ここまで来るなんて」
図星なのか、母は少しの間黙る。
そうして、おもむろに召喚者の本を取り出した。
「あなたに、見せたいものがあるの」
母が本のページを開くと、とあるページが金色に光る。
すると、辺りが光に包まれ、とある者が召喚された。

それは、母の腕に抱かれて、目を閉じている。
猫や小型犬などではない。
新しい召喚魔の姿は、人間そのものだった。
「か、母さん、まさか・・・その年で産ん」
言いかけたところで、母から容赦ない拳骨が放たれる。

「痛!」
「そんなわけないでしょ!本から出てきたの見たばかりでしょうが!」
見ていたけれど、まさか赤ん坊の姿の召喚魔がいるなんて思わず、自然と問うていた。

確かに、よく見ると背中に小さな羽が四枚生えている。
そっと頬をつつくと、肌の柔らかさが伝わって
産毛を撫でると、ふわふわとしていて気持ちがいい。
すると、赤ん坊がぱちりと目を開き、祐樹をじっと見詰めた。
まん丸とした瞳に見詰められると、目を逸らせなくなる。

「驚いたでしょ?まさか、こんな召喚魔が生まれるなんて、私も思わなかったわ」
「あ、ああ、赤ん坊の召喚魔なんて、初めて見た」
母が生み出したのだから、強大な力を持っているのかもしれない。
祐樹が赤ん坊の掌に触れると、指先がやんわりと握られた。


「もしかしたら、これは私の願望なのかもね。孫の顔なんて、見られそうにないんだから」
「うっ・・・」
何も言えなくなって、今度は祐樹が黙る。
明光と、ルシファーと関係を持ってしまった今、異性を意識することはないのだろうと、薄々自覚していた。

「それで、わざわざここまで来たのは、少しの間あなたにこの子を預けようと思ったからなのよ」
「え」
「赤ん坊を抱くことなんて、一生ないかもしれないんでしょう。
この子はこれでも召喚魔、あなたや明光と接することで変化があるかもしれないわ」
母は、赤ん坊の頭を軽く撫でる。
まるで、自分の子を慈しむような、そんな優しい眼差しをしながら。
もしかして、母はこの召喚魔を息子のように育てたいのだろうかと、祐樹は想像する。
息子が妖魔になってしまったから、少しだけ、ほんのわずかだけ、寂しさを感じているのかもしれない。

「・・・うん、わかった。少しの間なら、預かる」
「ありがとう。普通の子とは違うと思うけど、よろしくね」
母は、赤ん坊を祐樹に抱かせる。
危険な相手ではないとわかっているのか、佑樹が抱いても鳴き声をあげることはなかった。




その後、祐樹は子育てのノウハウ一つ教わることなく母と別れる。
若干の不安感はあったものの、新しい出来事への楽しみの方が大きかった。
「うー」
母がいなくなると、赤ん坊が呻く。
どうしたのかと見下げると、祐樹の指先取ってぺろぺろと舐めていた。
かわいらしい動作に、胸がときめく。

「・・・あ、もしかしてお腹が減ったのか」
たぶん、指にフレンチトーストの匂いが残っているんだろう、しきりに舐めている。
何か食べさせないといけないと、祐樹は急いで台所へ戻った。


歯の生えていない赤ん坊に固形物は無理だと、冷蔵庫を開ける。
そこに、朝食に出ていた飲み物があったので、駄目もとでコップに注いでみる。
注ぎ過ぎないように、慎重に赤ん坊の口元へ液を注ぐと、少しずつ飲み始めた。
ただ飲んでいるだけなのに、愛らしくて目が離せなくなる。
コップの中身を飲み干したところで、満足したのか赤ん坊は小さくげっぷをした。

「おはようございます、祐樹さん」
背後から明光の声がして、祐樹は振り向く。
明光は、祐樹が腕に抱いている相手を見て、目を丸くした。

「おはよう、明光」
「あの・・・その、赤ん坊は一体・・・」
「ああ、母さんの子だ」
説明不足なことを言うと、明光は口を半開きにして言葉を失った。
呆けている姿を見るのは初めてで、このまま黙っていたくなる。

「はは、実は、この赤ん坊は召喚魔なんだ。母さんの本から出てきたんだよ」
祐樹があっけらかんに言うと、明光は溜息をついた。
「まさか、赤ん坊の姿をした召喚魔がいるとは・・・」
「オレも驚いた。それで、少しの間育ててほしいって預かったんだ」
祐樹は明光に近づき、赤ん坊を見せる。
明光が慎重に頭を撫でると、赤ん坊はむにゃむにゃとよくわからない音を発した。
とりあえず、嫌がっているようではなさそうだ。

「明光、赤ん坊の世話の仕方って、わかるか?」
「いえ・・・私も、赤子と接したことはありません。城の主なら、何か知っているのではないでしょうか」
「そうだな、ちょっと探してみるか」
祐樹と明光は廊下へ出て、左右を見回す。
アゼルがいそうな場所は研究室だろうと、扉がある方へ向かった。


