No. 6 #8


ネズミ家に着いた時、紫苑の介抱もあってか、の顔色はだいぶ良くなっていた。
けれど、まだ万全とはいかないようで、口数がとても少なかった。
使魔から受けた恐怖と不安はそう簡単に拭えるものではないだろう。
紫苑は弱りきっているの様子を見て、いたたまれなくなっていた。

「ネズミ、今夜は君がを守ってやってくれ。。
万が一、あいつがやって来たら・・・ぼくではを守り通せる自信が無い」
使魔が執念深くを探し出し、この家を見つける危険性はある。
そして再びを狙ってきたら、守れる確率が高いのは紫苑よりネズミだということは明らかだった。

「まあ、おれはナイトが了承してくれたら構わないぜ」
は、返事を返すのに時間がかかっていた。
それは要するに、ネズミと自分が同じ場所で眠るということだったからだ。

いいのだろうか、汚れ切ったこの存在が、ネズミと共に眠ってしまっても。
けれど、本当に使魔さんがこの家を見つけた時の事を考えると、恐怖と不安がたちまち湧き上がってくる。
今日は、今日だけは、ネズミと共に居たい。
そんな気持ちに押され、は無言で頷いていた。




誰かと共に眠るのは、これで二度目だった。
相手が切れ者で、紫苑よりずっと大人びているからか、は少し緊張していた。
ネズミはそんな緊張に気付いたのか、相手がいつでもベッドから抜け出せるよう外側を空けた。
は手袋をつけたまま、そこに寝転んだ。

「おい、寝る時ぐらいそれ外せ」
手袋を外せ、と言っているのだろうが、そんな事、できるはずがない。
真実を知ってしまった今、ただでさえ滅多に外さないこの手袋を取るのは無理な事だった。

「僕がこれを取ったら、君はたちまち汚れてしまう・・・」
その答えにネズミは妙に苛立ち、無理矢理の手を取った。
「なっ・・・」
は抵抗したが、弱っている状態ではネズミの行動を阻止できなかった。
ネズミは素早く右手、左手と手袋を取り、床に放り投げる。
そして、がそれを取りに行けないように強く手を掴んだ。


は、自分の犯した罪に押し潰されそうになっている。
ずっと、独りで背負ってきたその罪の重荷に。
それなら、手袋ごとそれを取り払ってやればいい。

「は、離してくれ、僕に・・・僕に触れたら汚れる!。
何で、君も紫苑もわざわざこんな相手に触りたがるんだ!」
今すぐ手袋を取りに行きたかったが、ネズミが強く両手を掴んでいるのでベッドから抜け出す事ができない。
これでは外側に来た意味がないと心の中で呟いた。

「紫苑もおれも、あんたの事を汚いなんて思っちゃいない」 。
信じられない言葉が告げられる。
けれど、ネズミの口調にも、その表情にも偽りは感じられなかった。
それでも、気が落ち着きつつあったは、相手を拒む事を思い出していた。

「嘘だ、嘘だ、そんな事。口先だけで言ってるだけだ。信じられるもんか!」
は、昔の事を思い出しながら叫んだ。
今まで、汚くないと、そう言ってくれた人はいた。
だけど、それは全て偽りだった。
目の前では調子の良い事を言っておいて、影では蔑んでいるんだ。

「おれたちはそんな浅ましい連中とは違う。信じろ、
「嫌だ・・・怖い・・・裏切るんだ、最後には皆、僕の事を・・・」
信じていた友人はいた。
けれど、僕の家での評判や、未完成品だという事を知るとあっという間に離れて行った。
は思いだされる過去と、ネズミの言葉に挟まれ錯乱していた。


そんなを見て、ネズミは憂いを感じていた。
あまり人との関係を持たなかった自分にはわからない傷跡が、はっきりとわかる。
信じては裏切られ続けてきた、その度に刻まれてきた傷痕が。

は、このままでは潰されてしまう。
疑心暗鬼と罪に満ちた自分自身に、耐えられなくなってしまう。
そうなる前に信じさせてやらねばならない。
裏切らない存在が、自分の近くに居る事を。


「・・・信じさせてやるよ、おれの事も、紫苑の事も」 。
ネズミは掴んでいた手を離し、が逃げ出さない内に自分の方へ抱き寄せた。
はとっさにネズミの胸を押し、離れようとしたが、腕がきつく回されていて阻まれる。
そして、の顎を取り上を向かせると、静かに唇を重ねた。

「・・・!」
驚きのあまり、声にならない声が喉を通る。
その口付けは数秒ほどのとても短いものだったが、を唖然とさせるには十分だった。

「い、いきなり、何を・・・」
急な出来事の連続に、は動揺しっている。
「自分が拒んでる奴に、こんな事できると思うか?」
そう問われて、は言葉に詰まった。
口付けなんて、そう簡単に人にできることじゃない。
ましてや、自分が軽蔑している存在にできる事ではない。
紫苑も、あの時同じことをしてくれた。
僕を慰め、安心させるために。
そして今、ネズミも・・・。

僕は、一方的に拒否していただけなのだろうか。
差し伸べられた手をことごとく払い、自ら独りになる事を望んでいた。
二人の思いに気付かずに。


「ネズミ、僕は・・・」
の声は、震えていた。
そして、息を吸い、絞り出すように言った。
「僕は・・・信じても、いいのか・・・・・・君達の事を、信じても・・・」
それはネズミに尋ねている言葉でもあったが、自分自身に問うているようでもあった。

