NO.6 #1

僕は汚れてしまった。
両手は人に触れることを嫌う。
脳は人を信じる事を忘れた。
慈悲も、情けも無くしてしまった。
だけど体は覚えている。
人を切った感触を。
赤い飛沫の匂いを。
恐怖に歪む表情を。
それらは、もう忘れることのできない、僕の罪。


少年はロストタウンで生活していた。
顔立ちは整っており、痩せ形な体つきの腰元には刀が備え付けられている。
両手には刀から防護するため、白い手袋がはめられていた。
少年が歩くと、人々は相手を見定めるようにして、その姿を目で追う。
軍服のような珍しい服装と、小奇麗な顔をした新参者の少年を人々は珍しがっていた。
その少年は、自分よりさらに新参者の少年がNO.6から、この西ブロックに来たと聞き、一目見ておこうと知り合いの家へ向かっていた。

「ネズミ、居るんだろ?開けてくれないか」
目的地のドアの前に到着すると、呼びかけとともにドアを軽く叩く。
ほどなくして扉が開かれ、家の主が姿を現す。
目の前に現れたのは、少年より少し背が高い、超繊維布を首に巻いた黒髪の相手だった。

「何の用だ」
やや警戒しながらネズミが問う。
ネズミと会う時は、いつもこうだった。
どれだけ何気ない会話をしていても、お互いどこか敬遠している。
おそらく、ネズミは少年の内に秘めているものに気付いているに違いなかった。
それが何かはっきりとはわからなくとも、本能が警戒しろと言っているのだろう。

「NO.6から来た新参者を見物しに来たんだ。ここにいるんだろう?」
「へえ、案外物好きな所があるんだな。いいぜ、入れよ」
意外とすんなりと了承され、少年は遠慮せずに部屋に入った。
お互い警戒心を露わにしているものの、敵対しているわけではない。

力を持つ者はいずれ利用できるかもしれないと、友好関係を結ぶわけでもなく、一定の距離を保っている。
それは、この町で生きて行くのに有利になることで。
少年もネズミも、誰に対してもその距離感を保ち続けていた。
距離が離れすぎても、近すぎても、均衡が破られ不利になる。
町の住人の大半はそれを理解していた。
だから、少年はネズミがわざわざ手元に置いておくような人間に興味がわいていた。


「紫苑、客だ。そいつらと戯れるのもいいけど挨拶ぐらいしておけ」
それは遠まわしに、この少年と知り合っておいたほうが生存率が高くなると言っているようなものだった。
「きみにお客なんて、珍しいね」
少年の耳に、何の警戒心もない声が届く。
この声を聞くだけでも、町の住人としてまだ月日が経っていないとわかる。
その相手は肩に子ネズミを乗せ、本を開いて椅子に座っていた。
この町にはとうてい似つかわしくない穏やかな瞳で見上げられる。
相手は本を閉じて立ち上がると、軽く微笑んだ。

「こんにちは。ぼく、紫苑っていうんだ。よろしく」
紫苑は少年に近付き、片手を差し出す。
無防備に差し出された手を見て、少年は目を丸くした。
新参者とはいえ、この町の様子を見ていないわけではないだろう。
人々は必要以上の信頼関係は結ばず、自分の力で生きている。
それをあっという間に崩すかのように、紫苑は手を差し出してきていた。
その手を取ってしまえば、この町で保ってきた距離感が一気に縮まってしまう。
だから、少年は手を取ることはできなかった。
やがて、紫苑が手を下ろす。

「・・僕は、。僕も最近、この町に来たんだ」
最近、と言ってももう数か月、西ブロックで生活している。
それでもまだ新参者と言われるほど、町に落ちて来る人は少なかった。
「それじゃあ、もうネズミとは友達なんだ」
「は?」
「だって、ネズミの家に来たのは君が始めてだから」
紫苑の発言に、隣でネズミが笑いを堪えていた。
噴き出しそうになるのも無理はない。
だって目の前にいる少年は、友という言葉を軽々と使った。
とネズミにとって、友人になるということは、お互い警戒心を解くことだ。
この町で、そんな関係は命取りになる。
なのに、紫苑はそれが全くわかっていない。
この町に住む者なら子供でもわかっていることを、自分と同じくらいの年齢の少年が言うのは滑稽だった。