その途中で、廊下の先にルシファーの後ろ姿が見える。
ついでに赤ん坊を見せてやろうと、祐樹は駆け寄った。
「ルシファー、見せたいものがあるんだ」
「何だ、くだらない物じゃないだろう・・・な・・・」
ルシファーが振り返ると、明光と同じように言葉を詰まらせる。
やはり、赤ん坊を見て驚かない相手はいないと、祐樹は内心面白がっていた。

「母さんから預かった、これでも召喚魔なんだ。ほら、髪の毛ふわふわだから、触ってみろよ」
そう言ったが、ルシファーは気に食わないものを見るように顔をしかめている。
長年生きていても、赤ん坊の扱いには慣れていないのだろうか。

「頬も柔らかくて気持ちいいぞ、ほら」
祐樹が赤ん坊を差し出すと、ルシファーは一歩身を引いて距離をとった。
今まで、気に入らない相手を跳ね除けることはあっても、自ら距離を置くなんてなかったことだ。
祐樹が近づくと、ルシファーはその分だけ退いた。

「祐樹、それを我に近付けるな」
意外な発言に、祐樹はきょとんとする。
「お前・・・まさか、赤ん坊が怖いのか?」
「恐れている訳ではない。無垢な存在は汚すことができん、厄介なだけだ」
意外なところでルシファーの苦手なものがわかり、祐樹はにやりと笑う。

「でも、触るくらいはできるだろ?こんな機会、滅多にないぞ」
祐樹がしつこく赤ん坊を差し出すと、ルシファーは眉をひそめた。
そこへ、明光が追いついてきてルシファーは舌打ちをする。
「お前の母親は、つくづく厄介なものを持ち込む。我はもう行くからな」
ルシファーは身を翻し、早々にその場を去った。

「祐樹さん、赤ん坊に何もされませんでしたか」
「大丈夫だ。ルシファーが赤ん坊に危害を加えることはないらしい」
明光は不思議そうにしていたけれど、祐樹の頬は緩んでいる。
もしかしたら、これでいつもからかわれている仕返しができるかもしれないと。


その後、ルシファーを追うことなく祐樹は研究室へ赴く。
運のいいことに、中にはアゼルがいて、紫色の液体を掻き回していた。
「おや、君が研究室に来るなんて珍しい。腕に抱いてる赤子は、誰との子かな」
「ち、違います、この子はオレの母さんの召喚魔なんです」
「へえ!それは珍しい。そうか、今朝方君のお母さんが来ていたのは、そういうことだったんだね」
アゼルは目を輝かせて、赤ん坊に駆け寄る。
すぐに指の腹で頬に触れ、産毛の柔らかさを確かめた。
人見知りしないのか、いきなり触られても、赤ん坊はじっと相手を見据えている。

「まるで人間の赤ん坊のようだ。成長が楽しみだね」
「あ、それで、世話の仕方を教えてもらえないかと思って」
「小動物とあんまり変わらないんじゃないかな。ぐずったらあやして、食事をさせて、清潔にしていればいい。
私も、人の子は育てたことがないからなあ」
「そうですよね、すみません。じゃあ、オレはこれで」
祐樹が部屋を出ようとしたところで、アゼルの指先が赤子の髪に触れる。
すると、産毛が数本切れていた。

「ちょ、ちょっと、何するんですか」
「あはは、ごめんごめん。珍しいものを見ると、どうしてもその組織が欲しくなってね」
祐樹は赤ん坊を気にしたけれど、一切泣く気配は無い。
「食事は冷蔵庫に入れておくから、好きに食べさせるといいよ」
「あ・・・ありがとうございます」
軽く一礼して、祐樹は研究室を出る。
変わった環境に来ても、赤ん坊は静かに祐樹の腕の中におさまっていた。




夜になっても、赤ん坊は一度もぐずらなかったし、泣くこともなかった。
試しに、トイレに行くと言って少しの間一人にしてみたけれど
ただ、じっと扉を見ているだけで、騒ぎはしなかった。
これが人と召喚魔の違いなのかと、楽なようで物足りないような気もしていた。
寝る前に風呂に入れようかと、祐樹は浴場に向かう。
脱衣所で、誰も入っていないことを確認して、まずは赤ん坊の服を脱がし始めた。

「祐樹さん」
突然話しかけられ、祐樹はさっと振り返る。
「明光、どうした?」
「私も一緒に入ってもいいでしょうか」
そこで、祐樹は返答に詰まる。
深まった関係になった後、一緒に入浴したことはない。
嫌なわけではなかったけれど、少し心配だった。

「さすがに、召喚魔といえどもまだ泳げないでしょう。
万が一、浴槽に落としてしまったら大事です」
一見、過保護な性格ゆえに赤ん坊を放っておけないように見える。
けれど、祐樹には他に理由があるように思えていた。

「・・・わかった。赤ん坊を心配してくれてるんだよな。
一緒に入るのはいい、ただし赤ん坊には触ってもいいけど、オレには触るなよ」
そう言うと、少しの間明光が沈黙する。
その微妙な間から、本心を推測できるようだった。

