生と死の誘い、後編


窓の外は明るみ、朝が近付いてきていた
光が差し込み、部屋が明るくなる
流星は、まだ目を閉じたままだった
ネズミはずっと流星の手首を掴んだまま、その目が開かれるのを待っていた
手首から伝わる振動はとても弱弱しく、いつ消えてもおかしくないと思えるほどだった
しかしそれは眠っているからなのだと、ネズミは信じていた
掌から伝わる音が消えるまで、ずっと待ち続けるつもりでいた





そろそろ、朝が来ただろうか
それとも、まだ夜中だろうか

僕は、死んだのか
それとも、生きているのか
実感がわかない


もしかして僕は、今、分岐点にいるのだろうか
目を閉じ続けるか、目を開くかで変わる分岐点に

僕が感じているのは、暗闇だけ
それなら、その闇と共に居ようか
そうすればたぶん、二度と光を見ることはできなくなるけれど
それでも、構わない

僕は、光に照らされて明るみに姿を現すより
暗闇に紛れて消えてしまったほうが、幾分と良い気がする
そう結論を出した僕は、また落ちてゆこうとした


けれど、そのとき僕は暗闇だけではない感覚を感じた
人の気配がする
誰かが、すぐ傍にいる
独りのはずの、この家に

その誰かが、僕の手首を掴んでいる
温かい人の体温が、僕を引き止めようとしている
それさえなければ、僕はすぐに落ちてゆけるのに
僕は、その感覚が離れていってはくれないものかと、しばらく待った
しかしそんな気はないのか、それは一向に僕から離れないでいる


もしかして、誰かが待ってくれているのだろうか
僕が、目を開くことを
そんな期待をするなんて、らしくないと思う
でも、僕はそう思いたがっているのかもしれない
引き止めてくれる誰かが居てくれたらいいなと
そんな淡い望みを、僕は闇の中で抱いている




目を、開けてみようか
そうしたら、もう落ちることはままならないかもしれないけれど
僕の傍に居てくれる、その存在を確かめてみたい
そして、僕は―――






ネズミに伝わる音が、ほんのわずかに大きくなった
それを感じ取ったネズミは、はっとして流星を見た
ネズミの視界に入ったものは、流星が薄らと目を開いているところだった


「・・・流星・・・」
その言葉と共に、ネズミの口からは安堵の溜息が自然と漏れていた


「・・・ネズミ・・・・・・ずっと、ここに居たのか・・・?」
流星の声は、起きぬけのぼんやりとした声だった
それでも、ネズミに息をつかせるには十分だった

「まあな。・・・あんたには、借りがある」
借りというのは、以前に流星が倒れたネズミを運び、水を与えたときのことを言っていた
だが、まるでネズミは朝から晩まで流星の傍に居た理由をつけたがっているようだった


「馬鹿だな・・・さっさと帰ればよかったのに、こんな僕の傍に居るなんて・・・」
そうは言ったものの、流星は確かな幸福感を覚えていた


ネズミは、ずっと傍についていてくれた
一晩中、何時間も、ずっと
それはかなりの暇を持て余すことだし、とても疲れることだ
実際、ネズミの顔には疲労の色が見えていた
だが、ネズミは帰ろうとはしなかった
未だに僕の手首を掴んだまま、じっと目の前の相手を見据えていた

流星は、そこに悪いことをした子供を咎めるような、そんな雰囲気を感じた
なぜ、死を受け入れようとしたのか
たぶん、ネズミはそのことを問いただしたいのだと思った
流星は、ばつが悪そうに視線を逸らし、少し俯いた
それでも、自分に向けられている視線はそのままだった

しばらくはお互いそのまま黙っていたが、やがて流星は根負けした
そして、普段より小さめの声で話し始めた


「・・・僕は、未完成な自分が嫌で仕方がなかった。
裕福な家庭に生まれても、ここで自由に暮らしていても・・・それは、変わらなかった」
こんな悲観なことを話すのは、どことなく躊躇いがあった
こんなことを話すだけで、場の空気は重々しくなる
それが嫌で、悲観的なことはずっと押し止めてきた
でも今は、話す他仕方がないと、そんな空気になっていたので僕は言葉を続けた