「違う、僕とネズミは交友関係があるわけでもないし、敵対しているわけでもない。。
単なる知り合いに近い関係を保っているんだ」
「なぜ?」
「なぜって・・・それが、この町で生きていくのに有利な方法だから」
町の住人は、誰かに教わらずともそれを知っている。
こんな質問をしてくるなんて流石はNO.6の住民はお気楽だと、はつくづく思っていた。
「友達にはならないのか?」
「ならない。一定以上の関係になると、後後面倒なことになるだけだ」
特に、ネズミは何を考えているかわからないところがあるので、油断ならない存在だ。
万が一隙を見せてしまえば、いつ切りかかられるかもわからない。

「ぼくは、そうは思わない」
「へー、なぜ?」
今度はこっちから質問を投げかけてみる。
内心、お気楽な考え方をする相手がどんな返答をするのか興味があった。
「そんなの、寂しいじゃないか」
「寂しい?」
「そうだ。友達がいなくて、一人きりだなんて、とても寂しい」
大真面目に言う紫苑を見て、も笑いそうになる。
この町では、一人でいることが当たり前。
他人に構っていては自分が死ぬかもしれないというこの町で、友達がいないと寂しいなんてものは、心の弱い人間が言うことだ。

「・・・まあ、君はまだこの町に来て日が浅いみたいだからね。いずれ、そんな戯言言えなくなるさ」
はふっと笑って、きびすを返して部屋を出る。
その笑みは、ばかばかしい小話を聞いた時のような嘲笑に似ていた。
「お帰りですか?では、高貴なナイトをお送りするとしましょう」
ネズミはわざとらしい敬語を使い、の後を追った。

「ネズミ、どんな意図があるのか知らないけど、とんでもない子を拾ってきたもんだな」
前を向いて歩きながら、追いついてきたネズミに言う。
「ああ、とんでもない問題児だ。だけど、あいつには大きな借りがある」
「ネズミが借りを作るなんて、信じられないな」
この町での生き方を知っていて、用心深いネズミが借りを作るなんて信じられなかった。
しかも、あんな少年を家に受け入れるほどの大きな借りを。
そんなものを作ってしまったら、相手の言いなりに成りかねないというのに。

「昔のことだ。それじゃあおれは帰るぜ、紫苑は寂しいと死にかねない」
「兎じゃあるまいし。けど、あの子ならありえそうだ」
本気か冗談かわからないことを言い、はネズミと別れて帰路を辿った。
それにしても、紫苑は一体どんな借りをネズミに背負わせたのだろうか。
あんな、穏やかな目をしているくせに、どんな方法でネズミに取り入ったのだろうか。
そう思うと、は紫苑に興味を抱き始めていた。

の家は、無機質なコンクリートに囲まれた、この廃れた町ではまだましな一軒家だった。
中に椅子が四つ並んでいても、必要なのは一つだけ。
きっと、紫苑はNO.6で家族に囲まれ、友人と共に日々を過ごしてきたんだろう。
だから、他者無しでは生きられなくなっているに違いない。
そんな弱い心を持っていては、この町で一か月ももたないだろう。
ネズミという、強者が傍にいなければの話だが。
もし、ネズミがいなくなったら、紫苑は子供のようにむせび泣くのだろうか。
それとも、絶望のあまり廃人のようになるのだろうか。
気付けば、は紫苑のことをいろいろと想像していた。
そんなに他者の事を考えるのは自分らしくないと、それ以上考えるのを止め。
夜の仕事に備えて睡眠をとるため、ベッドに横になった。


西ブロックの夜は、恐ろしいほど暗い。
街灯なんてものはなく、月が出ていなければ闇が町を包み込む。
幸いにも、今夜は月明かりが町を照らしていた。
それでも、目が慣れないうちに歩けば壁にぶつかってしまうだろう。
そんな暗闇の中を、は慣れた足取りで進んで行く。
終着点は、人目のつきにくい、ひっそりとした路地裏。
そこには、腹の出た中年男性が佇んでいた。
「こんな所に呼び出して・・・まだ来ないのか、あの女は」
男性は紙切れを手に文句を吐く。
その紙には、「二人きりで、愛するあなたにどうしても話したいことがあるの」と、丁寧な字で書かれていた。
は足音を潜めて、男性に近付く。
そして、手袋を外し、腰に携えている刀を抜いた。
その音に男性が気付き、後ろを向いた。

