NO.6 短編 新たな感情


流星がその光景を見たのは、偶然のタイミングだった
肌寒い日の日中
流星は、買い出しのために町中を歩いていた
けれども中々目当てのものが見つからず、ただの散歩のようになってしまっていた
今日は運が悪かったと思い、もう帰ろうとしたとき、知り合いの姿がちらと見えたのが始まりだった

その姿は流星には気付いていないらしく、路地裏へ消えていった
その人物は路地裏に何の用があるのだろうかと気になり、流星はその姿を追った
しかし、流星が路地裏で見たものは衝撃的なものだった


そこには、紫苑とネズミ、そしてもう一人、見知らぬ女性がいた
紫苑は目の前の光景に目を丸くし、うろたえていた
その光景に目が行きすぎて、流星には気付いていないようだった
狼狽の発端は、紫苑の目の前にいるネズミに違いなかった
なぜなら、ネズミはその女性と、口付けを交わしていたから



その光景は、流星の目にもはっきりと映っていた
だが流星は、紫苑のようにうろたえはしなかった
うろたえはしなかったが、すぐにきびすを返していた

そして、一刻も早くこの場から去りたいと言いたげに、かなりの早足で路地裏から出て行った
その後は、一直線に自分の家を目指した
そんな流星に、紫苑は最初から最後まで気付かなかった
だが、ネズミは路地裏から立ち去る者の姿を、視界の隅で捕えていた




家に帰ったとき、流星の息はあがっていた
かなり早足だったのか、たいした距離ではないのにもう疲れていた
流星は息を落ちつけようと、一旦ベッドに座った
そして、さっき見た光景を思い出していた


友人に会って、挨拶もなしに立ち去るのは失礼なことかもしれない
だが、声をかける気になどなれなかった
あの光景を見た瞬間、僕は早くその場から立ち去りたいと
早く、その姿を視界から消してしまいたいと、そう思っていた

そして、瞬時に感じた嫌悪感
その相手は友なのに、なぜそんなことを思うのだろうか
姿を見たくないなんて、まるで以前の警戒心が強かった自分に戻ってしまったかのようだ
路地裏にいたのは、数少ない、僕が好ましいと思っている人物なのに
なのにどうして、自分の中に見知らぬ感情が湧き上がってきているのか


流星がそんなことを考えていると、ふいに扉の開く音がした
どうやら珍しく、鍵をかけ忘れていたようだった
もしかしたらそれを見た何者かが入ってきたのかもしれないと、流星は警戒し刀を取った
近付いて来る人の気配に、いつでも刀を抜けるよう身構えた
そして、侵入者が部屋の前に姿を現した
それを見た流星は刀をベッドの脇に立て懸け、警戒を解いた

「何だ、君か・・・」
現れたのは、先ほど見た友人のネズミだった
ネズミは警戒心を露にしていた相手に驚くこともなく、平然と流星の隣に座った
今は、その相手を見たくない、などとは思っていなかった
それが余計に、さっきの光景に感じた嫌悪感を難解なものにさせていた

「・・・何か、用事か?」
突然訪ねてきたネズミに、流星は問いかけた

「あんたが、戸惑ってるんじゃないかと思ってな」
ネズミは、まるで相手の胸の内を見透かしているかのように、自信あり気に言った

「どうして、そんなことがわかる?」
自分の胸の内を言い当てられ、流星は少し驚いた様子で尋ねた

「さっき、路地裏から早足で逃げてくあんたを見たからだ」
流星は、逃げるという単語に不快を感じたが、反論はできなかった
あのときの自分は、逃げたと同じだと思う
路地裏の光景を見た瞬間、僕は相手を無視して、その光景を見なかったことにしてしまいたいと、早足で立ち去っていた
流星はそのとき自分に働いた感情がわからず、戸惑っていた

「君にはわかるのか?僕が、どうしてそんな行動をとったのか」
自分を行動させたきっかけは何なのか
知ることができるのなら、明確にさせておきたかった
自分の中に不明瞭なことがあるのは、落ち着かなかった

「ああ。・・・おれも、あんたと同じ感情を覚えたことがある」
その言葉に、流星はまた少し驚いた
いつもつかみきれないこの相手が、こんな感情を抱いたことがあるのかと
それと同時に、興味を抱いていた
どんな状況で、誰がネズミに感情の起伏を与えたのかということに

