NO.6短編 重なる手


紫苑が、流星とお互いを許せる関係になってから
最初は人に触れられることを嫌っていた流星だったが、今では紫苑と接することを厭んではいなかった
紫苑が手に触れても、身を寄せるようによりかかってきても
流星は何も言うことなく、受け入れていた

けれど、紫苑は不安に思っていることがあった
それは、自分から流星に触れることはあっても
流星の方から触れてくれることが、全くと言っていいほどなかったこと


紫苑は、それがもどかしくて仕方がなかった
自分から流星に触れれば、温かな気持ちになる
もし、流星の方から触れ、求めてくれたのなら、どれほど幸福だろう
だから、紫苑はある実験をしてみようと思った

それは、しばらく流星に触れるのを止めること
そうすれば、もしかしたら、もどかしさを感じた流星が、自分から触れてくれるかもしれない
紫苑はそれを期待し、流星の家へ行ってもそれこそ指一本触れない、ということを実行していた
そして、紫苑は今日も、流星の元を訪れていた




「紫苑、最近よく来るな。ネズミと喧嘩でもしたのか?」
「ううん、そんなんじゃないんだけど・・・」
きみに触れてほしいから頻繁に来ている、などとは言えず、紫苑は言葉を濁した

「そうか・・・」
その答えに、流星は訝しむような表情をした後、目を伏せた
そして、は沈黙した
その、黙って目を伏せている姿は、何かを推考しているようだった



「・・・紫苑。僕は、君がわからなくなってきた」
突然、深刻な口調で告げられ、紫苑は驚く

「どうしたんだ?わからなくなったって、一体・・・」
紫苑が問うと、流星はゆっくりと顔を上げた

「・・・僕のことが嫌になったなら、そう言ってくれればいいのに。
・・・けれど、君は頻繁に僕の家に来るようになって・・・」
流星の言葉は破棄がなく、落ち込んでいるようだった
今まで、紫苑は汚れたこの手だって触れることを厭わなかった

しかし、最近は全く触れられることがない
自分は汚れた存在なのだ
友人になったとはいえ、いつ相手の考えが変わり、離れてゆくか
それを考えるのは恐ろしいことだったが、覚悟はしていた

けれど、そんな予想とは裏腹に、紫苑はこうして家にやって来る
わからなかった
自分が紫苑に嫌われたのか、それとも、まだ好かれているのか
流星の心情には、不安感が渦巻いていた


紫苑は、流星の言葉でそのことを汲み取り、はっとした 「ぼく、きみのこと、嫌ってなんかいない。
今だって、きみに触れたくないなんて思ってないよ」
紫苑は、思わず流星の手を取る
ベッドに落ちている手を、上から包み込むようにして、強く握った
流星は紫苑の変わりように驚いたようだったが、すぐにまた目を伏せた


そのとき、紫苑は流星に対する態度を変えるべきではなかったと後悔した
流星は、対人関係にとても敏感なのだ
それは、NO.6で厭われ、自分が汚れていると思っているから
そんな意識が根付いてしまっている相手から、遠ざかるような真似をしてはいけなかった

「・・・ごめん、流星。ぼくは、意図してきみに触れなかったんだ。
・・・ぼくの、我侭な望みがあったから」
流星は、ちらと紫苑を見る
けれど、目を合わせようとはしない
怯えと、猜疑心が入り混じっている
紫苑が離れていってしまうのではないかという恐怖と
NO.6に居た頃のように、また偽られるのではないかという疑心が

紫苑は、自分の我侭な望みを言うのに、少しためらった
こんなに深刻になっている相手に告げるには、恥ずかしい理由
けれど、どんなに羞恥心があっても
このまま、流星が不安感を拭えないよりは自分が恥をかいたほうがましだと、紫苑は口を開いた


「ぼく、きみに触れてほしかったんだ」
それは予想していない言葉だったのか、流星は目を丸くして紫苑を見た

「きみが、触れることを許してくれてから・・・いつも、触れるのはぼくからだった。
でも、ぼくは・・・きみのほうから触れてほしかったんだ」
恥ずかしい言葉だったが、紫苑は真っ直ぐに流星を見て言った
それが、その場しのぎの嘘などではなく、本心なのだと伝えるように

「僕から、君に・・・?」
流星は、驚きと困惑を隠せなかった


誰かに触れるなんて
血で汚れたこの手で他者に触れるなんて
そんなことはしてはいけないことだと、自分に戒めてきた
だから、ずっと手袋をつけて生活してきたのだ

なのに、今、目の前に居る相手から発された言葉は、抱いてきた戒めとは反対のこと
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだった


「・・・君が、僕に触れたとき、何て物好きなんだろうって思った。
けれど、今はそれ以上に思うよ。信じられないくらいの変わり者だって」
「それ、ネズミにもよく言われるよ」
紫苑は、くすりと笑った


