No. 6 #9


が目を覚ましたとき、隣にネズミの姿はなかった。
よほど長く眠ってしまっていたのか、窓から見える陽はもう高くなっている。
昨日のネズミや紫苑との出来事を思い出すと、まるで夢だったのではないかと思う。
それほど、警戒心を忘れ、心を開いていた。

そして、二人を受け入れていた。
あの時は不安で押しつぶされそうになっていたから気付かなかったけれど。
改めて思い出すと、顔から火が出そうなほど恥ずかしい事をしてしまっていて、また顔が赤くなりそうになる。

はベッドから立ち上がると、妙に腰元が軽く、刀がないことに気付いた。
そうだ、昨日、あの部屋に落としてきてしまった。
取りに行こうにも、もう一度行くのは危険すぎる。
使魔さんの事も、忘れよう。

しかし、これで刀と同時に仕事も失ってしまった。
しばらくは家にある金で生活していけるが、いつまでももつものではない。
治安や景気が決して良くないこの町で新しい仕事を探すのは難しいだろう。
これからどうするかと、頭を悩ませる。
とりあえず、は一旦家に帰ろうと、外に出た。




家に戻ると、玄関口の扉の前に何かが置いてあった。
それは、昨日あの部屋に置いてきてしまったはずの刀だった。
そして、その下に一枚の紙切れが敷かれていた。
置いてきたはずの刀をここに置けるのは使魔さんしかいない。
すぐさま辺りを警戒したが、人の気配は無かった。
何か仕掛けられてはいないかと慎重に刀を取った後、その下にある紙を見る。
そこには、丁寧な字体で短い文章が書かれていた。


先日は無礼な事をして、すまなかった。
今更、私の謝罪の言葉など信じられなくとも構わない。
しかし、私が君の事を想っている、それだけは本当の事だ。
罪滅ぼしになるとは思っていないが、君の刀を返しておく。


この文章の通り、今更謝罪の言葉を信じろと言われても無理だった。
けれど、刀を返してくれたのはありがたかった。
あれだけ自分を偽り、僕も偽ってきた使魔さん。
だけど、あそこまでしたのだから、使魔さんの気持ちだけは本当の事だと思う。

使魔さんも、僕のように自分を偽る理由が過去にあったのだろうか。
だから、心が歪んでしまい、未完成品なんかに惹かれたのかもしれない。
お互い、普通とはどこか違う存在だった。
だから、僕は共感するように、信じるなと言われても、どこかで信じていたのかもしれない。

忘れようと、さっきそう思ったばかりなのに、の脳裏にはすでに使魔の姿が思い浮かんでいた。
振り切る事のできない自分に、嫌気がさす。
とりあえず、何か仕事を探しに行かなければならない。
は手紙を破り棄て、刀を腰に差し、大通りに向かった。




大通りは、珍しく人が少なかった。
いつも店を出している露店も今日は休みの所が多いのか、通りは殺風景だった。
これでは仕事を探すにも探せないと諦めかけていた時、曲がり角の向こうで数人の声が聞こえた。
その声は雑談をしているといった様子ではなく、荒々しい声や、何かをからかっているような声だった。
喧嘩でもしているのかと声のする方へ行ってみると、そこには見慣れた人物がいた。

「離せよ、嫌だって言ってるじゃないか!」
「まあそう言うなって、ちょっとくらい付き合えよ」
紫苑が、いかにもガラの悪そうな中年男性に腕を掴まれている。
相手は、がたまに行く肉屋の店主だった。
酔っているのか、顔が赤くなっている。

紫苑は掴まれている手を振り解こうとしているが、相手は体格の良い大人。
華奢な体つきの紫苑が、振り解けるはずもない。
周囲にいる野次馬はよほど暇なのか、たまに野次を飛ばし、楽しそうにその様子を見ている。
薄情者と思われるかもしれないが、それがこの町では当たり前の事だ。
自分の身は自分で守らねばならないと、ここにいる全員が知っている。


「嫌だって言ってるだろ!」
「固いこと言うなって、いいじゃねえか少しくらい」
男は紫苑の言葉が聞こえていないかのように、無理矢理髪を引っ張り引き寄せようとした。
男の脂ぎった手が、紫苑の髪を掴む。

「触るな!」
突然発された、紫苑ではない別の声に男と周囲の人の声や動きが止まった。
は自分でも驚くほど大きな声で、反射的に言葉を発していた。

「何だお前は、邪魔すんじゃねえよ」
客の顔も覚えていないのか、男は大股での前に歩いて来る。
その、大きな体格と風貌は、まるで熊のようだ。
「汚い手で、彼の髪に触るんじゃない」
「何だと・・・てめえ、痛い目にあいてえのか!」
男はを見下ろし、大声で威圧する。
だが、は平然とした表情を続けていた。
自分がNo. 6で両親から受けていた威圧感はこんなものではない。

