No. 6 #4


数分歩いた後、家の鍵を開ける。
いつも通りの無機質なコンクリートの壁がを出迎えた。
刀をベッドの脇に置き、腰を下ろす。
その瞬間、玄関の方から「おじゃまします」という声が聞こえた。

は反射的に刀を取り、警戒心を露わにする。
だが、顔を覗かせたその人物を見ると、肩の力が抜けた。

「・・・いつからついてきたんだ」
「最初から。きみは足が速いから、途中で何度も見失いそうになったよ」
あの丘を去った時から、ずっと紫苑の存在に気付かなかったというのだろうか。
自分のふがいなさに、溜息が出そうになる。
こんな、のんびりとした少年に後をつけられて、家を知られてしまった。
何も知らないような素振りをしているが、本当は完璧に気配を消す術を知っているのではないかと疑ってしまう。
だが、そんな考えをいくら巡らせても、今の状況が変わるわけではなかった。

「うわあ、こっちの部屋、凄い事になってる」
紫苑は玄関の隣にある部屋に入り、驚きの声を漏らしていた。
その部屋はもはや物置と化していて、でさえ全容を把握できなくなっているほどだ。

もその部屋に入り、無造作に積み重なった毛布や服に眉を潜めた。
大型の棚には使われていない食器や、いつ買ったのかわからない缶詰が所狭しと詰め込まれている。
下の扉は毛布に塞がれて開かなくなっていて、何が入っているのかはわからない。
その他にも物が散乱していて、片付ける気にはならなかった。


「これ、片付けてもいい?」
紫苑が、部屋を指さして言う。
「これを?」
は改めて部屋の現状を見る。
うずたかく積まれているあれやこれは、そう簡単に片付けられるものではない。
毛布の山なんて、少し押したら崩れてしまいそうだ。

「まあ、片付けてくれるならありがたいけど・・・大変だと思うよ」
別に見られて困るような物は出てこないだろうし、逆に何か掘り出し物が出てくる可能性もある。
この部屋が片付く事も、何か面白い物が見つかる事も、損ではない。

「大変だとは思う。けど、ここに君を知ることのできる何かがあるかもしれないから」
果たして、そんな物があるだろうか。
どちらにしても損をすることはないのなら、紫苑に任せてもいいかもしれない。

「じゃあ、よろしく。僕は夕飯の支度があるから」
は紫苑をその部屋に残し、台所へ向かう。
そこで、はっとした。
何で、部外者を易々と家に入れているんだと。
紫苑を見た時、すぐに帰ってくれと言うことはできたはずなのに。
いきなり訪ねて来た訪問者を、すんなり家に入れるほど不用心な人間じゃなかったはずだ。
なのに、今は、部屋の片付けを任せてしまっている。

部屋の方からドサドサッと、物が落ちる音が聞こえてきた。
紫苑が毛布の山を崩したのだろう。
今頃、毛布に埋もれているかもしれないと思いつつ、は夕食の支度にとりかかった。




数十分後、食事を作り終わったは、部屋の様子を見に行く。
あんな細腕では、巨大な毛布を一枚畳むのにも苦戦しているかもしれない。
部屋を覗いてみると、あれほど乱雑に積まれていた毛布や布の類は丁寧に折りたたまれ、部屋の隅のほうに積み重ねられていた。
片付けをしていた本人はというと、部屋の中央で紙らしきものを手にして、何かを読んでいるようだった。

、これ・・・」
紫苑は、の方にその紙を差し出す。
紙は折れてしわが寄っていたが、何とか内容は読むことはできた。
「あ・・・こんな所に、あったのか」
そこに書かれていたのは、短い詩だった。
「よくわからない、難しい単語が並んでる」
確かに、その詩には多くの比喩表現が使われていて、もはや自身にしかわからない内容になっていた。

「これは・・・僕がこの町に来て、自分で作った詩だ」
「詩を自分で?凄いじゃないか」
「そんな大層な物じゃないよ、突拍子のない、自己満足の詩だ・・・」
それを見ていると、町に来たばかりの自分が思い起こされる。
No. 6からこの町へ堕ちる時、覚悟はしていた。
けれど、ふいにとても大きな不安にかられることがあった。
自分の両手を見詰め、夜の闇に叫んだのがこの詩だった。
一体、あの時、何を思ってこの詩を読んでいたんだろうか。

?」
声をかけられ、紙から紫苑へと視線を移す。
よく見ると、白髪は埃にまみれて、灰がかってしまっている。
勿論、身に付けている服も例外ではない。
紫苑がぱたぱたと頭を叩くと、辺りに埃が舞った。

さっき、さっさと追い返しておけば綺麗な髪が汚れずにすんだと、は後悔する。
このままでは、見るに堪えない。
それに、埃まみれのまま帰してしまえば、ネズミに何を言われるかわかったものじゃない。

