誘い、後編



翌朝、紫苑はまだ帰ってこなかった
流星はイヌカシのところへ行こうと思ったが、ネズミに引き止められた
朝になったというのになぜ引き止めるのかと、流星は訝しげにネズミを見た

「紫苑が帰って来る前に、することがある」
ネズミはそう言い、流星をベッドに座らせた
わけがわからなかったので、流星は成り行きに任せていた
するとネズミはふいに流星の手首を掴み、手を自分の頬へ誘導した

「ネ、ネズミ?」
掌にネズミの頬が触れ、人の体温を感じる
突然の行動に、流星は少し動揺していた

「あんた、おれに触れたいって思ってるんじゃないのか?」
ネズミは、口端を上げて笑みを浮かべた

「そんなこと・・・」
思っていない、とは断言できなかった
昨日の無意識の行動が、未だに説明できないでいる
流星がそう考えている内にネズミは手を移動させ、首元をなぞらせた


掌が、指先が、ネズミの首をなぞってゆく
触れる肌の感触は、温かく、好ましいものだった
しかしあまりに不慣れなことに、流星は動揺を覚えずにはいられなかった
そんな流星をよそに、ネズミの手は動きを進めていた
首元を一通りなぞり終わると、次は自分の手ごと自らの服の中へ滑り込ませた

「ネズミ、何を・・・」
尋ねたが、ネズミは答えない
無言で流星の手を誘導し、自らの皮膚に触れさせてゆく
腹部から胸部へ、胸部からまた腹部へ、何回も
流星はネズミの意図がわからず、ただ掌に伝わる体温と感触を感じていた
自分の手がこんなに他者に触れることは、そうそうないことだった


人の体温はこんなにも温かく、心地よいものだっただろうか
犬とはまた違う温かみと、心地よさがある
ネズミのしたいことは相変わらずつかめなかったが、流星はじっとネズミに手を任せていた
こうしてネズミの体温に触れていると、まるで自分の体温が上がってくるようだった


「もっと、触れたいか」
「え・・・」
真剣な口調で問われ、流星は拒否することも、求めることもできなかった
ネズミに触れることは、無意識の内でも自分が望んだこと
けれど、おこがましくて自分から相手にべたべたと触ることはできない
今はネズミに手を取られているから仕方なく、という自分を納得させる理由がついている
だから、その行為を甘んじて受け、大人しくしていた


流星に抵抗の意思がないことを察すると、ネズミは手をさらに誘導した
どんどん下へ、腹部をなぞらせてゆく
そして手首の向きを変えさせ、流星の指先を自らのズボンの中へ入れようとした

「なっ、何してるんだ!」
流石に流星は慌て、手を引っ込めようとした
しかしネズミは強く手首を掴み、それを阻止した
さらに流星が逃げ出さないように、ネズミは空いているほうの手を腰元にまわした
ならば指を握り込んでその中へ入れられないようにしようかと思ったが、それは予測されていた
ネズミは素早く流星の指の間に自分の指を絡ませ、手を閉じさせないように固定した
そして流星が抵抗を見せない内に、手を下へと滑り込ませていった

「やめろ、そんなとこ、触れさせるところじゃない」
流星は抗議したが、ネズミは聞こえていないかのように無視した

この先、触れるであろうものはわかっていた
だから何とか手を引き抜こうとするのだが、そうするとネズミの力が強まり手首が締められる
触れるのは、もう時間の問題だった
流星の指先は緊張し、先の先まで力が込められていた

「ネズミ、悪ふざけもいいかげんにしろ、何で僕に・・・っ!」
とうとう指先が何か柔らかなものに触れ、流星は手を震わせた
ネズミは微動だにせず、もっと触れさせるように手を誘導した

「・・・やめ・・・っ」
掌にも同じものが触れる感触がし、流星は息を呑んだ
指先は巧みに操られ、それに添えられてゆく
流星はネズミと視線を合わせられず、目を逸らした
緊張と動揺で、手に力を込めることを忘れてしまう
ネズミは流星の動揺をよそに、今触れているものを包み込むようにして触れさせた

「だめ・・・だめだ・・・こんな・・・」
流星は頬を赤らめ、弱弱しく言った
柔らかなものが、自分の手に包みこまれている
なぜ、触れている自分のほうがこんなに恥ずかしい思いをしているのか
男のものに触れるのは初めてのこととはいえ、かなりの羞恥を覚えている
普通は触れられるほうが羞恥を感じるものだと思っていたが、ネズミは顔色一つ変えていない
一方流星は、ネズミのものが自分の手の中にあるのだと思うと、もう相手の顔を見ることすらできないでいた


「触るのは、初めてか?」
「当たり前だ・・・・・・なあ、もういいだろ・・・?」
流星は羞恥の余り、手を離したくて仕方がなくなっていた
そう頼んでも、ネズミは断固として手を離そうとはしなかった
それどころか、もっとその感触を味あわせるかのように流星の手を動かし始めた
愛撫させるように、ゆったりと