紫苑と友人になり、自然と手に触れてくるようになったとき
驚きはしたが、嬉しかったのが本心だった
けれど、自分から触れることは、一度もできなかった

本当に、触れてしまっていいのかと
この手を重ねてしまっていいのかと
紫苑に近づくたびに、そんな思いが脳裏をかすめ、行動を止めていた


「本当に・・・そう、思ってるのか。僕に触れてほしいだなんて」
流星は、紫苑に向き直って問いかけた
さっきの言葉が嘘偽りではないとわかっていた
けれど、再び問いかけずにはいられなかった
かけられたことのない、信じられないような言葉を、もう一度確かめたかった

「うん。きみから触れてくれたら・・・ぼくはきっと、嬉しくなる」
嬉しくなるなんて、また信じられない言葉が発される
この手が相手に与えるものは、嫌悪だけだと思っていたのに

紫苑が、重なっていた手を退ける
そして、その手を無防備にベッドへ下ろす
今度は、そっちから触れてほしいと
暗に、そう言っているようだった

流星は、無防備な紫苑の手をじっと見る
その表情には、まだ困惑が表れていた
強い自己嫌悪が、戒めが、動作を止めてしまう
手が、ベッドから張り付いたように動かない
許してくれているのに、望んでくれているのに
それを叶えられない自分を、また嫌悪してしまいたくなった


「流星」
困惑している様子を見て、紫苑が声をかける
流星は、手から視線を外し、視線を合わせた

「ぼくは、絶対に、きみに嫌悪感を抱いたりしない。・・・約束する」
さっきも見た、真っ直ぐな瞳
紫苑から発される言葉は、また疑う余地のないものだと感じられる


決して、嫌悪することはないと
安心させるために、言ってくれている

流星は、再び紫苑の手に視線を落とす
勇気を、出さなければならない
優しい言葉をかけてくれる相手が、この友が望んでいるのだから
叶えたいと、強く思った


ゆっくりと、流星の手が持ち上がる
そして、慎重に、紫苑の方へ近付いてゆく
途中で気が変わったら、いつでも払っていいと言うように、動作は遅かった
勿論、紫苑にそんな気はなかった

徐々に、手が近付く
そうして、影が重なったとき、流星はまた慎重に、紫苑に手を重ねた
これだけの動作でも、流星はかなり緊張していた
その緊張を解すように、紫苑は微笑む
それはそれで恥ずかしかったのか、流星はさっと顔を伏せていた


初めて、自分から触れた
やんわりと重なっているだけなのに、その箇所がやけに温かく感じられている
そして、手を重ねたその瞬間
自分は拒まれていないのだという安心感が、どっと押し寄せてきて
緊張感で強張っていた気持ちが、ふっと消えてゆくのを感じていた



しばらく、お互いはそのまま手を重ねていた
すると、ふいに、紫苑は手を仰向け、お互いの掌が重なるようにする
そして、相手を招き入れるように指を開いた

流星は戸惑い、紫苑を見る
紫苑の眼差しは、とても優しかった
安心感を与えるような、優しい笑顔
流星の手は、自然と招かれていた


開かれた間へ、自分の指を差し入れる
そして、とても弱く、やんわりと、手を握った
その動作はまだ迷いと遠慮がある、ぎこちないものだったが
紫苑は、まぎれもない幸福を感じていた

嬉しくて、絡まった指をそのままに、流星の手を握り込む
流星は、思わず体を強張らせたが
やがて、それに答えるかのように、紫苑の手を少しだけ強く握った
やはり恥ずかしかったのか、流星はまた顔を伏せてしまったけれど
掴んだ手は、そのまま、緩められなかった


あまり長く握っているのも、羞恥心が湧き上がってきて
流星は、ゆっくりと、名残惜しそうに指を解いた

「流星、ありがとう」
紫苑は、満面の笑みを流星に向けた

「君が・・・そうしてほしいって、言ったから・・・」
照れ隠しのつもりなのか、流星は言い訳にも似たことを言う
そうは言ったものの、紫苑と手を繋いでいた間
幸福感を覚えていたのは、流星も同じだった

指を開き、招き入れるようにしてくれたとき
自分が、受け入れられた確証を得た気がして
言葉にならない幸せとはこういうものなのかと、気が付いた瞬間だった

「あのさ・・・もう一つだけ、ぼくの我儘聞いてくれないかな」
「ああ。こんな僕を、望んでくれるのなら・・・」
感じた幸福感
それは、他のものに形容できないほど幸せなことで
紫苑の望みを叶えることで、再びそれを味わえるのなら、何回聞いてもいいと思っていた
紫苑は少しためらう様子を見せたが、真剣な表情で流星を見据えて言った


「きみから、キスしてほしい」
「え!?」
思わず、声が上がる
聞き間違いではないだろうかと、耳を疑う
流星は唖然として、紫苑を見た

「きみが、嫌だって思うならいいんだ。無理強いはしない。
けれど、ぼくを受け入れてくれるのなら・・・そうしてほしい」
紫苑は、返事を聞く間もなく流星へ近付く
そして、少しだけ身を屈め、流星を見上げる様にして、目を閉じた

「し、紫苑・・・」
うろたえずにはいられなかった
言葉を発する、お互いのその箇所を重ねる
手を重ねるのとはわけが違う
緊張と焦りで、流星の心音は早まっていった

紫苑は目を閉じ、事が成されるのか、成されないのかを待っている
流星はというと、完全に硬直してしまっていた
手に触れるだけでもかなりの覚悟を要したというのに、一気にハードルが上がったせいで状況に対応できないでいる
このまま待たせておくのは悪い気がしたが、そう簡単にできることではなかった