「・・・わかりました。私が気にかけるのは、あくまで赤ん坊ということにいたします」
「よし、わかったんなら今から五分後に入ってもいい。一旦、外へ出てろ」
今更羞恥心を覚える間柄でもないけれど、目の前で堂々と服を脱ぐのは気恥ずかしい。
明光は大人しく従い、一旦部屋を出た。


祐樹はさっと服を脱いで、先に浴室へ行く。
浴槽は広々としていて、確かに落としてしまっては大惨事になりそうだ。
室内も温泉並みに広いので、一時も赤ん坊を手放すわけにはいかない。
祐樹は桶にお湯をくんで、赤ん坊の体を軽く洗った。
ここでも泣き叫ぶことはなく、お湯に怯える様子もない。
自分の体をさっと流すと、赤ん坊をしっかりと抱いて浴槽に浸かった。

いつも部屋に備え付けてある風呂に入ってばかりだったので、広々としているのは気分がよくなる。
そうしてゆったりとしているところで、浴室の扉が開いた。
とたんに緊張して、祐樹は扉の方へ目を向けられない。
お湯をかける音がして、浴槽の水面が揺れる。
ちらりと横目で見ると、明光が少し間を明けて隣に座っていた。

直視はできないものの、細身の体にしっかりと筋肉がついているのがわかる。
そういえば、今までお互いに一子まとわぬ姿になったことなんてなかった。
行為をするときは服をはだけさせるだけにとどまっていたし、一緒に入浴するのなんて初めてだ。
それだからか、やけにその体が気になってしまい、ちらちらと視線を送ってしまっていた。

「うーうー」
ふいに、赤ん坊が明光の方へ体を伸ばす。
「明光の方に行きたいのか・・・」
躊躇いつつも、祐樹は明光に近付いていく。
すぐ側まで来ると、明光はじっと祐樹を見詰めた。

「じ、じろじろ見るなよ」
気恥ずかしくなって、祐樹は赤ん坊を明光に押し付ける。
「すみません。正直に言いますと、赤ん坊が心配だというのは建前でした」
赤ん坊を腕に抱き、明光はさらりと告げる。

「薄々、そんな気はしてた。だって・・・」
体を見たいと思っていたのは、同じだから。
そんなことが正直に言えるはずもなく、祐樹は口をつぐんだ。

「言い付け通り、私は祐樹さんに指一本触れません。
ですが、貴方から触れていただくのは自由です」
「なっ、何言ってんだよ、恥ずかしい・・・」
そうは言いつつも、明光の体をつい見てしまう。
好奇心に負け、そろそろと明光の腕に手を伸ばし、軽く掴んだ。
やはり、細身でも腕は硬く、鍛えられているのがよくわかる。
数秒間掴んだら、祐樹はさっと手を引いた。

「別に、遠慮する間柄でもないでしょう」
「ま、まあ、それもそうだな・・・」
明光の言葉に押されて、肩や首元にも触れる。
自分から、しかも素肌に触るなんてことがないからか、やたらと緊張して、顔が熱くなった。


「・・・も、もういい。お前の体が鍛えられてるの、充分わかったから」
「まだ、腹部や太股などもありますよ」
明光は祐樹に迫り、誘いかけるように言う。
赤ん坊を抱いているから、触れられることはないけれど
体ごと寄ってこられると、さらに緊張感が強まる。
同時に、頭にまで熱が上っていくようだった。

明光が祐樹に近づいたとき、あるものに気付く。
それは、うなじにくっきりとつけられている赤い痕だった。
「・・・主、すみません。一度だけ、触れさせていただけませんか」
「・・・い、一度だけ、だぞ」
祐樹が許可すると、明光は赤ん坊を片腕で抱く。
そして、もう片方の腕で祐樹の体を抱き、首筋に強く唇を触れさせた。

「い・・・っ」
祐樹の息が、一瞬詰まる。
明光は、首筋の痕を何度も食み、新しい痕をつけようとする。
まるで、自分の行為で上書きするように。

食むだけでなく、明光は小さく舌を出してそこへ這わせる。
祐樹は大きく息をついて、喉の奥で声を抑えていた。
「も、もう、いい加減にしろ・・・っ」
訴えると、明光はすぐに祐樹を離す。

「すみません。あの輩がつけたものだと思うと、いてもたってもいられなくなっていたんです」
「っ・・・オレ、体洗ってくる」
ルシファーにつけられたのは本当のことだけれど、改めて言われるとやたらと恥ずかしい。
羞恥のあまり、祐樹はさっと立ち上がって浴槽から出る。
そのとたん、急に視界がぐらりと揺れた。

「あ・・・」
目の前が真っ暗になり、体を支えていられなくなる。
「祐樹さん!」
名前を呼ばれても、もう反応できない。
祐樹は、そのまま浴場の床に突っ伏して倒れた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
まさかの赤ん坊乱入。これだからファンタジーは良いのです。