「なっ、何だお前・・・」
男性の言葉はそこで途切れ、続けて、人が倒れる音がした。
鉄の匂いが路地裏に広がり、の構えた刀から赤い滴が垂れている。
「ぐ、あ・・・い、痛い・・・」
男性の足には一線に傷跡が残り、血がとめどなく溢れている。
切断まではいかないものの、出血量からして傷はかなり深いものだとわかる。
男性は切られた足を抑え、顔をしかめている。
は冷静な眼差しで男を見下ろし、今度は男の腕を貫いた。

「ぐああああああっ!」
あまりの激痛に、男が叫ぶ。
だが、それに気付く者は一人もいない。
赤い水たまりが、地面に広がっていく。
は刀を勢いよく引き抜き、眉一つ動かさずにただ男を見下ろしていた。
男が痛みでもう何も言えなくなるのがわかると、は路地の闇の中へ去って行った。




は、小高い丘の上に立っていた。
仕事をした次の日は、必ずここに来る。
ここは、夕日がよく見えるお気に入りの場所だった。
夕日は、とても美しい。
この世の宝石を並べても敵わないほどの美しさだと、は思っていた。
夕日は毎日見れるわけではなく、見れたとしても30分ほどで沈んでしまう。
その短い時間も、ずっと直視していられわけではない。
その光はとても強く、眩しすぎて人は目を逸らすのだ。
橙色の光に照らされて染まる空を、雲を、大地を見ては泣きそうになることがよくあった。
全てを等しく照らす寛大さと、壮大さに涙する。
こうして光を眺めている間だけは、全てを忘れて情景に浸る事ができる。
純粋な美しい物を見ることが、今も昔もにとって唯一の安らぎだった。
夕日はもうすぐ沈むということを訴えるかのように、橙色の光をいっそう強くする。
陽が沈むと、闇が訪れ、世界は一変し、人々は不安と恐怖に襲われる。
淡い残光を見届けると、は家に戻った。


翌日、は再びネズミの家を訪れていた。
ドアをノックすると、すぐにネズミが出て来る。
「ああ、あんたか。問題児の様子でも見に来てくれたのか?」
「まあね。少しは戯言を言わなくなった?」
「相変わらずだ。それとも何か、あんたがこの町の教訓でも教えてやってくれるか?」
「ご免だね」
それを紫苑に教えるのは、多大な労力を伴いそうだ。
教えたとしても、理解しようとしないかもしれない。
紫苑は、この町にはふさわしくない存在だと感じていた。

「けど、大きく変わったとこはある。あんたも驚くぐらいのな」
は、へえ。と、生返事をする。
しかし、正直なところは、紫苑にどんな変化があったのか興味が沸いていた。
部屋に入ると、いつも散らかり放題の本が本棚に納められていた。
大きさはまちまちだったが、隙間なくぴったりと棚に並べられている。
その部屋の奥で、紫苑はまた子ネズミを肩に乗せて本を開いていた。
それは以前と同じ格好だったが、明らかに違っているところがあった。
内面的なことではなく、はっきりと目に見えてわかる変化が。

「あ、こんにちは、
当たり前のように挨拶をする紫苑を、は凝視していた。
驚きを隠せず、数回瞬きをする。
紫苑から、目が離せなかった。
「昨日突然熱が出て、それからこうなった。なかなかに艶っぽいだろ?」
は、ネズミの問いかけに答える余裕がなかった。
それどころではないと、脳が訴えかけている。
思わず、は紫苑に近付く。
まるで、足だけが勝手に動いているようだ。
紫苑は、本を開いたままを見上げた。