平然とした態度が気に食わなかったのか、男は有無を言わさず殴りかかった。
はすかさずしゃがんで太い腕をかわし、刀を鞘ごと腰から抜き、思いきり男のみぞおちを突いた。

「ぐうっ!」
ピンポイントで弱い所を突かれた男は呻き声をあげて、地面に膝をついく。
「て、てめえ・・・」
男はを見上げる形になり、まだ悪態をつこうとした。
は顔を歪ませて自分を見上げてくる男の目の前のに、刀を突き付ける。
それは、少し力を入れれば男の眼球に突き刺さってしまうほど近距離だった。
男はいきなり目の前に現れた鋭い刃に瞳孔が開き、驚きと恐怖で体がすくんで動けないでいた。

「明日は肉屋に、お前の腕が並ぶかもな」
がにやりと笑い、刀を男の腕につきつける。
すると、男はさっきとはうってかわって、助けを請う情けない表情になった。
「す、すまねえ、悪かった。もう行くから、勘弁してくれ」
その声は弱弱しく、威圧感も何もあったものではなかった。
はそんな男の情けなさに脱力し、刀を鞘に戻した。
とたんに、男は派手な足音をたてながら路地の向こうへ走って行った。
周囲にいた野次馬も、このままここにいたら何をされるかわからないと感じたのか、早々に立ち去って行った。



男を追い払ったのはいいが、は溜息をついていた。
自分はとっくに、この町の事をわかっていると思っていた。
自分の身は自分で守るのが当たり前。
なのに、あの男が紫苑の髪に触れたとたん、何かが抑えられなくなって叫んでいた。
そして、紫苑を助けていた。

先日、紫苑とネズミに助けられ、借りを作ってしまったからそれを返しておきたいという思いもあったと思う。
だが、要因はそれだけではないと感じていた。
どうやら、自分が思っている以上に紫苑の髪に惚れこんでいるようだ。

、ありがとう」
いつの間にか隣にいた紫苑が、にこやかにお礼を言う。
「・・・まあ、君には先日の借りがあったからね」
は、紫苑を助けたのはあくまで借りがあったから、特別な理由があったからだと忠告するように言った。

「君にはありがとうって言いっぱなしだから、たまには僕から何かするよ」
紫苑は、借りがあったから助けたという、の言葉を気にもかけていないようだった。
ただ、助けてくれた事に感謝し、の為に何かしてあげたいと思っていた。

「いや、だから、僕が返した借りをさらに君が返さなくてもいいんだ」
「そうだ、毛布がたくさんあったあの部屋、まだ片付け切れてなかったからその続きをするよ。
また、掘り出し物が出てくるかもしれない」
紫苑はの言葉が聞こえていないかのように話を進めた。
「あー・・・あの部屋・・・」
はばつの悪そうな顔をして、言葉を濁らせた。

「後は棚の中を整理するだけだし、そんなに時間はかからないよ」
紫苑は、作業が長くなり、他人を家に泊めなければならなくなる事をは気にしているのかと思ったが。
言葉を濁らせた理由は、別のところにあった。
それから何回かそういった内容の会話を繰り返した後、は意外と頑固な紫苑との討論を諦め、家に連れて行った。




の家に着いて、以前整理したはずの部屋に入った紫苑は唖然としていた。
積み上げて片付けてあった毛布は再び乱雑に積み重なっており、結構な量の埃が舞っていた。

「・・・紫苑が帰った後、自分でも何か探してみようと思ったんだ。
毛布には触らなかったんだけど、刀が引っ掛かって、それで・・・」
それで、全てが崩れて、この状態になったというわけだ。
勿論、今まで部屋を放っておいたに片付ける気などおこらなかったし、あまり気にすることもなかった。
けれど、以前整理をしてくれた紫苑に部屋を見せるのは少し罪悪感があった。

「それなら、一緒に片付けよう」
「・・・・・・仕方ないか」
あまり気は進まなかったが、部屋をこんな状態にしてしまったのは自分なので、断れなかった。
そして、作業を始める前に、刀を部屋の外へ出しておいた。




数十分後、積み上がった毛布は二人の身長を超すほどになっていた。
毛布の山はまるで地層のようになっていて、まだ数枚ごちゃごちゃと折り重なっている。
いくら冬に毛布が必要だとはいっても、これは多すぎると二人して思っていた。

