NO.6 短編、望むこと


今日、紫苑は突然流星の家を訪れていた
紫苑が前約束もなしにいきなり来るのは、珍しいことだった
何かあったのだろうかと、流星は不安感が脳裏を掠めた
だが、紫苑はいつものようににこやかな様子でいたので、その心配はなさそうだった
そしていつものように椅子ではなく、お互いベッドに座っていた

「突然来るなんて、珍しいな」
「うん。実は今日、ぼくの誕生日なんだ」
またもや突然にそんなことを言われ、流星は一瞬目を丸くした

「そうなのか、おめでとう。・・・数日待ってくれれば、何か送るよ」
以前、紫苑は流星の誕生日を祝ったことがあった
元々貸しを作ることをあまり好まない流星は、それに報いたかった
貸し借りの関係だけでなく、ただ単純に相手を喜ばせたいという思いも少なからずあった

「ううん、何も用意してくれなくていいよ。
けれど、きみがぼくを祝ってくれるのなら・・・してほしいことがあるんだ」
「してほしいこと?」
「うん。こんなこと、特別な日にしか頼めないから・・・だから・・・」
紫苑は言いづらそうに、口ごもった
無欲な相手が何を頼むのだろうかと、流星は少し楽しみにしていた


「きみから・・・その・・・・・・キス・・・してほしいんだ」
「え・・・」
紫苑は、こんなことを頼むのは本当に申し訳ないと示すように、声を小さくして言った
けれど、視線だけはじっと流星を捕えていた
流星は、そんな紫苑の頼みに目を丸くしていた

「おこがましい頼みだとは思う。きみがこういうことを苦手だってことも、知ってる。
それでも・・・して、ほしいんだ」
「・・・本気なのか。折角の、誕生日なのに」
「誕生日だから、特別な理由がつけられるから、こうしてきみの家に来たんだ」
流星は紫苑の頼み事に、驚きを隠せなかった
冗談を言っている様子は、欠片ほどもなかった
まさか、こんな自分の、そんな行為を求められるなんて
動揺するべきなのか、喜んでいいものなのか、流星はわからないでいた

「でも、きみがどうしても嫌だって言うのなら、強制はしない」
「・・・嫌・・・・・・というわけでは、ない・・・けど・・・」
もはや、紫苑が接することには何の抵抗も感じない
けれど、自分からそんな大胆なことをするとなれば話は別だ
まだ、自分で自分を抑制してしまう
いくら相手から許可を与えられても、易々と一線を踏み越えたことはできない

だが、今日は紫苑にとって特別な日
以前祝い事をしてもらったのに、紫苑の望みを拒否しってしまっては恩知らずもいいところだ
だから、僕は意を決した


「・・・・・・きみが、本当にそれを望むのなら・・・僕は、そうするべきだと思う」
流星がそう言ったとたん、紫苑は嬉しそうに微笑んだ

「ありがとう。・・・ぼく、目閉じてるね」
頼みごとをしやすくさせるためか、紫苑は瞼を閉じた
そして流星は望みを叶えるべく、紫苑の肩に手を置いた

ここまでは、もうすんなりとできる
しかし、問題はここからのことだ
これから紫苑に顔を近付け、唇を重ねなければならない
紫苑は目を閉じ、その行為が行われるのを待っている

もう後戻りはできないと、紫苑を引き寄せるのではなく、流星は自分から少し近付く
しかし、その行動は途中で止まってしまう
自分から相手に近付くことは、こんなにも緊張することなのだろうか
いつも紫苑の方から接してくれるので、実感したことがなかった
今ははっきりと、自分が緊張しているのがわかる
だが、この時点で緊張している場合ではない
紫苑が望んでいることは、まだ先の行為
躊躇っていてはいけない、嫌ではないと言ったのは自分なのだから


意を決した流星は、さらに紫苑に近付いて行った
お互いの息が、かすかに感じられる
流星は、そこで目を閉じた
これ以上近くで顔を凝視すると、また躊躇ってしまいそうだった
そして、流星は緊張感が残る中、紫苑と唇を重ねた



柔らかな感触が、触れ合っている箇所から伝わる
そしてだんだんと、体が熱を帯びてくる
自分から行為を行っているからという理由だけではない熱が、湧き上がってくる

紫苑が、ふいに流星の背に腕をまわした
それは束縛するようなものではなく、そっと添えられただけのものだった
まだ、離れないでほしい
そう言われている気がして、流星はその腕が解かれるまで重ね合わせていた