「・・・やっぱり、無茶なお願いだったね。ごめん」
紫苑は目を開き、身を引こうとする

「ま、待ってくれ。・・・もう少し、そのままでいてほしい」
流星は、紫苑を引き止めた自分に驚いていた
できなさそうなら、そのまま何も言わなければよかったのに
もしかして、重ねたいと思っているのだろうか
友人であるはずの紫苑と


紫苑は、再び目を閉じる
流星は、やはり硬直してしまったが
引き止めたのだから後には引けないと、自分に言い聞かせていた

しかし、まだ迷いはある
たぶん、紫苑が望むことをしても
自分が嫌悪感を抱くことは、微塵もないと思う

けれど、留め金はそう簡単に外れてはくれない
自分が、そんな大それたことをしてしまってもいいのだろうか
望まれたとはいえ、そんな事を


流星は迷い、葛藤した
そんなとき、紫苑が両手を伸ばした
もういいと、突っぱねられるのかと思った

けれど、違った
紫苑は両腕を流星の首にまわしていた
そして、引き寄せるように、軽く力を込めた

「紫苑・・・」
首に回された両腕は、もう迷わなくていいと、そう示しているかのようだった

ああ、本当に望まれているんだ
重ねてほしいと、切実に

不思議と、もやついていた迷いが消えてゆく
強く望んでくれていることを、確信したからかもしれない


流星は、身を近づけてゆく
目を閉じている、白髪の少年へ
お互いの息がかかる距離で、流星は躊躇うように動きを止める

けれど、それは一瞬のことで
流星は、近付いていった
お互いの距離が、完全になくなるまで


「・・・ん・・・」
重なり合った瞬間、紫苑は鼻から抜けるような声を漏らす

柔らかな感触
緊張と羞恥で、心音が痛いほど強くなる
けれど、お互いが重なっているのを感じると
それ以上に、温かな思いが湧き上がってくるようだった



あまり長い時間はできず、ものの数秒で流星は身を引いた
感触がなくなると、不思議と羞恥心がどっとわいてきて、流星はさっと顔を伏せていた
紫苑は、そんな相手の様子がおかしくて、くすりと笑った

「流星、ありがとう。ぼくの、こんな我儘聞いてくれて」
流星はよほど羞恥を感じているのか、何も答えられなかった

「今度は、お礼に・・・ぼくからするよ」
「えっ・・・」
その言葉に驚いて、流星は思わず顔を上げてしまう
そのとき、離れていた距離はもう詰められていて、すぐ傍に、紫苑がいた
流星の目が、紫苑を捉えた瞬間
もう、言葉は発せなくなっていた

「ん・・・っ」
紫苑が、流星に重なる
さっき重なり合った箇所と、同じところが

柔らかな感触はすぐに伝わり、流星の頬を高潮させた
紫苑の顔をまともに見ていられなくて、流星は強く目を閉じる

さっき、こんなことをした自分も自分だが
されるのも十分に羞恥を伴う
けれど、大衆の前で恥をかくような、そんな忌むべきものではない
むしろ、この羞恥は、拒むべきものではないと、何かがそう訴えているようだった



数秒間、紫苑はそのまま流星から離れなかった
流星の驚きは収まっていたが、紫苑を無理に突き放そうとはしなかった
羞恥はあるが、重なり合っている箇所から感じる温度に、心地よさを感じているのが本心だった

けれど、未だに戸惑う
本当に、自分が、厭われるべき存在が、こんな温かさを感じてしまっていいのだろうかと
胸の内にある、その温かいものの意味に気付いてしまったら

きっと、否定できなくなる
今、重なり合っている相手に抱いている感情を
その感情は、本当に自分が抱いてもいいものなのだろうか
厭われることが当たり前だった、この存在が


また、数秒経った後
紫苑は、ゆっくりと身を離した
開放されたとたん、流星は戸惑いのあまり逃げ出したくなったが
紫苑は、流星が身を引く前に、その体を抱きとめていた

「ぼくが、きみの悲しい自意識を変えてみせる。
・・・ぼくは、絶対にきみを裏切らないから」
「紫苑・・・」
胸を打つような、優しさのこもった言葉
今までだったら、嘘だと言って跳ね退けていただろう

けれど、今、流星は強い感慨を受けていた
紫苑の言葉だからこそ、受け入れられる
心を許した相手を、信じることができる
それは、一人で生きてきて植えつけられた強がりを打ち消してくれるようだった


「・・・ありがとう」
流星は、紫苑の背に両腕を回し、肩に額をつけた
縋っているような、甘えているような仕草
紫苑は、流星の背を抱く腕に、力を込めた
誰かに頼れること、頼られること
二人の胸の内には、言いようのない温かさが確かにあった




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
かなり久々のNO.6更新でした
何だか、ふっと初々しい流星が書きたくなって
いちゃいちゃ度は控えめに、心理描写中心で書いてみました