「やっぱり、二人だと早いね」
「そうだな」
持っただけで埃が舞うほどの古い毛布を持ち上げながら、紫苑が話しかける。
この部屋の中では会話をするだけで肺にどんどん埃が入っていきそうな気がした。
紫苑が毛布の埃を払おうとした時、隙間から紙のような物が落ちる。
拾い上げてみると、それは一枚の写真だった。

そこには、5才くらいだろうか、まだ幼い少女が映っていた。
後ろには大きな窓や、立派な絵といった豪邸を思わせる物が多々ある。
少女は、なぜ写真を撮られているのかわからないといった、不思議そうな表情をうかべていて。
そして、よく見ると少女の顔立ちはどこかに似ていた。

「紫苑、何か掘り出し物でも・・・」
は紫苑が手に持っている物を見たとたん、さっと顔色が変わった。
そして、すぐに紫苑から写真をひったくるようにして奪った。
紫苑は、目を丸くしてを見る。

、その写真がどうかしたのか?」
紫苑が尋ねると、はあきらかに狼狽しながら後ずさった。
その時、足元を折り重なった毛布にとられよろめき、そのまま思いきり尻餅をついてしまう。
毛布があるので痛みはなかったが、その衝撃で結構な量の埃が舞い上がった。
そして、積み上がっていた毛布がぐらりと揺れた。

!」
は気付いていないのか、その場から動かない。
紫苑は、とっさにに駆け寄る。
毛布の山が、完全に崩れ落ちた。



、大丈夫?」
紫苑の声に目を開けると、部屋にはこれまでにないほどの埃が散っていた。
「ああ、だいじょ・・・げほげほっ!」
は激しく咳き込んだ。
それは埃のせいでもあったが、今の自分と紫苑の状態を目の当たりにしたからでもあった。
どうやら、毛布の雪崩に巻き込まれてしまったようで、それを紫苑がとっさに庇ってくれたようだ。
そのせいで、今、第三者が見れば紫苑に押し倒されているように見えるという、そんな態勢になっていた。

「・・・また、崩れたね」
「・・・そう、だな」
折角あそこまで片付けたのに、また台無しにしてしまった。
は再び、罪悪感を覚える。
もう、流石にこれを片付ける気は紫苑にだっておこらないだろう。


「・・・ごめん」
「・・・・・・うん」
なぜか、紫苑の言葉には間が多い。
その間の間に何かを考えているような、そんな感じがした。
そのまま、お互い何も言わない間が流れる。
もう危険は去ったはずなのに、中々退こうとしない紫苑を押し退けようとしたが、腕が動かない。
さっきから紫苑に掴まれているからなのだが、力を入れて動かそうとしても、動かない。
紫苑って、こんなに力があったのだろうか。

何だか、さっきから徐々に紫苑の顔が近付いてきている気がする。
いや、確実に近付いてきている。

「し、紫苑?」
紫苑は反応せずに、少しずつに近付いていく。
もう少しで鼻がぶつかりそうになったとたん、昨日の出来事が思い起こされた。
自分が、紫苑と口付けた事が。
それを思い出したら急に羞恥心が込み上げて来て、は紫苑から顔を背けた。
それに、今紫苑がしようとしている事は、おいそれとしてはいけない。

「ちょ、ちょっと待った。紫苑、今君がやろうとしている事はわかるけど・・・。
僕も君も、男同士なんだ。前は・・・あの時は僕を慰める為にネズミも、君もああしてくれたんだと思ったから・・・。
だから、僕も抵抗しなかったけど、今は別に、不安でも何でもないし・・・だから、駄目・・・だよ」
は、紫苑から顔を背けたまま必死に言った。


紫苑は、彼は今、口付けようとしていた。
慰めるわけでもなく、特別な理由があるわけでもなく、口付けようと。
だから、それを止めないといけない。
その一線を越えてしまうと、自分の偽りを話し、それを受け入れてもらえなかった時がさらに辛くなってしまう。
そうなったら、どんな絶望感に落ちてしまうのかと考えると恐ろしかった。

「・・・君が嫌だって言うなら、しない」
意外とすんなりわかってくれたようで、はほっとした。
「それじゃあ、そろそろ退いてくれないか」
は今度こそ、紫苑を押し退けようとした。
しかし、相変わらず腕は動かない。

「君の言うことはわかった。でも、ぼくは君に・・・触れたいんだ」
紫苑はそう言って、の首元に顔を埋めた。
さらさらとした髪が首をくすぐり、紫苑が呼吸をするたびに、温かいものを感じる。
その感触にが身じろぐと、紫苑は掴んでいた腕を放し、相手をやんわりと抱きしめた。

