誕生日、後編

流星はしばらく気持ちを落ちつけてから、紫苑の所へ戻った
そして二人で黙々とパイを食べた
それは、NO.6に居た時でさえ味わったことがないくらい甘美だった
裕福な家庭に生まれて食事こそ豪華なものだったが、今食べている間食のほうがとても有意義に感じられていた
自分もそうだが紫苑もその味に夢中になっているようで、何とも幸せそうな表情をしていた


皿の上にあったパイは、あっという間になくなった
流星は久々に味わった甘美なものに満足していたが、ふいにこんな質問を投げかけた

「紫苑、これだけ良くしてもらって聞くのは失礼かもしれないけど・・・
君は、僕に同情して祝い事をしてくれたのか?」
プライドが高い流星は同情される事を嫌ったが、優しい紫苑の事だ
生まれてから一度も祝ってもらった事のない自分を見て、同情するのも無理はない
だから紫苑が肯定しても、そのせいで怒りを覚える事はない
だが、もしかして彼なら何か別の答えを言ってくれるのではないかと、浅はかな期待を抱いていた

「ううん、違う。同情なんてしてない。
ぼくはただ、きみに感謝するきっかけがほしかったんだ」
「きっかけ?」
流星は、きっかけがなければ伝えられないほど大きな恩を紫苑に着せただろうかと思い起こした
確かに一晩泊めたり、酔っぱらいにからまれているところを助けた事はある
だが、そのお礼はもうしてもらったはずだ
それどころか、それほど大きな恩があるのは自分のほうではないのかと思えてくるほどだった

「君は、一体何に感謝してるんだ?僕はそれほど大きな恩を君に着せた覚えはないけど・・・」
「たくさんあるよ。まず、きみがぼくと友達になってくれたこと」
予想していなかった答えを言われて、流星は一瞬きょとんとした
こんなきっかけを用意するぐらいだから、もっと大それた答えが返ってくると思っていた

「それに、こうして一緒に過ごしてくれること、話をしてくれること」
紫苑の言葉に、流星はますます呆気にとられた
そんな事、特別感謝される事だとは思っていなかった
紫苑の言葉は、まだ止まらなかった
そして流星の隣に移動して、その頬に手を添えて続けた

「そして、こうして触れさせてくれること・・・
ぼくは、言葉では言いきれないほど、きみに感謝してる」
今日は、紫苑に驚かされてばかりの日だ
いきなり祝ってくれた事にも驚いたのに、感謝の理由にこんな日常の、当たり前の事を言った彼にまた驚かされた
彼はこんな事に感謝して、贈り物を用意してくれて、僕を祝ってくれた
それを証明する言葉を聞いた今でも、信じられなかった

「そんなの、今となっては当たり前の事だろ」
紫苑が言った事は全て、自分が彼に対する自然な態度だった
そこに、恩を着せようなんて意図は全くなかった

「それが、ぼくにとってはすごく嬉しいことなんだ。
だってきみは、ぼくにとってかけがえのない、大切な存在だから」
「紫苑・・・」
ああ、もうそれ以上そんな優しい言葉をかけないでほしい
さっき抑えたはずの感情が、また湧き上がってきてしまう
目の奥も、だんだん熱さを取り戻していってしまう
流星はたまらなくなって、頬にある手をどけた
そうしたとたん、紫苑がやんわりと流星を抱きしめた

「こうしてると、何度でも言いたくなる・・・。
生まれてきてくれて、ありがとうって。
・・・きみがいてくれて、本当に良かった」
「・・・・・紫・・・苑・・・・・・」

もう、駄目だ
溜まりに溜まった感情が、君のせいで溢れ出てきてしまう
君は、僕を何回泣かせれば気が済むんだ
そのたびに僕は、こんなみっともない状態になってしまうというのに
でも、もう無理だ、抑える事なんてできない
君のせいで、君がそんな事を言うせいで、僕は、こんなにも―――――

流星はとっさに俯き、涙を隠そうとした
この状態なのだから、紫苑が振り向かない限り涙を見られる事はないのだが、顔を上げる事ができなくなっていた
一滴、二滴と、床に水滴が落ちていく
声だけは絶対に出すまいと必死に口をつぐんでいたが、まるでそのぶん涙が余計に溢れてくるようだった

流星は、紫苑を強く抱き返した
今離れられてしまったら、情けない姿を見られてしまう
床に落ちた水滴が、広がっていく
流星は、この感情が自然と治まってくれるのを待つしかなかった
とめどなく流れ落ちていくものを再び抑える術を、流星は持っていなかった




気持ちが落ち着くと、流星は俯いたまま紫苑の肩を押して離れた
目は赤くなってしまっていたが、涙は止まっていた

「流星・・・」
紫苑は両手を流星の頬に添え、そっと持ち上げた
抵抗されるかと思ったが、流星も自分から顔を上げて紫苑を見た
そして、お互い引き寄せられたように唇が重なった

その行為に目は自然と閉じられ、そこから伝わる感覚だけを感じていた
紫苑は、流星が突然こういった行為をされる事を好まないとは知っていた
だが泣きはらした彼の表情を見たとたん、何かを考える前に唇を合わせていた
同情しているわけではない、慰めようと思ったわけでもない
誇り高い彼が、弱い部分をさらしてくれたのが、嬉しかった
自分の前で涙を見せてくれた彼が、愛おしかった