「いつわかったんだ?自分に、そんな感情があるって」
流星は、興味深そうに尋ねた
ネズミは答えを用意していたのか、返答は早かった


「あんたが、紫苑にキスされてたときだ」
「え」
そこで自分のことが出てくるとは思わず、流星はぽかんと口を開けた

「それだけじゃない。あんたが紫苑に手を触れさせたときも、あんたが紫苑を家に泊めたときもそうだった」
流星は目を丸くして、ネズミの言葉を聞いていた
自分が紫苑と居たときに、ネズミがそんな感情を抱いていたなんて知る由もなかった

「おれは、嫉妬してた。紫苑が、あんたに触れることに」
「嫉妬・・・」
流星は、その感情の名を復唱した
自分が抱いている感情は、嫉妬というものなのだろうかと

人を妬んだり、羨んだりすることはあった
しかし、嫉妬とは大切な人がいるからこそ芽生える感情
今までそんな存在がいなかった流星にとって、嫉妬とは実感のわかない感情の一つだった


僕は、嫉妬していたのだろうか
ネズミと一緒にいた、あの女性に
その光景を思い出すと、また嫌悪感が芽生える
この嫌悪感が、嫉妬している証拠なのだろうか

ネズミが誰と何をしようと自由なはずなのに
僕はその行動を抑制する権利なんてないのに
僕はネズミに、その女性ともうそんなことはしてほしくないと、そう思っている
そんなことを思うなんて、まるで僕は、よほどネズミのことを―――


「そ、そうだ。君は、紫苑が僕に触れることに嫉妬してるって言ったよな」
流星は、今しがた生まれた自分の考えを打ち消すように言葉を投げかけた

「ああ。おれは、紫苑に・・・」
「君が紫苑を大切に思っているのは知ってる。だけど、あれは紫苑からしてきたことで・・・。
だから、君から紫苑を奪うようなことはしないから、安心してくれ」
流星が弁明すると、ネズミは虚をつかれたような表情をした
流星は自分が紫苑に触れたことに、ネズミは嫉妬しているのだと、そう解釈していた
ネズミはふっと笑みを浮かべると、ごく自然な動作で流星の腰元に手をまわして引き寄せた
とても流暢で自然な動作に、流星は身じろぐこともできずにネズミと体を合わせていた

「な、何を・・・」
少し動揺した様子で、流星はネズミを見た
ネズミはというと、何か面白いものを見るような視線を流星に向けていた

「おれはな、流星、あんたに嫉妬してるんじゃない。その逆だ」
そう言われ、流星はしばらく黙り、言葉の意味を考えた
さっきまで、ネズミは紫苑が大切だから、紫苑に触れた者にその感情を向けているものだと思っていた
しかし、ネズミはそれを逆だと言った

そこで、流星はやっと気付いた
ネズミの言葉は全て、自分に向けられていたものだということに

「そ、んな」
そんな馬鹿なことがあるかと、そう言おうとした
しかし、ネズミの視線に気押されてそんな言葉は言えなくなった
その視線は、馬鹿な冗談など一切含んでいないことを示すような、真剣なものだったから

「おれは羨んだ。何気なくあんたに触れることができる紫苑を」
流星は、すぐにはネズミの言葉を信じられなかった
紫苑は自分よりずっと良い人間だと、とうに知っていた
それ以前に、誰かが自分に執着するなんてありえないことだと、そう思っていた

なのに、目の前の人物はそのありえないことを主張している
流星は驚いてばかりで、言葉に全く反応を示していなかった
ただ、身動き一つせずネズミに引き寄せられたままでいた

「でも、もう紫苑にそんなことを思う必要はなさそうだな」
ネズミは口端を上げて、笑みを浮かべた

「あんたはさっき、あの女に対しておれと同じ事を感じたはずだ」
よほど自信があるのか、ネズミの言葉にはためらいがなかった

流星は何も言えずに、黙っていた
そんなことはないと言うと、嘘になってしまうのかもしれない
しかし、その通りだと言うと、まるでネズミを大切に思っていると、堂々と宣言してしまうようで照れくさくて
流星はどちらの返答もすることができなかった

「まあ、あんたが嫉妬する必要なんてないさ」
ネズミはまた、まるで流星の胸の内を見透かしているように言った
相手にそこまできっぱりと断言されてしまうと、流星はそれだけで納得してしまいそうになっていた
嫉妬していたことなんて、自分でもはっきりとはわかっていないのに
けれど、ネズミの言葉はこの不明瞭な感情を確定させてくれるもののような、そんな気がしていた