こうやって抱きしめられる事は、嫌じゃない。
むしろ安心できるものだが、強い羞恥心がこのまま身を任せる事を頑なに拒もうとしてしまう。
ここに第三者が居ればとたんに拒もうとする思いが大きくなり、紫苑を突き飛ばしていただろう。
けれど、今はこの心地良さに身を任せてしまいたいという思いと、強いプライドや羞恥心が対抗していた。
気を抜くと、自ら紫苑を抱きしめ返してしまいそうになる。

でも、やはりそれはできない。
その事を恥ずかしいと思う以前に、この手は紫苑やネズミのように他者を安心させることなんてできないからだ。
紫苑が一向に退く気配がないので、二人はしばらくそうしていた。
そして、ふいに紫苑が口を開いた。


「・・・わかった、ぼくは君のことが好きなんだ」
「えっ」
何の前触れもなく、静かに発された紫苑の言葉に、は耳を疑った。
逆の意味の言葉なら、嫌というほど言われてきた。
だが、慣れていない言葉に、はまた狼狽しった。

「そうだ・・・君のことが好きだから、触れたくなるんだ・・・」
紫苑は自分が言った言葉と、自分の想いを確認するように言った。
紫苑自身、なぜこんなにもに触れたくなるのか、はっきりとはわかっていないようだった。


好きだから、触れたくなる。
そういえば僕にも、そういう事はあるじゃないか。
生まれて間もない子犬を見た時、手袋を外してその柔らかそうな毛に触れてみたいと衝動的に思ったことがある。
紫苑も、きっとそうだ。
どこが気に入ったのかはわからないがそうに違いないと、は勝手な解釈をしていた。

そうとでも思わなければ、好きという意味を別の意味で解釈してしまえば、お互い一定以上の関係になってしまう。
そうなれば、僕の心は確実に揺らぎ、自分の偽りをますます言い出しづらくなってしまう。
紫苑やネズミの事が嫌いなわけではないが、そのためには二人と一定の関係を保っていないといけない。
そうしなければ、確実に耐えられなくなる。
真実を受け入れてもらえなかった時の、絶望に。

それなら言わなければいい、このまま友として在り続ければいいと、自分でもそう思う。
だが、相手が友という存在だからこそ、二人を偽り続ける事が嫌だった。
二人に真実を話し、受け入れられない可能性は十分にある。
突き放すなら、これ以上親しくなる前に突き放してほしい。
だから、これ以上こうしていてはいけない。


「紫苑、いいかげん退いてくれ。いつまでもこんな場所にいたら肺炎になりかねない」
は紫苑の行為に何も感じていないかのように言い放つ。
すると、紫苑は素直に腕を解き、から離れた。

「そうだね。一旦、外に出たほうがいい」
紫苑のその言葉や表情から、名残惜しそうなものは感じられなかった。
まだ、自分のこの想いが何なのかはっきりしていないからかもしれない。
そして、紫音は先に外へ出て行った。

も後を追い外へ出ようとしたが、そこで持っていたはずの写真がなくなっている事に気付く。
おそらく、毛布が崩れてきた時に落としてしまったのだろう。
今となっては処分しておきたいものだったが、この毛布の下になっているのなら誰かに見つかるということはないだろう。
そう思い、は写真の事はもう気にせずに外へ出た。




紫苑は、外で衣服や髪についた埃を払っていた。
白い髪にはやはり、少し灰がかってしまっていた。
今すぐにでもその髪の埃を洗い流してほしいと思ったが、そんな事をしてはまた遅くなり、紫苑をこの家に留まらせる事になってしまう。

「じゃあ、そろそろ帰るよ。片づけは、失敗しちゃったけど」
紫苑が泊まって行きたいなどと言いださなかったので、は内心ほっとした。
「たぶん、あの部屋は片付けられないようになってるんだよ」
片付けられなくしたのは僕のせいだが、もうそれでもよかった。
まだ開けてない戸棚から、写真以上に驚く物が出てくるかもしれないのは怖かった。

「あ、君でもそんな冗談言うんだ」
二回とも毛布を崩したのはなのに、珍しく冗談めいた事を言うのがおかしくて、紫苑はくすりと笑った。
「っ・・・」
はそんな風に微笑む紫苑を見て、瞬間的に、愛おしい仕草だと思った。
そして、さっき紫苑が自分に触れたように自分も紫苑に触れたいと、一瞬の事だったが、そう思った。
はそんな事を思ってしまった自分自身に戸惑いを感じ、早々と家の中へ戻る。
別れの挨拶もままならないまま、紫苑もネズミのもとへ帰った。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
相変わらずのいちゃつきっぷりで・・・。
というか、もうこういうシーンがないと話を考えられなくなってきている(汗)
やっぱ・・・ワードで書くのと、サイトに載せる時のは改行のタイミングが違ってきて難しいですorz。