腕が解かれると、流星はすぐに紫苑から離れた
紫苑が目を開いたときには、流星は立ち上がり背を向けていた
頼まれたこととはいえやはり動揺しているのか、少し俯きがちで

「流星、ありがとう」
紫苑は、その背に向かって礼を言った

「・・・誕生日だからな、特別だ」
流星は、背を向けたまま答えた
そんな風に照れている様子が、紫苑の目には可愛らしく映っていた
紫苑はたまらず立ち上がり、背中から流星をやんわりと抱きしめた
その行動に流星はさらに照れくさくなったのか、また少し俯いた
そんな流星の様子をさらに可愛らしく思った紫苑は、目の前にある細い首筋にそっと唇を這わせた

「っ、紫苑」
流星は身じろぎ腕を振り解こうとしたが、その前に紫苑は言った

「今日は、ぼくの誕生日だから・・・もう少しだけ、我儘言わせてほしい」
誕生日、という単語があったからか、流星は押し黙った
腕の中で流星が大人しくなると、今度は耳朶に軽く口付ける
流星はわずかに肩を震わせたが、抵抗はしなかった
後ろからでも、頬がほんのりと紅潮しているのが見て取れる
次はその頬に、また軽く口付けた
流星は律義に、紫苑が自分を解放するまで大人しくしているつもりなのか、何も言わなかった
それとも、動揺して何も言えないのかもしれない

「流星・・・こっちを向いて」
紫苑は甘えるようにそうねだった
「・・・・・・それは、ちょっと・・・」
やはり動揺し、照れているのか流星は口ごもっていた
この紅潮しきった顔を堂々と見せることは躊躇われた


「・・・それじゃあ、今晩ぼくを泊めてほしい。勿論、迷惑じゃなかったらだけど・・・」
あまり無理強いするのはよくないと思ったのか、言葉を変えた

「・・・ろくに暖房器具もない家でよければ」
それは了承の言葉だと、紫苑にはすぐに判断できた

「ありがとう・・・」
紫苑は腕に力を込めて流星を引き寄せ、その黒髪に頬をつけるようにして目を閉じた
そのとき流星は、やけに積極的な紫苑の行動に、わずかな違和感を覚えていた





そして、夜が訪れた
言ったとおり暖房器具のない家は、昼間よりかなり室温が下がり、毛布なしでは過ごせなかった
あまり長く起きているとそれだけで体温が奪われてゆくので、二人はまだ早いうちからベッドに寝転んでいた
紫苑は、寝転んでいる流星に横向きで抱きついていた
流星は甘えるような紫苑の行動に対処できず、天井を見上げて硬直していた
特に嫌ではないのでそのままにしているが、自分に何か求められているのではないかと気が気でならなかった
そこでも流星は、紫苑の積極的な行動に違和感を覚えていた
紫苑の性格からして、こんなにべたべたとひっつくことはそうそうない

「・・・紫苑、ネズミと喧嘩でもしたのか?」
誕生日だからという理由だけでは十分でない行動に、流星は思わず尋ねていた

「ううん。・・・特に、変わったことはないよ」
それは嘘だと、流星は直感的に感じた
わずかな違いだが、声がいつもより静かで落ち込んでいるような、そんな気がしていた

「じゃあ、それ以外に何かあったんじゃないのか?今日の君は、どこか違う」
流星は紫苑の方に向き直って尋ねた
どこが違うとは明確に言えなかったが、穏やかな雰囲気が乱れているのを流星は感じ取っていた
それは図星だったのか、紫苑はしばらく流星から視線を逸らしていた

「・・・少し、不安になったんだ」
ふいに、紫苑がぽつりと呟いた
「ぼくにはネズミも、きみもいてくれる。そんなぼくがこんなことを言うのは贅沢だと思う。
けど・・・思い出してしまうんだ、去年のこの日のことを」
「誕生日のこと・・・か」
NO.6に住んでいた頃の誕生日ならば、さぞかし楽しいものだったのだと思う
けれど、その落差を嘆いているような雰囲気ではない
何かもっと、別の感情を示そうとしているような、そんな気がしていた

「・・・今日、きみだけじゃなく、母さんや、沙布がいたらどんなにいいだろうなって・・・。
そう思うと、二人のことを考えると、心配になって、不安になって・・・」
紫苑は、すがりつくように流星の首元に顔を埋めた