「・・・っ・・・」
心拍数が、早くなる
その個所の感触を感じると、ネズミに触れられているときとはまた違う羞恥が込み上げてくる
そんな反応を見て、ネズミは楽しんでいるのだろうか
それとも、別のことを感じているのだろうか
相手の手を使わせ、自らのものに触れさせることで
流星の意思に構わず、愛撫は続けられていった


「は・・・」
ネズミが一瞬目を閉じ、息を吐いた
そのとき、瞳はどことなく細まり、まさしく妖艶の一言に尽きた

「ネ、ネズミ・・・」
ネズミの変化に気づいた流星は戸惑った
その変化をもたらしているのは、間違いなく自分の手だ
しかし、未だに手を離すことができない

変化は流星の手の中にあるものにも、少しずつ表れてきていた
心なしか、手の中にあるネズミのものが熱を帯びてきている
そして、柔らかかった感触も変わりつつあった

「こ、こんな・・・こんな手に、君の・・・そんな、ところを触らせないほうが・・・いいと思う」
流星は、なるべく言葉をオブラートに包んで言った
触れるべきではない
ネズミのような美しい存在に、血で染まったこの手は相応しくない
勝手ながら、流星はそう思っていた


「・・・おれは望んでるんだ。・・・あんたに、触れられることを」
「えっ・・・」
やけに素直な物言いに、流星は驚いていた
いつもなら、ネズミはこんな照れくさい台詞を真面目に言わない
そして、望んでいるという言葉にも、驚いていた


ネズミが流星の手と一緒に、再び動かす
ネズミはまた軽く息を吐き、目を細めた
その息も、眼差しも、さっきより熱を帯びている
欲を感じている息遣いが、伝わってくる


「も、もう、いいかげんにしないと・・・」
このままこの行為を続ければどうなるか、だいたい予想はついていた
まさか最後までさせる気なのだろうかと、流星は緊張した

「流星・・・」
熱い吐息と共に、名を呼ばれる
流星は一瞬、ネズミと視線を合わせた
その瞬間、流星は瞬く間に捕らわれた
じっと自分に向けられている眼差しから、目が逸らせなくなった


妖艶で、艶美で、艶めかしい
相手を捕えて離さないような視線を感じる
流星の感受性は敏感にそれらを感じ取り、思考を中断させた


ネズミの眼差しは、無言で流星を誘いかける
ありふれた言葉よりも、この視線に流星は弱いのだとネズミは知っていた
その思惑どおり、流星は言葉を失い、ネズミから目を離せないでいた



動悸がする
体温が上昇してゆく
羞恥を感じているからではない
動揺しているからでもない


惹かれているからだ
いつにも増して妖艶な、彼の瞳に見惚れている

彼の眼差しに見惚れるのは、初めてのことではない
けれど、今の僕はとても強く捕らわれている
一時たりとも、視線を逸らしたくないという思いにかられている


こうしていれば、彼はその眼差しを向け続けてくれるのだろうか
さっきまで、一刻も早く手を離したいと思っていたのに
彼が、そんな瞳を見せるから、僕は―――



ネズミが流星の手首を掴む力は、いつの間にか緩んでいた
しかし流星は手を引かず、そのまま硬直していた
ネズミの視線はそれほど強く、流星を惹きつけていた
もっと、触れてほしいと
そう、誘いかけていた


流星はおずおずと、ネズミのものに触れる
本当にこんなことをしてしまってもいいのだろうかと、まだ戸惑っているように
ネズミは手を引き、抵抗しないことを示すかのようにベッドの上に両手を置いた


「あんたの手で、いかせてくれる・・・?おれに、もっと欲を与えて・・・」
耳元で囁かれ、流星は背筋にぞくっとしたものが走るのを感じた
こんなことをするべきではないと、小さな抵抗の声が聞こえる
しかし、もはやその囁きと誘いの前では意味を持たないものだった


流星は、完全に捕らわれていた
ネズミは口端を上げ、勝ち誇ったような笑みを浮かべた
だがその笑みは、すぐに掻き消されてしまった

玄関の扉が、開く音がした
「流星、まだいる?」
それと共に聞こえた、もう一人の同居人の声
流星ははっと我に返り、手を引き戻した
そして、信じられないというような驚いた表情をしていた
それは、自分のしようとしていたことに対するものだった

足音が聞こえ、部屋の前で止まった
「あ、流星、よかった。昨日、犬の子が生まれたんだ!今から見に行かないか?」
紫苑は流星を見つけると、少し興奮しているような口調で言った
犬の子が生まれたことで頭が一杯の紫苑は、二人の状況など知る由もなかった

「あ・・・ああ、見に行きたい。・・・そうだな、今すぐ行こう」
流星はさっと立ち上がり、早歩きで紫苑へ歩み寄った
紫苑は早く行きたくて仕方がないのか、もう玄関へ向かっていた
ネズミの妖艶な眼差しは消え、今は紫苑の背を睨んでいた
流星の動悸は、まだおさまらなかった




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
罪の意識の、過激バージョンのような感じになりました
そしてまたもや紫苑ブロック発動、ですが・・・続きます