「・・・シャワー、使ってもいいよ。ついでに、その服も洗うといい」
そう言って、は隣の部屋を指差す。
そこは脱衣所になっていて、奥の扉は風呂に続いていた。

「ありがとう。でも、ぼくは代えの服を持ってきてないから・・・」
「服なら腐るほどある。だから、早くその埃を落としてきてくれないか。。
折角の髪が見るに堪えないことになってる」
紫苑の髪に埃が定着してしまい、色褪せてしまうのは絶対に嫌だった。
だから、こんなにも親切に風呂場を貸し、服も与えようとしている。
それ以外の理由なんて、ないはずだ。
心配しているのは、美しい髪の事だけなのだから。

紫苑はまたお礼を言い、風呂場へ行った。
はその間に、なるべく清潔な布と、紫音の背丈に合いそうな服を脱衣場に置いておいた。




ほどなくして、紫苑が風呂場から出てきた。
服のサイズは少し大きめだったようで、袖の丈が余っている。
ズボンのほうも、裾をまくらないと床に引きずってしまうくらいだった。
問題の髪はというと、美しい色を取り戻していたので、はほっとした。

「何だか、いい匂いがする」
風呂場から出てきた紫苑の第一声はそれだった。
はちょうどその時、夕食にしようと皿にスープを盛りつけていた。

「・・・食べる?」
「うん!」
片付けで疲れて腹が減っているのか、紫苑は目を輝かせている。
スープは明日の為にも結構な量を作っておいたので、二人分でもまだおかわりができるぐらいだ。
テーブルに、スープと煮魚を並べる。
アンバランスな組み合わせだが、その日に手に入る物は限定されているので、いつもこんな感じだった。

「言っておくけど、これは親切心じゃなくて、片付けをしてくれた借りを返すためのものだから。。
スープはまだあるからいいけど、魚は半分ずつだよ」
は、忠告のように言う。
貸しを作らないというのはこの町の教訓であり、それを忠実に守っているだけだ。
そうでなければ、他人と食事を共にすることなんてない。
今回は借りを返す為、仕方なくこうしているんだと、自分に言い聞かせていた。
紫音は頷いて、早速スープを口にした。

「このスープ、すごくおいしい。ネズミが作るのよりも、おいしいかもしれない」
素直な感想に、は悪い気はしなかった。
この、トマトベースのスープは自分でもいい出来だと思っていただけに、少し気分が良くなる。

「おかわりなら台所にあるから、してきてもいいよ」
「うん、ありがとう!」
三回言われたお礼の中で、今のは一番力が入っている気がした。
そんな様子を見ていると、紫苑はまるで犬のような純粋さを持っていると、たまに思う。
しかし、あれは人間なんだという警告音がすぐに鳴り響く。
心を許してはいけない、信じてはいけない、対峙している相手は人間なのだから。




夕食を食べ終わると、外にはもう闇が広がっていた。
「夕食までごちそうしてくれて、どうもありがとう。それじゃあ、ぼくはそろそろ帰るよ」
「この、暗闇の中を・・・?」
今日は月さえ出ておらず、町は完全な闇に包まれていた。
こんな中へは、自分でさえ滅多に外へ出ない。

「うーん、ネズミの家からはそんなに離れてないみたいだし、帰れると思う」
紫苑は、あまり危機感もなく答えた。
だが、はどうしても気にかかっていた。
この闇の中でもし襲われたら、紫苑はなすすべもなく、赤い鮮血に染まるだろう。
もちろん、その髪も真っ赤になり、汚れてしまう。
そう懸念した瞬間、は無意識に紫苑の腕を掴んでいた。

「夜の町は、君にとって危険すぎる」
その言葉は、突発的に発されていた。
僕は、紫苑を守ろうとしているのだろうか。
この町では、他人の事なんて構っている余裕はない。
なぜ引き止める、目の前にいる少年が死んだって、特に変わることはないはずなのに。

違う、変わってしまう。
もはや、紫苑を引き止める理由を持ってしまった。
その美しすぎる髪のせいで、その髪を、血で汚してほしくないと思うようになってしまった。


「今日は、泊っていったほうがいい」
言ってしまった、紫苑を保護する、確固たる証拠となるこの言葉を。
もう訂正することはできない、わかっているのかと、は自分に問う。

「・・・まさか、きみがそう言ってくれるとは思わなかった。いいのか?」
「・・・・・・ああ」
は、迷いながらも了承していた。




ベッドは二人用に作られた物ではないので、紫苑と横になるには若干狭かった。
枕も一つしかないので、紫苑はそこらへんにあった布を折りたたんで、枕のかわりにしていた。
紫苑は壁に隣接している内側に、はすぐに刀が取れるよう外側に寝転がっている。
もし寝返りをうてば、床に落ちてしまうだろうというほど狭かった。

ベッドがたいして大きくないことを見た紫苑は、最初は床で寝ると言った。
しかし、そうすると毛布が別々に必要になる。
この家にある毛布は今かけているものと、あの部屋にあった埃まみれのものだけで。
そんな物を使っては、またシャワーを浴びなければならなくなる。
だから、今、仕方なくこうして肩を並べて寝ていた。