「刺されて、だんだん眠くなってきたとき、正直どっちでもよかったんだ。
朝になって目が覚めても、このまま目が覚めなくても」
掴まれている手首にかかる力が、わずかに強くなった
こんな情けないことを思う僕に、憤っているのかもしれない
生きたくても生きられない者がいるこの街で、そんな軽率なことを言うなと

「余計なお世話だったか」
半分問いかけるような言葉と共に、ネズミは手首を掴む力を強めた

「そうじゃない、君が・・・引き止めてくれたんだ」
僕は、反射に近いほど早く返答していた
目覚めたときネズミが居てくれたことに、僕は確かな幸福感を覚えていた
それが、余計なお世話だなんてあるはずがなかった

「僕は、分岐点に居た。このまま眠るか、目を覚ますか、その分岐点に。
・・・そのまま眠ろうと、最初は思ってた。けど・・・君の、手を感じた。
君が、僕の傍に居てくれて、手首を掴んでいたから・・・僕は、目を開こうって思えたんだ」
一人でいたなら、僕はきっと眠り続けることを選んでいたと思う
けれど、ネズミが待っていてくれたから
僕は、ここに居続けることを選べた
どうやら思った以上に、僕は―――

流星は、そこで考えを打ち消した
自分でも、恥ずかしい台詞を言おうとしているとわかったから


流星の言葉を聞いて、ネズミはふっと柔らかな笑みを浮かべた
そして手首を掴む力を緩め、もう片方の手で流星の後頭部を引き寄せた
ネズミはネズミなりに、幸福感を覚えていたのかもしれない
流星は、自分が傍に居たから目を覚ますことを選んだ、ということに

「あ・・・」
流星は、何かに気づいたように小さく声を発した
身が引き寄せられ、ネズミがゆっくりと近付いてくる

たぶん、口付けられるのだろうな、と思った
それに気付いて声を発したのだが、顔を背けようとはしなかった
今は、ネズミの好きにさせようと思った
僕は、ここへ引き戻してくれた彼に感謝していたところもあったから



もう、お互いの距離はわずかしかない
そういうとき、ネズミは目を閉じる直前にすっと目を細める
それがとても妖艶で、そうなると僕はとたんに身動きがとれなくなる

そして、さらにネズミが近付いてきたとき
僕は相手の顔を見ることが無性に恥ずかしくなり、目を閉じようとする
けれど、妖艶な瞳をもっと見ていたいとも思う
その二つが反発して、僕の目も自然と細まってゆく
僕が目を閉じたところで、お互いが重ね合うのを感じた

「ん・・・」
傷を受けて間もない僕を気遣ってくれているのか、それはとても優しい口付けだった
相変わらず羞恥心はあったが、抵抗する気は起きなかった
こうしていると、まるで彼は僕の存在を求めてくれているような、そんな気がする
そんなことは都合のいい解釈かもしれないが、僕はほんの少し期待してしまっているところがあるのだと思う
だから毎回、他者の温かみを感じるこの行為を受け入れているのかもしれない


僕が一切抵抗を示さないでいると、ネズミがまたゆっくりと、自らの口内にあるものを差し入れてくるのを感じた
僕は、その行為にも抵抗を示さなかった

「ん・・・っ・・・・・・ぁ・・・」
声が喉元で押しとどめられ、その代わりに熱を帯びた吐息が漏れる
自分の口内に相手のものがあるのだと思うと、条件反射で体温が上昇してゆく
それに伴って、羞恥心も大きくなってゆく
その羞恥心の余り顔を背けることは簡単だったが、僕はじっと、身を任せていた