「・・・綺麗だ」
の口から、素直な感想がこぼれる。
それと同時に、紫苑の髪へ手を伸ばしていた。
手袋の上からでは感触などわからないが、それでも触れずにはいられなかった。
その髪は、以前に見た黒髪ではなく、透き通るような白い髪に変わっていた。
とても美しく、汚れの無い白髪。
指の隙間から流れるように落ちる様子に、惹きつけられる。
気が付くと、の目は潤んでいた。
まるで、夕日を見ている時のように。

紫苑の、この髪の美しさに感嘆していると実感する。
あの夕日のように美しい、汚れないものに。
しかし、目の前にあるものは夕日ではなく人間だ。
この町にいれば、いずれ汚れる。
紫苑が生き物である限り、いつかはこの輝きが消えてしまうだろう。
だから、は感嘆していた。
消え去るであろう、はかないくも汚れのないものに。

の瞳から、何の前触れもなく一滴の雫が流れる。
頬を伝い、流れ落ちて行く感触に、そこで初めて自分が泣いていることに気付いた。
紫苑がその涙を拭おうと、手を伸ばす。
とたんに、は、はっとして紫苑から離れた。

「えっと・・」
紫苑が、戸惑った様子でを見る。
まさか、自分の髪を見て泣かれるとは思わず、何を言っていいのかわからないのだろう。
は、自分の涙の理由を説明しようとしたが、言葉が出てこなかった。
人前で涙を流した自分自身に驚き、動揺している。
はそのまま何も言えずに、部屋を出て行った。

「見惚れたか?」
いつの間にか後を付いてきていたネズミに問われる。
「ああ。正直、見惚れてた。人があんなに美しく見えたのは初めてだ」
それは外見上だけの美しさだけれど、見惚れて涙したのは本当のことだ。
そして、いつもあの白髪を傍で見ることのできるネズミが羨ましくなった。

「だろうな。あんたがあんなに無防備になったところ、初めて見た」
は、自分でもそう思っていた。
けれど、あんなに儚く感慨深い物を目の前にして、警戒心なんて張っていられなかった。
それは、とても危険なことだとわかっていたのに。
あの時、ネズミにナイフを突き立てられても、恐らく気付かなかっただろう。
紫苑と対峙したとき、すでにあの白髪しか目に入っていなかった。
夕日を見る時と同じ目で、紫苑を見ていた。

「でも、あの美しさはいつか消える。とてもはかなく、あっさりと」
この町では、誰が、いつ死ぬかなんてわからない。
もう、明日にでも消えてしまっているかもしれない。
紫苑が外に出た瞬間、何者かに切りつけられるかもしれない。
白髪が、真っ赤に染まり、瞬く間に汚れるかもしれない。
運良く生き延びても、最近までのうのうとNO.6で暮らしていた人間が、この環境下でいつまでも耐えられるとは考えられなかった。

「自分の身を守れずに死ぬのは仕方ない事だ。あいつもそれはわかってる」
「そうだ。だから、君が紫苑を・・・」
そこで、は言葉を呑んだ。
今、自分は何と言葉を続けようとしたのかと。
君が紫苑を守ってやれと、そう言おうとしていたのだろうか。
他人の力に頼り、守られながら生きて行くなんて、そんな生き方ができるほどこの町は甘くない。
新参者の自分でも、それはよくわかっている。
そのはずなのに、今、紫苑にそんな甘い生き方をさせようとする発言をしそうになった。
紫苑は弱い、だから君が守ってやってくれと。
ネズミに紫苑を保護させようとする言葉を。

「・・・何でもない。僕は仕事があるから、もう帰る」
ネズミに何か言われる前に、は足早に家へ帰った。
感の鋭いネズミのことだ、もしあのまま言葉を続けていたら、何を言われたかわかったものではない。
は、それ以上紫苑の事を考えないようにして、いつものように仕事に備えた。
また今日も、手が汚れていく。
全ては、生きてゆくための、仕方のないことだった。


―後書きー
初めての、オリキャラと既存キャラの複合小説を読んでいただきありがとうございました!。
色々気に食わない点が出てくるかもしれませんが、小説は自己満足で書いているので・・・。
そこらへんは寛大な心で見なかったことにするなり、スルーするなりしてくださるとありがたいです。