がちらと左のほうを見ると、すぐ目の前に、しっとりと水気を帯びた白髪があった。
簡単に手が届く場所にあるからか、それに触れてみたい衝動にかられ、表面をなぞるようにそっと触れる。
すると、紫苑が少し首を動かして、を見た。

「寝る時まで、手袋を外さないのか?」
「あ、ああ。これをつけてないと、眠れないんだ」
は、また嘘をついていた。
流石に眠る時は、いつも外している。
けれど、そう答えておかないと、また手袋を取られてしまいそうな気がした。
こんな狭い空間の中だ、そうなれば瞬く間に紫音の髪を汚してしまう。
髪だけではなく、紫苑自身も。

「・・・こうしていると、君がNo. 6で嫌われ者だったって事、とうてい信じられなくなるよ」
紫音の言葉に、は暫く反応を示さないでいた。
だが、しばしの沈黙の後、小さな呟きが漏れた。

「・・・・・・僕は、未完成品だから」
「未完成?」
その言葉に、はバツの悪そうな表情をした。
紫苑といると、なぜか口が軽くなる。
現にまた一つ、ぼろを出してしまった。

「僕はもう寝る、おやすみ」
「あ、うん。おやすみ」
半ば強制的に話を切り上げ、は目を閉じた。
仰向けに寝ていると、肩が自然と触れ合う。
狭いから仕方がないのだが、どこか落ち着かない。
目を閉じると、相手が隣に居るということが、体温を通じて感じられる。
こうして誰かの隣で眠るなんて、初めてかもしれなかった。
とても幼い頃にそういうことはあったのかもしれないが、もう思い出せない。

人の体温は、こんなにも温かいものだったのだろうか。
素手に触れられた時は動揺していてあまり意識していなかったけれど、今は触れている肩がとても温かく感じる。
お湯や毛布の温もりとはまた違う、別の温かさ。

いつもより早く、眠気が襲ってくる。
今日は仕事も無く、疲労はしていないはずなのに。
もしかして、安心しているのだろうか。
誰かが傍に居てくれることを証明する、この温かさに。
それに安らぎを感じ、その心地良さが眠気を倍増させているのだろうか。

そうこう考えている内に、脳がもう考える事をやめてくれと訴えるかのように、思考が鈍くなってくる。
自問自答の答えを出したかったが、は、眠気に負けていた。




紫音は、隣から規則正しい寝息が聞こえてくるのに気付く。
おやすみと言ってから、そんなに時間は経っていない。
もう、眠ってしまったのだろうか。

紫音は、が髪に触れたように、そっと黒髪に触れた。
こんな状態でもなければ、触れさせてはくれないだろう。
髪はさらさらとしていて、十分綺麗だと思った。
こんなに綺麗な物を持っているのに、執拗に自分は汚れていると言うが不思議だった。

こうして寝顔を見ていると、とても好き好んで人を傷付けるような、ましてや殺人を犯すような人には見えない。
むしろ、その逆だと思った。

しばらくその寝顔を見ていると、がもぞもぞと動く。
起きてしまったのかと手を引いたが、単に寝返りをうっただけだった。
紫音の真正面に、の顔がある。
一瞬女性かと思ってしまうほど端正な顔立ちに、心臓は少し高鳴っていた。

いつも険しく、警戒心を露わにしているの無防備な寝顔が、新鮮に感じられる。
紫音は、眠る前にもうしばらくこの寝顔を見ていたいと思い、まだ目を閉じないでいた。

がまた動き、足を少し曲げ、体を縮こませる。
紫音との隙間から入り込んでくる空気が冷たくて、無意識にそうしたのだろう。
まるで猫が自らを温めるような姿に、紫音は思わず、丸みを帯びた背に腕を回していた。
それは、愛らしい動物を見て衝動的に、触れたいと思うことに似ていた。

そして、次の瞬間には、抱き寄せてみたいと思っていた。
けれど、無理に動かせば起こしてしまう。
だから、紫音は自分からに近付き、起こさないよう慎重に体を寄せた。
の足が邪魔をして密着はできなかったが、それでも十分温かかった。
紫音は、の肌触りの良い髪に顔を埋めて、眠りについた。





次の日の朝、自分の状態を見たは目覚めるとすぐに紫苑を起こし、そしてすぐに外へ追いやった。
紫苑は寝惚け眼で呆然としたまま、家の外に出された。
その時のは突然の状況に対応できずに慌てていて、頬がほのかに赤く染まっていて。
帰り際に、紫苑はそのことを思い出し、一人微笑していた。

紫苑は昨日のことを早くネズミに話そうと、足早に家へ戻る。
無理矢理放り出されたけれど、紫苑の気分は晴れ晴れとしていた。




―後書きー
読んでいただきありがとうございました!。
まさかの急展開、そしてまさかのベッドシーン。
ああ早くイチャイチャ(死語)させたいがために展開が早くなってしまう罠。