ネズミは重ね合っていたものを離すと、流星の上着のボタンを外そうとした
流星は余韻でぼんやりとしていたが、はっとしてネズミの手を掴んだ

「こ、これ以上は・・・駄目だ・・・」
ネズミに身を任せ続けた先に行きつく行為が何なのかわかっていた流星は、流石に抵抗を示した

「傷の具合を見るだけだ」
ネズミがそう言ったので、流星は抵抗の力を緩めようとしたものの、離すことはしなかった

「・・・それなら、服を脱がさなくても見れるだろ」
流星はネズミが何か言う前に、自分の服を捲った
傷口を縫ったおかげか、もう包帯に血は滲んでいなかった
そこでネズミが軽く舌打ちしたのを、流星は聞き逃さなかった


「・・・僕の服を脱がせて、楽しいのか?」
ネズミの舌打ちは、服を脱がせられなかったことに対してのものだと察した流星は、そんなことを尋ねた

「ああ。あんたの色っぽい目つきを見てると、押し倒したくなる」
「なっ・・・」
恥ずかしげもなくそんなことを言われ、流星は慌てた様子を見せた
まさか、口付けを交わすときの自分の動作がそんな風に見られていたとは思っていなかった

「よ、よく僕みたいなのに欲情できるな・・・君の思考は、相変わらずよくわからない」
流星は慌てるあまり、少し自虐交じりのことを言った
それが気に入らなかったのか、ネズミの表情が真剣なものに変わった

「あんた、自分をあんまり悲観するな」
ネズミの口から、珍しく優しい言葉をかけられた

「・・・そんなこと、言われても・・・」
悲観せずにいられるわけがなかった
ずっと虐げられてきたしがらみが染みつき、そう簡単に切り換えることなどできなかった

「おれはあんたを認めてる。あんたの頑固な性格も、忌み嫌ってるその体もひっくるめた全てを」
流星は意外な言葉を聞き、一瞬驚いた様子を見せた
こんなことを、面と向かって言われるのは初めてだった
どことなく似ている性格上、ネズミはこんな優しいことを言うことは滅多になかった
それだけに、流星はその言葉に感銘を受けていた


「・・・頑固は、余計だ」
照れくさくてお礼の言葉が言えず、そんな返答をした
しかし、内心では喜んでいる自分がいるのは確かだった
こんな存在を認めてくれる
そのことが、流星にとって何より喜ばしいことの一つだった

「言葉で信じられないようだったら、態度で示してもいいけど。
あんたの懐疑心がなくなるまで、愛してあげましょうか?」
ネズミの口調は一変してからかうようなものに変わり、口端を上げて笑みを浮かべた


「・・・・・・そうだな、それでもいいかもしれない」

「えっ」
流星の意外すぎる返答に、今度はネズミが驚いた様子を見せた


「君は、僕を愛してくれるか・・・?
過去のしがらみが気にならなくなるほど、信じさせてくれるか・・・?」

「え、ちょ、ちょっと」
流星はネズミににじり寄り、物寂しげな目で訴えた
ネズミはというと、珍しすぎる流星の態度にうろたえていた
そんなネズミの様子を見て、流星はたまりかねたように笑った

「・・・冗談だよ、たまには君を慌てさせてみたかっただけだ。
君は案外、迫られると弱そうだな」
流星はからかうようにそう言うと、ぱっとネズミから離れて距離を置いた
狼狽していたネズミは落ち着きを取り戻し、面白くなさそうに流星を見た
そして、溜息をついて立ち上がった

「それだけ言えるならもう平気そうだな。おれは帰る、クラバットに感謝しろよ」
「ああ、世話になったな」
流星はネズミが出て行ったところを見計らって、「ありがとう」と口だけ動かした


本当は少しだけ、ほんの少しだけ、からかいではなく、真剣なところがあったと悟られてはいないだろうか
うろたえるネズミを見られたことは、それはそれでよかった
けれど、ネズミが僕の言葉を本気で受け取り、行為に及ぼうとしたら
僕はそのまま、成り行きに任せたかもしれない

あんな言葉が出てきたことは、自分でも驚くことだった
けれど、今自分のことを思い返すと、不思議なことではないのかもしれないと感じた

どうやら思った以上に、僕はネズミと共に居たいらしいから―――




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
珍しくデレてますが、管理人の気が滅入っていると、こんな暗い話ができますorz
そして小説内のいちゃいちゃ度で、そのストレス指数がわかります←どうでもいい