しばらくはそうしていたが、ふいに紫苑は流星の口内へ自らの舌を進めた
流星は一瞬肩を震わせたが、目を閉じたままじっとしていた
まだ泣きはらした余韻が残っているからか、抵抗する気にはならなかった
舌先が触れると流星から少し口を開き、紫苑を受け入れた
流星は、こんなにも易々とこの行為を受け入れている自分に驚きそうになった
紫苑の肩を押してお互いを離れさせた手は、いつの間にか彼の肩を掴んでいた

ゆっくりと、お互いの物が絡まる
それが動くたびに増していく感覚は、さっき感じていた悲哀を忘れさせてくれるようだった
今一度肩を押せば、紫苑はすぐに離れるだろう
自分の性格からして、そうしても何の不思議もなかった
しかし彼を遠ざけようなど微塵も思わなかった
今は羞恥心もプライドも跳ね除け、ただ彼を感じていたかった
そんな欲求が、自分でも知らず知らずの内に芽生えていた


絡まっていた物が外れ、お互いが触れていた個所が離れた
いつもなら、とたんに頬を紅潮させて目を背けていたものだったが、流星はそのまま紫苑を見つめていた


「流星・・あの、もう一回しても・・・いいかな」
紫苑もできるならもっと、彼を感じていたいと思っていた
いつもは、こういった事をすると彼はすぐ俯き、口元を隠してしまうので言わなかった
だが今回は流星が意外にもあっさりと先の行為を受け入れてくれていたので、その欲求を口にしていた
こんな事を尋ねられたら、流星は間違いなく言葉に詰まるだろうと思った
しかし紫苑の予想とは裏腹に、流星は少し間を置いてから、短く「ああ・・」と答えた

そして流星は、自から紫苑と唇を重ねた
これには紫苑も驚き、一瞬目を見開いた
流星が自分からこんな事をするのは初めてだった
空から矢が降ってきても、流星からこの行為はしてもらえないだろうと思っていただけに、驚きと幸福感は大きかった



重なっていた物が離れると、流星は今自分がしてしまった事に気付いたのか
紫苑からぱっと離れ、そしていつものように口元を押さえて俯きがちになった
その頬は紅潮し、あきらかに動揺していた
紫苑も同じく、初めての出来事に流星に負けないくらい頬が赤く染まっていた
窓から入ってくる夕陽の光が、それらをいっそう際立たせているようだった

「・・・そ、そろそろ、暗く・・なるな」
流星が口元を隠していた手を外し、上ずりそうな声で言った

「えっ、あ、うん、そうだね」
紫苑も珍しくうまく口がまわらないのか、どもりつつ答えた
今なら、動揺している流星の気持ちがよくわかった

「それじゃあ・・帰るよ。暗くなったら、またきみのお世話になっちゃうし」
「・・そう・・・だな」
正直、紫苑がこのまま泊まっていきたいと言っても構わなかった
だが、さっきあんな事をしてしまった自分から、泊まっていってくれとは言えるはずがなかった


「あ・・・紫苑」
玄関の扉を開けようとしていたところを、呼びとめた
「今日は、突然の事で驚いたけど・・・嬉しかった。
・・・・・・・・・・・・・ありがとう」
流星が照れくさそうに言うと、紫苑は穏やかな笑みを浮かべた

「こちらこそ、気持ちを伝えられてよかったよ。
それに、ぼくのほうも思いがけない贈り物を貰ったし・・」
「え、あ・・・・あ、あれは・・・・・・・・・・・・・・
・・・ほ、ほら、こんな所でしゃべってると暗くなるぞ。早く、帰ったほうがいい」
その言葉で、落ち着きかけていた流星は再び動揺してしまった
紫苑はそんな様子を見て楽しそうに笑った
そして、笑顔のまま流星の家を出た




家の中に一人になり、流星は溜息をついた
一人になった寂しさからではなく、どうして自分があんならしくない事をしてしまったのかと考えたからだった
最初は、突然の出来事に対応しきれずに流れのままにしていた
その流れの中で彼が言った言葉
今まで両親にさえかけられる事のなかった、僕を肯定してくれるその言葉
それを、彼が言ってくれた事が嬉しかった
そして、その喜びと共に自分の中には「甘え」が生まれていたのかもしれない
自分が誰かに甘えるなんて、虫唾が走る事だと思っていたのに
だが、僕は今まで決して自らする事のなかった行為をついさっき、ここでしていた

僕は、優しい言葉をかけてくれた彼に
僕の事を肯定してくれた彼に、無意識の内に甘えていたのだろう
その時は、それが甘えという行為とはつゆ知らず
僕は、彼を求めるように口付けていた
今更になって羞恥心とプライドが、そんな事あってたまるかと主張しているが、
一度気付いてしまったこの事実をくつがえせはしなかった
そう気付くのと同時に、流星の中にはもうあんな醜態をさらしてなるものかという思いが強く生まれていた
だがその想いとは裏腹に、また甘えてしまいたいというわずかな思いも自分の中に生まれている事を
流星はまだ気付かなかった




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
短編と言いつつ二話続きとはこれいかに
またもや定番ネタですが、折角なので流星を少しデレさせてみました
なんか歯が浮くような台詞連呼してますが・・・管理人のボキャブラリーではこれが限界ですorz