「・・・そうか。君の母親は、きっと温厚な人なんだろうな」
気慰めにもならない、そんな言葉しかかけられなかった
一度得たものを失うのは、虚しいことだ
それが母親や友人からの愛情なら尚更
僕も、紫苑やネズミと離れてしまったら、大きな虚しさに襲われると思う
紫苑は今、特別な日の出来事を思い出し、不安の中に虚しさを感じているのかもしれない

けれど、僕は慰めの言葉の一つも思いつかない
「きっとまた会える」なんて、確証のない言葉をかけるつもりもなかった
だから、僕は無言で紫苑の背にそっと両手をまわして抱きしめた
決して紫苑は独りではないということを示すのが、一番良い方法だと思った


「僕は気の利いた言葉なんて言えないけど、話し相手くらいにならなれる。
君の気が紛れるのなら、一晩中だって付き合う」
その言葉と行動が、流星にできる精一杯の配慮だった

「・・・ありがとう。きみに負担はかけたくないけど・・・誕生日が終わるまで、このままでいさせてほしい」
流星は答える代わりに、紫苑の背にまわしている手に少し力を込めた
まだ、紫苑は母親の愛情を失うには早すぎる
自分にはわからない喪失感が、今の紫苑からは感じられる
不安を、取り除いてあげたい
以前、紫苑がそうしてくれたように


「紫苑」
ふいに名を呼ばれ、紫苑は顔を上げた
流星は片手で紫苑の顎を取り、視線を合わせる
そして顔を近付けようと思うのだが、ぱっと行動することはできなかった
さっきも緊張して仕方がなかったこの行為を、そう易々とはできない
一時だけでも、紫苑の不安を取り除きたいと思っているのに
そう思っているのに、自分の羞恥心が勝ってしまうことがわずらわしかった

「・・・流星、無理しなくていいよ。ぼくは、きみがぼくに好意を持ってくれているだけでも嬉しいから」
紫苑は、柔らかな微笑みを浮かべてそう言った

「っ・・・無理なんて・・・」
無理なんてしていないと言えば、嘘になる
口付けをすることにも、されることにも不慣れで戸惑ってしまう
けれど、紫苑の不安感を取り除きたいという思いは確かにある
羞恥のあまり戸惑い、迷ってもたもたしていては紫苑に気を遣わせてしまう

そうして流星が葛藤している内に、紫苑は顎にかかっている手を退かした
その瞬間、流星は行動していた
紫苑が離れてしまう前に、しなければならない
焦りが、流星の背を押した
流星は紫苑が顔を背ける前に、顔を近付けた
そして、紫苑が目を丸くしている内に唇を重ねた

「・・・んっ・・・」
紫苑は一瞬驚いたがすぐに目を閉じ、伝わる感触に身を任せた
その口付けは長いものではなく、すぐに離れた
だが、すぐに再び、同じ感触がお互いに伝わる
流星はふっきれたように、再び紫苑に口付けていた
頬を熱くしながら、その行為は繰り返される
何度目かの口付けが終わると、紫苑は流星の肩を押して一旦体を離した


「・・・ありがとう。・・・でも、これ以上は、その・・・歯止めが、きかなくなりそうだから・・・」
紫苑の鼓動は、さっきより早くなっていた
それは流星も同じで、その鼓動はお互いに伝わっていた

「・・・君が望むなら・・・僕は、抵抗・・・しない」
流星のその発言に、紫苑はまた目を丸くした
それは、誕生日の贈り物の代わりに自分の身を捧げると、そう言っているようなものだったから

その行為をすれば、不安を感じる暇なんてなくなる
けれど、紫苑は首を横に振った

「誕生日を利用して、きみにそこまで求めることはしないよ。
そういうことは・・・ちゃんと、お互いが求め合ったときにするべきだと思う」
紫苑の言葉に、流星は内心安堵していた
自分から言い出したこととはいえ、完璧に覚悟ができているわけではなかった

「今はただ・・・こうして、君の存在を近くに感じていられたらいいんだ」
紫苑はそう言い、流星に抱きついた
流星も紫苑を抱きしめ返し、白髪をかきわけるようにして頭を撫でた

今なら、庇護欲というものがわかる
腕の中で眠ろうとしている優しい彼を、手放したくないと
気がつけば、羞恥心なんてどこかへ消え去ってしまっていた
今は紫苑の望みを叶え、傍にいてあげたい
紫苑の望みは、自分自身も望んでいる、そんな願いだったから




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
またもや誕生日ネタです
ですが、時間かかった割には・・・自分としては少し不完全燃焼ですorz
このごろ小説が思うように書けない・・・妄想力が萎えてきているのだろうか