「まだ信じられないんだったら、いくらでも証明してやるさ」
その言葉の意味を理解し、の頬が少し赤く染まる。
思わず、ネズミから顔を背け、天井を見上げた。


紫苑とネズミ、二人に口付けられたから信じるわけじゃない。
だけど、あんな数秒の出来事で、僕自身から警戒心や緊張感が解かれていくのを感じていた。
それは、相手を受け入れ、心を許しているという事にやっと気付いた。

今まで、紫苑は手を握ろうとしてくれた。
ネズミは冗談混じりの会話で打ち解けあおうとしてくれていた。
僕はそれをことごとく警戒し、すかさず跳ね除けていた。
友と呼べる存在が、側に居る事も知らずに。


「ネズミ・・・すまなかった」
は、ネズミに向き直って言った。
「僕は、君達が差し伸べていてくれた手を全て払い除けていた・・・今、やっとそれに気付いたんだ」
ネズミは、何も言わなかった。
は次の言葉を言うのが照れくさかったのか、また天井を見て言った。

「・・・・・・ありがとう。こんな、僕を・・・見捨てないでくれて」
最後の方はかなり小声になっていたが、ネズミの耳にははっきりと届いていた。
はよほど照れくさかったのか、さらに頬が紅潮する。
そんなは、ネズミの目には可愛らしく、そして愛おしく思えていた。

「そういう事は、ちゃんと相手の目を見て言うもんだぜ」
ネズミは上半身を起こし、の顔を見下ろした。
はかなり言いづらそうにしていたが、口ごもりながら「・・・ありがとう」と、もう一度言った。
そして、すぐに目線を逸らした。

その照れ隠しをする姿はいつものからは考えられないほど以外で、やはり愛おしく見えた。
その時、ネズミは自分の中で湧き上がっていたものが何なのか気付いた 。
自分は、紫苑に嫉妬していたのだと。
警戒心の強いに触れ、あろうことか家に泊まり、最後にはキスまでした紫苑に。
自分の中に、こんな感情があるなんて思っていなかった。
こんな事で、他人を妬むなんて初めてだった。
しかし今、といるのは自分だけだと思うと、気分が高揚していた。


「・・・ネズミ?」
さっきから少しも動かないネズミを不思議に思い、が呼び掛ける。
「あの、僕そろそろ眠・・・」
続きを言おうとして、の言葉はそこで途切れた。
急に、言葉を発することができない状況になったからだ。
は、突然やってきたその状況に、目を見開いていた。

ネズミは再び、に口付けていた。
絶対に逃がすまいと、覆い被さるようにして動きを封じていた。
それは、さっきのような軽いものではなく、とても深い口付けだった。

「ん・・・っ・・・」
驚きはしたが、拒もうとはしなかった。
は、紫苑を受け入れたように、ネズミも受け入れようと、そう決めていた。
それに、親の愛情やその温かさを知らないにとって、この行為は嫌なものではなく。
むしろ、他者の体温に安心感を覚えていた。


唇が一旦離され、が息を吸い込もうとする。
そのとたんに、唇が開いたのを見計らったように口付けが再開された。

「・・・は・・・ぁ・・・」
半開きになった口の隙間から、何か柔らかい物が入ってくる。
その何かが自分の舌に触れたとたん思わず肩が震えたが、それは冷たい指の感触ではなく、温かみを帯びたものだった。
柔いものがゆっくりと口内で動くと、それに伴って心音がはっきりしてくるのが感じられる。
お互いの物が触れ合い、かすかな水音がすると、心音はさらに高鳴った。

は、ネズミの首に手を回し自ら求める事はなかったが、無理にもがこうとすることもなかった。
ただ、ネズミを信用し、身を任せていた。
口付けのさなか、は、今まで感じた事のないもので満たされていくのを、確かに感じていた。




どれくらい、そうしていただろうか。
長かったようにも、短かったようにも思える。
ネズミは唇を離すとベッドに横になり、を見た。
も、少し荒くなっている息をおさえつつ、ネズミのほうを見ている。
お互い、どうやって言葉を交わせばいいのかわからない様子だった。
少しの間があった後、ネズミがの背に腕を回し、自分の方へ引き寄せた。
いつもなら、何をするんだと言って拒んでいたに違いないが、今はそんな気が起こらない。
は、大人しくネズミの腕の中に収まり、目を閉じた。


とても、温かい・・・ネズミも紫苑も、冷めきった心まで満たしてくれる。
今、背後から誰かが忍び寄ってきても気付かないかもしれない。
それぐらい、警戒することを忘れ、安心しきっている。
この両手をネズミの背中に回してみたくなるけれど、まだ自分からそうする事はできない。
でも、いつか、二人に全てを打ち明け、それを受け入れてくれる日が来たら。
僕には、もう手袋が必要なくなるかもしれない。

いつか、話そう、僕の偽りを。
もう、二人の前で自分を偽り続けるのは止めたい。
二人にだけは、本当の事を言っておきたい。
は、今までずっと隠し通してきた事を話す決意をして、眠りにつく。
こんなに安心して眠れる日は、初めてだった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
ムラムラしてやった、後悔はしていない。
ネズミがかなり優しくなっていますが・・・。
イメージを壊してしまったら全力で謝ります!すいませんでした!
し、紫苑は自分からこんな事できないだろうし、
できるとしたら二巻あたりで平然とキスしてたネズミしかいないと思ったんです、自重してなくてすいませんでした!

紫苑ともネズミともキスして、って浮気性!って思うかもしれませんが、
は今まで愛された事がないんで、自分が愛されるなんて夢にも思ってないし、
愛というものがどんなものかよくわかってないんで、恋愛感情は今のところ皆無です(って、ことにしといてくださいorz)