「・・・何で、嫉妬する必要はないんだ?」
流星は好奇心から、そう尋ねた

「それはな・・・」
ネズミはすっと目を細め、妖艶な眼差しを流星に向けた
その目を見た瞬間、流星はとっさに身の危険を感じ、ネズミを押して体を離した
けれど、その行動は予測済みだったのか、次のネズミの行動はとても素早かった
ネズミは流星がベッドから下りない内に肩を押さえつけ、そのまま自身の体重をかけた
流星は反射的に後ろ手をつき、バランスを保った

感じた危険は、正しいものだった
両手で体を支えている内に、ネズミは流星と強く唇を合わせていた

「っ・・・!」
急に降りかかってきた感触に、流星は耐えるようにして目を閉じた
そしてその口付けは、すぐに深く激しいものになっていった
口付けた瞬間、ネズミは流星の隙間に自身を滑り込ませ、口内を蹂躙した

「んん・・・っ」
口内で動き回るものの感触に、流星はくぐもった声を発した
抵抗しようにも、両手は体重を支えることで手一杯で、動かすことができない
口内のものは留まることを知らず、執拗に流星を絡め捕ってゆく
慣れない感触に、体重を支える両手もだんだんと力が入らなくなっていた

それを見計らったのか、口付けはそのままにネズミは流星のほうへ体重をかけた
今の流星には、二人分の体重を支えることはできず、ゆっくりと後ろへ倒れていった
流星が完全に倒れたところでネズミは絡めていたものを解き、伝った糸を舐め取った

「は・・・な、何を・・・いきなり・・・」
なぜ質問をしただけでこんなことをされたのか、流星はわからないでいた

「あんたの質問に答えたまでだ」
「何・・・言ってるんだ・・・わけがわからない・・・」
流星は、荒い息交じりで言葉を紡いだ
するとネズミは流星の耳元に唇を寄せ、そして囁いた


「こんなに熱烈なキスをするのは、高貴なナイト、あなただけですよ・・・」
「な・・・」
恥ずかしい言葉を投げかけられ、流星はしばし絶句した
そんなことを言われると、どうにも対応することができないでいた

その言葉に嫌悪を覚えたわけではない
むしろ、ネズミのそんな言葉は自分にとって喜ばしいものだと、そう認識するようになっている
だが、湧き上がってくる羞恥心をどうすることもできずに、ただ驚いているしかなかった
流星が、そんな信じられないというような反応を見せていると、ネズミはさらに囁いた

「何でしたら、もっとその証を与えましょうか?
ナイトの最奥に、おれの猛りを注ぎ込んで・・・」
流星は訝しげにネズミを見て、その抽象的な言葉の意味をしばらく考えた
そして言葉の意味を理解すると、急激に熱が湧き上がり、思い切りネズミを突き飛ばした

「なっ、何てこと言うんだ!よく、そんなことが平然と言えるな・・・!
いくら直接的でないっていっても、そんなことを・・・」
先の行為より、むしろ今の言葉のほうが恥ずかしいと思った
ただでさえ羞恥心が湧き上がって仕方のないその行為の内容を、言葉でまじまじと伝えられるなんて耐えられそうになかった
流星がそうして狼狽していると、体制を立て直したネズミが再びにじり寄ってきた


「証明・・・させてくれるか・・・?」
突然、ふざけた調子ではなく真面目な声で囁かれ、流星は身を固くした
証明してやる、ではなく、許可を求めているその言葉が意外で、とっさにネズミから逃れられなかった

その証明は、羞恥心が湧き上がってくるに行為に違いないのに
さっきまで、あんなに狼狽していたのに
まるで、証明されてもいいと、本能が訴えているようだった
流星は少し俯き、また黙った
頻繁に移り変わる自分の感情に、戸惑っていた


ネズミは流星が逃げないことがわかると、束縛することはなくじっと視線を合わせた
その眼差しだけで、流星は捕らわれたように動けなくなった
視線を逸らすことがためらわれるほど、その瞳は艶っぽかった
そして再び、ネズミは流星を押し倒していった―――




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
R-18になると思いきや、この続きはありませんすいませんorz
ただネズミにやらしいことを言わせたかっただけなんて口が裂けてもいえな